「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2022年1/26日分:荒木和博の巻)【追記あり】

立憲民主党に要請【調査会NEWS3555】(R4.1.26): 荒木和博BLOG

 泉代表は特定失踪者・辻出紀子さんと大学の同窓で同じグループで活動していたそうです。

 後述しますが「ご両親は彼女の失踪を北朝鮮拉致とは考えていません」。
 そうしたご両親の考えを知らないほど「辻出さんとの関係が浅い」にせよ「知った上で荒木にへつらってる」にせよ泉もくだらない男です。
 なお、マスコミ報道や伊勢市女性記者行方不明事件 - Wikipediaに寄れば辻出さんは1974年生まれで立命館大学卒(一方、泉も泉健太 - Wikipediaによれば、同じく「1974年生まれで立命館大学卒」)。
 ちなみに辻出さんの失踪は次のようなもんです。

伊勢市女性記者行方不明事件 - Wikipedia
 1998年11月24日深夜、伊勢市の出版社「伊勢文化舎」に勤務する編集者兼記者の辻出紀子が消息を絶った。三重県警察は辻出に最後に接触したとみられる取材相手の男性Xを「辻出に対する殺人、死体遺棄容疑」で追及し、そのために「監禁容疑での別件逮捕」も行った。しかし、「別件の監禁事件」については津地方裁判所でXの一審無罪が確定し、反対にその公判で提出された取調べの録画テープにより、津警察署が偽計や威圧を駆使した違法な取調べを行っていたことが判明した。
 無罪判決後、Xは日本弁護士連合会に対して人権救済を申立て、その結果として日弁連人権擁護委員会も、三重県警本部長、津地方検察庁検事正に対し強い警告を発する事態に至った。なお、Xは無罪判決前に「無罪が確定すればすべてを話す」と辻出家に述べていたにもかかわらず、辻出家に対して沈黙を貫き続けた。
 以上の経緯から、Xが辻出の失踪に関係しているのではと未だ疑問視されている。
◆被疑者X
 辻出に最後に接触したとされるXは、尾鷲市役所が彼女に引き合わせた男性であった。当時の三重県では「東紀州体験プロジェクト」などの大型イベントによる振興が図られており、『伊勢志摩』誌の編集者兼記者であった辻出は、東紀州に顔が広い取材協力者を探していた。そこで尾鷲市役所が辻出に紹介したのが、隣接する海山町で熱帯魚販売店を営み、地元の青年会議所で副理事長も務めていたXであった。
◆「任意同行」
 Xを辻出の失踪に関与していると見た伊勢署は、1999年1月26日にXを任意同行させ、2月3日まで取調べた。監禁事件の弁護を担当した弁護士・室木徹亮*1によれば、聴取は朝8時頃にパトカーがX宅まで赴き、そのまま署で夜23時頃まで取調べ、深夜1時頃に帰宅させるという、任意という建前からはかけ離れたものであった。
 警察はXに対し、辻出を殺害して遺体をどこに遺棄したのかと自白を迫った。
 Xは当初、調べに対して「辻出とは最近会っていない」と話していたが、最終的に、失踪した11月24日の夜23時頃に辻出と会ったことは認めた。警察はXの家宅捜索も実施したが、Xが辻出の失踪に関与しているとの確たる証拠は挙がらなかった。
別件逮捕
 辻出の失踪には無関係であると主張し続けるXに対し、伊勢署はXを2月10日に監禁容疑で逮捕し、身柄を津署へ移送した。その容疑は、1997年12月16日13時頃から翌17日17時頃まで、Xが上京するたびに会っていた馴染みのホテトル嬢Aを、その手を縛って彼女の自宅マンションに閉じ込めたというものであった。しかし、この監禁事件で被害届が出されたのは発生から1年以上が経過した1999年2月5日のことであり、これは辻出失踪事件を本命とする明らかな別件逮捕であった。
◆裁判
 東京での監禁事件についてはその後、被害者Aの証言が公判に提出された。しかしその内容は、「Xに強姦されたが、にもかかわらずその後自ら精神安定剤を服用して眠ってしまったので、詳細はよく覚えていない」という不可解なものであった。
 これに加えて、Aが仕事の売上を記録していた手帳には、1997年12月16日夜から翌17日朝、すなわち監禁事件があったとされる時間には働きに出ていたことを推定させる記述がある。にもかかわらず、警察や検察にはこの手帳の正確性やAの勤務状況について、何ら裏付け捜査を行った形跡が見られない(津地検はこれについて、Aは普段売上記録を手帳に数日分まとめ書きしており、そもそも犯行日の特定はAがXに借金を返済した際の領収書の日付によるため、手帳に証拠価値はない、と反論している)。
 さらに、警察、検察側はXの無実を推定させるAの手帳を入手していたにもかかわらず、その存在は弁護側が独自に調査するまで秘匿されたままであった。
◆判決
 結局、津地裁はこれら弁護側の主張に基づいてAの証言の信用性を否定し、1999年10月5日、Xに対し無罪判決を言い渡した。検察側もこの判決に対して控訴せず、監禁事件に関するXの無罪は確定した。
日弁連による警告
 以上の事実を踏まえ、最終的な調査結果として日弁連人権擁護委員会は、2001年2月7日に三重県警本部長、警察庁長官三重県公安委員長、津地検検事正へ宛て、それぞれ警告と要望を発している。
