私が今までに読んだ本の紹介:法政大学大原社会問題研究所「証言・占領期の左翼メディア」(2005年3月刊行、御茶ノ水書房)

・五十嵐仁氏のブログで紹介されていたので購入。
・目次は以下の通り。なお、証言者の方はかなりの高齢なので既にお亡くなりになっている方もおられる。
証言1:『民衆新聞』の創刊と論説(吉武三雄)
証言2:『夕刊京都』と京都の左翼文化人(和田洋一*1
証言3:『社会新聞』の創刊と編集・経営(本多清)*2
証言4:『社会タイムス』の創刊と編集(飯島博)*3
証言5:読売争議のその後(増山太助)*4
証言6:『労働戦線』*5の創刊と編集(松尾洋、佐藤茂久次)
証言7:『人民』と『真相』の周辺:戦後革命と人民社(佐和慶太郎)*6
証言8:『民主評論』*7と有賀新*8(大島慶一郎)*9
証言9:『前衛』創刊のころ(寺尾五郎)*10
証言10:日労系*11指導者の戦後と『社会思潮』*12(松井政吉)*13

・どの証言も面白かったが、個人的には証言3と5と9が面白かった。
・証言3によれば、当初、「社会新聞」の発行には、斉藤貢(右派、元・中日新聞経営幹部)が関わっており、斉藤のつてでキヨスクで売られていたことがあったらしい(信じられない話だが。なお、左派の勢力が強くなったこと等から、後に斉藤は新聞編集から手を引き、キヨスクでの販売もなくなってしまう)。斉藤は「資本家のあなたが何故社会党なのか」、と聞かれ「アメリカの横暴を阻むため」と答えたらしい。確かに岸信介とかどう見てもアメリカに国を売り渡してるよな。
・証言5を読んで「人間万事塞翁が馬」という言葉が頭に浮かんだ。
 読売争議で読売を去った人々のその後をいくつか紹介すると
 栗林農夫:戦前から俳句活動をしていたが、読売退社後はさらにそれに専念したようだ。俳号は栗林一石路。
 栗林については以下も参照
 「戦前は、俳句も弾圧されたの?」http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-03-11/2006031112_01faq_0.html
 渋川環樹:日本共産党機関誌「赤旗」編集幹部として活躍。関口孝夫氏(元赤旗編集幹部)のブックレット「ザ・取材」にも関口氏ら多くの若手記者を育ててくれた名記者として名前が出てくる。なお、彼の父・渋川玄耳(東京朝日新聞社会部長)は夏目漱石石川啄木を朝日に招聘したことで知られる名物記者。
 鈴木東民:釜石市長。彼については鎌田慧『反骨−鈴木東民の生涯』(講談社)が入手しやすい。
 徳間康快徳間書店を創業。
 宮本太郎:日本共産党機関誌「赤旗」編集幹部として活躍。著書に「回想の読売争議」(1994年、新日本出版社)がある。

 良かれ悪しかれ読売争議がなければ、あるいは読売争議が労組側勝利で終わっていれば彼らの人生も大きく変わっていたことだろう。
・証言9で寺尾氏は「前衛について詳しい事は宮本顕治(「前衛」初代編集長を務めた。言うまでもなく共産党の要職を歴任した超大物)にも聞いてくれ」と言っているが、大原社研による宮本氏への聞き取り調査はなされたのだろうか。

*1:同志社大学文学部教授。一時『夕刊京都』の学芸部長や監査役を務めた。

*2:一時、社会党機関紙「社会新聞」の発行に携わったが、「社会新聞の経営難」や「左右の対立」に嫌気がさしたことから退社しダイヤモンド社に入社。ダイヤモンド社では社史編集部長として社史の編集に携わった。編集執筆に参加した主な社史には「日本鋼管百年史」、「東芝百年史」、「三洋電機三〇年史」などがある。

*3:一時、社会党機関紙「社会タイムス」(「社会新聞」の後継紙)の発行に携わったが、「社会タイムスの経営難」や「左右の対立」に嫌気がさしたことから退社しNHKに入社。福岡、高松、金沢各報道局長、報道局政治部長などを歴任。

*4:読売争議時の闘争委員の一人。著書に「読売争議」(1976年、亜紀書房)、「産別会議の10月闘争」(1978年、五月社)、「検証・占領期の労働運動」(1993年、れんが書房)、「戦後期左翼人士群像」(2000年、柘植書房新社)などがある。

*5:当時のナショナルセンター産別会議の機関誌

*6:人民社社長として「人民」、「真相」を発行。1961年、春日庄次郎、長谷川浩らの分派活動に与したとして共産党を除名。1969年、長谷川らとともに労働運動研究所を設立、常務理事に就任。雑誌「労働運動研究」の発行等に従事。

*7:本書によれば、「民主評論」は戦前の「機械工の友」を改題し復刊した物らしい。

*8:大月書店創業者の一人(後に社長)。

*9:有賀の友人の一人。全国民医連副会長、全国生協連理事、埼玉県議、日本共産党埼玉県委員会顧問等を歴任。

*10:1960年代の中国共産党との論争では、中国側に与し、1967年日本共産党を除名。
 著書に「38度線の北」(1959年、新日本出版社)、「朝鮮問題入門」(1965年、新日本出版社)、「草奔の維新史」(1980年、徳間書店)、「安藤昌益全集」(全21巻、1983年、農山漁村文化協会)などがある。まあ、「38度線の北」は現在から見ると問題の多いものだろうがこれでバカみたいに寺尾氏を叩いて喜んでるバカウヨを見ると吐き気がするな。

*11:日労系とは日本労農党の流れをくむ社会党内の政治グループ(中間派)のこと。同様の理由から、右派は社民系(社会民主党系)、左派は労農系(労働農民党系、労働農民党は「山宣」こと山本宣治氏が所属したことで知られる。なお、「水長」こと水谷長三郎氏も一時所属したのだが、彼は後に西尾末広社会党右派、後に民社党を結成)を親分とするほど右傾化したので労働農民党関係では「山宣」ほどあまり言及されないように思う)あるいは日無系(日本無産党系)と呼ばれた。
 なお、日労系は戦前、幹部の麻生久が「戦いは文化の母である」と主張する陸軍パンフレット「国防の本義と其強化の提唱」を支持したことから左翼の世界では大変評判が悪いようだ(いわゆる「社民ファシズム」って奴?)。

*12:「月刊社会党」の前身に当たる社会党機関誌

*13:社会党代議士、社会党本部顧問など歴任。