今日のMSN産経ニュース(2/19分)(追記・訂正あり)

日付が思いっきりずれてますが、毎日更新の形にしたいのでこのまま続けます。

■【採択の危機】教科書は寄贈で調達 町費使えず「無責任」批判も 竹富町
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120222/edc12022218580007-n2.htm
 批判してる「地元採択関係者」と言う謎の人物は何者なんでしょうか。
 どうせ「つくる会側の人間」なので名前を出せず(出せば「当事者の批判など客観性があるのか」と批判を受ける)「採択関係者」という謎の肩書きでごまかしてるだけなんでしょうが。
 ちなみに前も書きましたけどルール違反ってのは文科省の見解に過ぎません。そして「町は文科省見解に従え」というなら「産経の大好きな橋下」だって例の条例の件で「違法条例だという文科省見解に従わない」といけないわけです。
 ちなみに橋下はメール調査の件では「厚労省の見解」に反する行為をし、追及されたら「厚労省がただしいとは限らないから従う必要はない」と居直ったようです。どんだけふざけてるんですかね。


■【産経抄】2月22日
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120222/chn12022203050001-n1.htm

自虐的言動というのは、ほめられたものでない。だがこれが上質のユーモアで包まれると、思わずほおが緩み、肩のひとつもたたいてあげたくなる。

・単に中国批判だから大喜びしてる癖に。これが「日本人による日本批判」だとどんなにユーモアにあふれていようと「自虐」の一言で非難するのが産経です。ボーガスニュースみたいなのは大嫌いでしょ、産経は?。
 大体その自虐がほめられるかどうかはユーモアの有無と関係ないし。
・日本だって、昔の自民党時代は国会議員は選挙で選ばれてるとは言え「派閥談合で国のトップが決まっており中国を笑えない」「過去には目白の闇将軍という言葉もあった」んですがそういう理解はないんだろうな、産経には。
・ちなみにこのネタは俺は昔の「ソ連東欧ジョーク」、いわゆる「スターリンジョーク」で見た記憶がありますよ。そういう意味では全然新しくないですね。お笑いのネタって割とそういう焼き直しが多い。

習氏は今月、米国を訪問したさい、もう「最高指導者」扱いだった。一党独裁の国ならではのスムーズな権力移譲に見える。だが実態はそう簡単なことではない。大都市の重慶などで、胡錦濤国家主席の勢力の巻き返しが始まっているらしいからだ。
 重慶では習氏と同じ元高級幹部の師弟*1でつくる「太子党」の中心人物、薄煕来氏*2の腹心が失脚した。後任の市公安局トップに就任したのが、胡錦濤氏直系の共青団ホープだ。習氏の盟友である薄氏の力が弱まり「習近平政権」にも影響するという。

そもそも
「薄氏腹心の失脚は薄氏のパワーダウンを狙った」
「薄氏は習氏の盟友」
「習氏と胡氏が対立してる」などという認識自体正しいか、怪しいと思うんですが。

文化大革命を持ち出すまでもなく、きれいごとの裏で凄(すさ)まじい権力争いを繰り返してきたのが一党独裁の現実だ。

別に一党独裁でなくても権力闘争というものはすさまじいものですが。

習近平時代来る」などと浮かれることではない。

それただの事実の指摘じゃない。どこが浮かれてるんだか。習氏失脚の可能性なんかないでしょうし。


■【正論】学習院大学教授・井上寿一 なぜ今、昭和天皇とその時代か
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120222/imp12022203060001-n1.htm
 「なぜ今」も何も「ただの偶然」だと思いますが。

昭和天皇とその時代」は人を惹(ひ)きつけて離さない。昭和が終わって20年以上を経た今もそうである。

引きつけて離さないって表現が産経らしい。
たとえばドイツにおいて「ナチ時代」は重大な研究テーマですがそれを「ヒトラーとその時代は人を引きつけて離さない」と言うかといったらいわないでしょう。別にナチスが好きだから研究してるのではないわけです。
昭和天皇についての研究は「あの戦争はなぜ起こったのか、昭和天皇はどんな役割を果たしたのか」ということで産経の大嫌いな左派系の研究者も昭和天皇への批判意識から行ってるわけですがそういうのは無視するのが産経です。
ここで産経が名をあげた著書にはその種の批判意識はおそらくないんでしょう。産経ですから。

大衆社会状況に対する天皇制の適応

ただし裕仁という人は進んで適応したというより渋々でしょう。それがよくわかるのが増原発言問題で「なぜ増原が批判されるのか」と憤慨した態度です。そして日本人一般はともかく産経のようなウヨは「大衆社会状況に対する天皇制の適応」には裕仁氏同様、否定的でした。
「イギリスのダイアナ妃・チャールズ皇太子スキャンダルみたいなのは困る」とか言って。

昭和7(1932)年5月に政党内閣が崩壊する。

 犬養首相の暗殺(515事件)ですな。ポスト犬養に政党人を当てるという選択肢も当然ありますが、西園寺や天皇はその選択肢をとりませんでした。

体制の統合主体を失った戦前日本の政治は、危機的な状況の中での意思決定を天皇に依存するようになる。

何で「政党内閣の終了=体制の統合主体を失ったこと」になるんですかね。そして政党内閣かどうかと「意思決定に果たす天皇の役割の大きさ」とは必ずしも関係ないと思いますが。

かつて皇太子の婚約決定の際、社会学者の藤竹暁氏は「『天皇への敬意』は消えたか」と題する論考において、天皇に対する好感感覚の増大と尊敬感覚の減少を示す世論調査のデータから、「天皇制の空洞化」を導き出した。

それがいわゆる「大衆天皇制」ってやつですが。今更「天皇への戦前型敬意の復活」なんかすべきでもなければできる話でもないでしょう。

今日の日本では対米感情の悪化が著しい。

えっ、そうか?、としかいいようがない。


【追記】
この井上論文には面白い突っ込みがされています。

産経新聞愛読者倶楽部「不敬! 天皇陛下のお名前を「昭仁」と誤記」
http://d.hatena.ne.jp/sankeiaidokusya/20120222/p1

 自称保守の新聞がずいぶん豪快な誤記をやってくれるものですね。まあ確かに「近藤昭仁」とか昭仁という名の著名人がいるわけですが。

井上寿一は正論新風賞の受賞を辞退すべきである。

「この誤記をやらかしたのが井上氏(井上氏の原稿自体が間違っていた)」とか「誤記をやらかしたのは産経だが掲載前に誤記の記事が確認用として井上氏に渡された、しかし氏は見落とした」のならともかく現段階では井上氏のミスとは断定できないから、「たとえ今上が笑って許してくれたとしても許せる間違いではない」という極端な尊皇的立場にたったとしても「自らの愚行を恥じて辞退しろ」とまでは言えないでしょう。
 それとも「産経がこの問題でまともな謝罪の態度を示さない限りウヨとして抗議の意志を示すため辞退せよ」ということでしょうか?

*1:子弟が正しい

*2:重慶市党委員会書記