今日の産経ニュース(2020年6月18分)

「めぐみ取り戻すまで頑張る」 横田早紀江さんが決意と謝意 - 産経ニュース
 いい加減「めぐみ拉致の事実を認め、孫ウンギョンの存在まで明かしたのに娘めぐみの存在を隠す必要性はどこにもないはず」「つまり、死亡時期や死亡理由はともかく娘はもう生きてない可能性が高い」「仮に生きていて、どこかに隠されてるとしても孫と会わなければ娘と会えるわけではない」「もう老い先短い私(84歳)は数年後には夫同様死亡しているかもしれない。死亡してなくても病院に入院して認知症も発症して会えない体もしれない。会える内に孫に会っておこう」というまともな認識に達してどんどん孫に会って欲しいと思いますが、まあ、たぶんこのまま全然会わないで死亡するんでしょうね。で死んだら、横田滋氏の死亡の時と同様にまた救う会や家族会が北朝鮮叩きに政治利用すると。
 俺は「愚かな」早紀江に同情はしません。孫に会うべきだと思うけど、当人がそれを否定するのではどうしようも無い。
 で小生みたいに「体が元気な内に孫にあった方がいいと思いますよ」と言う善意の声を「北朝鮮シンパか!」「丸め込もうとしてるのか」「だまされないぞ!」などと愚かにも敵視すると。
 「イヤ、だましてるのは俺じゃなくて、救う会と家族会だろ。孫と会わない方がいいと言われて、小泉訪朝後17年間も『たった1回しかモンゴルで孫と会わなくて』何かいいことがあったの?。孫と1回しか会えないまま死んだ夫がかわいそうだと思わないの?。自分もああいう風に今後なっても構わないの?。そんなに救う会や家族会に早紀江さん万歳、早紀江さん万歳ってチヤホヤされるのが気持ちいいの?。そんなに『孫と会わないことで何のメリットもなかった』という過去の自分の失敗を認めたくないの?。そんな『ある意味つまらないこと』が孫と会う喜びより大事なの?」ですよね。そう言われたら彼女は何というのか。それでもかたくなに『孫とは会わない』というのか。
 内心は彼女も自分の馬鹿さに気づいてるんじゃ無いか。
 「お願いです、孫に会わせて下さい」「私が家族会運動から離脱しても許してください。あなた方、家族会の『北朝鮮バッシング』のための政治的道具として生きるのには疲れました。普通のお婆さんに戻りたいんです(都はるみ風に)」と祖母として懇願するならともかく、「孫にあった方がいいと思いますよ」と言う善意の声を敵視するのだから呆れて二の句が継げません。

「(入院中の滋さんに)『めぐみちゃんと会うまで頑張ろうね』と声をかけていたので、今思うとかわいそうだったなぁと」と率直な心情を吐露した。一方で、最期の瞬間について「家族に見守られ眠るように亡くなった。間違いなく天国へ行ったという実感があり、悲壮感はなかった」と振り返った。
 自宅にある滋さんの遺骨と遺影に向け、「今日も元気を出していこうね」などと毎朝、声をかけているといい、「単身赴任で天国に行っているような、そんな感覚です」と笑みもこぼれた。その上で「めぐみを取り返すまで頑張っていく。これからも色々なことがあると思うが、みなさんと力を合わせていきたい」と結んだ。

 前後の発言が矛盾してますね。『孫と会えなくて今思うとかわいそうだった』のに『間違いなく天国へ行ったという実感があり、悲壮感はなかった』て。孫と会いたいのに周囲に妨害されて、優柔不断な気が弱い性格なので、滋氏は渋々、泣く泣く諦めて、明らかに悲壮感ありまくりでしょうよ。しかも「めぐみを取り返すまで頑張っていく=めぐみに会えるまで孫とは会わない』ていつまでそんな馬鹿なこと言ってれば気が済むのか。そんな自分に「悲壮感」を感じて空しくならないのか。

 支援組織「救う会」の西岡力会長もあいさつし、(中略)最近の北朝鮮情勢について、新型コロナの影響などもあり、経済的に苦しい状況にあるとし、「全拉致被害者の即時一括帰国の実現に向け、最後の勝負のときは近い。これまでの道を信じて進んでいく」と語った。

 よくもまあこんなデマが言えたもんだし、家族会もよくもまあこいつを支持できるもんです。こいつの言いなりに小泉訪朝後17年間動いてきて、何かいいことがあったのか。「経済的に苦しい」てそんなんは小泉訪朝後に制裁叫んだときから、西岡はずっと同じ事言ってる。
 当初は「小泉政権の制裁開始から長くても数年(2~3年)で音を上げて北朝鮮が屈服して拉致解決」と言っていたのが西岡ですけど数年どころか、今17年目ですよ。明らかに西岡が言ってることは嘘じゃないか。


