安倍前首相秘書ら聴取 東京地検特捜部 桜を見る会前夜祭めぐり - 産経ニュース
現首相が「安倍の子分だった」菅では特捜部の捜査に過大な期待も出来ませんがひとまずは様子見ですね。
<独自>インド太平洋構想を安倍前首相後押し 英シンクタンクに寄稿 退陣後、外交でも再始動(1/2ページ) - 産経ニュース
やれやれですね。「病気辞任」が「嘘だった」と自白しているのも同然の行為が良くも出来るもんです。そもそも辞任時の「病気のため、首相の任に堪えられない」が本当なら「自転車事故のために議員辞職(というか選挙への不出馬)に追い込まれた谷垣氏*1のように議員辞職してもおかしくない」し、そこまで行かなくても政治活動は当面控えるでしょうに。
今月8日に行われたミャンマーの総選挙は、アウン・サン・スー・チー国家顧問が率いる与党・国民民主連盟(NLD)の圧勝となった。もっとも、スー・チー氏は国際社会からの厳しい批判にさらされている。イスラム教徒少数民族、ロヒンギャへの迫害にまったく収まる気配がないからだ。
▼スー・チー氏は1991年にノーベル平和賞を授与されている。当時、自宅に軟禁されていたスー・チー氏は、ミャンマーの民主化運動の旗手としてもてはやされていた。最近、賞の取り消しを求める声さえ出ているが、さすがにノーベル賞委員会は聞く耳をもたない。確かに受賞者の数十年後の姿など予想できるはずもない。
▼では、昨年受賞したエチオピアのアビー首相の場合はどうだろう。隣国エリトリアとの紛争を終結させ、国内でも民族間の融和に努める姿勢が評価された。それからわずか1年後にエチオピアは内戦の危機に陥っている。
▼平和賞の授与は早すぎたのではないか。欧米メディアは賞の選定に疑問の目を向け始めた。
▼「早すぎる」といえば、「核なき世界に向けた構想と努力」を理由に2009年に受賞したオバマ前米大統領がまさにあてはまる。米国内の世論調査では6割が反対していた。案の定、その後も核兵器の拡散は止まらない*2。
まあ、この辺りがノーベル平和賞授与の難しさですね。「平和への貢献」というのは「極めて主観的」なので評価自体が難しい。
なお、産経なら
◆2000年の金大中・韓国大統領受賞
→「北朝鮮は核廃棄しないやないか!」と悪口
◆2017年の核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)受賞
→「理想主義的すぎる、現実的でない」と悪口
するのか、と思ったら意外にもそれはありませんでした。
なお、我々日本人にとっては「沖縄返還と非核三原則だけで、『ベトナム戦争支持』でも佐藤栄作*3に授与(1974年)かよ!」が一番の「疑問の受賞」ですね。非核三原則の内「持ち込ませず」が虚偽臭いことは有名ですし。
なお、佐藤の受賞はショーン・マクブライドとの同時受賞です。
後、俺的には「キャンプデービッド合意でサダト(エジプト大統領)とベギン(イスラエル首相)に授与(1978年)かよ!、エジプトとイスラエルが和平しただけやないか!」が「疑問の受賞」ですね。
また「当時はともかく」現在の目では1906年のセオドア・ルーズベルトの受賞(日露戦争のポーツマス条約締結の仲介)も「別に和平斡旋は平和主義と違うやろ。大体、米国は明らかに日本政府寄りやろ」ですね。
そういえばググっていて気づいたんですが、昔は『スターリン平和賞(スターリン生前の1950年に創設。1956年の『フルシチョフのスターリン批判』以降はレーニン平和賞に改称)』なんてあったんですね(ソ連崩壊を契機に1991年にロシア政府が廃止)。「1991年に廃止」つう辺りも「平和賞の難しさ」を象徴しているかと思います。他のノーベル賞と違って、平和賞はどうしても「主観性を排除しづらい」。
ちなみにスターリン平和賞(レーニン平和賞)は
レーニン平和賞 - Wikipedia
「スターリン平和賞」時代
【1950年】
◆宋慶齢
孫文の妻。中華人民共和国建国後、全人代第一副委員長、国家副主席など歴任。
◆フレデリック・ジョリオ=キュリー
1935年に妻のイレーヌ(マリ・キュリー(1903年のノーベル物理学賞、1911年のノーベル化学賞受賞)の長女)とともにノーベル化学賞を受賞。パグウォッシュ会議(1995年にノーベル平和賞受賞)の創設メンバー。フランス共産党員でもあった。
