死もまた社会貢献である(葛西敬之の死についての感想。あと三村会頭の発言になんとなく「ほめ殺し」の雰囲気を感じる)

 死もまた社会貢献である(葛西敬之の死についての感想。あと三村会頭の発言になんとなく「ほめ殺し」の雰囲気を感じる) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)への感想です。
 ちなみに「死もまた社会貢献である」とは『陸軍卿、内務卿、第一次伊藤、黒田内閣内務相、首相、第二次伊藤内閣司法相、枢密院議長などの要職を歴任』し、元老として政治力を振るった大物政治家・山県有朋が死去した際に、「山県批判派だった」石橋湛山*1が述べたとされる言葉です。
 石橋湛山(立場的には自民党リベラル、ハト派)については

【刊行年順(刊行年が同じ場合は著者名順)】
◆増田弘*2石橋湛山研究:「小日本主義者」の国際認識』(1990年、東洋経済新報社
◆姜克実*3石橋湛山の思想史的研究』(1992年、早稲田大学出版部)
◆増田弘『侮らず、干渉せず、平伏さず:石橋湛山の対中国外交論』(1993年、草思社
◆姜克実『石橋湛山』(1994年、丸善ライブラリー)
◆増田弘『石橋湛山』(1995年、中公新書
佐高信『孤高を恐れず:石橋湛山の志』(1998年、講談社文庫)
井出孫六石橋湛山と小国主義』(2000年、岩波ブックレット)
◆姜克実『石橋湛山の戦後』(2003年、東洋経済新報社
佐高信『湛山除名:小日本主義の運命』(2004年、岩波現代文庫
田中秀征*4『日本リベラルと石橋湛山』(2004年、講談社選書メチエ)
◆姜克実『晩年の石橋湛山と平和主義』(2006年、明石書店
◆増田弘『石橋湛山』(2007年、ミネルヴァ書房日本評伝選)
◆姜克実『石橋湛山』(2014年、吉川弘文館人物叢書
半藤一利『戦う石橋湛山』(2019年、ちくま文庫)

などの評伝、研究書があるので割と有名かと思います。
 三村氏は『新日鉄社長、会長』『新日鉄住金相談役』『日本製鉄名誉会長』という大物財界人なのである意味当然ですが

三村明夫 - Wikipedia
国家安全保障局特別顧問(2014年~)
文部科学省中央教育審議会副会長(第4期)、会長(第5期~第7期)
内閣府経済財政諮問会議議員(2008年10月~2009年9月)
内閣府「選択する未来」委員会会長(2014年1月~2014年11月)
経済産業省総合資源エネルギー調査会会長(2007年3月~2014年)

と政府の要職をいろいろやっています。
 また中曽根元首相が設立したシンクタンク世界平和研究所」の副会長も今もやっているらしい(役員一覧 | NPIについて | 公益財団法人 中曽根康弘世界平和研究所参照、ちなみにホームページに寄れば、会長が麻生元首相(現・自民党副総裁)、もう一人の副会長が中曽根元首相の息子である中曽根弘文・元自民党参院議員会長)。
 「中曽根シンクタンクの副会長」とは「かなりの右じゃね?」と思いますが、その彼ですら

「大学の同期*5のよしみで一時期、葛西氏が主宰した『四季の会(ボーガス注:安倍支援が目的とされる財界人の集まり)』にも出席していたが、私たちのような純粋な経済人*6とは違い、彼の場合は政治家とのつきあい方などスケールが一回り大きく、中国に対しても独特な考え方を持っていた」

とはどれほど葛西がトンデモ極右かと言うことでしょう。
 本当に『大学の同期のよしみ』だけなのか、三村氏自身が日本製鉄や製鉄業界のために「安倍との関係」を求めたことはないのかとは思いますが、彼はさすがに極右・安倍へのシンパシーを躊躇なく語れる葛西とは違うのでしょう。

*1:当時、東洋経済新報主幹。戦後、政界入り。吉田内閣蔵相、鳩山内閣通産相を経て首相

*2:東洋英和女学院大学教授、独立行政法人平和祈念事業特別基金(2013年に解散)理事長等を歴任。石橋湛山研究がライフワークの一つ(増田弘 - Wikipedia参照)

*3:岡山大学名誉教授。石橋湛山研究がライフワークの一つ(姜克實 - Wikipedia参照)

*4:新党さきがけ代表代行、細川内閣首相特別補佐、橋本内閣経企庁長官など歴任

*5:ウィキペディアに寄れば二人とも東大法学部卒

*6:ぶっちゃけ「中曽根シンクタンクの副会長」のどこが「純粋な経済人」なのか?(呆)。そう聞かれたら彼は「中曽根氏が創設者とはいえ、社会的意義のあるシンクタンクだ。私は別に中曽根シンパではない」と言いだすんでしょうか?