【産経抄】7月24日(追記・訂正あり)

 シャンソン歌手、石井好子さんが亡くなったとの記事に、父親の石井光次郎氏の名前はほとんど出てこなかった。かつての自民党の実力者、といっても活躍したのは昭和30年代だ。仕方ないとはいえ当時の政治に興味を持つ者としてはちょっと寂しかった。

 光次郎氏(石井派ボス。吉田内閣で運輸大臣、池田内閣で通産大臣、佐藤内閣で法務大臣)は既に過去の人ですからね。こうした今では忘れられた「かつての自民党の実力者」(派閥ボスとか)には他にもいろいろな人がいます(詳しくは、例えばウィキペディア自民党の派閥」を参照してください)。
 また石井好子さんは父親と違う分野に進みましたからね。例えば、「ムーミンの声」で知られる女優、岸田今日子氏について語るときに、どれほどの人が父親・岸田國士(戯曲家)について語るんでしょうか。(他にもいろいろな例があると思います)

 ところが直後「党一本化のため岸を副総理格で入閣させるべきだ」との声が強まると「その通りだ」と、あっさり降りてしまった。

 抄子の言うような美学だったのか、岸ともめることは、自分にとって得策ではないとの判断だったのかはこれだけでは分かりません。
 なお、かつて自民党総裁選においては、買収が横行し、ニッカ(二つの派閥から金をもらう)、サントリー(三つの派閥から金をもらう)、オールドパー(全ての派閥から金をもらう)などと言った俗語が生まれたのですが、そういう自民党の黒い歴史にはもちろん抄子は触れません。

 党人派の中核だった河野一郎*1は「石井さんを担ぎ新党を作ろう」と息巻いた。だが石井氏は「私は保守合同を推進したのに、自民党を割るのでは筋が通らない」と断ったという。

 自民党を離れてやっていけるかという生臭い問題は無視ですか、抄子。
 新自由クラブ新党さきがけ自民党から離れてやっていこうとした政党は死屍累々ですが。

 石井氏の姿勢を政治家の理想だなどと言う気はサラサラない。

 そもそも石井氏の姿勢を無欲の姿勢と言えるか疑問です。一回目は岸に恩を売った方が得策だと考えたのかも知れませんし、二回目は自民を離れても野垂れ死にだと考えたのかも知れません。

 落選した法相が居座ったり

 以前も書きましたが、こういう馬鹿げたことを言う人の気が知れません。議員を落選したら大臣を辞める義務があるなんてのは、その人の勝手な価値観に過ぎません。そう言う価値観を持つことは否定はしませんが、他人に押しつけることが出来るような、法的な、あるいは政治的な根拠のある話では全くない。
 「憲政の常道」とか根拠レスで寝言言ってるとんでもない人(http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20100713#p4)もいますが。「憲政の常道」と言ってる人間がいるというのなら名前上げてみろよ(嘲)。「憲政の常道」とは「衆院第一党が与党になるべき」と言う戦前のルールですが?(ウィキペディアはてなキーワード参照)。何故、戦前「憲政の常道」が叫ばれたかというと、戦前、首相を任命するのは天皇で、少なくとも法的には衆院第一党から選ばなきゃいけない義務はないからです(←こう書いたら細川は衆院第一党じゃないよとトラバがid:gryphon氏からつきました。書き方が悪かったな。言いたいことは普通の人なら分かってもらえると思うんですけどね)。
 しかし、はてブみてても千葉は辞めろとか言う馬鹿が多くてうんざりしますね。選挙は国会議員としての資質が問われるのであって大臣としての資質が問われるんじゃないんですが。こういう悪い前例を作ったら後で自民が政権復帰したときに自分の首をしめることになるかも、とは思わないんでしょうか?。ああ、自民は政権に復帰する気はないんでしたね(毒)
 まあ、そういう馬鹿は以前から「こいつ、民主叩きなら何でもありか、どうしようもないな」「もしかして自民支持者?」というのがほとんどですが(名前は出しませんよ、喧嘩になるから。なお、私のお気に入りブックマークにはそう言う馬鹿はいなかったようで幸いです)
 ちなみに参院選に大敗したのに居座ったあげく最後は「ポンポン痛い」で辞めた安倍元首相についてはどう思われますか、産経さん(皮肉)

 政界引退を表明したはずの前首相が何やら画策

 政界引退を表明したはずの宮崎の中山某と彼を参院選候補に擁立したたちあがれ日本にも同じことを言えよ(苦笑)
 それと政界引退(と言うか議員引退)してもマスコミに登場したり、子分を操ったりする生臭い動きをしている人間には大勲位とか、野中広務とか山ほどいますけど。彼らにも「生臭い動きはやめろ」と言ってあげたらどうですか?
 しかし、突っ込むのならまずトップの菅氏に突っ込むべきでしょう。安倍さんが参院選に敗北したときに首相を辞めろと言ったのに何故辞めないのかと。
 何故、抄子は突っ込まないんでしょう。真正保守方向から菅君は僕らの仲間だから非難するなという声でも出てるんでしょうか?。それとも菅氏を国民も必ずしも非難してない(←変な話だと思います)みたいだから、びびってるんですか?
 あるいは、安倍さんみたいに無様な辞め方するまで待つとか(皮肉)