【正論】塚本元委員長と日本の安全保障 杏林大学名誉教授・田久保忠衛 - 産経ニュース
・田久保の肩書きが「国家基本問題研究所副理事長」や「日本会議会長」でない点が興味深い。なんだかんだ言っても田久保も「右翼肩書きは評判が悪い事」から隠そうとするわけです。書いてることは右翼以外の何物でも無いですが。
・昔の日本政治について何の知識もない人間(例:外国人や日本人でも最近の若者)なら「民社党というのだから、ドイツ社民党社民連江田三郎、五月親子)、今の社民党福島瑞穂党首)の様な物なのだろう」「大体、右派とはいえ、社会党書記長、委員長だった片山哲(後に首相、民社党常任顧問)、片山委員長の下で社会党書記長だった、そして片山内閣で官房長官だった西尾末広(後に初代民社党委員長)とか元々は社会党にいた人間の集まりが民社党でしょ?」と思うでしょう。ところがどっこい。
 「自民党よりも右寄りの極右政党」であり

・塚本書記長時代の53年に栗栖弘臣統合幕僚会議議長の解任問題が発生した。日本が第三国から奇襲攻撃を受けた場合、首相の防衛出動命令が出るまで自衛隊は動きが取れないので、超法規的行動に出ることはあり得る、と栗栖氏は述べ、自民党金丸信*1防衛庁長官文民統制違反だとして栗栖氏を解任した。
・栗栖氏を民社党参院選で東京地方区の公認候補に指名し、元自民党ハト派代議士の宇都宮徳馬氏と事実上の一騎打ちに出たのである。

というのだからびっくりです。
 自称社民政党が「極右発言」で福田*2内閣に更迭された防衛官僚出身のタカ派を擁立(なお栗栖は結局落選)し、対立候補は「保守リベラル」とはいえ元自民党宇都宮徳馬(宇都宮当選だけでなく、長年、東京を地盤とする共産幹部の上田耕一郎氏もこの選挙に出馬し当選していますが)。
 元委員長・塚本も旧民社解散後は自民から出馬(但し落選)したり、国家基本問題研究所理事、頑張れ日本!全国行動委員会愛知県本部顧問を務めたりする札付きの極右です。
 日本政治に知識のない人間が話を聞けば「はあ?」「それのどこが社民政党なの?」と耳を疑うんじゃないか。
 話が脱線しますが、社会党右派(後の旧民社の前身)の極右ぶりを示す有名な話で、
1)創立当初の社会党は右派(後の旧民社の前身)の力が強く、華族徳川義親 - Wikipedia社会党顧問だった。また結党大会終了時には左派の反発を無視して右派・賀川豊彦 - Wikipediaの音頭取りで「天皇陛下万歳」が三唱された
2)『岸信介 - Wikipediaは実は最初は、社会党右派の政治家で岸の友人でもある三輪寿壮 - WikipediaA級戦犯容疑者となった岸の弁護を務め、三輪の葬儀では岸が弔辞を読んだ)のつてで社会党入りしようとしたが『戦犯容疑者の入党なんか認められない』という社会党左派の反対で諦めた
3)安保闘争時、岸は一時、民社党を抱き込んだ大連立(首相が旧民社の西尾末広委員長*3)を画策したことがある(ただし旧民社が乗るか分からない、自民党内の右派議員が反発するなどの懸念から断念)
なんて話もあります。
 ちなみに「社会党右派(後の旧民社の前身)から自民党に移った」のが鈴木善幸 - Wikipedia*4です。
 つまり旧民社てのは自民党と大して変わりがない。
 この田久保論文でも「いかに民社党が現実的な防衛政策を主張したか」「いかに民社党が反共だったか」というウヨ的な話をしても「民社党という名前ならどんな社民政策(福祉政策)を唱えたのか?」は一切ゼロです。正直、日本社会党共産党の方がよほど「社民政党的だった」。旧民社がまともな社民政党だったらなら、正直、共産党は今よりも厳しい立場に置かれたでしょう。
 まあ、塚本自身は

民社党 - Wikipedia
◆党名改称問題
・1985年4月、党委員長となった塚本三郎は、「民社党」の党名から社会主義を連想する「社」の部分を外し、「民主党」に改称しようとしたが、春日一幸元委員長、佐々木良作前委員長らに猛反対されて実現されなかった。
 永末英一が委員長になると「われわれは、ソーシャリスト(社会主義者)の集団です」と言明し、原点回帰を目指したが、米沢隆書記長(当時。後に委員長)らは「民社の『社』は社会主義ではなく会社の『社』」と反論した。大内啓伍*5委員長時代も党名から「社」を外し「民主党」に変えようとしたが、古参幹部や学者、同盟系労組の反対で頓挫。
 塚本、米沢、大内ら、社会主義を避けたがる勢力と、佐々木、永末らあくまで民主社会主義政党たらんとする勢力の二つが党内に存在したことが、この党の性格を曖昧でわかりにくいものにした。このため、ブレーンの学者の中にも、「これでは民主社会党ではなく、民間会社党になってしまう」との嘆きが聞かれたこともある。

