今週の週刊漫画ゴラク(2023年12/2記載)(追記あり)

 読まないと理解できない感想が多いですがご容赦ください。読んだ本 - 情報中毒者、あるいは活字中毒者、もしくは物語中毒者の弁明の感想の形で書いています。
鶯谷デッドゾーン@井深みつ×三日閉両。
 当初は鶯谷でデリバリーヘルスを営業する店長の話で「風俗関係の話が展開されるのか」と思っていたところ、
1)店長が鶯谷での暴力団抗争に巻き込まれるわ
2)店長の暗い過去が明かされるわ
で風俗関係の話は全く展開されず「どう落とすのだろう」感が。
 さて「店長の過去」ですが
ア)店長は元自衛隊員。「彼の妹」の婚約者も自衛隊員だが、ある日、婚約者が頸動脈を切り裂かれた*1状態の変死体で発見される。
 現場には「天誅」と言う「謎の文字」が書き残され、現場から頸動脈切断に使われた凶器が見つからなかった*2こと、自殺の動機が不明なことから、殺人(許嫁の死=天誅)の疑いも濃厚だったが、何故か自殺で自衛隊は処理。
 「妹の婚約者の死」を他殺と確信する店長はまともな捜査がされず自殺扱いされたことから「殺害は自衛隊内部の複数の人間による組織的犯行」で「捜査の早期打ち切り」も「内部にいる殺害犯人の圧力」と疑う。
イ)また婚約者の死の直後、妹が謎の失踪。妹を探し出すとともに真犯人を見つけることを決意した店長は自衛隊を退職
ウ)妹について「鶯谷のデリヘル嬢で似た人間を見た」という情報を得た店長は、自ら「鶯谷にデリヘル店を開業」と言う代物。
【2023.12.9追記】
 店長も「いわくがある」ところ、デリヘル嬢の一人にも「店長とは別」のいわくがあるらしいことが判明。
 元婚約者(元婚約者に愛想づかしし、デリヘル嬢から婚約破棄?)に呼び出されたあげく、待ち構えていた謎の人物たち(その言動から公安警察らしいことが示唆される)に拉致されるデリヘル嬢。あげく元婚約者は口封じに殺される。謎は深まるばかりですが果たしてどう落とすのか。そして「店長の曰く」と「デリヘル嬢の曰く」は全く別の曰くなのか、はたまた「最終的にはつながりがある(妹の失踪等、店長周辺の出来事にはデリヘル嬢や「彼女を拉致した面子」も実は関係がある)」のか?

 家豆腐鍋。以前にも似たような話があった>酒のほそ道@ラズウェル細木

 豆腐鍋と言っても今回は「湯豆腐」を「ポン酢」「生姜醤油」「おかか醤油」等で食べるシンプルなもので「終わり」ではない。
 最初は「そういうシンプルなもの」ですが、それではヘルシーすぎておなかに溜まらないし味に飽きてしまうと言うことで途中から「追加の豆腐投入と共にソーセージ、トマトジュースなどを入れトマト鍋(食べるときに粉チーズを振る)」→「(トマト鍋が食べ終わった時点で)追加の豆腐投入と共に豆板醤、冷凍餃子などを入れ火鍋風中華鍋」で最後はインスタント麺を入れて「麻婆麺風ラーメン」。
 トマト鍋の時点で豆腐は主役でないし、どう見てもかなりのボリュームでヘルシーではない。

(ボーガス注:漫画的設定とは言え、お互いが性交渉経験が少なく奥手とは言え同居する夫婦が性的交渉を)1年近く何もしてないのは流石に生物としてどうか>夫婦はじめました。@でも。

 飲み会で、しつこく性交渉について先輩社員に聞かれ*3「恥ずかしながら(相手の反応が)怖くて結婚して1年も経つのに一度もやってない」と渋々回答し、「結婚前」「結婚直後」ならともかく「何だそれは」と笑いものにされたあげく「性交渉がないこと」に不満を感じる妻が「離婚」「浮気」などに向かうのではないかと脅され不安になる「主人公の夫」。
 ついに今回「性交渉が始まりそうな流れ」ですが、どうなるか。
【1/12追記】

読んだ本 - 情報中毒者、あるいは活字中毒者、もしくは物語中毒者の弁明
 引っ張るなあ。まあ、ヤってしまえば終わりってのもあるからな。>夫婦はじめました。@でも。

 性交渉に入る前に、職場の飲み会で飲めない酒をつきあいで飲まされたあげく、「性交渉に入る緊張」のあまり、性交渉に入る前に「トイレで戻してしまう夫」。
 情けないと号泣する彼に「また明日以降でいいじゃないですか」と慰める妻。
 なお、「(性交渉を)ヤってしまえば終わり」になる可能性は当然ありますが「必ずしもそうではない」でしょう。続けようと思えば「子作りへの努力話に移行(妊娠してからは子育ての努力話に移行)」などいくらでも移行は可能でしょう。

 過去に積み上げたものが全部パアってのはやはりなあ。自分にやれることは何かを探るしかないのかもだが。>レトロの片隅で@昌原光一。

 今週の週刊漫画ゴラク(2023年11/3記載) - bogus-simotukareのブログでも書きましたが、今回の過去に積み上げたものが全部パアはマンガのアシスタント(漫画家が引退表明(廃業)したことで、自らも廃業し、ちょうど店員募集していたレトログッズ屋に就職)。
 なお過去に積み上げたものが全部パアで小生がすぐに思いつくのは例えば、「プロ野球選手引退後、うどん屋を始めた元巨人の條辺」ですね。

