新刊紹介:「歴史評論」2月号

★特集:歴史科学協議会第創立50周年記念シンポジウム『天皇制・君主制をめぐる現代歴史学の諸課題』
・詳しくは歴史科学協議会のホームページ(http://www.maroon.dti.ne.jp/rekikakyo/)をご覧ください。小生なりに紹介できる内容のみ紹介します。
■「平成の終焉」と象徴天皇制(瀬畑源*1)   
(内容紹介)
 ネット上の記事紹介で代替。

http://article9.jp/wordpress/?p=9433
■澤藤統一郎の憲法日記『「平成の天皇制とは何かー制度と個人のはざまで」を読む。』
 河西*2天皇明仁)の意識を「社会の中心からこぼれ落ちる人たちをいかに救うか」にあると言う。
 しかし、天皇の行為としての「救う」とは事態を解決することではない。格差や差別を生み出す構造にメスを入れることでもない。むしろ、客観的な役割としては、その反対に社会の矛盾を糊塗し、何の解決策もないままに諦めさせること。しかも、心理的な不満を解消して、共同体に取り込み、こぼれ落ちた民衆の不満が社会や政治への抵抗運動に結びつかないようにする、「避雷針効果」が天皇の役割なのだろう。
 このような天皇の機能や役割は、天皇を権威として認める民衆の意識なくしてはあり得ない。そして、このような民衆の意識は、意図的に刷り込まれ植えつけられたもので、所与のものとして存在したわけではない。この書の中で、森暢平*3が皇太子時代の明仁伊勢湾台風被災者慰問のエピソードを紹介している。
 「ご成婚」から間もない皇太子時代の明仁は、1959年10月伊勢湾台風の被災地を慰問に訪れている。当時25歳。4月に結婚した皇太子妃美智子は妊娠中で単身での訪問だった。伊勢湾台風は59年9月26日に東海地方を襲い、暴風雨と高潮で愛知、岐阜、三重3県に甚大な被害をもたらし、死亡・行方不明は5千人、100万人以上が被災の規模におよんだ。
 中部日本新聞(のちの中日新聞)の宮岸栄次社会部長は、多くの被災者は「(ボーガス注:皇太子の慰問について)むしろ無関心でさえあった」と書いた。「いま見舞っていただいても、なんのプラスもない。被災者にとっては、救援が唯一のたのみなのだ。マッチ一箱、乾パン一袋こそが必要なのだ、という血の叫びであった」とまで断じている。皇太子の警護に人が取られ、「かえって逆効果」という新聞投書(45歳男性、「読売」1959年10月3日)もあったという。
 この皇太子の慰問には、事前の地元への問い合わせがあった。これに対して、「災害救助法発動下の非常事態であるため、皇太子の視察、地元はお見舞いなどとうてい受け入れられる態勢ではなかった」「さきに天皇ご名代として来名(名古屋来訪)される話があったときも、すでにおことわりするハラであったし、十分な準備や警備は、むろんできないばかりか、そのためにさく人手が惜しいほどだったのだ」との対応だったが、それでも宮内庁側は「重ねて来名の意向を告げてきた」という。伊勢湾台風被災地訪問は、皇太子明仁の強い意欲もあったとされるが、成功していない。
 私は、このときの水害被災者の受け止め方を真っ当なものと思う。深刻な苦悩を背負っている被訪問者が、天皇や皇太子に対して、「あなたは、いったい何をしに来たのか? あなたが私のために何ができるというのか?」と反問するのは至極当然のことではないか。
 あれから60年。人心が変化したのだろうか。それとも、宮内庁とメディアによる「情け深い皇室」の演出が巧みになってきたのだろうか。