 三重県警本部長宛ての警告について人権擁護委員会は、津署がXに対して行った行為は「違憲違法な人権侵害行為である。今後、被疑者の取調べに当たっては違法な捜査を厳に慎み、被疑者の黙秘権や弁護人との接見交通権などの権利を最大限に尊重されるように警告する」とした。そして警察庁長官及び三重県公安委員長に対し、所轄する警察署において今後同様の人権侵害が発生しないよう、指導・監督を強化するよう要望を発した。
 また津地検検事正宛ての警告について同委員会は、当時得られていた証拠を考慮すれば逮捕監禁事件については、少なくとも「嫌疑不十分」の判断を行うのが正当であったのは明らかであり、「Xは本件起訴後も四ヶ月半にわたり代用監獄に勾留され、その間、(辻出)失踪事件についての執拗な取調を受け続けたこと等の起訴前後の事情を考慮すると、貴庁は、(辻出)失踪事件についての取調べ機会を確保する目的で恣意的に起訴相当の判断を行ったとの疑いを払拭できない」と述べた。
◆無罪判決後のX
 勾留中にXは辻出家に対し、「監禁事件で無罪を勝ち取った暁にはすべてを話す」という内容の書面を、監禁事件の弁護を担当した弁護士・室木の署名入りで提出していた。
 しかし、無罪判決後の釈放翌日に辻出の両親が面会を求めると、Xは義兄を通して「いくら灰色無罪といわれても放っておく」「伊勢文化舎の代表が怪しい」などと述べて面会を断った。そして、「今後もし話をする気になったら、内容をマスコミに漏らさない、回答をあげつらうような質問をしない、などの条件付きの上で、弁護士を通じてあなた方に連絡する。それまであなた方からの連絡は拒否する」との旨を一方的に宣告した。
 その後も沈黙を守り続けるXに対し、業を煮やした辻出の父は室木のもとを訪ねたこともあったが、取り合ってもらえなかったと言う。
◆その後の捜査・支援活動
 三重県警は、辻出の失踪から10か月が経過した1999年9月から情報提供を求める公開捜査に踏み切り、2019年までに、捜査には約3万1900人が投入された。情報提供者への謝礼金上限額は300万円に設定され、寄せられた情報は88件に上ったが、有力な手掛かりは得られなかった。
 事件以来、辻出の両親は毎年11月24日に情報提供を求めるビラを配り続け、警察に重機で怪しい場所を掘り起こしてもらったこともあった。四国八十八箇所もすべて巡り、テレビ番組の超能力捜査官やダウジング専門家にまで頼ったが、何ら成果は得られなかった。両親は辻出の生存をほぼ諦めているが、それでもなお情報提供を呼び掛け続けている。
北朝鮮による拉致説
 2008年9月、産経新聞は「北朝鮮事情に詳しい中朝関係筋から」の情報として、「〔日本側は〕辻出さんの『つ』の字も出さなかったのに、先方から辻出さんの名前をフルネームで言った」と報じた。
 特定失踪者問題調査会はこの報道当日、辻出の両親とともに記者会見を行い、辻出が調査会の「不明者リスト」に追加されていると述べた。また調査会は、失踪前の辻出がメーリングリストに「北朝鮮に行ってよど号グループにインタビューしたい」と書き込んでいたことを根拠に、「辻出が自ら海路で北朝鮮に入り、よど号グループへのインタビューに成功した後で消息を絶った」と断言している。
 しかし、辻出が自ら北へ入った根拠とされるメーリングリストには具体的な内容は一切なく、「辻出を知る脱北者と会った」と主張していた大学教員も、数年後には「人違いだった」と発言を撤回している。また、2014年9月によど号グループのリーダー小西隆裕に直接インタビューしたジャーナリストの伊藤孝司*2によれば「辻出に会ったこともなければ名前も知らない」と小西は驚いたように回答したという。
 2014年7月に日本経済新聞北朝鮮、生存者リスト提示: 日本経済新聞生存者リストに約30人 北朝鮮の調査範囲焦点: 日本経済新聞として、「北朝鮮で存命の日本人リスト(ただし日本政府は政府、日経に抗議 生存者リスト報道巡り: 日本経済新聞として、日経の報道を事実無根と否定)」についてスクープした際には、辻出家にも取材陣が詰めかけたが、辻出の母は「拉致の可能性はないんで、記者の皆さんにはお帰りいただいた」と取材を拒否するなど、家族ももはや北朝鮮拉致説には信を置いていない。

 いつもながら荒木には「呆れて二の句が継げません」ね。
 証拠不十分で、起訴どころか逮捕すら出来なかったとはいえ誰が考えてもこの話で「一番怪しい」のは、警察が殺人容疑で追及していた「男性X」でしょう。
 これのどこが「北朝鮮拉致の疑い」なのか。どう見ても一般刑事犯罪の疑いが濃厚です。
 なお、言うまでもありませんが「女性Aを抱き込んでありもしない監禁事件をでっち上げて、別件逮捕で辻出殺害の自供をとろうとした」という弁護側の主張が事実なら「Xが仮に辻出殺害の犯人だとしても」許される行為ではありません。
 当たり前ですが、目的は手段を正当化しない。
 しかし弁護側の主張が事実なら「違法捜査が酷すぎて絶句」ですね。日弁連が批判するのも当然と言うべきでしょう。

