新刊紹介:「歴史評論」2月号(追記・訂正あり)

詳しくは歴史科学協議会のホームページをご覧ください。

http://www.maroon.dti.ne.jp/rekikakyo/

特集「日米同盟と憲法9条
 日米同盟という言葉については次のような歴史があることに注意が必要だろう。日米安保の現状を支持するにせよ、批判するにせよこうした歴史に注意せず日米同盟という言葉を使うことは、「鈴木善幸的な価値観(日米安保を支持しながらもハト派として一定の縛りをかけようとする)」の無視であろう。

鈴木善幸*1(ウィキペ参照)
 社会党から政界入りしたこともあって外交・安保面ではハト派色が強かった。1981年(昭和56年)5月のレーガン大統領との会談後、記者会見で日米安保条約は軍事同盟ではないと発言。これに宮澤喜一*2内閣官房長官も同調したが、タカ派である外務大臣伊東正義*3は「軍事同盟の意味合いが含まれているのは当然だ」と反発して辞表を提出し、外相を辞任した。


■「マスメディアにおける普天間問題と日米同盟、憲法9条 ―朝日新聞「社説」を中心に―」(上野輝将)
(内容要約)
朝日は産経や読売といった右派メディアに比べればましだが、日米安保(日米同盟)を絶対視し、沖縄に対し冷たい視線という点では違いはない。現在主筆をつとめる若宮啓文が著書『闘う社説』(2008年、講談社)で公然と認めているように有事立法反対から賛成に転じるなど、2000年以降は急速に右傾化を深めている。


■「日米関係『再生』構想が描く21世紀の世界―K・E・カルダーの著作をもとに−」(小林啓治)
(内容要約)
カルダーは『米軍再編の政治学』(邦訳、2008年、日本経済新聞出版社)では日米同盟を安定した同盟と主張したが、その後の著書『日米同盟の静かなる危機』(邦訳、2008年、ウエッジ)では題名からわかるように日米同盟の危機を主張している。
カルダーの認識の変化には
1「日本国内の米軍基地批判運動の高まり」もあるが、それだけでなく
2「にもかかわらず、カルダーらが現状維持ではなく、米軍基地強化を狙っていること」があげられる。そうした基地強化論の背景には「中国の高い経済成長」があるとみられる。