http://nearfuture8.blog45.fc2.com/blog-entry-1712.html
■河西秀哉 編『戦後史のなかの象徴天皇制
 裕仁は戦後もずっと君主きどりだつた。
 「オザワ」と呼び捨てにされたと、小沢一郎*4の回想録にもしるされる。
(中略)
 芦田均*5は、時代錯誤の「内奏・御下問」を廃そうとしたが、つよいもとめに応じ参内、冷戦でアメリカの肩をもてと説教される。
(中略)
 1971年のヨーロッパ訪問は悲惨だった。
 デンマークでビラを、ベルギーで卵を、大好きなイギリスでコートを投げつけられた。
 植樹した苗木は引っこ抜かれた。
 オランダではついに群衆の怒りが爆発、沿道にプラカードたちならぶなか、暴徒にぶつけられた瓶で車窓にヒビがはいつた。
 ヒトラーの友人が歓迎されると期待してたなら、「KY」とは裕仁のためにあることばだ。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51863
■現代ビジネス『なぜ日本人はこれほどまでに天皇を「尊敬」しているのか:昭和は「無感情」が一番多かったが…』河西秀哉
 昨年8月の明仁天皇による「おことば」の発表以来、天皇制に関する関心は以前にも増して高まっている。とはいえ、天皇制が存在感を高めてきたのは、この10数年の一貫した傾向であると思われる。
 それはNHKが5年ごとに行っている「日本人の意識」調査から、知ることができる。この調査は同じ質問、同じ方法で世論調査を行っており、まさに「日本人の意識」を定点観測的に理解できるデータである。
 1970〜80年代、天皇制は「地盤沈下」の時期を迎えていた(渡辺治*6『戦後政治史の中の天皇制』青木書店、1990年)。日本社会は「政治の季節」から「経済の季節」へと転換しており、企業を中心とした社会が成立し、それに基づく経済問題が社会の中心的な関心にあった。
 そうした状況のなかでは、天皇制の存在価値も低く、注目度もそれほど高くはなかったのである。
 1950〜60年代は明仁皇太子や美智子皇太子妃の個人的人気(例えば、ミッチー・ブーム)などに支えられ、マスメディアでも多数の報道がなされたために人々の天皇制への関心は高かった。
 しかし、それは長くは続かず「飽き」が生じ、天皇制は急速に人々の関心を失っていくのである(河西秀哉『明仁天皇と戦後日本』洋泉社新書、2016年)。
 しかもこの時期、天皇の地位を「象徴」から「元首」にしようとする自由民主党憲法改正の動きも、基本的にはなくなって象徴天皇制は定着する。こうして、政治上の中心的な関心からも天皇制はこぼれ落ちることとなった。
 だからこそ、この時期の「日本人の意識」調査では「無感情」が最も多かったのである。人々は天皇制よりも、経済や消費などの活動に傾注していく。
 この時期の調査で「無感情」に次いで「尊敬」が多いのは、象徴天皇制への意識というだけではなく、昭和天皇個人への人々の感情とも見ることができる。70〜80代となった天皇は即位から50年ほどを経、その存在感が人々に認識されていたのではないか。
 また昭和の時期も調査を経るにしたがって、次第に「尊敬」が減少している(33%→28%)。戦前から戦中の間に教育を受けた世代が次第に減少し、「象徴」としての天皇しか知らない若い世代が増加したことがその要因かと思われる。
 そしてこうした層が「無感情」と答えたのではないだろうか。
 ところが平成に入ると、この数値に変化があらわれる。
 平成も5年が経過した1993年の調査では、「好感」が急に43%と数値を伸ばし、「無感情」が34%とそれまでよりも減少したため、人々の天皇に対する感情で最も多いのは「好感」になり、その順位が逆転したのである。
 これは、1989年の天皇即位にあたって天皇が「国民とともに」という文言の入った「お言葉」を口語体の「です・ます」調で発表し、それが人々に語りかけるような態度で、時代は変わったと受けとめられて新しい天皇制を予感させたからであろう。
 マスメディアはこれを大きく取りあげていく。また、明仁天皇美智子皇后は即位後、積極的に全国を旅して人々と接触していった。
 昭和末期は、昭和天皇の体調の関係もあり、こうした活動は控えられていたことから、平成の皇室の動向に対して報道も過熱化し、それが人々に受容されていったのであろう。
 これは「開かれた皇室」とも呼ばれ、新しい天皇制のあり方として好意的に報道されていった。それゆえ、「無感情」が減って「好感」が増えたのである。
 一方、「尊敬」は21%と昭和の時から減少している。(ボーガス注:元国家元首として?)カリスマ的権威を身につけていた昭和天皇とは異なり、明仁天皇にはそうした権威が感じられないために「尊敬」は減少したが、「開かれた皇室」への人々からの好感が高かったために「好感」が増えたと思われる(吉田裕*7『現代歴史学軍事史研究』校倉書房、2012年に収録)。平成は身近な天皇制だと人々に実感されていたのである。
 この調査、1998年には「無感情」が44%「好感」が35%と、再びその順位が逆転した。おそらく、即位後の報道が落ち着きを見せたことがその要因であった。
 その次の調査からは、「無感情」と「好感」が1回ごとに逆転する結果となっている。とはいえ、「好感」が昭和の時の約20%よりも、34〜43%と数値が高いことが平成の特徴である。やはり、平成は「開かれた皇室」として、人々には身近な存在として「好感」される天皇制と認識されていた。
 ところが、「日本人の意識」調査は近年、そうした傾向から変化してきた。
 昭和の時代から平成の最初には減少傾向であった「尊敬」が、2003年の調査くらいからじわじわと上がり始めた。
 1999年には北海道南西沖地震の被災地、2001年には阪神・淡路大震災被災地の復興状況を視察するなど、被災地を気にかける天皇の印象が強くなってきたからだろうか。
 2013年には「尊敬」が34%になって、最も多い「好感」の35%に迫る勢いを見せたのである。
 2013年の「尊敬」の数値は、調査以来最も高い数字であり、昭和の時よりも現在の方が天皇のことを「尊敬」と感じる人々が増えているのである。また、昭和の時代には40%台後半もあった「無感情」が28%に減少していることも重要であろう。
 おそらく、これまで「無感情」であった人が、「尊敬」もしくは「好感」に流れているのである。
 なぜこのような数値に変化したのだろうか。
 これは2011年の東日本大震災後の明仁天皇美智子皇后の行動や思想が影響しているように思われる。
 大震災後、天皇はすぐに被災者へのメッセージを発したほか、皇后とともに被災者へのお見舞いのためにいち早く被災地へ赴き、その後もそれを繰り返している。それまでの地震災害以上に熱心であり、その様子がメディアを通じて伝えられたからだろう。
 そこで展開される光景は、体育館の床に座っている被災者に対して、床に膝をついて同じ目線で話を聞く天皇・皇后の姿である。80歳を越えた天皇・皇后のそのような取り組みは、マスメディアを通じてさかんに人々へ伝えられた。
 近世天皇制を研究している藤田覚*8は、そうした天皇・皇后の光景を「私には、どこか『ありがたい』というようなやわらかな雰囲気に見えた。天皇・皇后は、困難や苦難のなかにいる人びとを『慰撫』する力をもっている、といえるのではないかと思った」と記している(「天皇 変わるものと変わらないもの」『思想』第1049号、2011年)。
 こうした「ありがたい」という感情が、「日本人の意識」調査の「尊敬」へとつながったのではないか。
(中略)
 とはいえ、これを単純に昭和の時代に回帰したと見るのは早計であろう。
 前述したように、昭和の時代の調査で「尊敬」と答えたのは、戦前から戦中の間に教育を受けた世代である。その世代は、昭和天皇に対する強烈な印象、天皇制に対する意識を持っていた。
 今回の「尊敬」はこれを同じであろうか。そうではない。
 現在の天皇・皇后の振る舞いに対し、「どこか『ありがたい』」と述べた藤田の言葉が象徴的であるが、まさに「どこか」そう感じる、というのが現在の感情である。その意味では、共感に近い「尊敬」なのかもしれない。

