新刊紹介:「歴史評論」12月号(追記あり)

★特集「2014年・歴史学の焦点」
・一般人の俺的には「2014年・歴史学の焦点」といえば
「安倍政権の暴挙で皮肉にも注目が集まってる慰安婦問題」
「新資料、新発見は何もないようだが宮内庁が発行した昭和天皇実録」なのだが。
 昭和天皇実録についてはいずれかの時点で歴史評論でも扱ってもらえればとは思う。
・なお、詳しくは歴史科学協議会のホームページ(http://www.maroon.dti.ne.jp/rekikakyo/)をご覧ください。興味のあるモノ、「俺なりに内容をそれなりに理解し、要約できたモノ」のみ紹介する。

■「沖ノ島*1研究の現在」(大高広和)
(内容要約)
 2009年に沖ノ島が「ユネスコ世界遺産暫定*2リスト」に登録され注目が集まってることが今回本号で取り上げられた理由のようだ。
・なお、リスト登録については『「宗像・沖ノ島と関連遺産群世界遺産登録推進会議』*3サイト(http://www.okinoshima-heritage.jp/)、宗像観光協会サイト(http://www.genkai.com/index.html)、「宗像・沖ノ島世界遺産市民の会」*4サイト(http://okinosima-citizen.com/greed.html)、ウィキペディア宗像・沖ノ島と関連遺産群』などを参照。まあ、小生には「沖ノ島研究の現在」なんてとても紹介できないので、『沖ノ島』の何が「世界遺産暫定リスト登録」なのか、福津市役所サイト(http://www.city.fukutsu.lg.jp/kankou/shizen/sekaiisan.php)などの記述のうち「歴史関係部分の記述」を引用してお茶を濁しておきます。

http://www.city.fukutsu.lg.jp/kankou/shizen/sekaiisan.php
 沖ノ島宗像市神湊から約60キロメートルの玄界灘沖に浮かぶ周囲約4キロメートル足らずの無人島ですが、ここからは23か所の遺跡と4段階の祭祀形態が確認されています。これらは4世紀後半から10世紀初頭の約600年間にわたって執り行われていた祭祀の跡で、出土した約8万点の奉献品はすべて国宝に指定されています。

http://www.genkai.com/okinoshima.html
 沖ノ島沖津宮では、古くから、国家の安泰と海路の安全を祈って、大和朝廷による国家の繁栄と航海の安全を祈る重大な祭祀が行われていました。宗像大社復興期成会により1954年から3次にわたって行われた発掘調査の結果、その際に奉献されたとみられる鏡、勾玉、金製指輪など、約十万点にも及ぶ神宝が古代祭祀遺跡から発見され、それら関連遺物全てが国宝、重要文化財に指定されました。こうしたことから沖ノ島は「海の正倉院」と称されるほどに、全国的に脚光を浴び、人々の話題をさらいました。


■「インドネシアイスラーム史研究の現在」(小林寧子*5
(内容要約)
 日本人研究者の最近の著作として以下の著作が紹介されている。著書名だけメモしておく。
・服部美奈『インドネシアの近代女子教育:イスラーム改革運動の中の女性』(2001年、勁草書房
・菅原由美『オランダ植民地体制下ジャワにおける宗教運動:写本に見る19世紀インドネシアイスラーム潮流』(2013年、大阪大学出版会)


■「沖縄戦後史研究の現在」(櫻澤誠*6
(内容要約)
 2000年以降の沖縄戦後史研究について以下の著作が紹介されている。著書名だけメモしておく。
【日米関係、沖縄基地問題
・宮里政玄『日米関係と沖縄:1945〜1972*7』(2000年、岩波書店
 戦後沖縄史研究の草分け的存在の一人であり、『アメリカの沖縄統治』(1966年、岩波書店)、『戦後沖縄の政治と法:1945〜1972年』(編著、1975年、東京大学出版会)などの著書がある。
・エルドリッヂ『沖縄問題の起源:戦後日米関係における沖縄(1945〜1952*8)』(2003年、名古屋大学出版会)、『奄美返還と日米関係:戦後アメリカの奄美・沖縄占領とアジア戦略』(2003年、南方新社
我部政明『戦後日米関係と安全保障』(2007年、吉川弘文館
 他にも『日米関係のなかの沖縄』(1996年、三一書房)、『沖縄返還とは何だったのか:日米戦後交渉史の中で』(2000年、日本放送出版協会)、『世界のなかの沖縄、沖縄のなかの日本:基地の政治学』(2003年、世織書房)と言った著書がある。
・明田川融『沖縄基地問題の歴史』(2008年、みすず書房
中島琢磨沖縄返還日米安保体制』(2012年、有斐閣
・平良好利『戦後沖縄と米軍基地:「受容」と「拒絶」のはざまで:1945〜1972』(2012年、法政大学出版局
・鳥山淳『沖縄/基地社会の起源と相克:1945〜1956*9』(2013年、勁草書房


