「反共分子集団」リベラル21(阿部治平)や「反党裏切り分子」松竹伸幸に今日も悪口する(2023年8/30日分)

リベラル21 歪曲された歴史――『日本共産党の百年』の感想(阿部治平)
 引用は不愉快なのでしません。また「共産党の歴史」に詳しいわけでもないので「一部を除いて」コメントもしませんが「物には言い様」があるでしょう。批判する場合でももう少し、穏やかなタイトルがつけられないのか?

 これ*1が生まれ、成長し、消滅した「わけ」をなぜ書かなかったのか。

 共産党と直接関係ないことについて党史で論じる必要はないでしょう。
 そもそも「社会党史(社民党史)」でもそんなことは書いてないでしょう。
 なお、私見では「社会党共産党など既成左翼に不満を感じていた人間が新左翼に参加し、一定程度成長したものの、内ゲバ革マル中核派)などの問題を起こして自滅した」「一方、社会党共産党側も『土井ブーム(社会党)』等で一定の対応をし、新左翼に一時奪われた支持を回復した」ですね。
 なお、タイトルで予想がつくように「悪口しかしない」阿部です。
 阿部とは違う、オレ流の「百年史の感想」を「未読」ですが、赤旗の宣伝記事を元に書いてみます。

『日本共産党の百年』発表記者会見/志位委員長の一問一答から
記者
 「日本共産党に参加した女性たちの不屈の青春」の節についてうかがいます。(ボーガス注:飯島喜美*2、伊藤千代子*3、高島満兎、田中サガヨの)4人の(女性)党員は有名です。全員24歳で亡くなっています。これまでの党史にも記載があったのですか。『百年』史の中でここが一番(印象的)で、2度読んだのはここです。
志位
 『八十年』史でも24歳で亡くなった女性の同志たちのたたかいについて述べています。ただ、今回は、かなり踏み込んでそれぞれの同志について叙述しました。
記者
 沖縄は、(ボーガス注:沖縄人民党の日本共産長への合流後、共産党副委員長を務めた)瀬長亀次郎さんなど共産党の活動でも、反戦平和の文脈で重要だと思いますが、党史にどう位置づけられているのですか。
志位
 『百年』史の節々で、沖縄県民のたたかいについて、非常に重視して叙述しています。
 その歴史的意義をまとめて叙述したのは、30ページ「沖縄人民党日本共産党への合流」という節であります。これは『八十年』史にはなかった節で、『百年』史で新しく叙述したものです。
(中略)
 1点だけ、この機会にご報告しておきたいことがあります。私は冒頭に、『百年』史について、過去の欠陥や歴史的制約についてメスを入れているということを強調しました。
(中略)
 この間、国政で非常に重大な問題となっていることについても、新しい記述があります。18ページ、旧「優生保護法」に対する態度の問題です。
 この法律は、1948年から96年にわたって存在したもので、強制不妊手術など憲法上の権利を違法に侵害する許しがたい立法でありました。これに日本共産党がどうかかわったか、今回検証の作業を突っ込んで行いました。
 実を言いますと、48年の立法当初について、当時の国会議事録をだいぶ精査したんですが、党議員団の態度が明瞭には判定がつかないのです。ただ、その後、1952年に旧「優生保護法」が改定されて、「優生手術」の範囲が拡大された。精神疾患をお持ちの方にも拡大された。重大な改悪です。その時、党議員団は賛成し、全会一致で成立させたという重大な誤りが明瞭になりました。この誤りについて、『百年』史には明記しております。
 これまでこの問題に対して、党は、2018年に、誤りを是正することへの「不作為の責任」があったということを表明していますが、『百年』史では、党の責任は「不作為」にとどまらず、旧「優生保護法」改定に賛成したという重大な誤りがあったことを明記しています。

 以上が共産党にとっての「百年史のウリ」の一つでしょう。勿論(?)これについて阿部は何一つ言及しません。

座談会『日本共産党の百年』を語る(上)
山口富男*4日本共産党社会科学研究所副所長
 再建された党は、主権在民を一貫して主張し、全面講和、外国軍*5の撤退、真の独立を求める。また労働者・国民の暮らしを守る闘争にとりくみ、1100万人が参加した民主主義擁護同盟という統一戦線組織が誕生しました。

 「民主主義擁護同盟(民擁同)」については小生は全く無知*6ですし、ウィキペディアに「民擁同」の項目も残念ながらない。
 ググっても

吉田健*7『占領後期の統一戦線運動:民主主義擁護同盟の結成と活動』(五十嵐仁*8編著『「戦後革新勢力」の奔流:占領後期政治・社会運動史論1948-1950』(2011年、大月書店)収録)

