いつもどおりid:noharra氏に突っ込む(6/18分)(追記・訂正あり)

「卑劣漢」id:noharra先生が卑劣にもid:noharraエントリに俺がコメントを書き込むと問答無用で削除すると無茶苦茶なことを公言していることを指摘しておく。何でも俺が過去の問題発言を謝罪しないから「削除して何が悪い」ということだそうだ。ま、削除云々に関係なくコメ欄より「書き直しがきく」エントリの方が書きやすいのではあるが。
陰口叩いてると言われないようにidコールしておく。以下の俺の文章にid:noharraがどう応答するか楽しみ。どうせ完全無視だろうが。不誠実極まりないクズ野郎だからな。
で、今回突っ込むネタは以下の2エントリである。

野原エントリ
1)『死者の季節』(http://d.hatena.ne.jp/noharra/20130810#p1
2)『聖断をめぐって』(http://d.hatena.ne.jp/noharra/20130818#p1

1)エントリにおいてid:noharra

圧倒的な不幸の累積を、切断し、平和をもたらした物は、ヒロヒト天皇の聖断であった。

とどう見てもいわゆる「聖断神話」に立った上で、裕仁氏を褒めてるとしか思えない文章を書いたので小生がコメ欄で

・何が聖断だよ、バーカ。戦争を起こしておいて聖断なんて理屈がとおると思ってるのかよ
・あの行為は裕仁の保身に過ぎず「聖断」なんて褒める行為では全くありません。「遅すぎた聖断」という山田朗*1や纐纈厚氏*2の意見をどう思いますか?

と突っ込んだ。そうしたらご本人曰く

褒めていません。
ヒロヒトに「遅すぎた聖断」の責任を問うべきであることは、当然です。
戦後はそれから始めるべきでした。

だそうだ。俺から突っ込まれて始めて

ヒロヒトに「遅すぎた聖断」の責任を問うべきであることは、当然です。

と「遅すぎた聖断論」に触れた人間が「聖断を褒めてません」と強弁するのだから呆れて物も言えない。詭弁屋とはid:noharraのことを言うと思う。全く態度が慰安婦問題での橋下そっくりだ。

【追記】
id:noharra先生が追記してるのでそこにコメントしておこう。

終戦の聖断」と書くときには、カギ括弧を付けるべきだというのが、シモツカレの主張。

別にカギ括弧をつけなくてもいいんですよ。あなたが
1)「終戦の聖断」と言う表現を文字通り「聖断だ、昭和天皇はすばらしい」と思ってる場合か、
2)「聖断だ、すばらしいと思っていないこと」がカギ括弧を使わなくても前後の文脈でわかる場合、であれば。
 で俺はあなたは1)だと理解した上で1)の立場は支持しないと批判しただけなんですが。
 それに対してあなたは
3)『いや、前後の文脈で聖断だ、すばらしいと思ってないことがわかるはずだ』と強弁されてるわけですがその強弁を俺は支持しないと言うだけの話です。

そもそも、正解が先にあるのなら、何のために、書き、読んでいるのだろう。

言ってることが意味不明。小生は「あなたの文章」を「昭和天皇聖断論」と理解した上で「あの行為は保身だから聖断といって褒めるような行為じゃない」と批判しただけです。ご自分が批判されるのがそんなに嫌ですか?。
 批判相手を「正解が先にあるのなら、何のために、書き、読んでいるのだろう」とけなさずにはいられませんか?

私の文章が不快なら読まないようにしていただきたい。

ま、あなたの文章が読んでて不快なのは否定しませんが、「主張が間違ってると思う」と批判されて、「不快なら読むな」ですか?。無茶苦茶な物言いですね。

批判は歓迎すべきだが、貴方のは私という他者にまで届いておらず批判になっていない。

 そりゃあ届かないでしょう。あなた、小生に限らず、自分の気に入らない批判には耳を傾ける意思の全くないクズですから。まあ、他人(例えば小生)の批判を「お前の批判なんか批判と認めない」で済ますのなら常に大勝利でしょう。どこが「質問大歓迎」なんでしょうか。実にばかばかしい。
 なお、こちらの方こそ「あなたが批判と思ってるらしい駄文」など「私(ボーガス)という他者にまで届いておらず批判になっていない」と思うんですけどね。