【参考:辻出さん失踪事件】

〈伊勢・女性記者行方不明〉最大の鍵は、失踪する直前に会っていた男の存在 | 週刊女性PRIME週刊女性2019年12月24日号
 買い物客が通過するたび、「情報提供よろしくお願いします」と声をかけ、その夫妻は制服姿の警察官たちとともに頭を下げた。手渡している全面カラーのチラシには、黒字でこう大書されている。
〈辻出紀子さん(当時24才)あなたをずっと探し続けています〉
 はにかんだ笑顔を見せる紀子さんの顔写真も掲載され、情報提供者への謝礼金上限額は「300万円」に設定されていた。
◆このまま死ぬわけにはいかない
 ここは三重県伊勢市にあるショッピングモール。曇り空が広がる11月24日午前、21年前に行方不明になった紀子さんの父、泰晴さん(72)と母、美千代さん(70)は、用意された4500枚のチラシを配り続けた。そばには中型のテレビ画面が設置され、職場でインタビューを受ける紀子さんの様子が映し出されている。
 泰晴さんは、集まった報道陣の取材に対し、こう声を振り絞った。
「紀子はたぶん死んでいると思います。非常にかわいそうです。今どんな状態でいるのか、それだけが気がかり。どれだけ身体が悪くなっても、私たちはこのまま死ぬわけにはいきません。あと何年探し続けるかわかりませんけど、とにかく頑張っていこうと思います」
 美千代さんも無念の思いを口にした。
「たぶん生存の可能性がない中、いろいろと想像をめぐらせます。やはり土に返っているとなると大変悔しい。解決につながるよい情報をお願いしたい」
 雑誌記者だった紀子さんが忽然と姿を消したのは1998年11月24日。勤務先の「伊勢文化舎」の事務所を午後11時ごろに退社したまま、自宅に帰ってこなかった。帰りが遅いときは必ず電話をかけてくるはずが、その日は連絡がなかった。
(中略)
 泰晴さんは翌25日、伊勢署に捜索願を出した。それから10か月後の翌年9月、三重県警は、紀子さんが事件に巻き込まれた可能性があるとみて、情報提供を呼びかける公開手配に踏み切った。
 以来、これまでに捜査員のべ約3万1900人が投入され、88件の情報が寄せられたが、有力な手がかりは得られていない。
 美千代さんは、自宅に残された名刺入れを頼りに、取材先や友人、知人ら100人以上に電話をかけ、紀子さんの居場所を尋ねた。テレビ番組にも出演し、超能力を持つ外国人捜査官や振り子を使った「ダウジング」の日本人の専門家に捜索を依頼した。警察に重機で林の一角を掘り起こしてもらったこともあるが、いずれも有力な手がかりはなく、出てきたのはせいぜい亀の甲羅ぐらい。美千代さんが述懐する。
 「そんなことしてもどうにもならないのはわかっていましたが、じっとしていられなかったんです。何かしないと自分の気がすまない。むなしいかもしれませんが、そうやる以外に方法がなかった」
 7年前からは夫婦で四国お遍路や西国三十三所を回り昨年11月にすべて回り終えた。
◆失踪直前に会っていた男性の存在
 辻出夫妻による独自の捜索作業に並行し、紀子さんの失踪をめぐってはこれまで、3つの謎が浮かび上がった。
 1つ目は、志摩市的矢湾に浮かぶ渡鹿野島の実態について、紀子さんが取材で暴こうとしたため、何らかに巻き込まれて失踪したという説だ。この島は別名「売春島」と呼ばれ、タイ人や日本人の売春婦がいたことで知られる。この説については、美千代さんもネットで把握していた。
 「でも面白おかしく騒ぎ立てられているだけだと思っています。男の人が遊びに行く島というのは知っていますが、紀子からその話を聞いたことはありません」
 もし仮に、紀子さんが渡鹿野島に関心を示していたとしても、実の母親には言わないだろう。アジアの難民キャンプ訪問について、心配させまいと伏せていた前例があるからだ。
 そこで、当時、紀子さんと交際していた大手新聞社の記者に尋ねてみると、こう返ってきた。
「ネット上での根拠なきデマです。地域雑誌の記者でしたので、渡鹿野島については観光地としての側面から関心を持っていたのは事実ですが、島の闇を解明しようという気持ちはなかったです」
 2つ目の謎が、2009年9月上旬に産経新聞が報じた「北朝鮮拉致説」だ。拉致問題を調査している日本の大学教員が、韓国で紀子さんを知っていると証言する脱北者に出会ったことで浮上した。この点についても前出の記者が解説した。
 「数年後、その大学教員から『人違い』だったとの連絡がありました」
 しかし辻出夫妻が、北朝鮮による拉致の可能性を排除できない「特定失踪者リスト」に紀子さんを登録してしまったため、ネットでもこの説が出回り続けている。
 そして最後の謎が、この事件の真相を握る可能性があるとして、いまだにくすぶり続けている。それは失踪後に解明された、紀子さんの携帯電話の通話記録から判明した。
 先月行われたチラシ配りの際、泰晴さんは報道陣の前で、その謎についてうっかり口を滑らせた。
「20年という長さはですね、人間の身体も蝕まれるし、体調も変わってくる。変わらない紀子は今どこにいるのですか? 骨のかけらも残っていないと思います*3。うちの紀子に何かした男がいれば、まあ、男という言葉を使ってはあれですけど」
 通話記録を紐解いていくと、紀子さんは失踪直前、県内在住のある男性A氏に会っていたことがわかった。
 A氏は、紀子さんが取材先で出会った当時30代半ばの自営業者。失踪当日、紀子さんに複数回電話をかけ、車が見つかった駐車場で深夜、会っていたという。
 A氏はその後、東京で知り合った女性を監禁した疑いで三重県警に逮捕され、起訴されたが、津地裁は無罪判決を言い渡した。
 拘留中も含め、泰晴さんはA氏に何度も面会に行っている。
「A氏は自分の彼女とケンカしてイライラしていたので、紀子を口説くために会いに来たそうです。最初は駐車場で会ったと言っていたんです。でもその後、食事に連れて行った帰りに途中で降ろしたと言い始め、話が食い違ってきたんです」
 A氏は、監禁事件で無罪を勝ち取ったらすべてを話すと、弁護士の署名入り書面まで渡してきた。しかし、その約束はいまだに果たされていない。

