「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2020年11/23日分:荒木和博の巻)(注:松本清張『カルネアデスの船板』『危険な斜面』、藤子F不二雄『カンビュセスの籤』のネタばらしがあります)

卑怯な話(11月23日のショートメッセージ): 荒木和博BLOG

 令和2年11月23日月曜日のショートメッセージ(Vol.235)。平成13年(2001)家族会の増元照明さんと一緒にジュネーブに行ったとき(ボーガス注:に途中でフランスに立ち寄った時)のこと。自分が最後は逃げ出す人間だというお話しです。あまり格好の良い話ではありません。

 7分程度の動画です。
 実は以前、荒木は全く同じ話をしており、小生も「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2020年9/13,14日分:荒木和博の巻) - bogus-simotukareのブログで突っ込んでいます。

「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2020年9/13,14日分:荒木和博の巻) - bogus-simotukareのブログ
自分を信じないという話(9月13日のショートメッセージ): 荒木和博BLOG
 7分程度の動画です。
 視聴してみましたが、まあ、ばかばかしい。フランスに行ったときに荒木がタクシーに乗ろうとしたら、「変な奴に絡まれて困った」「いきなりナイフ取り出して、私の顔に近づけたので覚醒剤中毒じゃ無いか、と思った」「予想した以上に、びびってしまって、体が固まってしまってろくに対応できなかった。一緒にいた増元さんが何とかしてくれたが『予備自衛官だし、もっと俺は勇気があって冷静だと思ってたのに』『自分が信じられない』と思った」てそんなことと拉致問題と何の関係があるのか。
 「この動画は荒木和博ファンクラブなのかよ!」て話です。いや実際に「荒木ファンクラブ」なのかもしれませんが。
 まあ荒木の場合「荒木が信じられない」のはそんなことじゃなくて「特定失踪者」など「虚言常習」てことですよね。
 それにしても「変な奴に絡まれて体が固まった」と言うこと自体はよほど度胸の据わった人間でない限り、普通のことですが、そう言う奴が、自衛官に「命を捨てろ」という趣旨のこと(自衛隊北朝鮮に突入させて拉致被害者救出)が言えるんだから全く呆れます。

 まあ、過去にした話とほとんど同じ話をするというのもどうかと思います。
 荒木が過去に話したことを忘れてるのか、覚えている上で「多少言ってることが違うからOK(前回は『自分が信じられない』、今回は『自分は卑怯者』)」と思って話をしているのか知りませんがよほど話のネタが無いのか。
 そして、

『俺が何とかするから早く逃げろ』と増元さんが言うから、その変人の対応を全て増元さんに任せてしまって、とっとと逃げてしまったが『俺って卑怯者だなあ』と思った

てそんなことと拉致問題と何の関係があるのか。
 まあ、いずれにせよ、こんな話をしなくても荒木が「卑怯者のクズ」だと言うことはよく分かっています。
 特定失踪者などというデマをほざく荒木は「卑怯者のクズ」でしょう。
 つうかなんでこういうことを言うのか?。
 荒木も拉致問題から、もはや逃げ出したくなっており、「事前の言い訳」でしょうか。つうか、こんなことを言えば「何、じゃあ都合が悪くなったら拉致問題から逃げ出すの?」と家族会から不快感を持たれるかもしれないという認識は荒木にはないのか?
 何か

「待つ身がつらいかね、待たせる身がつらいかね」(太宰治)【漱石と明治人のことば252】 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト

を思い出しました(おそらく『待たされるお前もつらいだろうが、待たせる俺だってつらいんだ。罪悪感は感じてるんだ!。でも仕方が無いんだ!』つう太宰の居直りでしょう)。
 荒木もそのうち、「保身などから」仲間(家族会や巣くう会)を裏切った(拉致問題から撤退したり、あるいは掌返しで制裁解除論に賛同したりする)あげく、太宰のように

◆裏切られる身が辛いかね、裏切る身が辛いかね(俺だって好きで裏切ってるわけじゃない!、立場上、仕方が無いから裏切ったんだ!)

と居直るんでしょうか?(苦笑)
 まあ、荒木のような「卑怯者のクズ」は論外ですが、人間、弱いものです。「カルネアデスの船板(緊急避難を説明するときに使われる話で、松本清張にも『大した作品ではない』ですが同名の短編『カルネアデスの船板』があります。『カルネアデスの板』とも言う)」なんかその一例でしょう。
 あるいは藤子F不二雄のSF短編漫画『カンビュセスの籤』なんかもそうした一例でしょう。マキシミリアノ・コルベ神父や、三浦綾子塩狩峠』の主人公・永野信夫のような人は普通居ません。
 「裏切る必要が無い時に、裏切らなくても済む時に、裏切る人間は、非難されても仕方が無いと思うが、追い詰められれば人間はほとんどの人間が誰でも裏切るものだと思っている」と