ぐらいしかヒットしませんが、当然ながら「現在の野党共闘」を考えるにおいて「民擁同」を現在において共産党がどう評価しているか、「共産の評価」に関係なく我々が「民擁同」をどう評価するかは重要な問題でしょう(時代の違いから、単純比較はできないにしても)。
 吉田論文に寄れば「片山哲*9西尾末広*10等、社会党右派の反対*11」で「社会党の参加」はなかったものの、「民擁同」には「堀真琴(参院議員(1947~1956年)、社会党→労農党*12)」「後に民社党書記長、委員長になった佐々木良作(当時は無所属)」など「共産党以外の国会議員」も個人として参加したとのことです。


リベラル21 共産党は安全保障政策を変えたのか(阿部治平)
 引用は不愉快なのでしませんが要約すれば「松竹の安保主張の擁護」であり、inti-sol氏などと同じ「松竹と志位執行部の自衛隊日米安保評価に大きな違いはない(除名は不当*13)」と言う強弁です。
 確かに志位執行部は「野党共闘政権」に参加(入閣であれ閣外協力であれ)するにおいて「即時の日米安保廃止、自衛隊廃止は求めない」として「一時棚上げ」を主張しています。
 その是非*14はともかく、「一時棚上げの志位執行部」と「積極的に自衛隊日米安保を容認する松竹」を同一視するのは詭弁もいいところでしょう。
 なお、以上は阿部記事に投稿しますが恐らく掲載拒否でしょうね。自称「リベラル」が聞いて呆れます。

*1:新左翼のこと

*2:評伝として、玉川寛治『飯島喜美の不屈の青春:女工哀史を超えた紡績女工』(2019年、学習の友社)

*3:評伝として、東栄蔵『伊藤千代子の死』(1979年、未来社)、藤森明『こころざしいまに生きて:伊藤千代子の生涯とその時代』(1995年、学習の友社)、藤田広登『時代の証言者・伊藤千代子(増補新版)』(2020年、学習の友社)、ワタナベ・コウ『漫画・伊藤千代子の青春』(2021年、新日本出版社

*4:著書『新しい世紀に日本共産党を語る』(2003年、新日本出版社

*5:米軍のこと

*6:後で紹介する吉田論文ぐらいしか知らない。

*7:著書『戦後改革期の政論新聞:「民報」に集ったジャーナリストたち』(2002年、文化書房博文社)

*8:法政大学名誉教授。全国革新懇代表世話人。著書『保守政治リストラ戦略』(1995年、新日本出版社)、『徹底検証・政治改革神話』(1997年、労働旬報社)、『政党政治労働組合運動』(1998年、御茶の水書房)、『戦後政治の実像:舞台裏で何が決められたのか』(2003年、小学館)、『現代日本政治』(2004年、八朔社)、『この目で見てきた世界のレイバー・アーカイヴス』(2004年、法律文化社)、『労働再規制』(2008年、ちくま新書)、『労働政策』(2008年、日本経済評論社)、『対決安倍政権』(2015年、学習の友社)、『活路は共闘にあり』(2017年、学習の友社)、『打倒安倍政権』(2018年、学習の友社)等。個人サイト五十嵐仁の転成仁語:SSブログ

*9:社会党委員長、首相、民社党常任顧問を歴任

*10:社会党書記長、片山内閣官房長官、芦田内閣副総理、民社党委員長を歴任

*11:今の立民党右派(泉代表、岡田幹事長等)の「反共仕草」を連想させます。

*12:初代主席は黒田寿男。当時の社会党は、加藤勘十(労働相)、冨吉榮二(逓信相)、永江一夫(農林相)、西尾末広(副総理)、水谷長三郎(商工相)、森戸辰男(文相)が入閣し、保守政党民主党(芦田首相が総裁)、国民協同党三木武夫が委員長、岡田勢一(運輸相)等が入閣)との連立政権(芦田内閣)を組んでいた。しかし、1948年7月7日、岡田春夫、木村禧八郎、黒田寿男、堀真琴ら左派議員が芦田内閣の予算案に造反して反対したため、党を除名。12月2日、他の離党者も合わせて労働者農民党を結成した。結党時には、衆参18人の勢力となっていた。その後、党勢は伸びず、1957年1月16日解党し、3月に黒田ら労農党議員の多くは日本社会党に復帰した(労働者農民党 - Wikipedia参照)

*13:とはいえそのようなinti-sol氏や阿部が「せいぜい、時々ブログ記事を書くに留まり」、ブログ限定ですら「松竹を熱烈に応援してるわけではない」点は彼らが内心では「松竹にあまり期待してないこ と」を物語っています。せいぜい彼らにとって松竹は「共産に悪口するための鉄砲玉」でしかない。

*14:勿論「野党共闘政権参加のための一時棚上げでも不可、それは党の右傾化だ」という批判的立場は当然あり得ます。