ということで旧民社の中でも特に右寄りだったようですが。


【参考:社会党右派(旧民社党)】

(あのとき・それから)1945年 日本社会党結党 平和掲げ一時代、逃した転換期:朝日新聞デジタル
 敗戦後間もない1945年11月。戦前からの無産政党や労働運動、農民運動の大同団結として、日本社会党の結党大会が開かれた。
 大会は皇居に向かって敬礼する宮城遥拝(ようはい)から始まって「天皇陛下万歳」で締めくくられた。

賀川豊彦 - Wikipedia
 日本社会党結党の際には、結党大会で「天皇陛下万歳」三唱の音頭を取ったことで、社会党左派との内部対立を引き起こした。

【安保改定の真実(8)完】岸信介の退陣 佐藤栄作との兄弟酒「ここで二人で死のう」 吉田茂と密かに決めた人事とは… (1/8ページ) - 産経ニュース
・辞任表明したとはいえ、岸は後継問題で頭を抱えた。
・福田は、社会党と決別した民主社会党(後の民社党)と連立を組み、初代委員長の西尾末広を後継指名する奇策を編み出した。これならば自民党の内紛を押さえ込むだけでなく社会党も追い込める。岸も乗り気となったが、肝心の西尾が煮え切らず水泡に帰した。

 まあ、この時点で連立なんかしたらほぼ確実に支持者が離反し、旧民社の衰退が早まったでしょうね。さすがに自民との連立を支持する旧民社支持者は少ないのではないか。

社会・民社党の創設者 西尾末広(9) 総選挙惨敗、苦難の道 :日本経済新聞
 1960年(昭和35年)6月、安保騒動で岸信介首相が退陣表明すると、水面下で「西尾首班工作」が進められた。この構想を推進したのは(ボーガス注:岸内閣農林相、自民党幹事長(岸総裁時代)などを務めた)岸の有力側近・福田赳夫である。
 福田は安保騒動でささくれ立った世相を沈静化するには西尾末広を首班とする保革連立政権が望ましいと考え、岸の了解を得てひそかに西尾と接触した。岸は大野伴睦*6を後継に推す旨の密約を前年に交わしており、この密約の処理をめぐって岸派は苦慮していた。福田の「西尾擁立工作」には、大野との密約をご破算にする口実の思惑も込められていた。
 福田によると、西尾とは3回接触し、当初は西尾も意欲を示したが、最終的に「いずれ、日本が西尾を必要とするときが来ると思うが、まだその時期ではないと思う」と固辞したという。
 こうして西尾擁立工作は幻に終わり、自民党総裁選挙で池田勇人*7が岸の後継に選出された。
◆主な参考文献
西尾末広著「西尾末広の政治覚書」(1968年、毎日新聞社
・江上照彦*8著「西尾末広伝」(1984年、西尾末広伝記刊行委員会)
福田赳夫著「回顧九十年」(1995年、岩波書店

 それにしても

社会・民社党の創設者 西尾末広(9) 総選挙惨敗、苦難の道 :日本経済新聞
 浅沼暗殺の生々しい映像はテレビによって放映され、全国に衝撃と怒りの波を巻き起こした。「人間機関車」と呼ばれ「ヌマさん」の愛称で親しまれた浅沼の遭難で社会党に多くの同情が集まり、結党以来上々だった民社党の評判は、潮が引くように後退した。右翼テロは結果的に社会党を利して民社党の足を引っ張った。
 このころ、テレビが家庭に急速に普及し始めていた。委員長代理として浅沼に代わって社会党を率いた江田三郎書記長は白髪に黒縁メガネの風貌、ソフトな語り口によってテレビ討論会で人気を博した。江田に比べると西尾は年老いて古めかしいイメージを拭いきれなかった。
 総選挙で自民党が獲得した議席は296(改選前283)、社会党は145(同122)だった。一方、民社党は改選議席の40から17に激減して惨敗した。惨めな初陣であった。民社党はそれ以降、一度も結党時の40議席に達することなく、小党の悲哀と辛酸をなめ尽くす苦難の道を歩んだ。