■書評:根本敬「抵抗と協力のはざま:近代ビルマ史のなかのイギリスと日本」(佐藤いづみ)
(内容要約)
まずはググって見つけた書評を紹介する。

http://booklog.kinokuniya.co.jp/hayase/archives/2010/08/post_183.html
大阪市立大学大学院・早瀬晋三の書評ブログ
 1989年にビルマの軍事政権が、対外向けの英語の国名をBurmaからMyanmarに変更した。その後に生まれた学生のなかには、ビルマミャンマーが同じ国であることを知らない者がいる。このワープロも、「ビルマ」と入力すると、毎回赤字で「《地名変更「→ミャンマー」》」が表示される。この地名変更のころまで、ビルマと日本は「特別の関係」にあった。それは、なぜか。本書が、その問いに答えてくれる。
 本書の内容は、表紙見返しにつぎのように適確に述べられている。「植民地期のビルマに生きた政治・行政エリートは、宗主国イギリス、占領者日本にどう向き合い、いかに独立を達成したのか。初代首相バモオ、国民的英雄アウンサン、その「暗殺者」ウー・ソオ、そしてコミュニストやエリート官僚たちの歩みをたどり、「抵抗」か「協力」かではとらえきれない、彼らのしたたかなナショナリズムから、近代ビルマ史を論じなおす」。
 著者、根本敬は、従来「抵抗」か「協力」かという二項対立的に単純化したかたちでとらえられてきた、イギリスの植民地から日本の占領、そして独立へのビルマ近代史を、「抵抗と協力のはざま」で政治・行政に携わったビルマ人が、どのように判断し行動していったか、一次資料を渉猟して明らかにすることによって、新たな視座で理解しようとしている。
 歴史的な流れは、「第一章 強制された国家のなかで−植民地ビルマの特徴とナショナリズムの展開」と「終章 独立後の英国・日本との関係−軍の政治的台頭のなかで」を読めばわかる。本書の特徴は、第二〜六章で「抵抗と協力のはざま」で、具体的に考え行動した人びとや集団を考察したことだ。その「抵抗と協力のはざま」を、著者は「序章」で、つぎのように説明している。「「抵抗と協力のはざま」とは、英国や日本に対し抵抗と協力を上手に使い分けながら行動するという意味も含まれてはいるが、より本質的には、協力姿勢を見せることによって相手の信頼を獲得し、その立場を利用して本来のナショナリストとしての要求をしぶとく実現させていく政治的バーゲニング(取り引き)のことを意味する。これはこれで抵抗を貫く場合の危険性とは異なるリスクを背負うことになる。なぜなら、この場合の政治的バーゲニングは圧倒的な力を持つ植民地支配権力に対する相当な妥協を伴うため、常に自国のナショナリズムに対する「裏切り」として周囲に受け止められてしまう可能性がついてまわるからである」。圧倒的な力を持つ権力にとって、短期的な支配は容易であっても、長期的な支配となると支配される側の協力が不可欠となる。それを利用して、支配される側は微妙な匙加減をしながら「取り引き」をすることになる。本書では、その微妙な匙加減を描こうとしている。
 第二〜六章のうち、「第三章 アウンサン−国民的英雄への道」と「第五章 ビルマコミュニスト反日と「苦渋の親英」のはざま」は、著者自身の単行本(『現代アジアの肖像13 アウン・サン−封印された独立ビルマの夢』岩波書店、1996年)を含め、先行研究があり、書くのにそれほど困難はなかっただろう。アウン・サンは独立への道筋を整えた後、32歳の若さで暗殺された国民的英雄である。以前、この「書評空間」でも述べたように、志高く若くして「殉死」し、実際の統治を経験せず汚点の少ない志士は、神格化された英雄として後世いろいろな逸話とともに語り継がれる。アウン・サンもそのひとりで、研究もすすんでいる。共産党は、イデオロギーが明確で議論しやすく、ほかの国・地域との比較も容易なため、内外の研究者の関心を集めやすい。
 本書でもっとも評価されるのは、残りの3章(「第二章 バモオ−知識人政治家の光と影」「第四章 ウー・ソオ−ナショナリストと暗殺者のはざま」「第六章 ビルマ人高等文官−対英協力者とナショナリストのはざま」)で、研究蓄積に乏しく「抵抗」とも「協力」とも判断しがたい人びとの言動を、一次資料にもとづいて詳細に検証したことだ。これらの人びとの「抵抗と協力のはざま」の実態が明らかになることによって、アウン・サンやコミュニストを含む政治・行政エリートの英国と日本に対する対応の全体像が、よりわかりやすく深く理解できるようになる。
 著者は、「二一世紀初頭の現代の視点から、よりいっそう歴史的な奥行きをもって」、近代ビルマ史を理解しようとしている。その背景には、「本書を書き進めながら、現在のビルマの状況を思わないではいられない」状況がある。著者は、「民主化運動指導者アウンサンスーチーの状況についてはもちろん、少数民族が難民となってタイやバングラデシュに流出している現状、軍による抑圧から逃れるため村を捨てて避難生活を余儀なくされている国内避難民の存在などが気になって仕方がなかった」。「一人のビルマ史研究者として、「社会」が身の危険を感じることなく「国家」に対して「物がいえる」状況に、ビルマが少しでも変化することを祈らずにはいられない」という。この括弧付きの「社会」「国家」「物がいえる」の異常さだけでも、著者の思いが伝わってくる。そして、その思いは、ビルマとかかわったご両親の思いを引き継いだようにも感じられた。
 第一章で独立までの歴史的流れをつかんだ後、第二章以下5章にわたって、繰り返しイギリス植民地時代に戻って、個々の人物・集団の行動に則して検証していくのは、いささか疲れたが、なぜ1980年代まで日本はビルマと「特別の関係」にあったのかが理解できた。「抵抗と協力のはざま」で行動したビルマの人びとが、戦後のビルマを支え、イギリスからの独立を期待させた日本をまったく否定できなかったからで、日本もかれらの「歴史的正当化」に応えなければならなかった*4。それが、多額のODA供与になった。ビルマだけではない。東南アジア各国の戦後史をみていくと、日本に対する戦争中の「抵抗と協力のはざま」が見え隠れする。アジア太平洋戦争中の日本の存在は、日本人が想像する以上に大きな影響を戦後も東南アジア各国に与えていた。