【追記】
1)「本日の産経SHOWと阿久根政界NOW:民主党を叩くためなら何でもあり」(http://d.hatena.ne.jp/slapnuts2004/20100724/p1)は自民はむしろ策士が多いと突っ込んでいますが私もそうした例をウィキペディアからいくつか挙げてみましょう。

大野伴睦
 大野は首相就任に強い意欲を燃やしており、岸辞任後の自民党総裁選では、池田勇人に対抗し、石井光次郎とともに党人派から出馬に名乗りを上げた。しかし、川島正次郎から「党人派が分裂すると池田に勝てないので、石井一本にまとめたほうがいい」との進言を受け、大野は泣く泣く出馬を辞退する。ところが川島は「大野を支援しようと思ったが、辞退したのでわが派は池田を支持する」と表明し、池田当選に一役買うこととなる。この時大野は「川島にだまされた」と号泣したといわれる。

 これが事実なら、騙される大野も脇が甘いが、騙す川島も最悪ですな。

川島正次郎*2
 1970年秋、「佐藤栄作は次期首相の座を大蔵官僚出身の福田赳夫に譲ろうとしている」という情報をキャッチすると、川島は「岸・池田・佐藤と官僚出身者による内閣が続き、人心は官僚出身者に飽いている」として福田のライバルだった田中角栄を支持し、田中が勢力を拡大するための時間を稼ぐために、1970年の自民党総裁選では福田への禅譲を考えていた佐藤を、川島副総裁、田中幹事長という立場で、総裁選に出馬させた。佐藤は三木武夫との、一騎打ちに勝ち4選したが、政権末期の約一年間に、求心力が急速に低下し事実上「禅譲」が不可能になった。川島は党人派として田中に総理総裁への道を開いた。

 策士というか何というか。

大福密約:
 自民党の有力議員であった大平正芳福田赳夫の間の密約のこと。
 1976年の第34回衆議院議員総選挙自民党が敗北し、三木武夫首相が辞意を表明。そこで、次期総理総裁を誰にするかは福田か田中派と協力関係にある大平に絞られた。
 福田と大平は品川のホテルで福田派から園田直*3、大平派から鈴木善幸が立会いの下、
・大平は福田を総理総裁推挙に協力すること。
・福田は大平を幹事長にして党務を委ねる事。
・総裁任期を3年から2年にする。
とする覚書を締結。大角両派と福田派が協力関係を結んで、福田首相・大平幹事長体制が確立し、福田内閣が発足した。総理総裁ポストに意欲を持つ大平が福田に総理総裁ポストを譲って総裁任期を3年から2年にしたことは、福田は再選せず2年で大平へ政権を禅譲することを了承したものと解釈された。
 密約から2年後の1978年、福田は大平へ政権禅譲を拒否し、総裁選に出馬したため、大福提携が崩壊した。福田と大平は総裁選で総裁ポストを争うも、福田は大角両派に切り崩され敗北し、大平が総理総裁となった。

 密約を結ぶこと自体ほめられませんが、ハナから守る気のない福田はタヌキですな。
 ちなみにこの時、本選挙をすれば大平に負けるかもしれないが予備選では勝てると思った福田は「予備選で負けたら本選挙には出るべきではない」と語り、かえって自分の首を締めます。予備選で自分が大平に負けてしまうからです。この時、泣く泣く本選挙を辞退した福田が吐いた迷言が「天の声にも変な声もたまにはある」です。

2)id:gryphon氏のトラバがついてるので興味のある方はご参照を。
 要約すれば「戦後も憲政の常道はある(例:衆院第一党から議長は出すべき)」「私も千葉氏の件が憲政の常道という証拠はないが、批判するあなたも否定する証拠ないんでしょ」。
 前者については保留。例えば、土井氏の件については、「言行不一致は良くない」(考えが変わったと言うことなんでしょうが)と思いますが、それって果たして本当に「憲政の常道」と言えるほどのものなんでしょうか?。
 「俺はこうあるべきだと思う」レベルのことを「憲政の常道」というのはおかしいでしょう。 
 後者については「逆じゃないの?」と。「憲政の常道」だと千葉氏を批判する方が証拠を出すべきで何故こちらが証拠を出さないといけないんでしょう?。

*1:鳩山内閣で農林大臣、岸内閣で経済企画庁長官、池田内閣で農林大臣、建設大臣

*2:自民党幹事長、副総裁を歴任

*3:福田内閣官房長官外務大臣