 この現代ビジネスの河西論文は内容的には
■新刊紹介:「歴史評論」8月号(その1:特集「日本の敗戦から70年」)
http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20150720/5210275409
で紹介した
■「戦後社会と象徴天皇制明仁天皇美智子皇后に焦点をあてて」(河西秀哉)
と内容的にかぶるので本来
■新刊紹介:「歴史評論」8月号(その1:特集「日本の敗戦から70年」)
http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20150720/5210275409
で紹介すべきですが、当時はその存在に気づかなかった上、今となってはちょっと分量的に書き込めそうにないのでこちらに書いておきます。


小特集『吉見裁判運動を振り返って』
■吉見*9裁判とは何か(加藤圭木*10
■歴史科学運動としての吉見裁判(高田雅士)
■「他者化」しない姿を模索する:日本軍「慰安婦」問題解決運動と吉見裁判(永山聡子)
(内容紹介)
 うまく要約できないので、いくつか指摘しておく。
1)詭弁で桜内の名誉毀損行為を免罪した最高裁は「桜内と同様の歴史認識を持つ極右首相・安倍晋三」に忖度したと言っていいであろう。安倍から裁判所に対しはっきりとした恫喝があったのかどうかはともかく、裁判所は自らの権威をドブに捨てたと言っても過言ではあるまい。
 なお、裁判所は詭弁で「桜内は名誉毀損行為をしてない」としたもののそれは「河野談話否定論が正しい」だの「吉見氏の研究成果が間違っている」だのという意味ではないことに注意が必要だろう。この意味で桜内らウヨが「裁判で河野談話や吉見氏の間違いが認められた」とするのはデマも甚だしい。
2)各論文が吉見氏を誹謗した維新の桜内や、「詭弁で桜内の名誉毀損行為を免罪した裁判所」、植村隆氏を誹謗した産経などを批判しているのは当然だが、一方で「桜内らと違い一見、中立的装いをしているからか」、朴裕河『帝国の慰安婦』(2014年、朝日新聞出版)がいわゆる「左派やリベラル派と見なされてきた人間*11」からすらあまり批判されていないこと、それどころか時に評価すらされていること*12を「誤った認識」「慰安婦制度の免罪という意味では朴と極右に違いは無い」として厳しく批判している。
 朴に対する批判として例えば鄭栄桓*13『忘却のための「和解」:『帝国の慰安婦』と日本の責任』(2016年、世織書房)があげられている。
3)吉見訴訟での不当判決など、日本国内での状況は深刻であるが、一方で「それでも日本国内において吉見訴訟を支援するなどの動きがあること」、サンフランシスコ市の慰安婦記念碑など国際的にはむしろ日本批判の動きが強まっているとみられることは一つの希望であろう。

【ネット上の朴裕河批判:今後増える可能性あり】
■誰かの妄想・はてなブログ版『朴裕河「帝国の慰安婦」関連の記事』
http://scopedog.hatenablog.com/entry/20151129/1448812588
 id:scopedog氏のこのエントリで紹介されてる記事は以下で小生が紹介する記事とかなりダブりますがその点はご容赦ください。