【それ以外】
多田治『沖縄イメージの誕生:青い海のカルチュラル・スタディーズ』(2004年、東洋経済新報社)、『沖縄イメージを旅する:柳田國男*10から移住ブームまで』(2008年、中公新書ラクレ
・奥平一『戦後沖縄教育運動史:復帰運動における沖縄教職員会の光と影』(2010年、ボーダーインク
加藤政洋那覇:戦後の都市復興と歓楽街』(2011年、フォレスト)
 ただし加藤の著書は『大阪のスラムと盛り場』(2002年、創元社)、『京の花街ものがたり』(2009年、角川選書)、『神戸の花街・盛り場考:モダン都市のにぎわい』(2009年、神戸新聞総合出版センター)ということで沖縄研究が専門の訳ではない。
鹿野政直『沖縄の戦後思想を考える』(2011年、岩波書店
・川手摂『戦後琉球の公務員制度史:米軍統治下における「日本化」の諸相』(2012年、東京大学出版会
軽部謙介*11『ドキュメント・沖縄経済処分:密約とドル回収』(2012年、岩波書店
小川忠『戦後米国の沖縄文化戦略:琉球大学とミシガン・ミッション』(2013年、岩波書店
・岸政彦『同化と他者化:戦後沖縄の本土就業者たち』(2013年、ナカニシヤ出版)
・小松寛『戦後沖縄における帰属論争と民族意識:日本復帰と反復帰*12』(2013年、早稲田大学出版部)
・三上絢子『米国軍政下の奄美・沖縄経済』(2013年、南方新社
・澤田佳世『戦後沖縄の生殖をめぐるポリティクス:米軍統治下の出生力転換と女たちの交渉』(2014年、大月書店)


■「口述資料が映す米騒動*13の女性労働者:警察資料を越えて」(斉藤正美)
(内容要約)
 以前、斉藤氏は、歴史評論2011年8月号に
■書評「井本三男『水橋町(富山県)の米騒動』」(斉藤正美)という書評をお書きになっておられる。今回の論文はその書評の続きと見ればよろしかろう。
 そのとき、小生は『「歴史評論」8月号(追記・訂正あり)』
http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20110720/5210278609
で紹介させていただいた。いや実際には斉藤氏の書評をうまく紹介できず、「斉藤氏ブログの書評と同内容のエントリ」
■「井本三夫『水橋町(富山県)の米騒動』から思い出して拙稿をアップしました」http://d.hatena.ne.jp/discour/20110331/p1
■「井本三夫、勝山敏一による富山・米騒動研究書の刊行」
http://d.hatena.ne.jp/discour/20101119/p1
をただ紹介してお茶を濁すという酷さだったのだが。
 であるにもかかわらず、後に斉藤氏には
■「研究に入り込む研究者の視点」
http://d.hatena.ne.jp/discour/20110809/p1#
で拙エントリをご紹介頂いた。もちろんこれは拙エントリが優れているなどと言うわけでは無論なく、
1)斉藤氏が義理堅い方
2)小生のような歴史エントリがはてな村にそもそも少ないのであえて紹介
などと言う事によるご紹介であることはもちろん理解しております。
 で小生、自分の無能は自覚しておりますので「前回同様、何かこの書評がらみのエントリが斉藤氏ブログにないかなと思ったのですが」、残念ながら今回はないですね。
 小生は無能なので今回もうまく紹介できませんが斉藤論文のポイントは論文タイトルにもなってる「女性労働者」、それと「警察資料を越えて」てところですね(強調の太字にしてみました)。前回の斉藤氏エントリや斉藤氏書評でも既に指摘がありましたが「米騒動は主婦の運動と見なされがち*14だが」、「陸仲仕(おかなかせ)」という女性労働者の運動なんだ、労働運動の一種なんだ、そして「主婦の運動」という誤認識には「警察資料に依拠したことが影響した、警察資料を越えて米騒動参加者などの口述資料の活用を」という話です。
 なお、陸仲仕というのは今風にわかりやすく言えば「港湾労働者」でしょう。
 で斉藤氏の以前のエントリに寄れば陸仲仕とは