贈る言葉 - Wikipedia(『3年B組金八先生』(TBS系)第1シリーズの主題歌)
・信じられぬと嘆くよりも人を信じて傷つく方がいい

的なことを言い出す荒木です。まあ、確かにその通りかとは思います。

【参考:カルネアデスの船板】

カルネアデスの板 - Wikipedia
古代ギリシアの哲学者、カルネアデスが出したといわれる問題。
・舞台は紀元前2世紀のギリシア。一隻の船が難破し、乗組員は全員海に投げ出された。一人の男が命からがら、壊れた船の板切れにすがりついた。するとそこへもう一人、同じ板につかまろうとする者が現れた。しかし、二人がつかまれば板そのものが沈んでしまうと考えた男は、後から来た者を突き飛ばして水死させてしまった。その後、救助された男は殺人の罪で裁判にかけられたが、罪に問われなかった。
 緊急避難の例として、現代でもしばしば引用される寓話である。
◆小説やアニメ
トム・ゴドウィンSF小説『冷たい方程式』は、このテーマを扱ったSF作品として有名。具体的には「ギリギリの燃料しか積んでいない宇宙船に密航者がいた。この宇宙船は疫病のワクチンを運んでいるが、密航者を放棄しなければ燃料が足りない。多くの患者を救うために密航者を宇宙空間に放棄すべきか?」というもの。
ガイナックス製作のOVAトップをねらえ!』第6話では、「人類と地球を存続させるために銀河系中心部を消滅させる」という内容の、カルネアデスの板から名前が取られた「カルネアデス計画」の発動が描かれている。

【ビブリオエッセー】大海に浮かぶ一枚の板 「カルネアデスの舟板」松本清張 - 産経ニュース
 歴史学者の師弟によるいささか俗っぽい生態描写にひきこまれたら、一転、暴行と殺人…。終盤、手だれの清張らしい突然の場面転換に「カルネアデスの舟板」=緊急避難がからんでいたとは。正当防衛とさらに厳格な要件が必要な緊急避難とは、形式としては犯罪といえても成立しないということだ。
 この題名は「大海で船が難破した場合に、一枚の板にしがみついている一人の人間を押しのけて溺死させ、自分を救うのは正しいか」という、哲学者、カルネアデスの問題提起に由来する。
 ストア派の形式的独断を衝いた古代ギリシア懐疑論者、カルネアデスらしい問題提起だ。これで古代ギリシア懐疑論は不可知論の嚆矢(こうし)となりえた点、哲学史上の意義は大きい。哲学の宿命を言い当てているとも言われ、そのことを思い出させる傑作だ。
 小説は、戦後の社会科教科書の歴史記述をめぐり、日和見的な進歩派学者による、ある事件が描かれている。犯行の着想に緊急避難の法理が使われているのだ。
大阪府富田林市 内免久和70
【ビブリオ・エッセー募集要項】
 本に関するエッセーを募集しています。応募作品のなかから、産経新聞スタッフが選定し、月~土曜日の夕刊1面に掲載しています。どうか「あなたの一冊」を教えてください。

有沢翔治の読書日記 : 松本清張『カルネアデスの舟板』(角川書店)
 「カルネアデスの舟板」はある大学の師弟をめぐるお話。大政翼賛会へ強制的に加入させられた大鶴は、戦後、学界から追放される。そこで頼ったのが、当時世渡り上手でマルクスレーニン主義の理論にのっとった左翼系知識人だった弟子の玖村である。玖村は昔の恩師が自分に媚びていることに気をよくし、自尊心を満たすために大鶴の就職口を世話したり、蔵書を貸し与える。しかし玖村の唱えるマルクスレーニン主義にも陰りが見えはじめた。
 このままでは二人とも共倒れになってしまう。(ボーガス注:右翼転向することで)先手を打ったのは玖村ではなく大鶴だった。このままでは玖村は破滅してしまうことになる。なんとかして大鶴を破滅させようと考えるが……。
 「カルネアデスの舟板」は有名な倫理学の問題で、本文中では、

 緊急避難の問題は古くから論じられている。「カルネアデスの板」というのがある。カルネアデスは西暦紀元前二世紀ごろのギリシャ哲学者である。大海で船が難破した場合に、一枚の板にしがみついている一人の人間を押しのけて溺死させ、自分を救うのは正しいかという問題を提出し(中略)た。

と説明されています。つまり、説明するのは野暮でしょうが、舟板にしがみついてるのは大鶴玖村なのです。舟板とは時代時代の風潮でしょう。
 ただ、この小説ではカルネアデスの舟板は時々消えたと思ったら別のところに現れたりするという印象があります。例えば「戦時中、大政翼賛会などに属して、国家的な歴史論を講じたり、著述したことが原因で、目下追放の身であった」のくだりはしがみついていた「板」がふっとなくなってしまった感じを僕は受けました。そして代わりに台頭してきたマルクスレーニン主義的な階級闘争玖村のしがみつく「板」を頼って泳いでいったという感じです。
 しかし、玖村の「板」もやがて陰りが見え始めます。
「新年度の異変というのは、この十六人委員会のFが、それまでほとんど無気力だったものが、急に発言を強くした──具体的に言えばAからEの第一段階の審査で合格した教科書原稿でも、ここで落しはじめた」ことと文部省の常勤調査員の新設。この二つのことがらが玖村により大きなダメージを与えるのです。
 それは大政翼賛会に加担したばかりに、職を失った大鶴と重なります。ここで大鶴が昔お世話になったよしみだから相談に乗る、とでも言って世話をすればまだ救いがあったのかもしれません。しかし大鶴の性格からして、そういうことはするはずもなく……結局玖村は窮地に立たされてしまいます。 

