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8月1日は麻雀の日!核戦争後の世界を生き抜くために藤子・F・不二雄「マイシェルター」を読もう!! - 原子おはじき(藤子不二雄作品関連について語るブログ)2017.8.1
今日8月1日は「麻雀の日」です。
八(は)一(い)で「パイ」(牌)の語呂合せとなっており、全国麻雀業組合総連合会というところが制定した記念日なんだとか。
「藤子不二雄作品と麻雀」といえば、まず思い浮かぶのは藤子不二雄A先生。
(中略)
でも今回はあえて、藤子・F・不二雄作品から麻雀ネタを取り上げます。
あまり麻雀のイメージがない藤本先生ですが、トキワ荘にいた頃はよく住人たちと麻雀を打っていたり、大人向けの異色短編シリーズでは、登場人物たちが麻雀をする描写もよく見かけます。
あの「ドラえもん」でも、パパが「今日はマージャンで遅くなる」なんてセリフがたまに出てきますね。
そして今回、麻雀の話題つながりで紹介したい作品は、藤子・F・不二雄大全集SF異色短編シリーズ第3巻に収録されている「マイシェルター」です。
飲み屋で偶然知り合ったセールスマンから、いずれ来るかもしれない核戦争に備えて核シェルターを買うことを勧められた普通のサラリーマンがこの作品の主人公。
妻と子供2人を守るために核シェルターの購入を考える主人公の男でしたが、他者を見捨てて自分たちだけ助かるのは是か非か?を描いた作品となっています。
で、核戦争後の核シェルターの中で暮らすための練習として、主人公の男は家族4人で同じ部屋の中から一歩も出ずに1日暮らしてみる実験を行うことにしました。
核シェルターに入ったら最後、核戦争で汚染された地上には出れないわけですからね。
人間は部屋から出れないとわかると、途端に退屈が襲ってきます。
1日だけなら我慢できそうですが、核戦争が起きた場合は何十年も同じ閉鎖空間内に居続けないといけません。
閉鎖空間内で何もない「退屈な毎日」が何十年も続いたら、確実に気がおかしくなってしまう。
せっかく「核に汚染された地上」という地獄から逃げ出したのに、シェルター内も地獄になってしまっては意味がない!
退屈を解消するには、日々に刺激を与えるような「娯楽」が必要です。
エネルギー問題も考えた場合、核シェルター内で行う娯楽ならば、電気がない状況でも楽しめるボードゲームなどが望ましいでしょう。
それに仲間はずれはよくないので、家族4人全員が参加できるゲームのほうがいい。
家族4人で楽しめるかつ、毎日が退屈にならない程度で、電気の要らない娯楽といえば・・・・。
そう、麻雀ですよね!
家族4人で楽しめるかつ、毎日が退屈にならない程度で、電気の要らない娯楽といえば麻雀しかないでしょう!
麻雀さえ覚えれば、核戦争後の世界でも立派に生き抜いて行ける!
みんなも麻雀をやろう!
麻雀最高~~!!!!!(この記事おわり)
ネタに走ったレビューになってしまいましたが、「マイシェルター」は今読んでもためになるというか、面白い、考えさせられる話だと思います。
今の世相を反映したような本作のテーマ的にも、読んでみたらいろいろと思うことがあるかもしれません。是非ご一読を。(最後に真面目なレビューを書いてしまいました)
市民SOHO 蒼生舎:藤子・F・不二雄『箱舟はいっぱい』2017.9.18
例えば、「核シェルターが必要だ」と考えている人がいたら、そこに自分が入れると思っているのかを尋ねてみてください。「1億2000万人を収容できるような核シェルターが、現実に造れると思いますか? 」と。財源はどうするの? 場所はどこに造るの? シェルターまで無事に移動できるの? 何年をそこで過ごすの? 食料は? 安全な水は? ストレスの高まる中、密閉空間で何が起きると思いますか…
そうなると、「うむ、これはどうやっても無理だ」と誰もが気づくはずです。 となると、「この核シェルターには全員は入れません」となるのは明らかです。
であれば、次の課題が生じます。 すなわち、「核シェルターに入れる人をどうやって選別するのか」 という課題です。
ここで恰好の参考文献があります。藤子・F・不二雄のSF短編『箱舟はいっぱい』。地球に彗星が激突するという不安が世界を取り巻く中、地球脱出ロケットが開発されたという。ただしそのロケットは定員が決まっており、どうやら隣人がその権利を得たようだ。それまで仲が良かった隣人との亀裂。日本中が、「箱舟に乗れる人」と「乗れない人」に分断されていく…
