今年(2023年)はどんな年か

 いくつかネット上の記事を紹介しておきます。
【2023年予定の出来事】

2023年 - Wikipedia2023年の日本 - Wikipedia
◆4月9日
 統一地方選挙前半戦(都道府県知事・議会議員選挙、政令指定都市市長・議会議員選挙)
 未だに続く「大阪での高い維新支持」のため、困難なことは分かっている物の、大阪府知事・市長選ではいい加減「自民と比べても酷い非常識極右&コロナ失政」維新に下野して欲しいところです。
◆4月23日
 統一地方選挙後半戦(市区町村長・議会議員選挙)
◆5月19~21日
 広島県広島市で先進国首脳会議(G7サミット)開催
 場所が広島というのは勿論「岸田が広島選出だから」でしょう。岸田をサミット開催までに辞任に追い込み「広島で錦を飾る」もくろみを挫折させ「生き恥をさらしたい」ところではあります。
◆8月19~27日
 ハンガリーブダペスト世界陸上競技選手権大会開催
◆8月30日見込み
 埼玉県知事選挙
 県民なのでメモしておきます。
◆9月8~10月28日
 フランスでラグビーワールドカップ2023が開催。
◆10月1日
 消費税の仕入税額控除の方式として、適格請求書等保存方式(いわゆる「インボイス制度」)導入開始予定

【2023年から100年前の出来事】

99年前の悲劇 知られざる福田村事件 差別を乗り越えるには | NHK2022.10.19
 流言飛語が飛び交う関東大震災直後、いわれなき理由から朝鮮人や中国人が殺害された。知られざる99年前の悲劇、福田村事件を取材した。
 事件は大正12年9月6日、関東大震災から5日後、福田村(現在の野田市)で起きた。
 香川から訪れた薬売りの行商の一行が、村にある神社で休憩していたところ、地元の自警団に朝鮮人と疑われたことをきっかけに一方的に襲われ、15人のうち子どもや妊婦を含む9人が殺害された。
 福田村を通った行商は日本人だったが、香川の方言を聞いた自警団が朝鮮人だと決めつけたことが事件の引き金になったとされる。
 殺害を主導した自警団員8人はその後の裁判で、懲役2年から10年に処せられたが、その後、昭和天皇の即位による恩赦で釈放された。
 事件は当時、新聞で報じられたものの、その後、長く忘れられ、1986年、朝日新聞の報道で再び知られることになる。
 来年は事件から100年になる。私たちが学ぶ教訓とは何か。
 市川さんは、悲劇を引き起こした差別意識は今も変わらず、残っていると指摘する。
 市川さんによると、2003年に慰霊碑を建立する際、市に協力を要請したが、断られたという。また、完成時の除幕式への出席を求めたが、これも断られたという。追悼式は2003年以降、毎年開催しているが、市の出席はないという。NHK野田市役所に取材したところ、いずれも事実だと認めた上で、その理由について、「事件はあくまで民間どうしのもので、加害者側がすでに罰せられているほか、協力の要請などが地元の地区からないため、関わらないと判断している」としている。

 今年で福田村事件から100周年になります。99周年という中途半端な時期に取り上げたのは「日本国内の在日ヘイト」に対するNHKの危機感の表れでしょう。とはいえタイトルは「来年で100周年」にした方が良かった気もしますが。
 なお、関東大震災での虐殺としては左派活動家が虐殺された「甘粕事件(大杉栄伊藤野枝を暗殺)」「亀戸事件(日本共産青年同盟(今の民主青年同盟の前身)初代委員長・川合義虎、労組活動家の平澤計七らを暗殺)」、中国人が虐殺された「王希天事件」もあります(つまりは今年は大杉らの没後100年ですね)。

朝鮮人虐殺、目を背けぬ 来年で関東大震災100年 市民ら追悼続け半世紀 | 毎日新聞2022.12.14
 「井戸に毒を入れた」などのデマを信じた人々によって殺された朝鮮人らの追悼式が、半世紀近くにわたり市民らによって執り行われている。来年(2023年)で震災から100年。市民や遺族らは「悲惨な事実から目を背けない」と手弁当で追悼を重ねてきた。

【2023年から70年前の出来事】

「奄美のガンジー」と呼ばれた泉芳朗の日記 初めて一般公開へ|NHK 鹿児島県のニュース2022.12.7
 徳之島出身で詩人*1の泉芳朗*2は、署名活動やハンガーストライキなどを通じて、奄美群島の本土復帰を訴え「奄美ガンジー」とも呼ばれました。
 9年前、茨城県に住む泉の親族の家から本人の日記が見つかり、専門家による研究が進められていますが、本土復帰から69年となる今月25日の「日本復帰記念の日」にあわせて初めて一般に公開されることになりました。