カルネアデスの舟板 (松本清張) - Wikipedia
 松本清張の短編小説。『文學界』1957年8月号に掲載され、改題の上、1957年12月に短編集『詐者の舟板』収録の表題作として、筑摩書房から刊行された。のちに当初の題に戻されている。
 1962年・1968年にテレビドラマ化されている。
◆あらすじ
 玖村武二は歴史科の教授であった。玖村終戦後、進歩的な唯物史観を展開し、日教組から喝采を浴びていた。歴史教科書の執筆担当になった彼は、教科書会社から莫大な収入を得て、田園調布に自宅を建てた。玖村は、講演旅行の際、かつての恩師・大鶴恵之輔を訪ねることを思いつく。大鶴は戦時中、皇国史観的な歴史観を講じたことが原因で大学を追放されていた。大鶴玖村に大学復帰のための運動をしてくれるよう懇願してきた。かつての恩師の卑屈な姿勢に自負心をくすぐられた玖村は、大鶴の求めを承諾する。復帰した大鶴は、進歩的論者へと急速に変貌した。玖村は、昔の豊かな生活に帰るためになりふり構わぬ恩師を冷ややかに傍観し、嗤っていた。しかし、大鶴が参考書を頼まれるようになり、玖村に追いついてくると、次第に大鶴玖村にとって面倒な存在になっていった。時代が変わり、文部省は左翼偏向の教科書を不合格とするようになった。玖村は保身のため、進歩学者を返上し右翼に帰ろうとしたが、その矢先、大鶴がいち早く転回を宣言する。教科書・参考書の執筆による豊かな収入を失うことを恐れた玖村は、自分にとって邪魔になった大鶴の追い落としを画策するが・・・。

 で以下「ネタばらし」です。

第7478回「新潮文庫松本清張傑作短編集 その52、カルネアデスの舟板 ストーリー、ネタバレ」 | 新稀少堂日記
 現在の学長は大鶴の復職に不熱心だったのですが、玖村の消極的な運動に支援を表明する教授たちが出てきました。大鶴は復職しますが、かつての力はありませんでした。田園調布に住む玖村に頻繁に訪れ、唯物史観関連の書籍を借り受けていきます。そんな大鶴を、玖村の妻は「図々しい卑屈さ」だと表現します・・・・。
 もちろん、大政翼賛で売っていた教授が唐突に唯物史観を説き始めたのですから、学会からも学生からも評価されるわけがありません。流れが変わったのは、文部省の教科書検定の大幅改定でした。左翼系の論調の強い教科書を不合格としたのです。
 玖村の教科書も不合格とします。時代は変わったのです。一躍、右傾路線への復帰を表明したのが、大鶴教授でした。玖村は、慎重に右傾路線を模索していただけに大鶴に妨害を受けたと考えます。右傾化への一枚の舟板にしがみつけるのは、大鶴玖村か・・・・、これが著者の言うカルネアデスの舟板です。法理とは関係ありません。
 玖村は、自分の愛人を使って大鶴に(ボーガス注:玖村の愛人を大鶴がレイプしたというでっち上げ)スキャンダルを仕掛けましたが・・・・。(ボーガス注:玖村のために尽くしたのだから妻と別れて自分と結婚して欲しい、嫌だというならでっち上げを世間にばらすという)愛人の反撃によって、玖村は彼女を殺す破目になりました。玖村は殺人者として裁かれます。もちろん、大鶴も大学には残れません・・・・。

・「奥さんと別れて!」→「邪魔になって殺す」つうのは清張作品ではありがちなパターンですね。小生の知ってるのだと『危険な斜面』とか。
・しかし玖村を見ていると「右翼転向した」清水幾太郎藤岡信勝筆坂秀世などを思い起こすのは俺だけではないでしょう。
 あるいはカネのために劣化した福島香織とか。
 いずれにせよ清張がそうした連中を心底嫌っており、「自分はそう言う人間にはなりたくない」と思っているであろうことが作品からは伝わってきます。

