櫻井よしこの時代錯誤に吹き出す、ほか(2023年2月7日記載)

「 少子化対策は未婚化阻止が第一歩だ 」 | 櫻井よしこ オフィシャルサイト

 中国の総人口が前年比で85万人減ったと大きく報道されたのは1月17日だった。
 彼の国には人口が減る理由が大別して3つある。

 俺の考える理由は「日本や欧米と同じで1つ」ですね。「近代化(経済大国化)すると少子化する傾向がある」です。

 岸田文雄首相は異次元の少子化対策を打ち出すと語った。現在の少子化担当相は初入閣の小倉將信氏だ。軽量級閣僚でこんな大課題をこなせるのか。

 とはいえ過去において「重量級の少子化相」なんてどれほどいたのか。過去においても森まさこ(第二次安倍内閣少子化相)、坂本哲志菅内閣少子化相)などは初入閣です。
 あえて言えば

◆「行革相との兼務」「たった1か月の少子化担当相在任(すぐに中川正春少子化担当相に就任)」ではあるものの「野田内閣少子化担当相(それ以前に鳩山、菅内閣外相、民主党幹事長(菅代表時代)を歴任)」の岡田克也
◆小倉氏の前任である野田聖子・岸田内閣少子化相(元自民党総務会長)

か?(内閣府特命担当大臣(少子化対策担当) - Wikipedia参照)。
 なお、安倍も一応建前では「新アベノミクス三本の矢」の一つに「少子化対策」を上げてはいました。

 中京大学現代社会学部教授の松田茂樹*1少子化の最大要因は未婚化だとして、問題解決には雇用環境の大幅改善が必要だと指摘する。若者たちに結婚できるだけの収入をもたらす社会を創らなければならないということだ。

 珍しく「トンデモ右翼」櫻井がまともなこと(赤字部分)を言っています。青字部分が正しいかどうかはともかく「低賃金が未婚化を助長」「未婚化が少子化を助長」は事実でしょう。まあ「少子化」に関係なく「若者の低賃金」は是正されるべきですが。
 しかしそれは裏返せば「櫻井絶賛の(櫻井にとって)偉大な安倍首相」を含む「歴代自民党政権」が「そもそもやる気が無かった」のか、「やる気はあったが能力が無かった」のかはともかく「若者を低賃金に押し込めてきた」と言う話です。
 というか、青字部分の指摘は

赤旗主張/低下する出生率/フリーター増加が少子化促進2005.6.5(当時は小泉内閣
 結婚・出産を“先送り”している要因はさまざまでしょうが、一つが若者の雇用の悪化です。
 内閣府少子化社会白書は、正社員に比べ、年収が約三分の一にすぎないフリーターの増大が、「男女ともに、結婚に対してマイナスへ作用している」とのべています。
 「晩婚化・晩産化」が進んでいるから“少子化やむなし”とはいえません。

赤旗出生率1.34 低迷続く/少子化白書 “理由は晩婚”(坂井希)2009.4.18(当時は麻生内閣
 白書は、出生率低下の主な理由として、「晩婚化と晩産化」を挙げています。
解説
若者が自立できる対策を
 なぜ、未婚化や晩婚化が進行しているのかについて、白書は踏み込んだ分析はしていません。しかし、コラムで「都内の二十五―三十四歳の未婚男性の約八割が年収四百万円以下」とのデータを紹介するなど、若い世代の経済的自立が困難な社会状況が背景にあることを、におわせています。
 若者が経済的に自立できず、将来を見通せない状況を放置していては、少子化傾向に歯止めをかけられないというのは、多くの国民の実感です。
 しかも、現在の経済危機のもと、若い世代は「派遣切り」や内定取り消し、就職状況の急速な悪化など、ますます深刻な事態に直面しています。白書はこの現状についての一定の認識は示していますが、政府が打ち出している対策はまったく不十分です。
 若者の現在と将来への不安に心を寄せた対策を早急に行わない限り、国の未来はないことを、政府は改めて肝に銘じるべきです。