伊勢市女性記者行方不明事件 - Wikipediaの「出典の一つ」がこの雑誌記事です。明らかにご両親は荒木の「北朝鮮拉致説」など信じておらず、「警察が殺人容疑で追及した男」による「辻出さんの殺害、死体遺棄」を疑っています。「後で紹介しますが」そのほかのマスコミ記事でのご両親の言葉にも「北朝鮮拉致の言葉」が出てこないことで荒木らが「ご両親を無視して勝手に放言していること」がうかがえます。最低限「ご家族が北朝鮮拉致を信じてること」が「荒木らの発言の前提」にあるべきでしょう。荒木ら特定失踪者問題調査会もどこまで見下げ果てたクズなのか。

辻出紀子さん不明22年 伊勢で情報提供呼び掛け:中日新聞Web2020年11月25日
 一九九八年に伊勢市で津市一志町の雑誌記者辻出紀子さん=当時(24)=が行方不明になった事件から二十二年を迎えた二十四日、伊勢署は伊勢市内のスーパーで、市民に情報提供を呼び掛けた。
 写真や身長、体重などの情報を記載したチラシ千枚を店頭に置き、署員ら十二人が買い物客らにチラシを手に取るように求めた。
 この日は、母美千代さん(71)=津市一志町=も立ち会った。美千代さんは「もし事件がなければ、紀子は働き盛りで結婚して子育てもしていたかもしれない。このまま(未解決で)終わってしまうのではなく、少しでも真相が知りたい」と訴えた。
 東友則副署長は「二十二年たった今でも、ご両親のお気持ちは何ら変わっていない。県警はこの事件を最重要課題と位置付け、現在も捜査に取り組んでいる。どんなささいなことでもいいので、情報提供をお願いしたい」と呼び掛けた。
 辻出さんは十一月二十四日午後十一時すぎ、勤務先の出版社「伊勢文化舎」(伊勢市船江)を退社し、約一キロ離れた保険会社の駐車場で知人男性に会った後、消息を絶った。今年十月末までに九十件の情報が寄せられているが、有力な手がかりは得られていない。

雑誌記者・辻出さん失踪から23年 宇治山田駅で24日チラシ配布:中日新聞Web2021年11月24日
 津市一志町の雑誌記者、辻出紀子さん=当時(24)=が伊勢市で失踪してから二十四日で二十三年となる。
「このままでは紀子がかわいそう。私らが死んでしまったらどうなるのか」。
 進展がないまま過ぎてゆく年月に焦りを感じながら、母美千代さん(72)と父泰晴さん(74)は情報提供を呼び掛け続ける。

母「あの当時と少しも気持ちは変わっておりません」23年前に行方不明の女性記者 家族が情報提供呼びかけ- 名古屋テレビ【メ~テレ】2021年11月24日
 三重県伊勢市で雑誌記者の女性が行方不明になってから23年が経ち、24日、家族らが情報提供を呼びかけました。
 津市の雑誌記者、辻出紀子さん(当時24歳)は、1998年11月24日の深夜、伊勢市の勤務先を出た後、行方不明になり、警察は事件に巻き込まれた可能性が高いとみて捜査を続けています。
 行方がわからなくなって23年となる11月24日、辻出さんの両親らが近鉄宇治山田駅でチラシを配り、情報提供を呼びかけました。
「あの当時と少しも気持ちは変わっておりません。一日も早くよい情報が集まりますことを願っております」
 情報は、伊勢警察署(0596-20-0110)で受け付けています。