日朝国交「正常化」と植民地支配責任(鄭栄桓)
朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について
http://kscykscy.exblog.jp/22813455/
朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について(2)
http://kscykscy.exblog.jp/23946973/
朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について(3)
http://kscykscy.exblog.jp/23960512/
朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について(4)
http://kscykscy.exblog.jp/23976255/
朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について(5)
http://kscykscy.exblog.jp/23984796/
朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について(6)
http://kscykscy.exblog.jp/24019015/
朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について(7)
http://kscykscy.exblog.jp/24177389/
朴裕河氏の「反論」について
http://kscykscy.exblog.jp/24309230/
朴裕河の「反論」を検証する――再論・『帝国の慰安婦』の「方法」について(1)
http://kscykscy.exblog.jp/24899547/
朴裕河の「反論」を検証する――再論・『帝国の慰安婦』の「方法」について(2)
http://kscykscy.exblog.jp/24906085/
朴裕河の「反論」を検証する――再論・『帝国の慰安婦』の「方法」について(3)
http://kscykscy.exblog.jp/24909033/
朴裕河の「反論」を検証する――再論・『帝国の慰安婦』の「方法」について(4)
http://kscykscy.exblog.jp/24934155/
朴裕河の「反論」を検証する――再論・『帝国の慰安婦』の「方法」について(5)
http://kscykscy.exblog.jp/24971155/
朴裕河の「反論」を検証する――再論・『帝国の慰安婦』の「方法」について(6・終)
http://kscykscy.exblog.jp/24971493/
朴裕河『帝国の慰安婦』の「第27回アジア・太平洋賞」特別賞受賞について
http://kscykscy.exblog.jp/24967736/
■なぜ朴裕河『帝国の慰安婦』は右派に受け入れられるのか
http://kscykscy.exblog.jp/25031090/


河野談話を守る会のブログ
■検証・朴裕河 『帝国の慰安婦』① 本当に吉見義明の著作を読んでいるか?
https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64910832.html
■検証・朴裕河 『帝国の慰安婦』 ②先行研究の無視
https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64911556.html
■とんだハンナ・アーレントがあったもんだ!化けの皮がはがされて行く朴裕河
https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64914253.html
■能川元一氏の『帝国の慰安婦』批判について
https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64904466.html


思いつきのメモ帳
■『帝国の慰安婦』(朴裕河)でひっかかった点2
http://d.hatena.ne.jp/yasugoro_2012/20150222/1424584279
■日本政府は『帝国の慰安婦』における明らかな間違いに訂正を申し入れたりはしないのかな?
http://d.hatena.ne.jp/yasugoro_2012/20150328/1427565738
■『帝国の慰安婦』(朴裕河)の中で記述を改めてほしいと個人的に思う箇所
http://d.hatena.ne.jp/yasugoro_2012/20150225/1424879830


法華狼の日記
朴裕河氏が慰安婦支援団体と衝突した一因として、ことわりなくNHK記者をつれていった問題があることがわかった
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20160203/1454542890
■少女が被害者であったという観念を『帝国の慰安婦』が批判するのはいいのだが、慰安婦募集広告の検証が見つからないので困っている
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20160611/1465747070
■「『帝国の慰安婦』著者批判に熱中する日本の正義オタク」という記事によると、「引用や取材の甘さを持ち出して糾弾するのは、あまりにオタクな対応」だという
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20160625/1467117530

*1:著書『戦後史のなかの象徴天皇制』(共著、2013年、吉田書店)、『平成の天皇制とは何か』(共著、2017年、岩波書店)など

*2:著書『「象徴天皇」の戦後史』(2010年、講談社選書メチエ)、『皇居の近現代史:開かれた皇室像の誕生』(2015年、吉川弘文館)、『明仁天皇と戦後日本』(2016年、洋泉社歴史新書y)、『天皇制と民主主義の昭和史』(2018年2月刊行予定、人文書院)など

*3:著書『天皇家の財布』(2003年、新潮新書)など

*4:中曽根内閣自治相・国家公安委員長自民党幹事長(海部総裁時代)、新生党代表幹事、新進党党首、民主党幹事長などを経て自由党代表

*5:幣原内閣厚生相、片山内閣副総理・外相などを経て首相

*6:天皇制関係の著書に『日本の大国化とネオ・ナショナリズムの形成:天皇ナショナリズムの模索と隘路』(2001年、桜井書店)

*7:天皇制関係の著書に『昭和天皇終戦史』(1992年、岩波新書

*8:著書『近世政治史と天皇』(1999年、吉川弘文館)、『近世天皇論』(2011年、清文堂出版)、『幕末の天皇』(2013年、講談社学術文庫)など

*9:著書『従軍慰安婦』(1995年、岩波新書)、『毒ガス戦と日本軍』(2004年、岩波書店)、『日本軍「慰安婦」制度とは何か』(2010年、岩波ブックレット)、『焼跡からのデモクラシー:草の根の占領期体験(上)(下)』(2014年、岩波現代全書)など