て産経も前に似たようなこと書いてましたが日経もですか。そういうのがウヨ方面の「定説」なのか。(呆)
 はっきり言って

第二自民党あるいは自民党補完政党もしくは極右政党の解党・壊滅的打撃を嘆く産経新聞 - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
 民社党の党勢が大きくならずじまいだったのは、浅沼稲次郎の暗殺によって社会党に同情票が集まったとか(そのような話も書いています)そんな矮小な問題ではない。その理由はたくさんあるでしょうが、私の思うにそれは3つ大きな理由を挙げられると思います。
 1つは、民社党イデオロギー有権者に評判が悪かったことです。「反共」を理由にその党に投票する有権者がどれくらいいるかも疑問ですが、そのような有権者自民党に投票する可能性が高い。民社党のチリ・ピノチェト政権支持、韓国・朴政権支持なんてのは、人権に対するこの党の無関心ぶりを証明しているわけで、それは民社党に投票をする可能性のある有権者にあまりアピールするものではなかったでしょう。
 第2に、民社党の政治家の資質の低さです。春日一幸なんてのは、支持者や一部有権者には人気はあったのでしょうが、政治家としてはろくでもない人間という以上の評価はできないでしょう。支持はしなくても、ある程度敬意を払われる、といったレベルでもない。このあたり共産党の政治家が、イデオロギーとかは違っても全般として政治家としての実力が高いことは、他党の政治家からも認められていることとえらい違いです。社会党の政治家のほうがずっと実力があったし、公明党にもだいぶ劣ったのでは? これも、たとえば政治家の魅力で投票する気持ちにもならないというのが多くの有権者の正直なところだったでしょう。
 最後に、民社党の主要支援組織であった労働組合、旧・同盟の力のなさです。社会党を支援した旧・総評と比べると、組合としてのありかたその他でやはり勝負にならない。同盟の力のなさが民社党支援の不十分さにつながったのか、そもそも同盟に民社党を支援する意欲が低かったのか、それがどれくらい複合しているのか、そのあたり詳しいことは私も勉強していませんが、つまりは同盟の支援は民社党を強くするものではなかったということです。
 民社党は、イデオロギー、政治家の資質、支援組織のすべてがダメダメだったと思います。民社党は他党と比べても数段どうしようもない政党でした。

つう話でしょうにねえ。

【子供たちに伝えたい日本人の近現代史】(99)「安保騒動」一気に鎮静化 低姿勢が奏功、だが忘れられる改憲(4/4ページ) - 産経ニュース
 岸信介首相の側近だった福田赳夫(後に首相)は岸退陣後に(ボーガス注:民社党委員長)西尾を首班とする民社党との連立工作を試みたという。

【参考終わり】 


【産経抄】6月18日 - 産経ニュース

▼先月刊行されたばかりの『2020年・米朝核戦争』(文春文庫)にこんな場面がある。金正恩キム・ジョンウン朝鮮労働党委員長に妹の金与正(キム・ヨジョン)党第1副部長が言い放つ。
「私がオリンピックのとき、文在寅と直接話したことがあるのを忘れないで。あいつはアメリカの許可がなければクソもできないわ」。
▼2020年3月、北朝鮮は韓国と日本、そして米国に対して核攻撃を行い、300万人が死亡した。史上最悪の惨事について3年後、米議会の特別委員会が調査した。その報告書という形をとるフィクションである。とはいえ、荒唐無稽な空想小説と片付けるわけにはいかない。

 いやいや完全に「荒唐無稽な空想小説」ですね。北朝鮮が米国に先制核攻撃など行ったら、米国の反撃で国が滅びてしまう。それも「2020年中」などという「近い未来」でそんなことが起こる可能性は皆無です。あり得るとしたら「米軍の北朝鮮侵攻」への「反撃としての北朝鮮による核攻撃」でしょうが、それにしたって「米軍の侵攻などないでしょう」。
 政治的、学問的に無価値なのは勿論、娯楽小説としてもここまで荒唐無稽だと果たして面白いのか疑問です。

*1:田中内閣建設相、三木内閣国土庁長官福田内閣防衛庁長官自民党国対委員長(大平総裁時代)、総務会長、幹事長(中曽根総裁時代)、中曽根内閣副総理、自民党副総裁(宮沢総裁時代)など歴任

*2:大蔵省主計局長から政界入り。岸内閣農林相、自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)、佐藤内閣蔵相、外相、田中内閣行政管理庁長官、蔵相、三木内閣副総理・経済企画庁長官を経て首相

*3:考え方としては「村山社会党委員長を首相に担いだ自社さ連立」に近いものがあります

*4:池田内閣郵政相、官房長官、佐藤内閣厚生相、福田内閣農林相、自民党総務会長(佐藤、田中、大平総裁時代)などを経て首相

*5:細川内閣で厚生相

*6:吉田内閣北海道開発庁長官、日本自由党幹事長、自民党副総裁(岸、池田総裁時代)など歴任

*7:大蔵次官から政界入り。吉田内閣蔵相、通産相、石橋内閣蔵相、岸内閣蔵相、通産相などを経て首相

*8:民社党ブレーンの一人。(江上照彦 - Wikipedia参照)