辻出紀子さん不明から23年 両親らが情報提供呼びかけ 三重・伊勢警察署 : 中京テレビNEWS2021年11月24日
 三重県伊勢市で、雑誌記者の女性が行方不明になってから23年。両親らが24日、近鉄宇治山田駅でチラシを配り、情報提供を呼びかけました。
 辻出紀子さん(当時24)は23年前、勤務していた三重県伊勢市の出版社を出た後、行方がわからなくなりました。
 警察は、事件に巻き込まれた可能性が高いとして捜査を続けていますが、今も有力な手がかりはありません。
 紀子さんの父・泰晴さんは「なんとか、なんとか皆さんの力で見つけていただきたいんです。よろしくお願いします」と、情報提供を呼びかけました。

辻出さんの情報募る 伊勢の記者 行方不明から23年 : ニュース : 三重 : 地域 : 読売新聞オンライン2021年11月24日
 伊勢市の出版社に勤務していた雑誌記者辻出紀子さん(当時24歳)が、勤務先を出たまま行方不明になって24日で23年がたった。県警は事件に巻き込まれた可能性が高いとみているが、有力な手がかりはなく、両親は「何とか見つけ出してあげたい」と近鉄宇治山田駅で情報提供を呼びかけた。
 辻出さんは1998年11月24日午後11時頃、出版社を出た後に連絡が途絶えた。県警は延べ約3万人以上の捜査員を投入。今年10月までに94件の情報があったが、今年は2件にとどまる。
 辻出さんの父・泰晴さん(74)と母・美千代さん(72)、伊勢署員ら計23人はこの日、顔写真入りのチラシ約1000枚を配った。
 両親は「もう23年。紀子は明るく活発な子だった。私たちも年を取り、これ以上頑張ることが難しい。何とか皆さんの力で紀子を見つけてほしい」と訴えた。
 有力情報の提供者には上限300万円の謝礼が支払われる。情報は伊勢署(0596ー20ー0110)。

伊勢 辻出紀子さん不明23年 「一日も早く」 情報提供を呼び掛け 三重 - 伊勢新聞2021年11月25日
 三重県津市一志町の雑誌記者辻出紀子さん=当時(24)=が伊勢市内の勤務先から帰宅途中に行方不明となってから23年を迎えた24日に合わせ、両親や警察関係者らが伊勢市岩渕二丁目の近鉄宇治山田駅前でチラシを配り、情報提供を呼び掛けた。
 辻出さんは平成10年11月24日午後11時ごろ、勤務先を出た後、付近の駐車場に車を残したまま連絡が取れなくなった。県警は事件に巻き込まれたとみて、これまで延べ約3万4300人の捜査員を投入して捜査。10月末までに新規2件を含む94件の情報が寄せられているが、有力な手がかりは得られていない。
 この日は両親と警察のほか県警OBら23人が、マスクと共に用意した、辻出さんの特徴を記したチラシ5千枚を利用者に配布し、情報提供を呼び掛けた。
 父親の泰晴さん(74)は「あと10年生きられるかわからない。何とか皆さんの力で見つけていただきたい」と訴えた。母親の美千代さん(72)は「23年間気持ちは変わっていない。元気な内に人並みの供養*4をしたい。一日も早くいい情報が集まることを願っている」と話していた。
 伊勢署の岡崎浩司署長は「本件の解決を県警の最重要課題と位置付け、今も捜査を継続している。どんなささいな情報でも提供をお願いしたい」と話している。
 伊勢署では昨年からYouTubeツイッターも活用して情報提供を呼び掛けている。

 勿論、マスコミに対する警察の言葉

東友則副署長は「二十二年たった今でも、ご両親のお気持ちは何ら変わっていない。県警はこの事件を最重要課題と位置付け、現在も捜査に取り組んでいる。どんなささいなことでもいいので、情報提供をお願いしたい」と呼び掛けた。
伊勢署の岡崎浩司署長は「本件の解決を県警の最重要課題と位置付け、今も捜査を継続している。どんなささいな情報でも提供をお願いしたい」と話している。

は「建前論」でしょう。もはや捜査のしようがないと本音では警察も思ってるでしょう。ただしご両親が「捜査不要」と言わない限り、建前ではそうはいえないわけです。
 なお、「1998年で24歳」ということは、辻出紀子さんは「1974年生まれ(いわゆる団塊ジュニア)」で「今年で48歳」ですね。
 「2021年で父・泰晴さん74歳、母・美千代さん72歳」ということは「父親が1947年生まれ、母親が1949年生まれ(団塊の世代)」です。
 なお、父が生まれた1947年、母が生まれた1949年、辻出さんが生まれた1974年、彼女が失踪した1998年にはそれぞれ以下の出来事が起こっています。

1947年 - Wikipedia1947年の日本 - Wikipedia
◆2月28日
 二・二八事件(台湾)勃発
◆5月3日
 日本国憲法施行
◆8月15日
 インドがパキスタンを分離し独立

1949年 - Wikipedia1949年の日本 - Wikipedia
◆7月6日
 日本国有鉄道総裁の下山定則常磐線北千住・綾瀬間の線路上で轢死体となって発見された(下山事件
◆7月15日
 国鉄三鷹駅で車庫の無人電車が暴走し、駅にいた乗降客6人が死亡し、数十人がけがをした(三鷹事件
◆10月1日
 中華人民共和国成立
◆11月3日
 湯川秀樹ノーベル物理学賞を受賞。日本人初のノーベル賞受賞者