「核シェルターでも造ったら」という皆さん。あなたはそのシェルターに入れるんですか? そう、「箱舟」ができたそのとき、この国では「選ばれた人」と「選ばれなかった人」の分断が、始まるのです。
「雲の王国」と「マイ・シェルター」と、藤子・F・不二雄が信じた「弱さ」について|ショウタ|note2019年8月15日
ドラえもん公式サイト「ドラえもんチャンネル」の夏休み限定企画「藤子・F・不二雄のヒヤッとするおはなし」内で、SF短編集の「ある日…」が先日無料で公開された。
その公開されたのが8月9日というところに、藤子プロ及び小学館のメッセージを感じ取らずにはいられない。言わずもがな、8月9日とは長崎に「ある日…」がやってきた日だからだ。
藤子・F・不二雄のSF短編を評する際に「不条理」という言葉が使われることがあるが、そういう意味ではこの作品は不条理の極北と言ってもいいだろう。同好の士たちが寄り合って8ミリ映像の上映会を行う模様を描いた牧歌的な話だと思いきや、それが最後の3ページで全てひっくり返るのだ。それぞれが持ち寄った8ミリ映像の内容を事細かに描写することで、最後の大オチが余計に際立つというところもF作品ならではの仕掛けだ。
もう公開期間は過ぎてしまったが、読み損ねた方は買うなり借りるなり、図書館や漫画喫茶に行ってでも読んで頂きたい。
「藤子・F・不二雄は反戦の人である」という事を言っている人がいた。それは正しいようで間違っているようでもある。
個人的な見解を述べれば、藤子・F・不二雄は「反権力・反集団」の人である、と思う。昭和8年生まれ、戦中戦後に思春期を過ごした氏だからこそ、特に権力の暴走や集団の恐ろしさを思い知っているはずだ。
それは地底国で暴君となったジャイアンを懲らしめるのび太だったが、いつの間にか自身が独裁者となる短編「のび太の地底国」や、それに近しいストーリー展開がなされるSF短編「宇宙船製造法」に強く表れている。
では権力を疑い、集団に疑問を抱く藤子・F・不二雄が信じるものはなにか。
それは「人の弱さ」である。
その思想が如実に表れているのがSF短編「マイ・シェルター」だ。
あらすじを簡単に説明すると、主人公である中年サラリーマンがふとしたきっかけで「核シェルター」のセールスマンに出会う。全面核戦争が起こり世界は滅亡、けれどこのシェルターの中なら安心……。そのような謳い文句でシェルターを売りつけようとする。
当然一笑に付す主人公だが、世界が火の海に包まれる悪夢を見るなどし、徐々にシェルターの購入を検討するようになる。
そしてついに来たるべき時が来た。核戦争により地上は地獄と化す。しかし主人公一家はシェルターに避難した事によって一命を取り留めた。
すると外から「開けてくれ……」という、辛くも生き残った人々の声が聞こえる。が、ここで入り口を開ければ放射能によって主人公一家も全滅する。
外の人々は暴徒化し「壊して開けろ!」と声を荒げる。そこで主人公は予め地表に仕掛けられた爆弾のボタンに近づく。このボタンを押せば地上にいる人々は爆弾で吹き飛び、シェルター内に侵入されることもない。
恐る恐る爆弾のボタンに手を伸ばす主人公。そして彼はこう絶叫する。
「押せない!」
ここで目が覚める。これも主人公が見ていた悪夢で、現実に核戦争などは起きていなかった。嫌な夢を見て起きた主人公は「シェルター買うのやめよう、原水爆禁止の署名運動にでも参加しよう」と漏らす。
話のオチとしては、最初に話しかけてきたセールスマンが実は宇宙人で、作為的に主人公に悪夢を見せていたのだ。その際の彼の行動を判断した結果、テストは「合格」。本当に核戦争が起き世界が滅亡した時も、主人公一家は優先して救助しようとなり、宇宙人達は去っていく。
この話のキモは、外部の侵入を防ぐために仕掛けられた爆弾の動作スイッチの前で「押せない!」と叫ぶ主人公の「弱さ」である。
家族を危険から守る行為を躊躇った主人公は、間違いなく「弱い」。この出来事が夢であったから事なきを得たものの、現実にこのような事態が起こったらどうなるか。シェルターの扉はこじ開けられ、主人公及び家族は放射能を全身に浴びていただろう。
しかしこの「弱さ」こそが、藤子・F・不二雄が人間を信じるに値したものなのではないだろうか。
例えば「マイ・シェルター」の主人公が爆弾のスイッチを押していたとしたらどうか。シェルターの安全は保たれ、家族も無事に暮らすことができるだろう。
しかし僕には、そのような場所で躊躇いなくスイッチを押すことのできる人間と、地球上に「ある日…」を訪れさせる人間は、全く同一の人物であるような気がしてならない。