【参考:危険な斜面】

「松本清張の危険な斜面・白骨になった女」 (1982年) - Samurai Spirit ※画像転載禁止 -
 出世のために会長の愛人に近づき殺害したサラリーマン。
 被害者の妹が執念で犯人を追い詰める。
◆あらすじ
 秋葉文作(山本圭)は、十年前にホステスの野関利江(田島令子)と半年ほど交際していた。
 秋葉はその後結婚し、西島物産で調査課長になっている。
 利江が会長・西島卓平(西村晃)が囲っている妾と偶然知った秋葉は、彼女を利用するために近づき調査部長の地位を得た。
 秋葉とよりを戻した利江は強引な西島と別れたがり秋葉に結婚を迫ってきたが、彼には病身の妻(吉野佳子)がおり、利江との関係がバレれば今の地位も危うくなる。
 しかし、利江の決意は固く西島と妻に自分との関係を話すといい窮地に立った秋葉は利江殺害の計画を立てる。
 秋葉は二月五日に海外出張へ行くことになっていてこのアリバイを利用して巧妙なトリックを使う。
 利江が囲われていた松濤の家には手伝いがいて二月から利江が行方不明になっているとして三月には渋谷南署の宇野刑事(小池朝雄)が屋敷を訪れた。
 そこで、利江が西島に隠れて沼田仁一(三ツ木清隆)と名乗る男と深い関係があったことがわかる。
 利江は両親と兄を亡くし、身寄りは明京大学に通う妹の良子(水沢アキ)だけだが金目当てで西島に囲われていた姉に激しい嫌悪感を抱いていて宇野が良子に利江のことを尋ねても姉の行方を探すことに非協力的だった。
 そして十月二十二日、山口県秋吉台の山林から白骨死体が発見された。
 首を絞められた形跡があり、被害者は利江であると判明し良子は宇野に連れられて現地へ行った。
 利江は消息を絶った時に来ていた紫色の冬物のコートを着ていたことから、宇野は失踪後すぐに殺されたのだろうとみていた。
 解剖の結果でも死後推定七、八か月経っていることからも裏付けられた。
 宇野は利江が男女関係のもつれから殺されたとみており松濤の家に何度も電話があった沼田を疑っている様子だった。
 東京へ戻った良子が、バイトから帰宅した時に沼田が部屋に押し入ってきた。
 彼は良子に利江を殺したのは自分ではないという。
 沼田は利江との情事の最中彼女が口走ったヨシノという男が犯人だと話し自分は気が弱いので警察に捕まったらやってもいないのに自白してしまいそうで良子の口からヨシノの存在を警察に話してほしいと頼みに来ただけだった。
 良子は友人で西島物産の社員でもある伊沢かおり(木村弓美)にヨシノという名前の男がいないか調べてほしいと頼むが該当者がいないことがわかった。
 すると二人がいた喫茶店に偶然、秋葉がやって来てかおりから良子が利江の妹だと紹介される。
 秋葉は良子が利江の事件の真相を探っているのではないかと懸念した。
 その頃、宇野は沼田を取り調べていた。
 沼田はヨシノの存在を宇野に話すが、状況は沼田に不利で西島物産にヨシノという男がいないことからも信じてはもらえなかった。
 宇野から沼田を逮捕したことを話された良子はかおりに頼み、ついに秋葉が入社後に家付きの娘のところへ婿入りし吉野から秋葉に姓が変わっていたことを知った。
 だが、秋葉は二月五日から四月十五日まで海外へ出張に行っていて鉄壁のアリバイがあった。
 良子は死体は白骨化していて、死亡推定の二月頃に必ずしも殺されたとは限らないと考えた。
 秋葉は出張から帰った四月に利江を殺し、殺害されたのが冬と偽装するためにコートを着せたのだとわかった。
 その後、秋葉の自宅に紫色の人の形をした折り紙が送られてきてそれが紫が大好きだった利江を示唆するものだと悟る。
 秋葉は出張前にマンションを手配し、利江に「何もかも捨てて結婚する決意を固めた」と嘘をいい、秋葉が出張している間利江に姿をくらまさせた。
 帰国後、秋葉は離婚の手続きが整ったと利江を連れて小郡に行った。
 バスで人気のない山林へ行くと、絞殺して着替えさせて冬に殺されたように偽装をした。
 良子は紫の花の押し花を作り、男が書いたフリをして利江殺しのコートのトリックを見破ったと秋葉を新宿中央公園に呼び出す脅迫状を送った。
 かおりはもし秋葉が犯人だったら良子も殺されると心配するが、利江は本当は良子に秋葉のことを相談したかったのに無下に追い払ってしまった罪の意識から良子は自分で真相を暴こうとした。
 その頃、宇野らは失踪当日の二月十日に松濤の家から利江が乗ったタクシーを割り出し、彼女が四十前後のサラリーマンが借りたマンションに四月の半ばまで住んでいたことを突き止めた。
 当日、良子はバイトを終えると新宿中央公園へ行こうとするが秋葉は脅迫状が男ではなく良子が書いたものだと見抜いていた。
 公園へ行こうとする良子を殴り殺そうとすると気配を察した良子は建築中のビルに逃げ込んだ。
 良子の身を心配したかおりが宇野を訪ね良子が秋葉に会うために新宿中央公園へ行こうとしていることを告げた。
 ところが公園には二人の姿がない。
 宇野らは良子のバイト先へ向かい帰る途中で女物のハンドバッグを見つけた。
 そこにあった工事現場へ入り、秋葉が良子を殺そうとしたところに間に合い真犯人を逮捕することが出来た。

https://red.ap.teacup.com/jyublog/3237.html
 先日、BS日テレで放映していた「松本清張スペシャル『危険な斜面』を観ました。
 日本テレビ系列の2時間ドラマ『火曜サスペンス劇場』で1990年に放送された作品の再放送です。
story-------------
 大手の西島電機調査課の「秋場文作」は、同社「西島」会長主催の顧客接待を手伝った際、10数年前付き合い、結婚まで考えていた「野関利江」と再会した。
 「利江」の現在の身分は何人かいる「西島」会長の愛人。
 「秋場」は躊躇したが、「利江」は逆に秘密裏にアプローチしてきた。
 婿入りして「吉野」姓を捨て、妻「正子」、一人息子「文夫」と平凡に暮らす「秋場」にとって、「利江」との邂逅は大きな衝撃だった。
 「利江」はまだ「秋場」を愛していた。
 この「利江」につのる思いを敏感に感じた人物がいた。
 若いツバメの「沼田」は、「利江」がベッドの中でつぶやいた“ヨシノ”という名を聞きのがさず、それが新しい恋人だと察知し、激しい嫉妬心を抱き始めた。
 まもなく、「秋場」は異例の部長昇進を果たした。
 もちろん「利江」の力添えのおかげだった。
(中略)
 出世欲から女を利用し、男女関係の縺れや愛憎から運命が狂い始め、人生の階段を転落して行く展開で「松本清張」らしい内容でしたね。
 本作品は、これまでに1959年~2012年の間に8回もテレビドラマ化されているらしいです。
 どの時代においても、リアリティのある内容なんでしょうねぇ。
staff/cast-------------
(前略)
キャスト
 秋場文作:古谷一行
 野関利江:池上季実子
 秋場正子:松本留美
 沼田正二:薬丸裕英
 西嶋卓平:入江英義