1974年 - Wikipedia1974年の日本 - Wikipedia
◆3月10日
  フィリピン・ルバング島小野田寛郎元少尉を発見。
◆4月24日
 ギヨーム事件(ブラント西ドイツ首相の秘書ギヨームが東ドイツのスパイとして逮捕)。5月6日にはブラントが首相を引責辞任
◆4月25日
 カーネーション革命ポルトガルの独裁体制が崩壊)。別名「リスボンの春」とも呼ばれ、現在では「自由の日」として国民の休日になっている。
◆5月18日
 インドが初の地下核実験を実施。
◆8月8日
 ウォーターゲート事件ニクソン米大統領辞任。フォード副大統領が大統領に昇格。
◆8月15日
 ソウルで朴大統領狙撃事件(文世光事件)。
◆9月13日
 日本赤軍がオランダ・ハーグにあるフランス大使館を占拠(ハーグ事件)。
◆10月8日
 佐藤栄作前首相にノーベル平和賞が贈られることが決定する。
◆10月10日
 この日発売の文藝春秋11月号に、立花隆田中首相の金脈問題を暴いた「田中角栄研究」が掲載される。11月26日には田中首相が退陣表明。12月9日に正式に退陣し、三木内閣が成立。
◆10月30日
 ザイールの首都キンシャサで行われたプロボクシングWBAWBC統一ヘビー級タイトルマッチで、挑戦者で元チャンピオンのモハメド・アリがチャンピオンのジョージ・フォアマンにKO勝ちを収め、兵役拒否での剥奪から7年ぶりにチャンピオンを奪回(キンシャサの奇跡)。

1998年 - Wikipedia1998年の日本 - Wikipedia
◆1月28日
  「仮面ライダー」、「サイボーグ009」等で知られる漫画家の石ノ森章太郎が死去。
◆2月7日
 長野五輪開幕。
◆2月19日
 日興証券から不正な利益供与を受けていたとして国会に逮捕許諾請求の手続きが進められていた新井将敬衆院議員が自殺
◆2月25日
 金大中、韓国大統領に就任。
◆5月11日
 インドで24年ぶり2度目の核実験が行われる
◆5月28日
 パキスタン、インドに対抗して初の核実験
◆6月30日
 「誰よりも君を愛す」や「いつでも夢を」で知られる作曲家の吉田正(6月10日死去)に国民栄誉賞が贈られる。
◆7月12日
 参院議員選挙で自民党が敗北し、橋本首相が退陣。7月30日に小渕内閣発足
◆7月25日
 和歌山市内の夏祭りで提供された、亜ヒ酸が何者かに混入されたカレーを食べた客4人が死亡、63人が重軽傷。10月4日、和歌山県警はカレーに亜ヒ酸を混入したとして、会場近くに住む夫婦を逮捕(和歌山毒物カレー事件)
◆10月1日
 映画監督の黒澤明(9月6日死去)に国民栄誉賞が贈られる。
◆10月8日
 金大中韓国大統領、日本訪問。日韓共同宣言が採択される。
◆10月27日
 ドイツ社会民主党シュレーダー政権発足。
◆12月30日
 映画監督の木下恵介が死去。

【追記】
 コメント欄で指摘のあった女児失踪事件(約25年前の1996年発生)については以下を紹介しておきます。

横山ゆかりちゃん誘拐事件 両親の思い|NHK事件記者取材note2021年7月6日
<横山ゆかりちゃん誘拐事件>
 平成8年(1996年)7月7日、群馬県太田市のパチンコ店に家族と一緒に訪れた横山ゆかりちゃん(4歳)の行方がわからなくなった。警察は、何者かに連れ去られたとみて捜査を続けていて、防犯カメラに写っていた男を重要参考人として情報提供を求めている。

 家族旅行で行った鬼怒川温泉で、笑顔でポーズをとるゆかり。
 この1週間後、事件に巻き込まれました。
 どうしてあのとき目を離してしまったのか。
 ずっと後悔しています。
 ゆかり、ごめんね。
 無事でいると信じて、待っているからね。
 あの日は、日曜日でした。
 私は、妻とゆかりを連れて、車でパチンコ店に行きました。
 午前10時のオープン前に到着し、少し並んでから店に入りました。
 何度か行ったことのあるパチンコ店でしたが、ゆかりは初めてだったと思います。
 私と妻は別の通路にある台で、それぞれ打ち始めます。
 自分の座っていた場所からは、ゆかりが通路を走り回ったり景品を見たりして、ひとりで遊んでいる姿が見えていました。
 あの日は、景品の花火を欲しがっていたと記憶しています。
 お昼に妻はゆかりに車の中でおにぎりを食べさせましたが、少し食べると「もういらない」と言って残したそうです。
 ただ午後になっておなかがすいたのか、妻におにぎりをねだりにきたので、おにぎりとパックのジュースを持たせて、店内のベンチに座って食べるように言いました。
 すると午後1時半ごろ。
 ゆかりが妻に駆け寄ってきて、こう言ったそうです。
 「・・・のおじちゃんがいるよ」
 店内の音でかき消され、一部は聞き取れませんでした。
 「絶対ついていっちゃだめよ」
 その10分後。
 妻が慌てて私の所に来ました。
 「ゆかりがいないの」