http://d.hatena.ne.jp/discour/20101119/p1
32貫(120㎏)*15の荷物を1人で運んでいた力丈夫

というんだから相当のタフマンですね。いや女性だからタフウーマンか。小生のような「軟弱男」ではとてもそんなハードな労働はつとまりません。ええ、小生デスクワークのサラリーマンですから。
 つうか富山の陸仲仕がどうだったのかは知りませんが、もし「山口組が仕切っていたと言われる過去の神戸港湾労働」のようなこと(つまりヤクザの介入)が富山でもあったのならそう言う意味でもタフウーマンでしょう。
 なお「米騒動を労働運動としてみることの重要性の指摘」が「斉藤論文の全て」ではもちろんありませんので実際に歴史評論論文を読んでいただけると幸いです。


【2014年11/20追記】
 本エントリコメ欄で斉藤氏(id:discour氏)から

丁寧なご紹介をいただき、恐れ入ります。どうもありがとうございます。実は、私の方にはまだ本号がとどいていないのです(悲)。届いてから少し書いてみようかなと思っております。その節はまたご批評ください。よろしくお願いします。

と過分なお言葉を頂戴しました。「斉藤氏が何かお書きになったら批評なんて大それた事はできないまでもご紹介しないと無礼に当たる」と気にしていたのですが、斉藤氏のほうからわざわざトラバして下さいました。しかも小生の名前にまで言及していただいております。
 ありがとうございます。MukkeさんのようなトラバではなくBill_McCrearyさんや斉藤氏のようなトラバなら大歓迎です。
 さて斉藤氏のエントリは以下の通りです。
■『「口述史料が映す米騒動の女性労働者——警察史料を越えて」が『歴史評論』12月号に掲載されました。』
http://d.hatena.ne.jp/discour/20141120/p1

 無能故、あまり批評することもないのですが、コメント。

今日、ようやく『歴史評論』12月号が届きました。

 コメ欄に既に書きましたが、寄稿者・斉藤氏より、「一般読者の方(つまり小生)」の方が先に雑誌を手にすると言うのは変な気がしますが、仕方がないのでしょうかね。

警察文書というものが、民衆の動きを常に小さく小さく見せるような操作をしていることは、米騒動という民衆運動の事例を振り返ると本当によくわかります。そして、研究者もそうした警察資料に欺かれてきたことは、米騒動研究の系譜をみると残念ながら事実であることがわかります。

 まあ、今でも「沖縄基地反対集会や原発反対集会での集会者数」などは明らかに警察(政治公安警察)は「過小評価しようとしている(主催者発表と大幅にズレがある*16)」ので斉藤氏の言う事は感覚的に今の人間でも分かるでしょう。
 こうした「警察の政治操作」は何も日本に限ったことではなく外国でもあることでたとえば「イスラエルパレスチナ支配」「中国のチベット支配」なんかでも話は同じでしょう。
 また、「うかつに警察資料を信じると後が怖い」というのは斉藤氏の言う米騒動に限らず、他の社会運動とて同じでしょうね。

 現在、特定秘密保護法の制定など政府の統制が進み、警察権力が大きくなっている中、こうした過去の民衆運動とそれへの警察対応の研究は、参照されるべき事例と思います。

 なるほど、それは気付きませんでしたが確かにそうかも知れません。(なお、斉藤氏の歴史評論論文にもこの一文「特定秘密保護法」云々があるかと思い改めて読み直しましたが、明確な形では書いてありませんでした。)