 小田原提灯弁当。過去の復刻版なのか。>駅弁時間@六月柿光。

 これについては以下を紹介しておきます。小生も無知なので「小田原提灯」については今回初めて知りました。
 小田原と言えば、小生的には「鈴廣のかまぼこ」ですね。

懐かしの小田原名物駅弁が装いも新たに登場!:小田原「小田原提灯弁当」(1300円) - ねとらぼ
 小田原駅弁・東華軒の新作「小田原提灯弁当」(1300円)
 新作とは言え、駅弁好きなら「お帰りなさい」という感じ。小田原駅ではかつても「ちょうちん弁当」が販売されていて名物駅弁の1つでした。東華軒によると、社内でも地元名物の小田原提灯をモチーフとした弁当を復活させたいという声が前からあり、今年(2021年)5月の限定販売を経て、今回のレギュラー化にこぎつけたそうです。
(上段)
・金目鯛西京焼き
・海老の天ぷら
・鶏そぼろ
・切り干し大根
・煮物(椎茸、花人参・ふき・こんにゃく)
・わさび漬け
(下段)
・茶飯 鯛おぼろ
・あさり漬け
・梅干し

【参考:東華軒

東華軒 - Wikipedia
 神奈川県小田原市小田原駅静岡県熱海市熱海駅を中心として神奈川県西湘・湘南地方及び静岡県伊豆北部に直営売店を出店し、相模湾・湘南地方産の食材を使用した駅弁の販売等を行っている。
【沿革】
1888年明治21年)7月1日
 足柄下郡国府津村(現:小田原市)で旅館を営んでいた飯沼ヒデが東海道本線国府津駅構内で竹の皮に包んだ握り飯を販売。これが東海道本線最初の駅弁とされる。
【主な商品】
・特選小鯵押寿司
 1903年明治36年)から発売。相模湾近海で水揚げされた小鯵を関西風の押し寿司にしている。東海道を代表する名物駅弁。
・鯛めし
 1907年(明治40年)から発売。相模湾の鯛をおぼろにしてご飯の上にまぶしたもの。
・デラックスこゆるぎ
 小田原名産の梅を漬ける樽を模した曲物に茶飯、鳥そぼろ、数々のおかず(鮭の塩焼き、エビの天ぷら、鶏の照り焼き等)が盛り込まれている。
・シュウマイ弁当
 シュウマイの他に鳥そぼろ、厚焼き卵、キャラしぐれ等が盛り込まれている。

【共産党大会ルポ】「左側通行」が「右側」へ 現実路線への変化か? 党章バッジや不破本には根強い人気も、参加者は白髪交じり多数(3/6ページ) - 産経ニュース2017.1.19
 共産党にとって、党大会は党最大のお祭りだ。大会初日には、全参加者に恒例の赤飯入り弁当が配られる。小田原市で駅弁などを手がける「東華軒」製で、弁当箱には「祝・第27回共産党大会」と書かれたのし紙があった。この日だけで1220個の赤飯弁当を用意したという。

 党大会は確か熱海でしたね。熱海を代表する弁当屋として共産党とは長い付き合いなのでしょう(別に政治的に支持してるわけでもないでしょう)。

【参考:小田原提灯

小田原提灯 - Wikipedia
 東海道の宿場町であった小田原で、旅人が携帯するのに便利なようにと、同地在住の職人・甚左衛門が、畳んだ時に胴の部分が蓋に収まるように作ったのが最初といわれる。このような小田原発祥の提灯であるが、2015年5月時点で小田原市内には提灯屋は山崎提灯店と飯沼提灯店(飯沼商店)の2店舗しかない。収入を得られるほどの十分な需要がないので後継者は難しいことを職人が語っており、前途が危ぶまれている。
【逸話】
・毎年7月の第4土曜・日曜に『小田原ちょうちん夏まつり』を行っている。
・2003年に小田原駅の改札口付近に巨大な小田原提灯が市民団体により設置された。
・童謡『お猿のかごや』(山上武夫(1917~1987年)作詞、海沼實*4(1909~1971年)作曲)の歌詞には「日暮れの山道、細い道、小田原提灯ぶら下げて」と小田原提灯が登場する。このため、小田原市観光課では、この歌を市の観光宣伝に用いている。
 また、小田原駅では、2014年11月1日から、発車メロディとして『お猿のかごや』が採用されている。これは小田原箱根商工会議所や小田原市観光協会JR東日本横浜支社への要望が実現したものである。

*1:そもそも自分でやるのでどうしても躊躇い傷ができやすい自殺と、そうではない他殺では頸部の傷跡も恐らく大分違うのではないか。

*2:当然ながら自殺者本人や遺体の第一発見者が凶器を隠す必要は何処にもないわけです。

*3:完全にセクハラですね

*4:1933年に児童合唱団「音羽ゆりかご会」を創設し、川田正子(1934~2006年)、孝子(1936~2021年)、美智子(1944年生まれ)の川田三姉妹をはじめとする数多くの童謡歌手を育てた。1938年に「お猿のかごや」で初めてのヒットを記録。その後も「ちんから峠」(1939年)、「みかんの花咲く丘」(1946年)、「里の秋」(1948年)等の童謡を発表(海沼實 - Wikipedia参照)