維新・馬場代表の暴言/メディア・政界から批判/有権者をも否定 撤回すべきだ
25日の文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ!」で大竹氏は、「民主主義をどう思っているのか。共産党を支持する人がいて、何万人、何十万人が選挙で投票している。」と苦言を呈しました。
同日のTBSラジオ「森本毅郎スタンバイ!」で森本氏は、「他党を『なくてもいい政党』と言う。これはけしからんですよ」と批判。番組コメンテーターの酒井綱一郎「日経ビジネス」元編集部長は「政策で議論すべきで、発言は撤回すべきだ」と述べました。
また酒井氏は、馬場氏の「第2自民党でいい」との発言について「本音が出た。自民党の『別動隊』と言い切った」と指摘し、森本氏も「野党から決別した。与党のいわば下部組織だ」と応じました。
立憲民主党の岡田克也幹事長は25日の記者会見で、「いろんな意見があって、一致点を見つけていくのが民主主義の最も基本のところ。全くそのことが分かっていない。立憲民主党に対する発言も含めて撤回を求めたい」と批判しました。また、同党の原口一博*1元総務相も自身のツイッターに「『共産党はいなくなったらいい政党』と言う者が公党の代表である事に強い危機感を禁じ得ません」「民主主義そのものを否定する危うさに黙っていてはならない」と投稿しました。
全て「当然の批判」です。
2003年に『日本共産党の八十年』を発表しており、20年ぶりの党史の発表
10年前の2013年頃に、何故90年史を作らなかったのか気になるところです。なお、小生は不破哲三『日本共産党史を語る』(2006年、新日本出版社)は持っていますが、党史は持っていません。
公式党史とはまた性格が微妙に違いますが、他にも不破哲三『歴史から学ぶ:日本共産党史を中心に』(2013年、新日本出版社)があります(但し小生は未読)。
分量的には、『百年』史は、『八十年』史とほぼ同じ分量になるようにしました。
この辺りは議論の分かれるところでしょう。ほぼ同じ分量にした場合「80年史までの記述」を当然スリム化せざるを得ないからです。但し、過去の記述をスリム化せずどんどん分量が厚くなっていけば、多くの読者にとって読むのが辛いこともまた事実ではある。
戦前、不屈にたたかった女性党員「伊藤千代子」「飯島喜美」「田中サガヨ」「高島満兎」
評伝として
【伊藤】
◆東栄蔵*2『伊藤千代子の死』(1979年、未来社)
◆藤森明『こころざしいまに生きて:伊藤千代子の生涯とその時代』(1995年、学習の友社)
◆藤田広登*3『時代の証言者・伊藤千代子(増補新版)』(2020年、学習の友社)
◆ワタナベ・コウ*4『漫画・伊藤千代子の青春』(2021年、新日本出版社)
があります。
「全国革新懇」の直接の「誕生の理由」は「反共・社公合意→社公民路線による社共共闘の破壊」ですが、一方で「1980年代から増加してきた無党派層への対応」と言う面もありました(そうした無党派層の存在が広く注目されるようになるのは1990年代以降かと思いますが)。なお、1980年代の社公民路線(1970年代の社共共闘路線の破壊)の二番煎じが俺には「泉の維新へのすり寄り」に見えますね。社公民路線を社会党に押しつけたのは総評であり、現在「反共路線」を立民に押しつけてるのが連合の訳です。
民主主義否定の暴言に断固抗議、撤回求める/志位委員長が会見で発言
勿論維新の下劣な暴言に抗議するのは当然の話です。こうした維新の暴言をマスコミや立民(当初は維新にすり寄った)等がまともに批判してこなかったことが維新を暴走させてると言っていい。
*1:鳩山、菅内閣総務相、民進党副代表、国民民主党代表代行(大塚、玉木共同代表時代)等を歴任
*2:信濃毎日新聞社文化部記者、長野女子短期大学教授等を歴任。著書『大江礒吉とその時代:藤村の「破戒」のモデル』(2000年、信濃毎日新聞社)等
*3:著書『小林多喜二とその盟友たち』(2008年、学習の友社)
*4:著書『ポチ&コウの野球旅』(ツルシカズヒコとの共著、2004年、光文社知恵の森文庫)、『節電女子』(2011年、日本文芸社)、『裁縫女子』(2011年、リトルモア)、『裁縫女子宣言!』(2012年、バジリコ)、『ワタナベ・コウの日本共産党発見!!』(2017年、新日本出版社)、『ワタナベ・コウの日本共産党発見!!(2)』(2018年、新日本出版社)、『ワタナベ・コウの日本共産党発見!!(3)』(2020年、新日本出版社)等
*5:著書『「資本論」と産業革命の時代:マルクスの見たイギリス資本主義』(1999年、新日本出版社)、『製糸工女と富国強兵の時代:生糸がささえた日本資本主義』(2002年、新日本出版社)