【2014年11月21日追記】
 コメ欄でid:discour氏(斉藤氏)ご本人から、ご指摘がありますが特定秘密保護法への言及はありました。小生が見落としていたわけで申し訳ありません。


【2014年12/12追記】
 いつの間にかdiscour氏(斎藤氏)のエントリが彼女のブログから削除されていたので何が起こったのかと首をひねったのですがその理由が、月刊「歴史評論」1月号の記事「歴史評論第776号(2012年12月号)に掲載した斎藤正美氏の論文について」で判明しました。
 小生もうかつにも気付かなかったのですが、斎藤氏はこの論文でいわゆる被差別部落のことを「特殊部落」と表記していました。過去において「特殊部落」と言う表記が差別的意味合いで使われることがあり、そのため、たびたび部落解放同盟の糾弾をうけたことも知っていれば「少々不適切な表記ではあった」と言えるでしょう。
 「しかし」です。斎藤氏の文章が特殊部落と表記したのは「米騒動は単なる専業主婦の陳情運動ではない。労働運動や部落解放運動(斎藤氏の表現だと「特殊部落の人々の運動」)との共通点を見いだすべきだ。もっと積極評価すべきだ」と言う文脈、意味合いであってそこには「差別的意図はない」とみなすべきでしょう。であるならば「その部分を書き直せばすむこと」でしょう。「特殊部落」の一語を理由に「歴史評論から削除する方針を決定しそのことを斎藤氏に伝え了解を得た*17」という歴史評論編集部、そして歴史評論の編集主体である学術団体「歴史科学協議会(歴科協)」執行部の対応はまさに「悪しき言葉狩り」「悪しき解放同盟タブー」「悪しき言論弾圧」「悪しき事なかれ主義」以外の何物でもないと小生は理解します。
 斎藤氏が了解したから削除していいんだという話ではない。弱るのはこうした「間違った行為」を「歴科協代表理事・服藤早苗*18、塚田孝*19」の連名で、つまり公式見解として斎藤論文削除を『盗作や二重投稿*20の削除*21と同様の正当な行為』として歴史評論編集部が発表したことでしょう。正直「歴史評論の購入を今後辞めようか」と思いたくなる愚挙です。
 「人権感覚を疑われる行為をして申し訳ない」てそれは編集部の斎藤氏に対する言論抑圧行為ではないのか。あるいは斎藤氏の論文よりも、以前小生が『新刊紹介:「歴史評論」11月号(追記あり)』(http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20131020/5210278609)で批判した栗田禎子氏*22の「エジプトのモルシ打倒軍事クーデターを正当化してるとしか思えない駄文」こそ「栗田論文を平然と掲載した歴史評論編集部の人権感覚が疑われる行為」ではないのか。まあ小生と歴史評論編集部の「歴史観や人権感覚」が相当にかけ離れてるらしいことは分かりました。 


■歴史の眼『埼玉での理不尽な教育への政治介入と今後の課題』(関原正裕)
(内容要約)
 何が不当な「政治介入」なのかは以下の赤旗記事を読めば分かるでしょう。安倍政権、上田*23県政下で行われる、こうした不当な政治介入にどう立ち向かっていくか、どう是正するか、まさに日本の、そして埼玉の民主主義の真価が問われているわけです。なお本論文では「埼玉での日の丸君が代」問題が扱われていますが何も右翼政治家によって「教育の場から排除されようとしている」のはそれだけではなく「南京事件」「慰安婦」「関東大震災での朝鮮人虐殺」などもあるわけです。

参考
赤旗
■『埼玉県議会委 教科書採択への圧力、柳下県議 閉会中審査を批判』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-09-03/2013090304_03_1.html
■『「日の丸・君が代」強制記述教科書問題、校長よび「介入」質問、埼玉県議会委』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-09-14/2013091414_01_1.html
■主張『高校教科書採択、現場の意見覆す介入やめよ』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-09-05/2014090501_05_1.html
朝鮮新報
■『横浜の副読本「わかるヨコハマ」改訂、回収問題(上):「朝鮮人虐殺」を抹消』
http://chosonsinbo.com/jp/2014/08/sk282-2/
■『横浜の副読本「わかるヨコハマ」改訂、回収問題(下) 』
http://chosonsinbo.com/jp/2014/09/sk92-3/