でわかるように「17年以上も前(小泉政権時代)」からされており「何を今更」「今更、よしこ、若者の低賃金が問題だと言わないでー(今さらジロー - Wikipedia風に)」です。


「 楠木正成を討ち死にさせた政軍関係 」 | 櫻井よしこ オフィシャルサイト

 大東亜戦争に関連して言えば、わが国の真珠湾攻撃は戦術だった。それは見事に成功した。しかし、戦略としては間違っていた。なぜなら、当の山本五十六*2海軍大将自身が日米開戦に最後まで反対したように、日本は米国を敵に回すべきではなかったからだ。

 ならば「ハルノート(日本軍の中国からの撤退を要求)を受諾して蒋介石政権転覆を諦めるべきだったのか」について明言できない点が所詮はウヨの桜井です。
 「対米開戦が愚か」と言うなら必然的に「ハルノートを受諾して蒋介石政権転覆を諦めるべきだった」と言うことになると思うのですが。

 日本にも政軍関係について心すべき事例がある。歴史上の人物としては有名だが、現在は余り知られていない政軍関係の誤ちを示すのが後醍醐天皇楠木正成の事例だろう。
 正成は鎌倉幕府と対立する後醍醐天皇のために全力で戦った。鎌倉幕府は倒れ、やがて足利尊氏の軍と戦うことになる。そのとき、正成は小さな軍勢で大軍の足利勢に勝利するには、彼らを京の都に引き込んでゲリラ戦を展開し、兵糧攻めにした後、京を奪還するしかないと心に定める。しかし京の町の荒廃を恐れる公家たちがこれに反対した。後醍醐天皇はその反対の声に耳を傾けて、正成に京から離れて湊川(兵庫)で敵を迎え撃てと命ずる。
 正成は戦いの達人だった。それまでの戦いでは誰も思いつかないような攻め方で、大軍を破ってきた。その軍人の知恵を頭から否定した公家たちも天皇も軍事のことは殆ど理解できない人々だ。無知な指導者の指示に従えば、敗北しかない。それでも正成は君命に従った。

 よりによって「政軍関係」で持ち出す話が「太平洋戦争(政:首相、軍:軍部)」「軍部の暴走を招いたとされる統帥権独立」等ならまだしも「南北朝動乱(政:後醍醐、軍:正成)」とは時代錯誤すぎて吹き出しました。
 なお、問題は「正成の戦術」ではないでしょう。
 そういう「小さな話」ではなく「武士の大多数が尊氏の側についてしまったこと(武士の大多数が後醍醐に不満があったこと)」自体が問題であり、「そういう状況」において尊氏相手に軍事力で圧倒する力など、朝廷側にはなかった(そして、武士の不満を解消し、尊氏側から寝返らせ、尊氏を少数派に追い込む政治力、外交力も無かった)という話です。
 仮に正成の提案に従い「ゲリラ戦」を仕掛け勝利したところで、それは「武士の大多数が尊氏の側についてしまったこと」をどうにかできる話ではない。「真珠湾攻撃で勝利」したところで大国米国に結局、日本が負けたのと同じ末路(南朝の政治的、軍事的敗北)しかなかったでしょう。その中で正成も「戦死」するしかなかったでしょう。
 鎌倉幕府が滅びたのも「正成の奮闘が貢献した」とはいえ基本的には「足利尊氏新田義貞など、武士の大多数が後醍醐の側についてしまったこと(武士の大多数が鎌倉幕府に不満があったこと)」が理由です。武士が鎌倉幕府に不満がないなら正成がどんなに頑張ろうと「承久の乱後鳥羽上皇」のように後醍醐は敗北し、鎌倉幕府は存続したでしょう。

*1:著書『何が育児を支えるのか』(2008年、勁草書房)、『少子化論』(2013年、勁草書房)、『続・少子化論』(2021年、学文社

*2:海軍航空本部長、海軍次官連合艦隊司令長官など歴任