*10:著書『植民地期朝鮮の地域変容:日本の大陸進出と咸鏡北道』(2017年、吉川弘文館

*11:ウィキペディア朴裕河』によれば上野千鶴子大江健三郎鎌田慧河野洋平村山富市氏などがそれにあたる。三論文でもこうした人士が批判されている(特に世間一般にはフェミニズム学者扱いされている上野への批判が強い)。

*12:朴本は第15回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞(早稲田大学)、「第27回アジア・太平洋賞」特別賞(毎日新聞社)を受賞している。

*13:著書『朝鮮独立への隘路:在日朝鮮人の解放五年史』(2013年、法政大学出版局

今日の産経ニュース(1/20分)(追記・修正あり)

■「大逆事件」の大石誠之助が名誉市民に 和歌山・新宮
http://www.sankei.com/west/news/180120/wst1801200057-n1.html

 和歌山県新宮市は19日、明治時代に「大逆事件」で処刑された新宮市の医師、大石誠之助を名誉市民に決めたと発表した。命日の24日に表彰式を行う。
 市は決定の理由について、「大石は(ボーガス注:政府のでっち上げによる死刑という)非業の死を遂げたが、明治期に熊野地方で人権思想や平和思想の基礎を築き、おいの教育者、西村伊作*1や作家の佐藤春夫*2中上健次*3(いずれも名誉市民)にも大きな影響を与えるなど、市の質の高い文化土壌の創生に功績を残した」などとしている。
 大石の名誉市民決定をめぐっては、昨年12月、市議会が名誉市民の候補者に推挙することを賛成多数で可決。田岡実千年市長が今月17日付で名誉市民とすることを決めた。
 田岡市長は「今後は大石の功績を広く内外に発信し、一層の顕彰に努めたい」とのコメントを出した。

 面白いニュースと思うので紹介しておきます。「二階*4自民党幹事長の地元」和歌山というと明らかに自民王国だと思いますがでっち上げえん罪とはいえ、死刑囚の名誉市民表彰について異論は無かったんですかね。
 なお大石らの死刑が「でっち上げえん罪」であることは、明白ですが「結局再審無罪判決が出なかったいわゆる横浜事件」同様、この事件も最高裁は再審無罪判決をついに出しませんでした。日本政府も公式には「でっちあげえん罪」とは認めていません。
 日本の政治と司法の遅れと言っていいでしょう。 

参考

内山愚童*5(ウィキペ参照)
・1993年(平成5年)4月13日、曹洞宗により内山の擯斥処分(除名処分)が取り消され、名誉回復がなされた。

■高木顕明*6(ウィキペ参照)
 1996年(平成8年)4月1日、真宗大谷派から僧籍復帰の名誉回復がなされた。

幸徳秋水*7(ウィキペ参照)
 平成13年(2000年)、秋水の出生地である、当時の中村市*8議会は、「幸徳秋水を顕彰する決議」を全会一致で議決した。

 ということでこうした動きは今回の大石の話にとどまるものではないようです。
 ただ中村市議会のある高知というと伝統的に割と革新(共産党社民党)が強いところですので、和歌山とはまた大分違う気もしますが。

https://mainichi.jp/articles/20180120/k00/00m/040/099000c
大逆事件を研究する山泉進*9・明治大教授(社会思想史)の話
 「共謀罪」法の成立など、国家の力が強化されつつある現代に、国に背いても信念を貫いた大石を顕彰するのは勇気ある決断で、大変評価したい。反発も懸念されただろうが、新宮の人々に受け継がれてきた反骨精神を見た思いだ。これが、幸徳秋水らの公的な名誉回復につながることを期待したい。

https://www.asahi.com/articles/ASHBM44C6HBMPLZU001.html
 大逆事件(1910年)では医師大石誠之助ら熊野の6人が死刑や無期懲役になった。大正期の「特別要視察人」を記録した政府文書には、「熊野川流域は危険地域」と記されている。
 大逆事件後、新宮出身を理由に結婚や就職を拒まれることもあった。戦後の61年、郷土誌が大石誠之助を特集すると、発行した図書館長が更迭された。
 高校教諭だった辻本さん*10は、事件犠牲者の復権に取り組んできた。新宮市議会は01年、6人の名誉回復を決議している。
 人口3万人の小都市だが、新宮市からは多くの文化人が輩出した。文化学院創設者で建築家の西村伊作は大石のおい、作家佐藤春夫の父は大石の友人だ。中上健次の小説にも大石が何度も登場する。中上は晩年「大逆事件の小説を書きたい」と辻本さんに語っていたという。
 一方、著名な軍人や政治家はみあたらない。「大石たちが中央から与謝野鉄幹幸徳秋水を呼んできたので文化が育った。逆に大逆事件によって、軍や政府では出世を阻まれたのかもしれない」と辻本さんは話す。


■3月の沖縄・石垣市長選 保守分裂へ 陸自配備計画に影響も 尖閣のお膝元で混乱
http://www.sankei.com/politics/news/180120/plt1801200014-n1.html
 商売右翼なのかがちなのかはともかく、現石垣市長は異常なまでに極右言動なので、とにかく彼には落選してほしいですね。
 俺的にベストは革新系ですが、「分裂保守候補」とやらが現役よりましならそれでもいいかなという気はします。

