今日の朝鮮・韓国ニュース(2020年4月28日分)

共和国の権力は高度に組織化・システム化されている: 白頭の革命精神な日記

「たとえ金正恩*1が死亡したとしても、北朝鮮の国家体制が揺らぐ可能性は低い」

 金正恩が健在かどうかは全く分かりませんが、仮に死去していた(あるいは死去してないまでも病気などで指導が出来ない)としても確かにその通りでしょうね。
 単純比較できないとはいえ

大久保利通が暗殺されても伊藤博文山縣有朋が後継者として独裁的政治を継続」
「エジプトのサダトが暗殺されても、ムバラクが後継者として独裁的政治を継続」
「韓国の朴チョンヒが暗殺されても、全斗煥が後継者として独裁的政治を継続」

など、「独裁的政治家」が死亡しても後継によって「独裁的体制」が続くことは珍しくない。
 「後継者を生み出し、支える統治システム」があるならば、「独裁的政治家」が死亡したからと言って独裁的体制がなくなるとは限らない。
 この件で「ヤクザと国家を一緒にするな」という批判をあえて予想した上で俺が連想したのは

◆『仁義なき戦い(第1作目)』での坂井鉄也・山守組若頭(モデルは山村組若頭の佐々木哲彦。演者・松方弘樹)暗殺による山守義雄(モデルは山村組組長の山村辰雄。演者・金子信雄復権

◆山一抗争での、一和会による竹中・四代目山口組組長(山口組トップ)、中山若頭(山口組ナンバー2)暗殺劇(1985年)

です(ウィキペディア仁義なき戦い』『山一抗争』参照)。
 まず、山一抗争。いわゆる実話雑誌では「トップとナンバーツーが暗殺されたので山口組は大混乱になり、一和会は、山口組に対抗して組織としてやっていけるのではないか」なんて記事もありましたが、実際には一和会は山口組の報復攻撃に抵抗しきれず解散に追い込まれます。
 山口組は初代組長から三代目組長までの間に「組織として支配体制をがっちり固めた」がゆえにもはや「トップ竹中(四代目組長)やナンバーツー中山が死んでも」後に残された幹部連で回していけた。
 「たとえ金正恩が死亡したとしても、北朝鮮の国家体制が揺らぐ可能性は低い」と同じで「トップ竹中やナンバーツー中山が死んでも山口組は揺らがなかった」わけです。
 一方、一和会(山本広・山口組組長代行が山口組を離脱して結成)は誕生したのが1984年、竹中らを暗殺したのが1985年です。たった1年では『山口組ほどの強固な支配体制を築くこと』もできず、かえって、山口組の猛攻撃に脱落者が続出し、解散する羽目になったわけです。
 次に仁義なき戦い
 山守組若頭・坂井鉄也は山守組長を恫喝して、ヤクザを引退させて組を乗っ取り、坂井組を立ち上げますが、結局「反坂井派」に襲撃され殺され、その結果、山守が復権します。
 つまり「仁義なき戦い」の時代(終戦から昭和30年代頃)には『組織としての支配』はまだ確立してなかった。坂井の場合『坂井個人の能力による支配』と言う面が強い。
 だから坂井が暗殺されると、反坂井派の山守が復権する。
 坂井が『組織としての支配』を確立していれば、話は『山一抗争』と同じ構図になったでしょう。
 山守が復権することなどなく、坂井の子分らが弔い合戦として山守らに報復し、『坂井残党一派の支配が継続する』事で終わったわけです。

*1:北朝鮮国務委員長、朝鮮労働党委員長、朝鮮人民軍最高司令官