奄美群島の日本復帰から69年 奄美市で記憶を語り継ぐ会|NHK 鹿児島県のニュース2022.12.26
 奄美群島が、アメリカの統治下から日本への復帰を果たしてから25日で69年になるのを祝い、奄美市では、復帰に尽力した人たちをしのび当時の記憶を語り継ごうという集会が開かれました。
 25日は奄美市のおがみ山に、地元の人など20人ほどが登り、復帰運動の中心人物だった詩人の泉芳朗の銅像に花をたむけました。

 奄美復帰についてはググったところ、永田浩三*3奄美の奇跡:「祖国復帰」若者たちの無血革命』(2015年、WAVE出版)がヒットしました。


【2023年から50年前の出来事】

「戦後最悪」千日デパートビル火災から50年 今も残る課題 大阪 | NHK2022.5.13
 118人が死亡し、国内の建物火災で戦後最悪の被害となった大阪の千日デパートビル火災から、13日で50年です。
 専門家が「日本の建物火災を考える原点」と評した火災のあと、数々の防火対策が進められましたが、今なお課題は残っています。
 煙で窒息して亡くなった人だけでなく、熱や煙から逃れようとビルから飛び降りて亡くなった人も多くいました。
 火災があった場所は現在、別のビルが建っていますが、敷地内に犠牲者を慰霊するための地蔵が設置されていて、今もビルの管理会社が毎朝、地蔵の周りをきれいに拭いて花を交換しています。
 神戸大学の室崎益輝・名誉教授(77)は、当時、この火災の現地調査を行いました。
 室崎名誉教授は「日本の建物火災の対策を考える原点だったと思います。われわれに投げかけられた課題がどこまで改善されて、何が残されたかを考え続ける必要があります」と話しています。
 この火災では、
▽出火場所にスプリンクラーが設置されていなかったことや、
▽一部の防火シャッターが閉められていなかったなど、
防災設備の不備が明らかになりました。
 また、
▽上の階に火事の情報がすぐ伝わらなかったことや、
▽避難経路が限られ、わかりにくかったことなども、
被害が拡大した要因とされています。
 次の年にも熊本市の「大洋デパート」で104人が死亡する火災が起き、国は法令を改正するなどしてビルの防火対策を見直しました。
 このうちスプリンクラーをめぐっては、設置を義務づけた消防法の規制強化が行われ、以前からある古い建物にもさかのぼって適用されることになりました。
 一方、原則6階以上のビルに階段を2つ以上設置することを義務づけた建築基準法の規制強化をめぐっては、古い建物には適用されず、「既存不適格」のビルが今も各地にあります。
 去年12月に大阪北区でクリニックの入るビルが放火された事件でも、現場は規制が強化される前に建てられた「既存不適格」の建物で、階段が1つしかなく、被害拡大の要因となった可能性が指摘されています。
 室崎名誉教授は「既存不適格の建物は新しい法律からすると危険な建物です。既存不適格のビルがどれだけどこにあるというのを、国と自治体が把握して、特に危険な建物については行政指導で改善を図っていくことが求められます」と話します。

104人が犠牲 大洋デパート火災50回忌で慰霊祭|NHK 熊本県のニュース2022.11.29
 熊本市の旧大洋デパートで104人が亡くなった火災の50回忌となる慰霊祭が29日、熊本市の寺で行われました。
 49年前の昭和48年11月29日、熊本市の大洋デパートで起きた火災では、104人が犠牲になり、120人あまりが重軽傷を負いました。

 大洋デパート火災(1973年、死者104人)の前年には千日デパート火災(1972年、死者118人)も起こっており、この結果、消防法令が改正されることになります。つまりは、去年が千日デパート火災から50周年、今年が大洋デパート火災から50周年になります。


【その他いろいろ】
◆いわゆる征韓論政変(1873年江藤新平*4西郷隆盛*5征韓論派が下野)から150年、紀尾井坂の変(1878年大久保利通暗殺)から145年
小津安二郎(1903~1963年)の生誕120年、没後60年

三重出身の映画監督・小津安二郎 生誕120年行事相次ぐ: 日本経済新聞2022.12.21
 1953年公開の「東京物語」などを手掛けた映画監督、小津安二郎(1903~63年)の生誕から2023年で120年を迎え、小津が青春時代を過ごした三重県で映画祭やバスツアーなど記念行事が繰り広げられる。ゆかりの地の松阪市、津市、伊勢市などで功績を伝える活動をしている団体が協力して郷土の巨匠の足跡を振り返る。
 小津は誕生日と没した日が同じで、2023年12月12日に生誕120年、没後60年を迎える。