 日本固有の領土である尖閣諸島を中国が奪おうとする動きを強めるなか、同諸島を行政区とする石垣市での政治混乱は中国をも利しかねない。

 中国がしてることは「尖閣は中国領」という政治的アピールに過ぎません。産経の言う政治的混乱、つまり、保守分裂による革新勝利が実現しようとも尖閣が奪われるとかそういうことはあり得ない。むしろ現市長ではない人間が市長になれば、「中国の政治的アピール」は減るかもしれません。中国のああした行為は現市長の極右言動への対抗という面もあるでしょうから。


■【浪速風】中国に独立自尊の精神見せた日本の思想史 石平さん*11力作で描く(1月20日)
http://www.sankei.com/west/news/180120/wst1801200026-n1.html
 石平が『なぜ日本だけが中国の呪縛から逃れられたのか:「脱中華」の日本思想史』(2018年、PHP新書)なる本を書いたそうです。

 仏教を熱心に取り入れたのは、この世界宗教によって中華王朝の権威を相対化するためだった。

・「はあ?」ですね。
 仏教が取り入れられた理由の一つはやはり「政治への利用」でしょうね。仏教が政治に役立つという話です。たとえば聖武天皇の仏像作りは少なくとも主観的には「国家安寧のため」であって別に趣味でやってるわけではない。
 まあ、こういう宗教は仏教だけではない。前近代においてはキリスト教イスラム教も政治に利用されたわけです。
 あとは「死後に極楽がある」という「魅力的なお話」ですかね(仏教に限らず宗教一般に共通しますが)。儒教老荘思想だと「死後のことは解らない」からある意味不安なわけです。
【追記】
 コメ欄の指摘によれば当時の中国(隋王朝)の国教は仏教だそうです。
・「中華王朝の権威を相対化」も何も、仏教はインドが発祥の地とはいえ「中国僧・鑑真」「最澄空海栄西道元らの中国留学」でわかるように日本においては「中国経由で伝わった」わけです。
 また中国から伝わった思想としては「老荘思想道教)」「儒教」「孫子の兵法」なんてのもあります。儒教朱子学)は江戸時代においては官学にまでなるわけです。
 それはともかく古代においては「中華王朝の権威を相対化」どころではない。当時としては最先端だった中国の思想、文化を身につけることによる日本近代化だったわけです。
 もちろん日本に伝わるにおいては当然、中国文化は日本化します。とはいえ当時の日本人に「石平らのような反中国」はないでしょうし、素直に「先進国家中国の偉大さに圧倒されてた」んじゃないか。
 まあ、戦国時代にヨーロッパとのつきあいが始まるまでは「遣隋使」「遣唐使」「日宋貿易」「日明貿易」などで中国とのつきあいが日本的に一番大きかったでしょうし。
 つうか今の中国を「反共主義」から敵視するのは解りますが、なんで古代・中世の中国まで敵視しますかね?
 「古代から今まで東アジアで一番偉かったのは日本だ」といわないと精神的につらいのか?


稀勢の里休場 地元の後援会「横綱自身、どんなに悔しいか…たまらない気持ちになる」
http://www.sankei.com/sports/news/180120/spo1801200012-n1.html
 まあ、かわいそうではあるんですが、こうなると「引退してもらうしかないんじゃないか」と思いますね。復活の見込みが見えませんからねえ。優勝はしたものの、「貴乃花のように横綱寿命を縮めないか」と危惧されていた「怪我での強行出場」がやはりたたったというべきでしょうか。
 むしろ俺的には「引退秒読み」の稀勢の里なんぞより、「張り手が下品などと言われ、今までの立ち会いを変えたが故に調子を落とし今場所負けが込んで休場してる」白鵬の方が心配です。
 稀勢の里だけでなく白鵬まで引退で、鶴竜一人横綱ってのはちょっとねえ。


■【オウム裁判終結麻原彰晃死刑囚ら13人の執行に現実味 時期・順番が焦点 法務省内「首謀者がまず執行されなければ、遺族や国民が納得しない」
http://www.sankei.com/affairs/news/180120/afr1801200002-n1.html
 法務省自民党死刑廃止の考えはないようですから「悪名高いオウムなら死刑存続の追い風になる」とばかりに死刑執行をやりたいのでしょうね。いくら犯罪者とはいえ人の命をなんだと思ってるのかと思いますが。特に麻原はともかく子分連中なんて「死刑執行して何がどうなるんだ」と思いますね。

 死刑囚が再審請求中の場合も、執行が回避される傾向がある。

 そりゃ当たり前でしょう。残念ながら現行法制では再審請求に執行停止の効力は無いようですが。
 過去において免田事件(再審無罪)、帝銀事件(無罪判決はついに出なかったがえん罪が通説的見解)などの死刑えん罪で死刑が執行されなかったのは政治的配慮に過ぎません。

