◆ゾルゲの遺骨
ゾルゲ遺骨、北方領土に埋葬計画 ロシア外相が明かす:時事ドットコム
ロシアのラブロフ外相は26日、太平洋戦争前に日本で活動し、摘発された旧ソ連の大物スパイ、リヒャルト・ゾルゲの遺骨に関し、「サハリン州南部、クリール諸島南部に埋葬し直す構想がある」と明らかにした。クリール諸島南部はロシアが実効支配する北方領土を指す。ゾルゲの墓は東京の多磨霊園にある。
ロシアではプーチン大統領が旧ソ連国家保安委員会(KGB)出身ということもあり、ゾルゲを評価する動きが強まっている。
ゾルゲはスパイでも「KGB所属ではなく赤軍所属」なので「プーチンがKGB出身」はゾルゲ評価に関係ないんじゃないですかね。
つうか「ゾルゲ評価」自体は「旧ソ連からの継承に過ぎない」のでは?
そして「ゾルゲがKGBスパイと誤解されかねない」という意味でこの記事はまずすぎでしょう。
なお、「日本のソ連攻撃はない」との情報をゾルゲが伝えたために、ソ連は安心して独ソ戦に専念できたとされますので、ゾルゲが英雄視されるのはむしろ当然でしょう。
ゾルゲ遺骨引き渡し「露の提案ない」と松野長官 - 産経ニュース
松野博一官房長官は27日の記者会見で、先の大戦中に日本の最高機密を旧ソ連へ伝えて摘発されたスパイ、リヒャルト・ゾルゲの遺骨引き渡しを日露が協議しているとのロシア側の報道について「日本政府としていかなる提案も受けていない」と否定した。
ロシアの報道によると、ラブロフ外相が26日、「サハリン州南部、南クリールに埋葬し直す計画がある」と述べ、日本側と協議していると明かした。
【参考:ゾルゲ】
露大使館がゾルゲの墓の使用権取得へ 相続人と承継で合意 | 毎日新聞2020.12.25
「ゾルゲ事件」の首謀者、リヒャルト・ゾルゲ(1895~1944年)の東京都内の墓所の使用権を在日ロシア大使館が譲り受けることになった。ゾルゲの墓を長年守ってきた関係者の相続人との間でこのほど合意した。ゾルゲは第二次大戦で祖国を救った英雄としてロシアで評価され、大使館員や来日した政府要人が墓参をしてきた経緯があり、大使館は「これからもゾルゲにしかるべき敬意を示していきたい」としている。
なお、多磨霊園と言えば他にも
多磨霊園 - Wikipedia
◆浅沼稲次郎
社会党委員長
◆阿南惟幾
鈴木内閣陸軍大臣
◆江戸川乱歩
作家。日本探偵作家クラブ(現・日本推理作家協会)初代会長。
◆大平正芳
元首相。日中国交正常化当時の外相(田中内閣)
◆尾崎秀実
評論家。ゾルゲ事件で死刑判決
◆菊池寛
文藝春秋創業者。作家
◆西園寺公望
元首相。元老
◆斎藤実
226事件で暗殺(暗殺当時、内大臣)
◆高橋是清
226事件で暗殺(暗殺当時、岡田内閣蔵相)
◆徳田球一
日本共産党書記長。中国で客死
◆三島由紀夫
作家。三島事件で自決
◆美濃部亮吉
元都知事
◆向田邦子
脚本家。台湾で航空機事故死
◆渡辺錠太郎
226事件で暗殺(暗殺当時、陸軍教育総監)
などの著名人が埋葬されているとのこと。
リヒャルト・ゾルゲ - Wikipedia
1936年の二・二六事件の際にはドイツ大使館内にいたことが、大使館と戒厳司令部の連絡将校として館内に出入りしていた馬奈木敬信*1によって戦後証言されている。馬奈木は陸軍の「ドイツ通」とされ、やはりドイツへの駐在経験のある山県有光*2、西郷従吾*3、武藤章*4らとともに、ゾルゲから手記で「陸軍省の情報源」として名を挙げられている。
ということで武藤章ら陸軍幹部と深いつながりがあったことが「ゾルゲのスパイ活動のいい隠れ蓑になった」ようです。勿論、それは「ゾルゲの有能性の証明」でもある。
ゾルゲは日本の警察に対してソ連のスパイであることを自白したものの、日ソ中立条約を結んでいたソ連政府は、日本との関係悪化を恐れたこと、ゾルゲの上司だったヤン・ベルジン(ソ連軍情報局長)が大粛清によって1938年に処刑されていたことからゾルゲが自国のスパイであることを否定した。
陸軍次官であった富永恭次*5によれば、日本側はゾルゲと日本人捕虜の交換を何度もソ連大使館に要求しているが、ソ連側はその都度「ゾルゲという人物は知らない」と回答しゾルゲを見捨てたという。
1961年、映画『スパイ・ゾルゲ/真珠湾前夜』が日仏合作で作成され、スターリン批判を行ったフルシチョフ(ソ連共産党第一書記、首相)の判断でモスクワで封切りされたのをきっかけにゾルゲの再評価が始まった。
1964年11月5日に、ゾルゲに「ソ連邦英雄」の称号が贈られた。その後、ソ連の駐日大使が日本へ赴任した際には多磨霊園にあるゾルゲの墓に参るのが慣行となった。ソ連崩壊後もロシア駐日大使がこれを踏襲している。また、プーチン・ロシア大統領は映画『スパイ・ゾルゲ/真珠湾前夜』を少年時代に見てKGBのスパイを志したと語っている。
ということで時代に翻弄されてきたゾルゲです。
*1:歩兵第79連隊長、第25軍参謀副長、ボルネオ守備軍参謀長、第2師団長など歴任(馬奈木敬信 - Wikipedia参照)
*2:元老・山県有朋の孫。侍従武官、第21飛行団長など歴任(山縣有光 - Wikipedia参照)
*3:元老・西郷従道の孫。最終階級は陸軍大佐(西郷従徳 - Wikipedia参照)
*4:参謀本部作戦課長、中支那方面軍参謀副長、北支那方面軍参謀副長、陸軍省軍務局長(調査部長兼務)、近衛師団長、第14方面軍(フィリピン)参謀長など歴任。戦後、戦犯(陸軍省軍務局長として太平洋戦争開戦に関与&第14方面軍参謀長時代のいわゆるマニラ虐殺事件)として死刑判決。後に靖国に合祀(武藤章 - Wikipedia参照)
*5:陸軍省人事局長、陸軍次官、第4航空軍司令官など歴任(富永恭次 - Wikipedia参照)