 警察が店内の防犯カメラを解析したところ、重要参考人が浮上します。
 画面奥のベンチに座るゆかりちゃんの隣に、サングラスをかけた男が座り、顔を近づけて話しかけたり、店の外を指差したりする様子が写っていました。
 そして男がベンチを立った数分後。
 ゆかりちゃんは出入り口に向かう通路をひとりで歩いて行き、そのまま行方がわからなくなりました。
 それからおよそ2か月。
 父親の保雄さんたちは、群馬県警の捜査員と一緒に自宅で電話を待ち続けました。
 「身代金を要求する電話があるかもしれない」
 電話を逆探知するために待機していましたが、かかってきたのは嫌がらせやいたずら電話ばかりだったといいます。
 自宅のリビングに設けた棚には、ゆかりさんの写真とともに思い出の品が飾られています。
 ハート型が好きだったゆかりさんが大切にしていたイヤリング。
 “パパっ子”だったというゆかりさんが、保雄さんにおねだりして買ってもらったものです。
◆消えない自責の念 「ゆかりに謝りたい」
 事件からことしで25年となり、7月11日にゆかりさんは30歳になります。
 ゆかりさんに会えたら何と声をかけたいですかと尋ねると、保雄さんはこう答えました。

 時間がたちすぎて正直なんて言えばいいかわかりません。ただ謝りたい。あのときしっかり見ていなかったこと。これだけの長い期間、見つけてあげられなかったこと。すべてです。

 そして、「自業自得だと思っている」と打ち明けました。

 今さら言ってもどうしようもないですが、パチンコ店に連れて行かなければ、あのとき目を離さなければと、ずっと後悔しています。
 パチンコなんかに子どもを連れて行くのが悪い、自業自得だと何度も言われてきました。それは私たちが一番わかっていますし、ゆかりに本当に申し訳ないと思っています。

◆取材後記
 私は去年NHKに入局し、前橋放送局に配属されました。
 この事件は、自分が生まれる1年前に起きました。
 この25年もの間、両親はどんな思いでゆかりさんを捜し、待ち続けてきたのか。
 とても想像できず、何と話を切り出していいのか分かりませんでした。
 でも初めて自宅に伺うと快く迎えてくれ、事件当日のこと、ゆかりさんとの思い出を語ってくれました。
 両親を標的にした心ない中傷は、今でもSNSなどに書き込まれるそうです。
 そんな中でも、保雄さんが力強く語った言葉が印象に残っています。

「中傷を気にしていたら生きていけないですし、それを気にするより、ゆかりが見つかるためにできることをやりたい。ゆかりはどこかで元気でいてくれればと思っていますし、そう信じています。帰ってくるまで私たちは諦めません」

 保雄さんたちが、ゆかりさんと再会できる日が1日も早く訪れてほしい。
 そのために私も発信を続けていきたいと強く思いました。

父「元気な姿見せて」 太田のゆかりちゃん 行方不明から25年:東京新聞 TOKYO Web2021年7月18日
 群馬県太田市で一九九六年、四歳だった横山ゆかりちゃんが行方不明になってから七日で二十五年が過ぎた。何者かに連れ去られたとみられるが、未解決のままだ。十一日はゆかりちゃんの三十歳の誕生日だった。父保雄さんは「私が見つけ出すまで、病気にかからないでいてほしい。再会したときに、元気な姿を見せてほしい。娘を返してください」。犯人に強く訴えている。
 ゆかりちゃんはパチンコ店で、不審な男に話し掛けられたのを最後に行方不明に。保雄さんは「一緒に過ごした時間よりも、娘を捜してきた時間の方が圧倒的に長かったと思うと、やるせない」と声を落とす。
 群馬県警は七日、当時「重要参考人」の男が写っていたパチンコ店の映像を、最新技術で解析した動画を公開。男が丸い腕時計を着けていたなどの新たな手掛かりを記したポスターを作った。保雄さんは「ポスターでゆかりの顔をみて、ささいな事でも思い浮かんだら、どうか情報を寄せてください」と呼び掛ける。
 ゆかりちゃん事件の他に、太田市と栃木県足利市では、七九年から九〇年にかけて四人の女児が失踪、遺体で見つかる事件があり、いずれも未解決だ*5。保雄さんは二〇一一年に被害者家族会をつくったが、最近は家族の高齢化などでほとんど連絡が取れていない。
 保雄さんは「事件は『風化』しない。未解決のままだと訴え続けていきたい」「ゆかりの情報が、家族会全員の事件解明へつながる近道だと思います」と言葉を絞り出した。