 だが法務省は昨年7月、再審請求中の執行に踏み切った。

 無茶苦茶ですね。人の命をなんだと思ってるのか。そもそも死刑は廃止されてしかるべきです。

 引き延ばし目的の請求は考慮しない、という法務省の強い姿勢

 おいおいですね。「引き延ばし目的」と「正当な再審請求」の区別などどうやってつけるのか。そんな能力や資格が法務省にどうしてあるのか。


■【WEB編集委員のつぶやき】希望の党よ “野党根性”を捨ててはいかがか 組むべき相手が違う
http://www.sankei.com/politics/news/180120/plt1801200005-n1.html
 野党が「野党根性を捨てて」どこと組むのか、与党・自公と組めとでも言うのかと思ったら、本当にそう書いてあって呆れました。
 むしろ野党らしさが見えないからこそ希望は立民どころか共産の支持率すら下回るわけです。つうか自民と組むってそれ単に「自民集団入党」と同じでしょうに。
 とはいえ前原など希望のウヨ議員連中が自民と大して変わらないのも事実ではありますが。


■【単刀直言】希望の党前原誠司*12元外相「合流、全く後悔していません」「共産党には魂売れぬ」
http://www.sankei.com/politics/news/180120/plt1801200002-n1.html
 こういうことを前原がいうのは「解党劇の非を認めたら政治生命が終わる」と思ってるからでしょうが、希望が選挙で惨敗したあげく支持率は低迷、むしろ枝野*13立民の株が上がってるのですから今更前原が何を言おうとどうにもならない。奴が希望の党三役になれなかったのはそういうことでしょう。
 こんな寝言を相手してくれるのも「前原さん、野党共闘破壊ありがとう」「僕らも共産や枝野グループは大嫌いです」の産経ぐらいのもんです。
 「共産に魂売れない」つうのも酷い話です。
 事情はともかく「共産を含む野党共闘」は「小池*14ブームに前原が浮気するまで」前原も容認していた話だし、「共産を含む野党共闘」では「共産主義など当面の目標になってない」。
 大体「共産は排除するがそれ以外の野党共闘は今後も続ける。共産排除以外には何ら変更はない」ではなく、民進党は解散する、国会議員だけで解散を決めたが地方支部も従え、野党共闘に協力していた各党(共産に限らない)、各市民団体にはこの件について相談しなかったが了承してほしい、解散後は小池と一緒に新党をつくる、新党からは枝野グループら民進党リベラルは排除する、なんてふざけた話を「共産党には魂は売れない」で正当化できるわけもない。そもそも前原が敵視してるのは「共産党」ではなく護憲派ですから。前原は正直に「改憲派ウヨとして護憲派と組みたくない。共産だけでなく民進党リベラルも社民党護憲派市民団体も排除したい」といえばいいでしょう。  

 私は昨年9月、大塚さん*15の前任の民進党代表として希望の党への合流を決断しました。そのこと自体は全く後悔していません。合流せずに衆院選に突っ込んでいったら、どういう結果になったか。惨敗した昨年夏の東京都議選を見れば明らかじゃないですか。衆院選を経て党が崩壊する光景が私には見えた。

 「はあ?」ですね。
 前原が「都議選の小池ブーム」で「小池と組めば勝てる、共産も民進党リベラルもこの際切って捨てよう。俺あいつら嫌いだし」と勘違いしたことは明白ですが「枝野立民の躍進」によってむしろ「合流しない方が安倍自民の議席が減った可能性が高いことは明白」でしょう。
 むしろ解散しない方が「前原は今も民進党代表」で、枝野立民党代表も「民進党代表代行」として、前原を当面は支えざるを得なかったでしょう。政権交代はないにせよ安倍が辞任していた可能性もあった。
 まあ、前原がどう強弁しようが、自民や立民どころか公明や共産すら支持率で下回る今の希望では何の説得力も無いですが。しかしガセネタメールの件といい、この男の無能、無責任は本当に呆れます。

 民進党の「左旋回」はひどすぎた。日米安全保障条約の廃棄を掲げる共産党政権選択選挙で協力することを、有権者にどう説明するんですか。

 そもそも日米安保の廃棄は「当面の野党共闘のテーマではない」。その前提で2016年参院選で実際に野党共闘候補を立てているのに今更こんなことを言い出すことの方がよほど有権者に説明がつきません。だからこそ希望は惨敗し立民が伸びたわけです。
 なお、俺個人の感想を言えば「日米安保」は当然の前提ではない。
 日米安保に限らず制度とは「目的があるからやる物」であり問題は「日米安保の目的とは何なのか」ということです。
 「米軍がなくても自衛隊だけで専守防衛できる。海外派兵を米軍と一緒にやる必要は無い」という考えに立てば日米安保は別に必要は無いわけです。 


■【正論2月号】世界の記憶、韓国「慰安婦の日」…左翼の牙城「赤い国連」でいかに戦うか
http://www.sankei.com/premium/news/180120/prm1801200005-n1.html