危険な斜面(2000) ☆☆ : 西澤 晋 の 映画日記
◆1982年の土曜ワイド劇場で放映された『危険な斜面』が見たかった・・・。
 今回私がみたのは、2000年に制作されたTBSが制作した松本清張傑作選のなかのひとつ。過去にも何回か制作されていて、1982年に土曜ワイド劇場(テレビ朝日)で、1990年に火曜サスペンス劇場(日テレ)で制作されている。1980年代の土曜ワイド劇場のレベルは恐ろしく高く、絵作りの基本がしっかり出来ていた。
 あの頃の2時間ドラマにくらべると、さすがに2000年に制作されたこのドラマは画面的に完全にテレビ仕様。このころになると、テレビの現場の人ばかりなので、まともに映画として画面が作れる人がいなくなっているのだろう。というよりも、その違い(カメラ位置がもたらす画面の違い、レンズの違いがもたらす画面の意味‥など)すら彼らは理解していないのだろう。絵作りの劣化が急速にすすんでいる現状は嘆かわしいばかりだ・・・。
 しかし、撮影は最低でもドラマはしっかりしている。
 松本清張の精神的な追いつめ方は素晴らしいの一言に尽きる。
 物語はこのようにはじまる。
 ある夏の日、山口県の山中で白骨死体が見つかった。歯形の調査や所持品から、遺体は半年前に失踪した野崎利江(田中美佐子)と判明。彼女は西島グループの会長・西島卓平(大滝秀治)の愛人であり、捜索願はその西島が出したものだった。数年前から利江は西島の愛人になり、西麻布に豪邸を与えられ、週に一度情事をかさねていた。山口県警からきた2人の刑事は、そのあたりの事情を詳しくしらべていった。
 見ている人は、この西島卓平が犯人ではないか・・?と最初に思うところだ。一応私もかんぐってみた。しかしどうやらこの男ではないことが最初の10分くらいのところで判って来る。
 刑事と西島の会話のなかで、西麻布の一軒家を用意し彼女を招いたころの話をしていたときに西島がこのような台詞をはく。
「彼女はここが気にいっとった。
 旧い家なんだがね・・・、 隣を気にしなくていいから落ち着くわ・・と言っとったよ」
 この一言で、一気に物語の終着点を予感させてしまった。
 そこには昔に、誰かと性交渉があったことがにおわされており、おそらくその人物が愛憎の果てに彼女を殺すしかなかったのではないか・・という想像がうまれる。物語は見事にその流れにそって展開されていく。
 犯人と思しき人物は、西島機械に勤める秋場文作(風間杜夫)という男だった。彼は10年前、池袋でホステスをしていた利江と知り合い交際していた。しかし、秋場には既に結婚する相手がきまっており、利江もその時は静かに身を引いた。その2人が再開したのは西島グループの創立60周年を起点するパーティーの会場だった。2人の関係は再び始まった。それからというもの、ほとんどリストラ寸前の立場だった秋場は、会社に残されることが決定され、西島グループの中核である西島電気に転属となった。利江が会長の愛人であることから、秋場への便宜をはたらいてくれたのだった。
 秋場は利江を愛しいと思う反面、不安でならなかった。利江は自分を純粋に求めてくれているが、会長と自分以外にもまだ男の影を感じることがあったのだ。
 この後の展開は、松本清張ものではよくある展開で、妻と離婚し自分と再婚することをもとめてくるようになる利江が、重たくなり、追いつめられた秋場は利江を殺すしかなくなる・・というもの。
 その殺人にいたる謎解き部分は、刑事が担当するのではなく、利江のもう一人の愛人、沼田仁一(袴田吉彦)が調べていくという展開。
 警察は、利江の愛人がおそらく犯人だろうと捜査をはじめている。このままでは自分が犯人になってしまうと危機感を覚えた沼田は友人に相談、もう一人いるはずの愛人の男を捜し始める。ある夜ベッドで彼女を抱いていると、彼女は「吉野さん」と間違えて口にしてしまったという。
 やがてその吉野というのは秋場の旧姓であることが判明、西村京太郎的な殺人事件当日のアリバイくずしの推理がはじまる。

 秋葉に結婚を求める利江に別に愛人がいるというのも、「吉野さん」発言も正直、不自然な気がしますが、まあ、そこそこ面白い作品だと思います。

松本清張没後20年特別企画危険な斜面 - フジテレビ
 秋場文作(渡部篤郎)は西島電機の一社員、工場勤務で出世とはほど遠い生活を送っていた。ある日「新春全体会議」に出席した秋場は、グループ全ての実権を握る西島会長(中村敦夫)に会う。その側に寄り添う美しい女性。秘書室長であり会長の愛人でもある野関利江(長谷川京子)に秋場は気付く。視線が絡み合う2人。秋場と利江はかつての恋人同士。11年ぶりの再会だった…。
 秋場には妻子があったが、利江との再会後2人の関係は一瞬で燃え上がる。時を経て美しさを増した利江にひかれる一方、秋場にはこれまで抑えてきた出世欲が湧きあがっていた。“利江を利用すれば、会長に近付けるかもしれない”と…。利江からの情報で秋場は徐々に会長の信頼を得ていく。そんな秋場を見て喜ぶ利江。そして利江は次第に秋場の愛を独り占めしたくなっていく…。「妊娠している、一緒になってほしい」と秋場に告げる利江。その瞬間出世欲にかられた秋場の心中に殺意が芽生える。
 利江には秋場と出会う前にもう1人恋人がいた。飲料会社のサービススタッフ沼田仁一(溝端淳平)だが、秋場と再会してからは利江は沼田とは距離を置いていた。
 そんなある日、利江が突然失踪する。そして数カ月後、京都市郊外の山中から白骨化した利江の遺体が見つかる。捜査が難航する中、独自に犯人を突き止めようとする男が…沼田だ。彼はある手掛かりを頼りに、利江を殺害した犯人を追いつめる…。