◆日本共産青年同盟(日本民主青年同盟の前身)創立(1923年)から100周年
朝鮮戦争停戦(1953年)から70周年
 ググったら和田春樹*6他『朝鮮戦争70年』(2020年、かもがわ出版)がヒットしたので紹介しておきます。
ケネディ米国大統領暗殺(1963年)から60周年
金大中事件ピノチェトクーデター(1973年)から50周年
◆日中平和友好条約締結(1978年)から45周年
深作欣二(1930~2003年)の没後20年

没後20年・深作欣二特集「仁義なき戦い」「バトル・ロワイアル」「黒蜥蜴」など一挙放送(映画ナタリー) - Yahoo!ニュース
 2023年1月に没後20年を迎える深作欣二の特集企画が、CS放送局・東映チャンネルと衛星劇場で1月より放映される。
 仁義なき戦い」シリーズをはじめとするアウトロー映画、「柳生一族の陰謀バトル・ロワイアル魔界転生(1981年*7)」ほか多彩なジャンルの作品、ゆかりのある人々のインタビューを収めた特別番組「映画監督 深作欣二特番 映画と戦い続けた男」が楽しめる。
 そして衛星劇場では、全9作品の特集放送が行われる。深作が初めて独立プロの作品を手がけた「君が若者なら」、美輪明宏が主演した「黒蜥蜴(1968年*8)」、蒲田行進曲(1982年)」忠臣蔵外伝 四谷怪談いつかギラギラする日などがラインナップに並んだ。

 ちなみに

千葉真一 - Wikipedia
仁義なき戦い」シリーズをはじめとするアウトロー映画
◆『仁義なき戦い 広島死闘篇』(1973年)
 大友組組長・大友勝利(モデルは村上組組長・村上正明)
◆『北陸代理戦争*9』(1977年)
 大阪浅田組系金井組組長・金井八郎(モデルは山口組系柳川組組長・柳川次郎)
→千葉は深作監督作品のほかにもヤクザ映画では
◆『組織暴力』(1967年、佐藤純彌監督)
 主演・高杉晋次(矢東組組員)
◆『沖縄やくざ戦争*10』(1976年、中島貞夫監督)
 主演・国頭正剛(旭琉会理事長・新城喜文がモデル)
◆『やくざ戦争・日本の首領(ドン)』(1977年、中島貞夫監督)
 中島組系迫田組組長・迫田常吉(モデルは山口組系柳川組組長・柳川次郎)
◆『日本の仁義』(1977年、中島貞夫監督)
 木暮勝次(須藤組若頭)
◆『最後の博徒』(1985年、山下耕作監督)
 加納良三(美能組組長・美能幸三*11がモデル)
◆『極道戦争武闘派』(1992年、中島貞夫監督)
 笠井高次(笠井組組長)
などに出演しています。
柳生一族の陰謀」(1978年)
 柳生十兵衛三厳(主演は十兵衛の父・柳生但馬守宗矩役の萬屋錦之介
魔界転生(1981年)」
 主演・柳生十兵衛三厳
蒲田行進曲(1982年)」
 主人公ヤスこと村岡安次(平田満*12)がビルから落下するスタントシーンを演じる劇中劇の現代劇で、敵に向かって機関銃を撃ちまくる役で登場。当時、千葉が主催するJACメンバーだった真田広之志穂美悦子(真田、志穂美ともヤスが斬られ役として出演する劇中劇の時代劇で殺陣を披露)が共演
いつかギラギラする日」(1992年)
 ギャングの一員・柴
【その他の作品】
◆『風来坊探偵・赤い谷の惨劇』、『風来坊探偵・岬を渡る黒い風』(1961年)
 主演・西園寺五郎
◆『ファンキーハットの快男児』、『ファンキーハットの快男児・二千万円の腕』(1961年)
 主演・天下一郎
◆『カミカゼ野郎 真昼の決斗』(1966年)
 主演・御手洗健
◆『ドーベルマン刑事』(1977年)
 主演・加納錠治刑事
◆『赤穂城断絶』(1978年)
 不破数右衛門(主演は『柳生一族の陰謀萬屋柳生但馬守宗矩役)』で共演した萬屋錦之介大石内蔵助役))
◆『復活の日』(1980年)
 山内博士
◆『里見八犬伝』(1983年)
 八犬士の一人・犬山道節。当時、千葉が主催するJACメンバーだった真田広之(八犬士の一人・犬江親兵衛)、志穂美悦子(八犬士の一人・犬坂毛野)、大葉健二(八犬士の一人・犬飼現八)が共演
◆『バトル・ロワイアルII 【鎮魂歌】』(2003年)
 三村真樹雄