特に、バトラー云々はあなたに読ませるために書いたのではない。どんだけナルシスト。

おいおい、としか言いようがないですね。不特定多数を相手にするブログに書けば、それは交換日記に書いてるのとは違って、当然小生も読むわけです。どっちがナルシストなんでしょうか。
「お前には書いてない」とは何という苦しい言い訳なんでしょうか?。そもそも小生は「俺も含めてバトラーを知らない人間もいるのに、後で、『聖断をめぐって』(http://d.hatena.ne.jp/noharra/20130818#p1)によってバトラー理論を持ち出さないと意味がわからないような文章『死者の季節』(http://d.hatena.ne.jp/noharra/20130810#p1)を書いて意味があるのか(ただしバトラー理論とやらを持ち出しても意味不明でしたが)」と書いたのであって、「小生に読ませる」云々なんて全く関係ないでしょうに。


次に2)エントリ。
「聖断論で昭和天皇を賛美している」と俺に非難されたことがid:noharraにはつらかったらしく、「バトラーのパフォーマティヴィティ」がどうとか言って自己正当化を図るのだが全く意味がわからない。正当化に失敗していると言っていいだろう。
 全く関係のないこと(バトラーのパフォーマティヴィティ)を言いだし、自己正当化を図り、失敗すれば「勉強しろ」と居直る算段なのだろう。全くもって詭弁のやり口が橋下そっくりな御仁である。二代目「橋下徹」を襲名してはいかがか。

1945.8までは万世一系天皇が統治する神の国だったのだから、「聖断」(正確には御聖断)はそうしたイデオロギーを遂行的に確認する言葉だ。

ばかばかしい。1)エントリにおけるあの書き方で「当時聖断と言ってたから、当時の言葉として使っただけです」というようにid:noharraの文章が読めるだろうか。
よし、今後は俺も「イデオロギーを遂行的に確認するために」、隣国のことを北朝鮮とは呼ばずに「共和国(朝鮮民主主義人民共和国の略称)」とでも呼び「隣国がそう自称するから使っただけです」ということにするかな。勿論皮肉だが。
(マジレスしとくと北朝鮮と呼ばない場合は、共和国ではなく朝鮮と呼ぶと思う。共和国と書いたのでは前後の文脈を読まないとどこの共和国かわからない。たとえば中国も「中華人民共和国(共和国)」だ。また朝鮮の方が一文字少なくて経済的である。それに小生は失礼ながらあの国を「共和国」とは理解していない。やはり独裁国家だろうと思う。ただ「隣国が自称してるから礼儀として『共和国』を略称として使いました」「たいていの場合、前後の文脈でわかるじゃん」というのは一理あるとは思う。「実態と違うじゃん」と言ったら「公明でない」公明党は「創価学会政治部」とでも呼ばなければならなくなる)。
 ま、俺がそうすると「あの国を共和国と呼ぶとは何だ!」とか言い出すのがid:noharraだろうが。id:noharraはアホすぎてつきあいきれないぜ。小生的には「つきあってる」のではなく「中韓が安倍の靖国参拝を批判するのと同様」、id:noharraというバカを批判しているだけですが。

その終結の功績はあるとし

まあ、松代大本営で徹底抗戦なんかされて死者を増加させられるよりはあの時点で降伏してもらった方がありがたい。でもそれって感謝するようなことじゃないでしょう。目的は裕仁氏の保身なんだから。また降伏するならもっと早い時期に降伏があり得た。「近衛上奏文」がでた時点とか。「戦果があがってからじゃないと降伏できない」と上奏文を無視した裕仁氏の行為をid:noharra先生はどう思いますか?。
小生の考えに何ら矛盾なんかない。
何でこのくらいのことがわからないかね。

815の以降の日本については平和という言葉で肯定する。

いや何時俺が肯定したの?(もちろん全否定はしていないが、全肯定もしていない。小生のエントリ読んで「全肯定している」と思える人間はただのバカだろ。小生の安倍政権批判ってのは「戦後全肯定」になるの?)。
「松代大本営で徹底抗戦されるよりは8/15に終戦で良かった」と書いただけでしょ?。
「8/15以降に降伏されるより、8/15降伏の方が死者が少なくていい(できれば8/15よりも早いほうが良かった)」と書くと「815の以降の日本については平和という言葉で肯定」したことになるの?。文書読解力がなさ過ぎだろ。

