今日の産経ニュース(2023年6/22日分)

安倍元首相へのやじ訴訟、男性への賠償命令取り消し 札幌高裁 - 産経ニュース
 良くも恥ずかしい判決が出せると心底呆れます。なお、原告2人判断分かれる 安倍首相やじ排除訴訟で札幌高裁 - 産経ニュースということで勝訴判決が維持された原告もいる点を指摘しておきます。
 

就労支援対象者らに化粧品 埼玉・志木 コスメバンクプロジェクト活用 - 産経ニュース

 新型コロナウイルスの感染拡大で、マスクを着用する人が増えたことなど*1から化粧品の流通が減ったとされる。在庫となった製品を活用するため、大手化粧品メーカー*2などが協力
 自治体では昨年8月に千葉県柏市がこの制度を利用して化粧品を配布しており、志木市は県内初、全国で2例目となるという。

 化粧品という「生活必需品(衣食住)」に比べ、当事者以外は気づきにくいところ(あるいは「贅沢」と言われるのを恐れ、当事者が言い出しにくいところ)に目を向けており、大変良い事だと思います。しかし、これを「贅沢」と叩くバカもいるのだろうとは思います。但し「人はパンのみにて生くるものに非ず」、というか「化粧」等の楽しみもないのでは「生きることは苦痛」でしょう。「飯が食えて、寝る場所があって、健康であれば(病気でなければ)いい」という物ではない。
 それにしても「志木ではなく蕨市(共産が与党)」なら個人的には「大変嬉しかった」のですが。


【音声で聴く 戦後史開封】インドネシアに残った日本兵 植民地支配からの解放支援 - 産経ニュース

【産経抄】6月23日 - 産経ニュース
 今回の(ボーガス注:天皇、皇后のインドネシア)訪問のもう一つの大きな意義は、先の大戦が終わった後も現地にとどまりオランダとの独立戦争に身を投じた残留日本兵に、改めて光が当たったことだ。

と言う産経記事もありますが、「残留理由が何か」はともかく、残留日本兵は個人的意思で残ったにすぎず、日本政府の命令ではないので産経のように「日本が独立に貢献」というのはデマも甚だしい。なお、日本兵が残留して「独立戦争」に協力したのはインドネシアだけではなく、例えば「ホーチミン*3ベトナム」もそうです。しかし、「産経ら反共ウヨ」にとって「共産国ベトナムベトナム戦争では佐藤政権が米国を支持)」に日本人が加担したことは認めたくないのか、残留日本兵による「ベトナムの独立支援」にはまず触れません。
 「親日国認定・インドネシア」ばかりを持ち出す。
参考

ベトナムの残留日本兵、生き別れた家族は「架け橋」に [戦後75年特集]:朝日新聞デジタル2020.8.25
 昨年12月18日、大阪市鶴見区福祉施設で杉原剛さん(当時98)が息を引き取った。海軍の兵士として、中国の海南島で敗戦を知った。その後、食糧調達のため船でベトナムに行く際に台風に遭い、ベトナム北部に漂着。旧宗主国のフランスに抵抗するベトナム独立同盟(ベトミン)に協力を要請されてベトナムにとどまり、第1次インドシナ戦争で弾薬の製造や民兵の訓練を担った。

ベトナムに残った元日本兵たちのその後は 子や孫が語り継ぐ いまなお両国の縁つなげる:東京新聞 TOKYO Web2022.9.20
 太平洋戦争で日本が敗戦した後もベトナムに残り、フランスからの独立を目指す戦争(第1次インドシナ戦争)に加わった「ベトナム残留元日本兵」と呼ばれる人びとがいた。
 タインホア省出身で、都内在住のレ・ホン・ナムさん(31)は、2019年12月に98歳で亡くなったベトナム残留元日本兵・杉原剛さんの孫だ。
 海軍下士官だった杉原さんは中国・海南島終戦を迎えた。1945年11月、食料調達のためベトナムへ向かった時、乗った船が台風に遭いハノイ*4近郊の海岸に漂着。ベトナム建国の父、ホー・チ・ミン率いるベトナム独立同盟(後のベトナム民主共和国北ベトナム))に協力を求められた。
 杉原さんはベトナム人女性と結婚し、家庭を持った。ベトナム残留元日本兵の帰国は第1次インドシナ戦争ベトナム民主共和国がフランスに勝利した1954年に始まったが、共和国政府は家族の帯同を認めず、妻子と離れ離れになった。

*1:「など」は「感染予防のための外出自粛」か?

*2:ググったところ伊勢半、花王、コーセー、再春館製薬所資生堂セザンヌ化粧品、日本ロレアル、マンダム等

*3:1890~1969年。ベトナム独立同盟会(ベトミン)主席、ベトナム民主共和国北ベトナム)主席、ベトナム労働党主席を歴任

*4:ベトナムの首都