【参考:カンビュセスの籤】

藤子・F・不二雄『カンビュセスの籤』 | たまゆら
 後年、藤子・F・不二雄の代表作として看做される作品は、恐らくこれではないだろうか。藤子・F・不二雄が持つ、豊富なアイディア、アレンジの巧さ、ストーリーテリングの手練さ、社会問題に関するリリシズム。そのほとんどが41ページの中に現れている。藤子・F・不二雄の持つこれらの魅力が、『ドラえもん』を主軸に論じられることで薄れてしまっていることは、一ファンとして、残念でならない。
 確かに、圧倒的代表作、『ドラえもん』にも、藤子・F・不二雄の魅力はあふれている。
 だが(中略)藤子・F・不二雄にあって、『ドラえもん』を描き続けることは、決して望んでのことではなかったのである。
 (ボーガス注:『藤子・F・不二雄SF短編PERFECT版 7』収録の藤本匡美「父の持論」によれば)藤子・F・不二雄は、娘である藤本匡美氏にこんなことを漏らしている。
◆『ドラえもん』をやめさせてくれないんだ。
◆SF短編の仕事が来ても断らないといけない。今度『(ボーガス注:エスパー)魔美』も終わりになったんだ。
 娘にそんな愚痴を漏らす藤子・F・不二雄の心中は、察するに余りある。
ドラえもん』は、まさしく一人歩きし始め、作者がドラえもんに引っ張りまわされるようになっていた。大昔の大ヒット曲を、今になっても歌わねばならない歌手の苦悩にも似ているのかも知れない。『ドラえもん』の連載が何よりも優先される中、上記の発言にもあるように、かの名作、『エスパー魔美』は、たった九巻で終わってしまった。
 私は(ボーガス注:小学館テレビ朝日などを)今でも恨んでいるのである。『ドラえもん』に藤子・F・不二雄を縛り付けるなど、手塚治虫に『鉄腕アトム』だけを描かせ続けるようなものではないか。『アドルフに告ぐ』のない、『火の鳥』のない、『グリンゴ』(未完だが、素晴らしいの一言)のない手塚治虫にどれだけの魅力があるか。
 勿論、藤子・F・不二雄自らが、おのれの作品を商業的利用されることをあえて受け入れ、ポスターなどに使用されるドラえもんを見て、「光栄だ」などと述べていることは指摘しておかなければならない。「僕の漫画は風俗だ。読んだら読み捨てられていい」という言葉にもあるように、彼は漫画というものの性質をよく弁えていた。だが、手塚治虫のライフワークであった『火の鳥』に相当するものが、藤子・F・不二雄の場合、SF“短編”だったというのは、ファンからすれば少々寂しくもある。
 これだけの才能を、長編で結晶させて欲しい、心を揺さぶって欲しい。そう願いはしても、藤子・F・不二雄は私が小学六年生の時*1に亡くなってしまった。それゆえ、こちらを圧倒し、呆然とさせてしまうような長編は、結局生まれなかった。だが、珠玉の短編だけは残った。数にして全百十二編のSF短編は、どれも『ドラえもん』ではやれなかった鬱憤が現れているようで、実に力強い。
 その中でも、傑作として呼び声の高いのが、『カンビュセスの籤』である。
 男は古代ペルシア時代のことを語り始める。
 行軍の最中、飢餓が彼らの軍勢を襲い、男は「カンビュセスの籤」を引いた。十人単位で籤を引き、当たった一人を、残る九人が食べるというものである。
 「人間があそこまで野獣になりきれるものか。」
 その籤に当たってしまった男は、生きたい一心で逃げ、霧の谷を抜けると男は、未来へと運ばれていた。地獄から逃れることのできたことを神に感謝する男だが、辿り着いた未来でも、男は再び籤を引かねばならない。終末戦争が、全ての生物を焼き殺してしまったがゆえ。そして、地球外からの助けを待つ一万年の冷凍睡眠には、食料が必要であるがゆえ。
 男は籤を逃れ、再び籤を引かなければならない境遇にあるわけだが、その確率は十分の一から二分の一になっており、「生きる」という意味もまた、同様にして過剰になっている。以前の「生きる」は、軍勢の維持くらいの意味しかなかったのに、今の「生きる」は人類の存続そのものであるのであるのだから。
『全ての生命あるものの行動の目的は一点に集約されるのよ。生命を永久に存続させようという盲目的な衝動……ただそれだけ。この世にありたいということ。あり続けたいということ。ただそれだけ。そしていまやあたしたちは有史以前から地球上に発生したあらゆる生命体の代表なのよ。一人でいいの 一人生きのびれば充分なの。クローン培養でコピーは無数につくれるわ。更に遺伝情報の制御で進化の跡を逆にたどり地球の生物の全種属を再生させることも可能なの。だから一日でも永く生きる責任が…』
 女の科白は重い。
 籤に当たったのは、女だった。女がミートキューブの作り方を教えるシーンでこの物語は終わる

 藤本のぼやきについては

女には向かない職業 | なぜ『チンプイ』は完結しなかったのか(その1)
チンプイ』は藤子・F・不二雄に見捨てられた作品である。
 などと書いたらムキになって反論してくる人もいよう。F先生は完結に執念を燃やしていたのだが、病魔に倒れ無念にも果たせなかったのである、とかなんとか。しかし『チンプイ』の雑誌連載が終わり、少しだけ描き足して完結させますというアナウンスが出てから、F先生が病没するまで五年以上。体調は良くなかったと聞くが、それでも『大長編ドラえもん』のほうはちゃんと仕事をしていたではないか。『チンプイ』はメジャーな作品ではない。エリちゃんに幸せな結末を迎えてほしい、というファンの痛切な願いに応えるより、億単位のカネの動く『ドラえもん』の映画のほうが大事だったのだろう。
 もっとも、金儲け主義の犠牲になって『チンプイ』が未完のまま終わったなどという事実は藤子プロにとっても体面の悪いことではあるらしい。当時の編集者やらアニメ関係者やらは、最終回についてF先生から構想をうかがったことがあるとか、思わせぶりなことをやたら口にしたりしている。しかしシチュエーションが不自然な割には中身のある話はゼロときている。そんなので読者が騙されるとでも思ったか。ふざけんな!