高橋氏*16
 慰安婦問題は今まで左翼の牙城でした。

 「慰安婦問題で戦前日本の非を認めるのが左翼なら、河野談話河野洋平*17官房長官も、アジア女性基金初代理事長の原文兵衛*18参院議員、副理事長の山口淑子参院議員も左翼なのか?」と聞いたら「そうです、左翼です」と即答するんですかね、この種のバカは。

杉田氏*19
 これは私の実感ですが、女子差別撤廃委員会で、強制連行はなかったと発言したら、国連から即座に日本政府に「政府の考えを述べよ」と質問書が来た。これは意外でした。

 イヤー全然意外じゃないですよねえ。
 もちろんこの質問は「杉田の与太」を正当なもんとして認めてるわけではないでしょう。
 「あんたの国は河野談話アジア女性基金慰安婦の非は認めたのと違うの?。これ、どういうことよ?。政府としてどう考えてるの?」つう話に過ぎないわけです。むしろ詰問に近い質問じゃないか。
 しかし安倍も杉田なんぞを自民党衆院候補にして代議士の地位を与えるんだから論外のバカです。そんなことをして「河野談話堅持」なんて言って説得力があるわけないでしょう。まあ、結局「周囲の反対がよほど強かったのか」再任しなかったとはいえ、一度は櫻井よしこ中教審委員にする男が安倍ですからねえ。

*1:文化学院創立者

*2:著書『田園の憂鬱』(新潮文庫)、『現代語訳 方丈記』(岩波現代文庫)など

*3:1976年(昭和51年)、『岬』(後に文春文庫)で第74回芥川賞を受賞。著書『枯木灘』、『奇蹟』、『十九歳の地図』、『千年の愉楽』、『日輪の翼』(河出文庫)、『化粧』(講談社文庫)、『軽蔑』、『破壊せよ、とアイラーは言った』、『水の女』(集英社文庫)、『重力の都』、『地の果て 至上の時』、『鳳仙花』(新潮文庫)、『野性の火炎樹』(ちくま文庫)など。

*4:小渕、森内閣運輸相、小泉、福田、麻生内閣経産相自民党総務会長(第二次安倍総裁時代)などを経て幹事長

*5:曹洞宗の僧侶。大逆事件で死刑判決。

*6:真宗大谷派の僧侶。大逆事件で無期判決を受け、服役中の1914年に自殺。高木についての著書としては、大東仁『大逆の僧・高木顕明の真実:真宗僧侶と大逆事件』(2011年、風媒社)、菱木政晴『極楽の人数:高木顕明『余が社会主義』を読む』(2012年、白澤社)

*7:大逆事件で死刑判決。著書『基督抹殺論』、『社会主義神髄』、『兆民先生』、『帝国主義』(岩波文庫)、『平民主義』(中公クラシックス)など

*8:現在は市町村合併四万十市

*9:著書『平民社の時代:非戦の源流』(2003年、論創社)、『大逆事件の言説空間』(2007年、論創社)など

*10:著書『熊野・新宮の「大逆事件」前後:大石誠之助の言論とその周辺』(2014年、論創社)、『佐藤春夫読本』(共著、2015年、勉誠出版

*11:著書『なぜ、日本人は日本をおとしめ中国に媚びるのか』(2009年、ワック文庫)、『なぜ中国から離れると日本はうまくいくのか』(2013年、PHP新書)、『世界征服を夢見る嫌われ者国家 中国の狂気』(2014年、ビジネス社)、『習近平にはなぜもう100%未来がないのか』(2015年、徳間書店)、『狂気の沙汰の習近平体制 黒い報告書』(2016年、ビジネス社)、『冗談か悪夢のような中国という災厄』(2017年、ビジネス社)、『習近平の終身独裁で始まる中国の大暗黒時代』(2017年、徳間書店)など非常識右翼著書多数

*12:鳩山内閣国交相菅内閣外相、野田内閣国家戦略担当相、民主党政調会長(野田代表時代)、民進党代表などを歴任

*13:鳩山内閣行政刷新担当相、菅内閣官房長官、野田内閣経産相民主党幹事長(海江田、岡田代表時代)、民進党代表代行(前原代表時代)を経て立憲民主党代表

*14:小泉内閣環境相、第1次安倍内閣防衛相、自民党総務会長(谷垣総裁時代)を経て都知事

*15:菅内閣厚労副大臣などを経て民進党代表

*16:『日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと』(2014年、致知出版社)、『「日本を解体する」戦争プロパガンダの現在:WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)の源流を探る』(2016年、宝島社)などトンデモウヨ著書多数

*17:中曽根内閣科学技術庁長官、宮澤内閣官房長官、村山、小渕、森内閣外相、衆院議長を歴任

*18:元警視総監。鈴木内閣環境庁長官参院議長など歴任

*19:慰安婦像を世界中に建てる日本人たち』(2017年、産経新聞出版)、『なぜ私は左翼と戦うのか』(2017年、青林堂)などトンデモウヨ著書多数