http://barbare.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-c677.html
ものろぎや・そりてえる
 本書のタイトルとなっている「抵抗と協力のはざま」とはすなわち、ナショナリストとしての立場を維持しながらも宗主国イギリスもしくは占領者日本と協力、一定の信頼をかち取り、この関係をテコとした政治的バーゲニングによってビルマ独立という最終的目標を目指した行動様式を指している。それはイギリス、日本の圧倒的な政治・軍事力を前にしてやむを得ない戦術であったが、一方で他のナショナリストから「裏切り者」呼ばわりされかねないリスクも同時にはらんでいた。本書は、そうした危ない橋をしたたかな計算をめぐらしながら渡ったビルマ人政治・行政エリートたちの動向をたどることで、一面的なナショナル・ヒストリーの枠組みでは見落とされがちなエアポケットを注意深く拾い上げつつ近代ビルマ史を描きなおしている。
 具体的に取り上げられるのは、イギリス領ビルマで初代首相となったが下野、反英闘争から日本軍に協力、日本軍政下で首相となって大東亜会議にも出席したバモウ。タキン党ナショナリストとして出発、日本軍の南機関で軍事教練を受けてバモウ政権に(注:国防相として)参加したが後にパサパラ(注:反ファシスト人民自由連盟)を率いて抗日蜂起、独立ビルマのリーダーとなる目前で暗殺された国民的英雄アウンサン。イギリス領ビルマで首相在任中、外遊途中のハワイで日本軍の真珠湾攻撃を目撃、日本へ接近したため逮捕され、戦後ビルマに帰国したもののアウンサン暗殺の黒幕として処刑されたウー・ソオ。タキン党ナショナリズムの流れにあるコミュニスト反日(反ファシズム)の立場を貫いたが、革命家としてはイギリス帝国主義と組むなど本来はあり得ないのに「苦渋の親英」を選択、またナショナリズム共産主義革命とのどちらを優先させるかという問題にも呻吟した。イギリス植民地統治下のビルマ人高等文官たちは必ずしも親英ではなく、戦時下のバモウ政権に多数の参加者がいたことからは彼らにもビルマナショナリストとしての考え方が浸透していたことがうかがわれる。
 「抵抗と協力のはざま」という捉え方は、他の地域で例えば「漢奸」「親日派」として指弾された人々を改めて洗いなおす際にも一つの参照枠組になると思われるし、それは「抵抗」言説を基軸としたナショナル・ヒストリーの脱構築によって歴史の理解に幅を広げることにもつながるだろう。ビルマの場合、イギリスからの独立のため対日協力もやむを得なかったという了解が国民的に広く共有されているため「親日派」批判はおこりにくいという事情があるらしい。他方で、アウンサンを英雄とするナショナル・ヒストリーの枠組みでは(ただし、民主化運動でアウンサン・スーチーの存在感が大きくなってからは抑え気味らしい)、暗殺者ウー・ソオのナショナリストとしての側面は完全に無視されており、そうしたあたりにも光を当てて理解の幅を広げようという視点も本書には含まれている。また、ビルマ国軍中心の独立闘争史観において日本軍の南機関の存在が特筆され、それが日本人側の「親日的なビルマ」という歴史認識と共振していた点も指摘される。

『「漢奸」「親日派」として指弾された人々を改めて洗いなおす際にも一つの参照枠組になる』
 うーん、それはどうだろう。根本氏自身も汪兆銘李完用の名をあげ、そうしたことをいってるらしいが、評者・佐藤氏が指摘するように、(汪や李の主観の問題はさておくとしても)結局、バーゲニングに失敗し「売国奴」と大陸中国、台湾や朝鮮の一般民衆に評価されてる汪兆銘(特に汪の場合、有力なライバルとしてすでに蒋介石がいた)や李完用と、一定の成功を収めビルマ民衆に「建国の父」と評価されてるアウンサンを同一視するのは問題がありすぎるように思うが。

【追記】
 id:noharra君がしつこいので思いついたことを追記しておくと「アウンサンが成功し、汪や李が失敗した」のには当然、内在的理由(アウンサン、汪や李の「パーソナリティーや政策」など)と外在的理由(アウンサン、汪や李の置かれた政治的環境)があるわけだが、共通点ばかり注目するとそこが見落とされるのではないかということが佐藤氏は言いたいのであろう。つうか俺も歴史に詳しいわけではないが、蒋介石が抗日方針を打ち出してるあの状況で、日本との提携が現実的かと言ったら、アウンサンと違ってとてもそうは言えないと思うけどね。佐藤氏が言いたいことはそういうことだと俺は理解したし、俺もそれに同意すると。そういう問題点があるという佐藤氏の根本本批判が正しいかどうかは根本本を読んでないのでわからん。まあ、「再評価の内容」はともかく、「再評価」それ自体には佐藤氏は反対していないと思うし俺も反対はしない(まともな歴史学者なら反対はしないだろう)。ただ俺たちが日本人であり、無神経な「再評価」は戦前日本免罪と誤解される危険性があることに注意すべきだろうね。現に歴史修正主義右翼は、自民党タカ派議員など日本に健在なわけだしね。


なお、佐藤氏の書評によると根本氏はビルマ独立の要因として
1「独立を認めないことで共産主義ビルマに広がることをイギリスが恐れた」
2「当時のイギリスは労働党政権で、独立には好意的であった」
3「インド独立運動の高まりで、インド駐留軍をビルマに投入したくても投入できなかった」ことをあげているという。

*1:池田内閣官房長官、佐藤内閣厚生相、福田内閣農水相を歴任

*2:佐藤内閣で通産相、三木内閣で外相、中曽根、竹下、小渕内閣で蔵相、森内閣財務相

*3:大平内閣で官房長官

*4:ただしそれはネウィン独裁のアシストと同義な訳だし、利権ゼロの訳もないが