【1953年】
◆パブロ・ネルーダ
1971年のノーベル文学賞受賞者。チリ共産党員。
【1955年】
◆関鑑子
声楽家。いわゆる「うたごえ運動」のリーダーとして知られる。
◆ラサロ・カルデナス
メキシコ大統領(1934~1940年)。大統領在任中は、1937年に鉄道の国有化、1938年には石油産業の国有化に踏み切る。スペイン内戦に当たっては、最後まで共和政府側を支援した。3,000挺ともいわれる小銃を送ったほか、人民戦線の敗北によって内戦が終結したあとは、約10,000人の亡命者をメキシコに受け入れた。この亡命者がメキシコの文化・芸術に与えた影響は非常に大きかったと言われる。1937年には、トロツキーの亡命も受け入れた。大統領退任後は1945年まで国防長官を務めた。
「レーニン平和賞」時代
【1957年】
◆チャンドラセカール・ラマン
ラマン効果(1928年)の発見により、1930年のノーベル物理学賞を受賞。
【1958年】
◆安井郁
法政大学教授(国際法)。1954年、原水爆禁止署名運動全国協議会事務局長に就任。1955年8月6日、広島で第1回原水爆禁止世界大会を開催。1955年9月19日に原水爆禁止日本協議会(原水協)が発足すると、その初代理事長に就任。。しかし、原水爆禁止運動での政党間の対立が激しくなり、1963年に原水協から社会党系が離脱し原水爆禁止日本国民会議(原水禁)を設立した際に原水協の役員を辞任した。
【1959年】
◆ウィリアム・エドワード・バーグハード・デュボイス
マルクス主義の立場に立つ黒人歴史学者。公民権運動に大きな影響を与えたとされる。著書『黒人のたましい』(岩波文庫)。
【1960年】
◆スカルノ
インドネシア初代大統領(1945~1967年)。1967年のいわゆる「9月30日事件」で失脚。
【1961年】
◆セク・トゥーレ
ギニア初代大統領(1958~1984年)。ソ連の支援で社会主義的な国家作りを推進。
◆フィデル・カストロ
1959年のキューバ革命の中心人物。キューバ共産党第一書記、キューバ国家評議会議長(大統領)、キューバ閣僚評議会議長(首相)を歴任。
【1962年】
◆クワメ・エンクルマ
ガーナ初代首相(1957~1960年)、初代大統領(1960~1966年)。ソ連の支援で社会主義的な国家作りを推進。1966年、中国訪問中に、CIA支援による軍事クーデターが起こり失脚。
◆パブロ・ピカソ
ナチドイツのゲルニカ空襲を描いた『ゲルニカ』の作者。フランス共産党員(1944年に入党し、死去する1973年まで)。
【1963年】
◆モディボ・ケイタ
マリ初代首相(1959~1960年)、大統領(1960~1968年)。ソ連の支援で社会主義的な国家作りを推進。1968年、ムーサ・トラオレ大尉(後に大統領)がクーデターを起こし、政権は崩壊。ケイタは捕らえられ、以後10年近くの獄中生活を送り、1977年5月16日に獄中にて死亡。
【1964年】
◆ベン・ベラ
アルジェリア初代大統領(1963~1965年)。ソ連の支援で社会主義的な国家作りを推進。1965年、ブーメディエン国防相(後に大統領)による軍事クーデターで失脚すると、1980年まで自宅軟禁下に置かれた。ブーメディエンが死去すると、後任のシャドリ・ベンジャディード大統領によって自宅軟禁が解除され、1980年から10年間家族と共にスイスのローザンヌで暮らした。1990年に祖国への帰国を許された。
【1966年】
◆マルティン・ニーメラー
『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』の作者として知られる平和活動家。
【1968年】
◆ライナス・ポーリング
1954年のノーベル化学賞、1962年のノーベル平和賞受賞者。なお、ポーリング以外の「ノーベル賞複数受賞者」としては
・マリ・キュリー(1903年のノーベル物理学賞(夫ピエールとの共同受賞)、1911年のノーベル化学賞受賞)
・ジョン・バーディーン(1956年、1972年のノーベル物理学賞受賞)