女には向かない職業 | なぜ『チンプイ』は完結しなかったのか(その4=完結)
 藤子F先生は『チンプイ』という作品に愛着がなかったわけではないだろう。ただ利害打算がそれを上回っただけの話である。
「『ドラえもん』をやめさせてくれないんだ」
 生前、藤子F先生は家族に向かってそういう愚痴をこぼすことがあったらしい(ソースは『藤子・F・不二雄SF短編PERFECT版 7』収録の藤本匡美「父の持論」)。といっても別に小学館から暴力的な恫喝を受けていたとかいう話ではあるまい。自分はもう財産も名声も十分に得た、あとは本当に自分の好きな仕事だけをしたい、というふうに腹をくくったなら、編集者だって無理じいは不可能だったはずだ。ということは、それほど切実な苦悩でもなかったのだろう。
 そして『ドラえもん』の原稿を描きながら机に突っ伏して死んだ。
 藤子・F・不二雄はまぎれもなく日本史上屈指の偉大なクリエイターである。その人ですら、カネや名声のための仕事か、本当に自分のやりたい仕事か、どっちかを選ばねばならない時にどっちを選んだかを考える時、仮面ライダースーパー戦隊シリーズに関する今の東映の拝金主義を強く批判する気にはどうしてもなれないのである。

なんて記事も見つかりました。
 なお、

エリちゃんに幸せな結末を迎えてほしい、というファンの痛切な願いに応えるより、億単位のカネの動く『ドラえもん』の映画のほうが大事だったのだろう。
自分はもう財産も名声も十分に得た、あとは本当に自分の好きな仕事だけをしたい、というふうに腹をくくったなら、編集者だって無理じいは不可能だったはずだ。ということは、それほど切実な苦悩でもなかったのだろう。

つうのは言い過ぎでしょう。
 けっきょく渡哲也は、渥美清と同じ轍を踏んだと思う - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)での渥美清、渡哲也と同じ轍を藤子F(藤本)も踏んだという話です。
 確かに「自分のことだけ考えれば」渥美も渡も藤本も好き勝手できたでしょう。
 しかし「男はつらいよ」は松竹にとっての、「西部警察に代表されるアクション物」は石原プロと「当時のテレビ局(西部警察を放送していたテレビ朝日など)」の、「ドラえもん」は「漫画を連載していた小学館」「アニメを放送していたテレビ朝日」「ドラえもん映画を上映していた東宝」にとってのドル箱です(ついでに言えば藤本は一人で漫画を描いているわけではなく、いわゆるアシスタントがいます)。
 「お前の一存でやめて周囲に迷惑をかけるのか」と言われれば「やめます」「こればかりに時間をかけたくない。他の仕事もしたい」とは言いづらい。
 ましてや、これらの作品は渥美や渡や藤本を「一躍有名にした大出世作の一つ」です。そう言う意味でも「やめます」とは言いづらい。

Fの世界・第2回『カンビュセスの籤』 | くらえもんの気ままに独り言
 今回、ご紹介しますのは『カンビュセスの籤(くじ)』という話になります。
 このカンビュセスというのはアケメネス朝ペルシアの王で紀元前525年頃の話になります。実話かどうかは知りませんが、ヘロドトスの『歴史』においてカンビュセス軍のエチオピア遠征に関する記述がありますが、ここで登場したのが「カンビュセスの籤」と呼ばれるものです。
 簡単に説明すると、過酷な行軍で食糧が尽きたカンビュセス軍が10人一組の組を作ってくじを引き、当たった1人を残り9人で食べたという話のようです。
 さて、F先生はこの話を元に、作品を書いたわけですが、どのようになったのでしょうか。ちなみにこの作品は「別冊問題小説」の1977年冬季特別号に掲載されておりました。
 それでは、前回同様にあらすじを紹介します。 (ネタバレ注意!)
 冒頭、荒野を一人歩く主人公サルク。どうやら、この世界には草木ひとつ生えていないようです。
 その時、サルクは一つの建物を発見します。サルクはカンビュセス軍の所属でエチオピア遠征の帰路において遭難してしまったということのようです。
 建物の中でサルクは高度なメカの前で作業をする一人の少女(エステル)と出会います。
 エステルはなんと23万歳であるとのこと。そして、彼女は誰かを待っているのだと。(ちなみにこの時点では翻訳機が故障しており、2人の会話は成立しておりません。)
 エステルは少量の四角い(小さい豆腐サイズ)食べ物をサルクに与えます。
 疲れが癒えたサルクは食料と水を奪って都に帰ろうとしますが、エステルに捕まり、足枷をはめられてしまいます。
 エステルは宇宙のかなたに信号を送り続け、たった一人で応答を待っているのだと。
 そして、最後の食料(ミート・キューブという名前のようです)が尽き、1万年の冬眠に入る準備が必要だと言い、それにはサルクの協力が必要だと。
 そこで、エステルは翻訳機の修理を急ぎ、ようやく2人は会話ができるようになります。
 サルクはエチオピア遠征の際、「カンビュセスの籤」で当たりを引いてしまったのだと。そして、死ぬのが嫌で仲間たちから逃げ、その時、霧の立ち込めた谷で時空移動してしまい、遠い未来へタイムスリップしてしまったようです。
 一方、エステルの話によれば23万年と少し前に終末戦争なるものが勃発し、地球上の文明が消滅してしまったと。そして、シェルターに逃げ込み生き延びたわずかな人類が1万年の人工冬眠を繰り返し、宇宙の彼方へSOSを発信し続けているのだという。
 しかも、1万年ごとに栄養を補給しなければならないのですが、草木1本ない状態で食料もないという状況で、生き残った人々は、くじを引き、当たった人はミート・キューブにされて残りの人の栄養になるということを今まで23回繰り返してきたようです。そして、その最後の一人がエステルというわけです。(ちなみに先ほど2人で食べたのはヘンリーおじさんという優しい方だったようです。)
 人類は偶然にもサルクを得ることによって、あと1万年の猶予をゲットできたわけです。そして、追加の1回、くじ引きが開催されることに。
 サルクは混乱して、シェルターを飛び出しますが、死からは免れることができないことを悟り、戻ってきます。
 しかし、実は当たりを引いたのはエステル。エステルはミート・キューブの作り方をサルクに教え、地球人の未来をサルクに託し、自らミート・キューブ製造機の中に入っていくところで物語は終了です。
 ミート・キューブ・・・。 考えただけでも嫌な気分になりますね(-"-;A
 いや、まぁ・・・このような極限状況では倫理的にどうとか言ってられないのは分かりますが・・・。
 このくじ・・・当たるのも外れるのも嫌だなぁ