 なお、ゆかりさんが生まれた1991年、彼女が失踪した1996年には以下の事件がありました。

1991年 - Wikipedia1991年の日本 - Wikipedia
◆1月17日
 多国籍軍イラク空爆開始により湾岸戦争勃発
◆4月16日
 ゴルバチョフソ連大統領が訪日(ソ連元首としては初来日)。
◆4月26日
 海上自衛隊ペルシャ湾掃海派兵部隊が出発(自衛隊初の海外派兵)
◆5月21日
 ラジヴ・ガンディー元インド首相暗殺。
◆6月17日
 南アフリカで人口登録法の廃止法案が可決され、アパルトヘイトが法的に撤廃される。
◆6月20日
 ドイツがベルリンへの首都移転決定。
◆6月28日
 経済相互援助会議(コメコン)解散。
◆7月1日
 ワルシャワ条約機構解体。
◆7月9日
 IOC南アフリカのオリンピック大会復帰を承認。
◆7月11日
 悪魔の詩訳者殺人事件(イスラム教を冒涜する内容が含まれるとしてイランのホメイニ師が作者に対し「死刑宣告」をした「悪魔の詩」を翻訳した筑波大学教授が大学内で首を切られ、殺害される(2006年に時効が成立)。
◆7月14日
 横綱大乃国が引退
◆7月23日
 イトマン事件でイトマンの河村良彦元社長などが逮捕される
◆7月31日
 ブッシュ父・米国大統領とゴルバチョフ ソ連大統領が第一次戦略兵器削減条約に調印。
 統一地方選挙社会党が敗北した責任をとり、土井たか子委員長が退陣。同日、後任の委員長に田邊誠衆院議員が就任。
◆8月19日
 ソ連8月クーデター発生、保守派がゴルバチョフ大統領を軟禁(8月21日、クーデター失敗)。
◆8月24日
 ソ連共産党が解散。
◆9月17日
 韓国、北朝鮮が国連に同時加盟。エストニアラトビアリトアニアバルト三国も国連に加盟。
◆10月3日
 海部首相、退陣表明。11月5日に正式に退陣し、同日に宮沢内閣が発足。
◆10月14日
 ミャンマーアウンサンスーチーノーベル平和賞
◆12月24日
 北朝鮮平壌放送が、朝鮮労働党中央委員会総会で金正日書記の朝鮮人民軍最高司令官への就任が決定したと発表。
◆12月25日
 ゴルバチョフ大統領辞任。
◆12月26日
 ソ連崩壊

1996年 - Wikipedia1996年の日本 - Wikipedia
◆1月5日
 村山首相、退陣を表明。1月11日に橋本内閣発足。
◆1月8日
 日本テレビが今も続く人気アニメ『名探偵コナン』の放送を開始。
◆2月14日
 羽生善治が史上初となる将棋タイトル七冠独占を達成。
◆2月16日
 菅直人厚相、薬害エイズ事件血友病患者に直接謝罪。
◆3月23日
 李登輝台湾総統選挙で当選。
◆4月30日
 TBSがビデオ問題の検証番組『証言・坂本弁護士テープ問題から6年半』を放送。同日、社長の磯崎洋三が引責辞任。後任は砂原幸雄が就任
◆5月8日
 全人種の平等などを規定した南アフリカ共和国憲法が施行される。
◆5月31日
 2002 FIFAワールドカップの「日本と韓国の共同開催」が決定。
◆7月20日
 アトランタ五輪開幕。7月28日に女子マラソン有森裕子が銅メダルを獲得。この後のインタビューでの有森の言葉「自分で自分をほめたい」が流行語大賞となる。
◆9月3日
 8月4日に死去した俳優・渥美清国民栄誉賞が贈られる
◆9月10日
 国連総会で包括的核実験禁止条約(CTBT)が採択される。
◆9月18日
 北朝鮮ゲリラ、韓国東海岸に侵入(江陵浸透事件
◆10月30日
 御嵩町長襲撃事件(2011年に時効が成立)
◆11月24日
 西武からFA宣言した清原和博選手の巨人入りが決定。
◆12月5日
 原爆ドーム厳島神社世界遺産に登録される。
◆12月12日
 韓国がOECD経済協力開発機構)に加盟。
◆12月17日
 在ペルー日本大使公邸占拠事件発生、翌年4月22日解決。

*1:三重弁護士会会長、中部弁護士会連合会理事長等を歴任(室木徹亮 - Wikipedia参照)

*2:著書『台湾への原発輸出』、『日本が破壊する世界遺産:日本の原発とオーストラリア・ウラン採掘』(以上、2000年、風媒社ブックレット)、『平壌からの告発:日本軍「慰安婦」・強制連行被害者の叫び』(2001年、風媒社ブックレット)、『地球を殺すな! 環境破壊大国・日本』(2004年、風媒社)、『ヒロシマピョンヤン:棄てられた被爆者』(2010年、風媒社)、『無窮花(ムグンファ)の哀しみ:証言〈性奴隷〉にされた韓国・朝鮮人女性たち』(2014年、風媒社)、『朝鮮民主主義人民共和国:米国との対決と核・ミサイル開発の理由』(2018年、一葉社)、『朝鮮で見た〈日本〉:知られざる隣国との絆』(2019年、岩波書店)など(伊藤孝司 - Wikipedia参照)

*3:この言葉からも「殺人、死体遺棄」を覚悟していることがうかがえます。

*4:この言葉からも「殺人、死体遺棄」を覚悟していることがうかがえます。

*5:これについては北関東連続幼女誘拐殺人事件 - Wikipedia清水潔『殺人犯はそこにいる:隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件』(2016年、新潮文庫)参照