・フレデリック・サンガー(1958年、1980年のノーベル化学賞受賞)
がいる。
【1972年】
◆サルバドール・アジェンデ
1970~1973年までチリ大統領。1973年、ピノチェトクーデターで死亡。『自決説』が有力とされる。
【1975年】
◆アゴスティニョ・ネト
アンゴラ初代大統領(1975~1979年)。ソ連の支援で社会主義的な国家作りを推進。
◆サモラ・マシェル
モザンビーク初代大統領(1975~1986年)。ソ連の支援で社会主義的な国家作りを推進。大統領在任中の1986年に飛行機事故で死亡。何者かが飛行機を故意に墜落させた暗殺説もあるが真相は不明。
◆ショーン・マクブライド
1974年のノーベル平和賞受賞者(佐藤栄作首相(沖縄返還と非核三原則)との同時受賞)。アイルランド外相、国際平和ビューロー会長、アムネスティ・インターナショナル代表など歴任。
【1985年】
◆ジュリウス・ニエレレ
タンザニア初代首相(1961~1962年)、初代大統領(1964~1985年)など歴任。ソ連の支援で社会主義的な国家作りを推進。
【1990年】
◆ネルソン・マンデラ
ANC議長、南ア大統領を歴任。1993年のノーベル平和賞受賞者。
などが受賞しています。
▼そんなオバマ氏に強い対抗意識を抱いてきたのが、トランプ大統領である。予測不能の言動でしばしば世界を混乱させてきたものの、少なくとも在任中は戦争を起こさなかった。平和賞を強く望む気持ちは、分からなくもない。
おいおいですね。トランプがやった『イラン革命防衛隊司令官スレイマニの暗殺』はイラン側の対応によっては十分「戦争になった」でしょうに。
【参考:トランプとノーベル平和賞】
トランプ氏、ノーベル平和賞候補入り 米政府発表 (写真=AP) :日本経済新聞2020年9月10日
・米ホワイトハウスは9日、トランプ大統領がイスラエルとアラブ首長国連邦(UAE)の国交正常化合意への貢献を理由に、2021年のノーベル平和賞候補にノミネートされたと発表した。候補入り段階での公表は、11月の大統領選をにらみ、外交分野の実績を誇示するのが狙いとみられる。
・AFP通信などによると、ノルウェーの右派議員がトランプ氏を推薦した。
史上初の米朝首脳会談が行われた2018年にも、与党共和党の議員らがトランプ氏をノーベル平和賞に推薦。トランプ氏は翌2019年2月、安倍晋三首相から平和賞選考機関に送った「推薦状」のコピーを受け取ったと明かした。同年9月には記者団に「(選考が)公平なら、多くの理由で私が受賞していたと思うが、そうではなかった」と不満を漏らしている。
【話の肖像画】作家・安部龍太郎(65)(2)家康は狸オヤジにあらず(1/2ページ) - 産経ニュース
これまでの徳川家康のイメージは、手練手管を使い、豊臣家を滅ぼした天下の簒奪者(さんだつしゃ)。狡知(こうち)に長(た)けた狸(たぬき)オヤジ。織田信長や秀吉と比べると大衆的な人気もあまりパッとしない…。そんな家康像を180度変えたいのだという。
いやー家康は充分大衆的な人気はあるでしょう。
ただ世間的評価、そして世間的人気が「信長>秀吉>家康」になるのはある意味仕方が無い。
なぜなら信長の部下が秀吉であり、秀吉の部下が家康だからです。
秀吉、家康は信長の生前、信長に反逆などしなかったし、家康もいったんは織田信雄(信長の次男)と組んで秀吉と戦いますが結局は秀吉に屈服し、秀吉生前はついに彼に反逆することなど無かった。
「信長が本能寺の変で死ななければ果たして秀吉や家康に天下取りができたかどうか」「秀吉が家康よりも先に病死しなければ家康に天下取りができたかどうか」と言われるのも道理です。
そうなれば「刃向かえなかった→秀吉は信長に比べれば能力が劣るし、家康は秀吉に比べれば能力が劣る」となり結果、「能力が落ちる」と見なされた側の人気が落ちるのはやむを得ないでしょう。
そもそも天下取りに関わることなど出来なかった武将(東北の伊達政宗、越後の上杉謙信、中国の毛利元就、四国の長宗我部元親など)の多くは家康と比べてもっと人気も知名度も無いでしょうに(この点、真田氏は講談「真田十勇士」のおかげで天下取りに関わっていないのに人気と知名度がある希有な存在です)。