国家の意思=ヒロヒトの意思説のようだ。

だって彼は「国家元首、軍最高司令官」ですから。その人の意思が国家の意思じゃないんですか?。彼の意思が100%貫徹したかどうかはともかく*3、少なくとも彼の意思を完全に無視した政策は実行できないなんて事は歴史学の常識でしょうが。

そもそも、ヒロヒト天皇機関説を守っていたとし、その例外として行われた行為を「聖断」という、のだが、常識がないらしい。

言ってる意味が理解不能。どっちが常識がないのやら。
そういう主張をして「だから俺が太平洋戦争開戦を防げなかったのは仕方がないんだ」と裕仁が言い訳してるのは事実ですけど「そんな例外など存在しない」と言う批判が歴史学の常識ですよ。
 基本的に終戦当時の政府は「陸軍を除いて」、ポツダム宣言受諾で一致していましたが陸軍が同意しないので「やむなく天皇の権威」で陸軍を黙らせたに過ぎません。そういうこと(天皇の権威を持ち出す)はまず普通はないんですが、ただそれは「天皇機関説の例外」とか「聖断」とか言う話じゃない。
 山田朗、纐纈厚共著『遅すぎた聖断:昭和天皇の戦争指導と戦争責任』(1991年、昭和出版)、山田朗昭和天皇の軍事思想と戦略』(2002年、校倉書房)、井上清史論集〈4〉『天皇の戦争責任』(2004年、岩波現代文庫)、纐纈厚『「聖断」虚構と昭和天皇』(2009年、新日本出版社)でもお読みになったらいかがですか?。纐纈先生に至ってははっきりと著書名でも「聖断なんて虚構(フィクション)」と言ってますよね、聖断にカギ括弧もつけてますし。
 大体「天皇機関説を守ること」と「天皇がリーダーシップを発揮すること」は矛盾しませんけど?。
 聖断とは「天皇機関説の例外(天皇機関説の逸脱行為)」なんて言ったら笑われますから注意しましょうね。日本史関係(あるいは天皇関係か?)ではろくな本読んでないんだなあ、id:noharraは。
 いやそもそも「一冊もまともな本は読んでないのがid:noharra」かもしれないが。
 ああ、それと「大日本帝国憲法を遵守するしかなかった」と言い訳してる裕仁が戦後、日本国憲法を無視して政治的言動してる事をどう思います?。
 小生も以前『「天皇による天皇の政治的利用」の紹介』(http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20091225/1260000031)でいくつか取り上げましたけど、沖縄メッセージとか、増原長官問題とかどう思います?。
 自分に都合が悪ければ「日本国憲法なんか知ったことか」と権力を失った戦後もまるで元首気取りの男・裕仁氏が「天皇機関説の制約で開戦に賛成した」と言うと、それを信用するんですか?。頭の馬鹿さがすばらしいですね。

めんどいが

「めんどいが」と言う割には後に続く文章が全く無内容ですね。id:noharra先生はこの程度の文章を書くことが「めんどい」んですか?

「「そんな例外など存在しない」と言う批判が歴史学の常識」、まあそうかもしれない。

おいおい。
「まあ、そうかもしれない」ってのはどういうことですか?。「俺の意見は間違いない」と言う自信がないのなら人に向かって「常識がない」呼ばわりしたことをまずはわびたらどうですか?
 そして小生が紹介した、山田朗、纐纈厚共著『遅すぎた聖断:昭和天皇の戦争指導と戦争責任』(1991年、昭和出版)、山田朗昭和天皇の軍事思想と戦略』(2002年、校倉書房)、井上清史論集〈4〉『天皇の戦争責任』(2004年、岩波現代文庫)、纐纈厚『「聖断」虚構と昭和天皇』(2009年、新日本出版社)などを読んで「終戦の聖断」について改めて考える気はないんですか?(読めばこういうバカなことは言わなくなるでしょう)。
 「お前の紹介した本など読まない」などとバカなことを言うのはよしましょうね。つうかあなたって天皇の戦争責任について論じた本を1冊でもまともに読んだことがあるんですか?

*1:最近の昭和天皇関係の著書としては『昭和天皇の軍事思想と戦略』(2002年、校倉書房

*2:最近の昭和天皇関係の著書としては『「聖断」虚構と昭和天皇』(2006年、新日本出版社)、『日本降伏』(2013年、日本評論社

*3:周囲の批判による妥協は当然あったと思う