ということでやはり深作と言えば千葉真一ですね。

大島渚(1932~2013年)の没後10年

大島渚の没後10年特集、「青春残酷物語」「愛のコリーダ」など4作品を放送(映画ナタリー) - Yahoo!ニュース
 1月15日に没後10年を迎える映画監督・大島渚の特集企画が、1月3日よりCSの衛星劇場で放送される。
 ラインナップには、“松竹ヌーベルヴァーグ”という言葉を生んだ「青春残酷物語」、男女の究極の愛を鮮烈に描いた「愛のコリーダ」、大胆なエロスをテーマに据えカンヌ国際映画祭で監督賞に輝いた「愛の亡霊」、そして長編デビュー作「愛と希望の街」以前に制作したミュージカル仕立ての短編「明日の太陽」が並んだ。
 なお大島が監督を務めた「戦場のメリークリスマス」の4K修復版が、1月13日より東京・新宿武蔵野館ほかで再上映される。

*1:間違いではないのですが「元・名瀬市長」と書いた方が良くないか。

*2:1905~1959年。鹿児島県大島郡伊仙村(現・伊仙町)出身。1950年、奄美社会民主党(1951年に沖縄人民党(現在の日本共産党沖縄県委員会の前身)に合同。現在の日本共産党奄美地区委員会の前身)が結成されると泉は書記長となり、後に委員長に就任。1951年、奄美大島日本復帰協議会が結成されると、泉は議長に就任。1952年に名瀬市長に就任。1954年まで市長を務めた(在任中の1953年に本土復帰が実現)(泉芳朗 - Wikipedia参照)。

*3:NHKプロデューサー。武蔵大学教授。著書『NHKと政治権力:番組改変事件当事者の証言』(2014年、岩波現代文庫)、『ベン・シャーンを追いかけて』(2014年、大月書店)、『ヒロシマを伝える:詩画人・四國五郎と原爆の表現者たち』(2016年、WAVE出版)など

*4:参議、司法卿を歴任。下野後の1874年、佐賀の乱を起こし、死刑判決

*5:参議、近衛都督、陸軍大将を歴任。下野後の1877年、西南戦争を起こし、敗北し自決

*6:東大名誉教授。朝鮮半島関係の著書に『金日成満州抗日戦争』(1992年、平凡社)、『北朝鮮:遊撃隊国家の現在』(1998年、岩波書店)、『日朝国交交渉と緊張緩和』(編著、1999年、岩波ブックレット)、『朝鮮戦争全史』(2002年、岩波書店)、『朝鮮有事を望むのか:不審船・拉致疑惑・有事立法を考える』(2002年、彩流社)、『東北アジア共同の家:新地域主義宣言』(2003年、平凡社)、『同時代批評:日朝関係と拉致問題 2002年9月~2005年1月』(2005年、彩流社)、『これだけは知っておきたい日本と朝鮮の一〇〇年史』(2010年、平凡社新書)、『北朝鮮現代史』(2012年、岩波新書)、『慰安婦問題の解決のために』(2015年、平凡社新書)、『アジア女性基金慰安婦問題:回想と検証』(2016年、明石書店)、『米朝戦争をふせぐ:平和国家日本の責任』(2017年、 青灯社)、『安倍首相は拉致問題を解決できない』(2018年、青灯社)、『韓国併合110年後の真実:条約による併合という欺瞞』(2019年、岩波ブックレット)、『慰安婦問題の解決に何が必要か』(2020年、青灯社)、『日朝交渉30年史』(2022年、ちくま新書

*7:1981年と書かれているのは、平山秀幸監督(代表作として『学校の怪談』(1995年)、『学校の怪談2』(1996年)、『学校の怪談4』(1999年)など)によって2003年にリメイク版が作成されているため

*8:1968年と書かれているのは、深作以前(1962年)に井上梅次監督で同名映画が作成されているため。ちなみに黒蜥蜴は「明智小五郎モノ」で、井上は後に明智モノとしてテレビ朝日土曜ワイド劇場「江戸川乱歩の美女シリーズ (1977年~1985年、全25作、主演・天知茂:但し井上監督作品は全作品では無く、第1~19作(1977~1982年))」を監督、美女シリーズでは第8作「悪魔のような美女」(1979年)が黒蜥蜴のドラマ化(井上梅次 - Wikipedia参照)

*9:映画公開一ヵ月半後の昭和52年(1977年)4月13日、本作品の主人公・川田登のモデルとなった川内組組長・川内弘が福井県三国町(現・坂井市)で対立組織に射殺された(いわゆる三国事件)。深作が実録ヤクザ映画路線から撤退したのは三国事件のためともいわれる(北陸代理戦争 - Wikipedia参照)。

*10:この映画については以前新刊紹介:「歴史評論」2012年1月号 - bogus-simotukareのブログで取り上げました。

*11:菅原文太が主演した『仁義なき戦い』(1973年)の主人公・広能昌三のモデルとされる人物

*12:1953年生まれ。1983年、『蒲田行進曲』で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞、報知映画賞最優秀主演男優賞を受賞