【参考:塩狩峠

読む鉄道、観る鉄道(47) 『塩狩峠』 - 厳冬の鉄路で暴走客車を止めるため、彼は生命を差し出した | マイナビニュース
 1909(明治42)年2月28日、官営鉄道天塩線(現・JR北海道宗谷本線)の名寄駅を発車した列車は旭川へ向かっていた。しかし、途中の塩狩峠で最後尾の客車の連結が外れて逆走し、勾配を下って暴走した。満員の乗客に死が迫る。そのとき、鉄道職員の長野政雄が線路に飛び降り、その身体で車輪を止め、自らの命と引き換えに乗客の命を救った。
 小説『塩狩峠』は、この実話を元に著された小説である。この事故は当時の人々に衝撃を与え、長野政雄の死は自殺説、事故説などもあったという。著者の三浦綾子は、クリスチャンであった長野の行為を(ボーガス注:コルベ神父のような他者のための)自己犠牲と理解し、なぜ、彼が犠牲となる心境に至ったかを描いた。
 実話を元にしている小説だが、主人公の名は永野信夫となっている。三浦綾子新潮文庫版のあとがきで説明するように、事故後半世紀を過ぎていたため、長野政雄に関する資料は少なく、近親者も見つからなかった。実際の事故の資料と、長野がクリスチャンとして活動した記録がわずかに残っていたという。『塩狩峠』で描かれる永野信夫は、長野政雄の行為を理解するために創られた人物だ。

塩狩峠~ふたつの大河を分ける物語-4|特集|北海道マガジン「カイ」
 1966(昭和41)年から日本基督教団出版局の月刊雑誌『信徒の友』に連載された『塩狩峠』は、ある衝撃的な事故をもとにした小説だ。
 1909(明治42)年2月28日の夜。名寄から旭川をめざす汽車が塩狩峠に差しかかる。ボイラーをフルに焚いて急勾配を上る蒸気機関車だったが、突然最後尾の客車の連結器がはずれ、一両だけが下がりはじめる。スピードがつけば山中のカーブでまちがいなく脱線してしまうだろう。当時のルートは直線化が進んだ現在よりずっとカーブが多かったのだ。塩狩峠越えの車両にはいつも補助の機関車がつけられたが、この日はなにかの事情で一台の機関車だけだったらしい。
 車内に悲鳴が飛び交った。乗り合わせた鉄道職員長野政雄がとっさに席を立つ。車両デッキについているハンドブレーキに飛びついて懸命にまわすが効かなかった。カーブは目の前にせまってくる。すると長野は我が身を車輪止めとすべく、なんと自ら線路に飛び込んでしまった。そうして車両は長野の体に乗り上げ、その命と引き換えにようやく止まったのだった。
 1964(昭和39)年の初夏、三浦綾子は自らが通う日本基督教団旭川六条教会で、長野政雄の部下だった信者と出会う。長野が残した文章などはごく限られたものだったが、三浦はこの事故と長野の人となりを知り、作品にしたいと意欲を燃やした。小説のあとがきにはこうある。
 「わたしは長野政雄氏の信仰のすばらしさに、叩きのめされたような気がした。深く激しい感動であった」
 三浦は資料をもとに、自らの人生を脚色して加えながら『塩狩峠』を書き進めた。

 話が脱線しますけど横田早紀江はやたら「キリスト教信仰が自分を支えた」みたいなこと抜かしますけど、あの人にはコルベ神父や長野政雄氏(あるいは彼をモデルに三浦綾子が作り上げた小説の主人公・永野信夫)のような「自己犠牲精神」や「謙虚さ」を全く感じないんですよねえ。だからこそ俺は彼女に全く共感が出来ませんが。

*1:藤子・F・不二雄藤本弘)の没年は1996年