先週の週刊漫画ゴラク(2023年7/2記載)

 読まないと理解できない感想が多いですがご容赦ください。読んだ本 - 情報中毒者、あるいは活字中毒者、もしくは物語中毒者の弁明へのコメントの形で書いていきます。

 亀戸のスナック「小鉢バーひかり」と、ラーメン「ごっつ」。酒飲んだ後に(ボーガス注:背脂たっぷり)ギトギトラーメンまで行けるのは胃が強くないと無理よね。>一級建築士矩子(かなこ)の設計思考@鬼ノ仁

 こういうのは「完全な創作」の場合もありますが、この二つの店は実在のようですね(マンガにおいて脚色があるにしても)。しかし小生も年なので「酒の締めのラーメン(特に油こってりラーメン)」はもはや無理ですね(そもそも健康にも良くないが)。
 なお、亀戸と言えば、小生は有名な『亀戸餃子本店』(餃子と酒類(ビール、日本酒、老酒等)しか出てこない点に注意、例えば着席したら自動的に餃子が出てくる! 餃子しかない“純”餃子店『亀戸餃子 本店』で絶品すぎる餃子を食べてきた – 食楽web参照)に行った事はあります。

 (ボーガス注:ピエロマンが拉致した、主人公の)娘に(ボーガス注:ピエロマスクを取って)明かす正体は。>ピエロマン@本田真吾×高橋伸輔。

 「娘に正体(というかピエロマスクの下の素顔)を明かす」場面での娘の表情が「え、あんたなの?」といった代物なので「知り合い」みたいですが、そうなると「人物が限られる」上に「犯行動機」が「?」ですね。それにしても「犯人の犯行動機、正体が謎」で「まるで落ちが読めない」のですが、果たしてきれいに落ちをつけて終わらせることができるのか。

 冗談と本気の境目が分かりづらいのは、芹沢にも問題があるのだが。>粛清新選組@荒木俊明×和夏弘雨。

 勿論実在の事件ではなくフィクションです。
 仮に芹沢が本気だとしても
1)芹沢は「どんな汚い手段を使ってもあの女を俺の妾にしろ」とは言ってない上に 
2)芹沢に差し出す前に「俺が味見をする」と強姦し、自害に追いやってること
を考えれば「犯人(小物だが芹沢派)の自業自得」の気がします。
 そもそも犯人も「犯行がばれた場合」の粛清を恐れてか、芹沢と対立する「近藤、土方派」は勿論、芹沢にも自らの犯行を報告してないのに、犯行を近藤派の監察方・山﨑丞*1に追及され「武士らしく切腹するか、見苦しく抵抗して我ら監察方に斬られるか、どちらか選べ(要するにどっちにしろ粛清(死)を免れない)」と迫られてから、慌てて「芹沢さんの願望を叶えただけ」と強弁し、芹沢の擁護を求めても「そこまでやれとは一言も言ってない」「俺に責任転嫁するな」と「むしろ激怒した芹沢」に即座に斬殺されるのは当然と言うべきでしょう。

*1:1833~1868年。大坂の商人の事情に通じており、山﨑の仲介により幹部が隊の資金調達をしていた事から、新選組の中では重宝されていた。香取流棒術にすぐれていたとされる。元治元年(1864年)6月の池田屋事件の時は、諸士調役兼監察として尊攘過激派・古高俊太郎を摘発している。その結果、新選組尊攘派の御所焼き討ち、天皇長州連れ去りの計画を未然に防ぐ事に成功した。しかし、この武功に対して、各隊士たちが報酬を受けているにもかかわらず、報酬受領者の中に山﨑の名前が書かれていないため、子母沢寛の創作との説もある(ただし、報酬を受けている島田魁(1828~1900年)の日記には探索したメンバーに山﨑の名前が入っている)。慶応4年(1868年)1月の鳥羽・伏見の戦いの最中に重傷を負う。1月13日の江戸へ撤退の際、富士山丸の船上において傷がもとで死亡し、紀州沖で水葬されたとされている。ただ、船に同乗していた永倉新八(1839~1915年)や島田が残した手記では、船上での山﨑の死に関しては一切触れられていない。一説には、山﨑は鳥羽・伏見の戦いで死亡し、陸上で埋葬されたとも言われ、最期については不明な点も多い(山崎丞 - Wikipedia参照)。