■文化の窓『各地の資料ネットから(6):新潟歴史資料救済ネットワークの取り組み』(矢田俊文)
(内容要約)
 新潟歴史資料救済ネットワーク(http://www33.atpages.jp/resniigata/)の取り組みの紹介。


■新刊紹介『内大臣の研究: 明治憲法体制と常侍輔弼』(松田好史)
(内容要約)
 内大臣、枢密院、元老と言った「戦後は存在しない制度」というのは素人には理解が困難なので、いい本があれば助かりますが、この本は9000円もしますからね。
 どう見ても新書のような一般向けではなく専門書なのでちょっと読んでも理解できないでしょうね。
 ちなみに歴代内大臣は以下の通りです。

明治天皇
三条実美(1885〜1891年)
 右大臣、太政大臣を歴任。
徳大寺実則(1891〜1912年)
 侍従長宮内卿を歴任。
大正天皇
桂太郎(1912年)
 伊藤、大隈、山県内閣陸軍大臣、首相を歴任。
伏見宮貞愛親王(1912〜1915年)
大山巌(1915〜1916年)
 伊藤、黒田、山県、松方内閣陸軍大臣、元老を歴任。
松方正義(1917〜1922年)
 伊藤、黒田、山県内閣大蔵大臣、首相、元老を歴任。
・平田東助(1922〜1925年)
 桂内閣農商務大臣、内務大臣を歴任。
・濱尾新(1925年)
 松方内閣文部大臣、東京帝国大学総長、枢密院議長を歴任。
大正天皇昭和天皇
牧野伸顕(1925〜1935年)
 西園寺内閣文部大臣、農商務大臣、第一次世界大戦後のパリ講和会議次席全権大使、宮内大臣を歴任。
昭和天皇
斎藤実(1935〜1936年)
 西園寺、桂、山本内閣海軍大臣朝鮮総督、首相を歴任。二・二六事件により死去。
・一木喜徳郎(1936年)
 大隈内閣文部大臣、内務大臣、枢密院議長を歴任。
・湯浅倉平(1936〜1940年)
 内務官僚。警視総監、内務次官、会計検査院長宮内大臣を歴任。
木戸幸一(1940〜1945年)
 近衛内閣文部大臣、厚生大臣、平沼内閣内務大臣を歴任。東京裁判では終身禁固刑の判決を受けるが、1955年、いわゆる逆コースで仮釈放(木戸同様、終身刑判決をうけた荒木貞夫*24大島浩*25岡敬純*26賀屋興宣*27佐藤賢了*28嶋田繁太郎*29、鈴木貞一*30橋本欣五郎*31、畑俊六*32星野直樹*33も同時期に釈放されている)。

*1:福岡県宗像市に属する玄界灘に浮かぶ周囲4キロの孤島。宗像大社神領で、沖津宮(おきつぐう)が鎮座する(ウィキペ「沖ノ島」参照)

*2:現時点では「正式」ではない

*3:サイト紹介に寄れば福岡県知事が会長を、沖ノ島が属する宗像市の市長が副会長を務め、事務局が福岡県庁世界遺産登録推進室内という役所主導の性格が強いと思われる組織。

*4:宗像市コミュニティ運営協議会、宗像市老人クラブ連合会、宗像青年会議所宗像大社氏子青年会、むなかた歴史を学ぼう会、宗像歴史観光ボランティアの会、宗像観光協会宗像市商工会、宗像農業協同組合、宗像漁業協同組合、鐘崎漁業協同組合による組織

*5:著書『インドネシア・展開するイスラーム』(2008年、名古屋大学出版会)

*6:著書『沖縄の復帰運動と保革対立:沖縄地域社会の変容』(2012年、有志舎)

*7:1972年は沖縄が日本に復帰した年である。

*8:1952年は米国の沖縄統治の根拠となったサンフランシスコ講和条約の締結年である。

*9:1956年はいわゆるプライス勧告と島ぐるみ闘争の起こった年である。プライス勧告等についてはたとえばhttp://www.archives.pref.okinawa.jp/publication/2012/06/post-207.html参照

*10:民俗学者。沖縄について著書『海上の道』(岩波文庫)がある

*11:時事通信経済部次長、ワシントン支局長、ニューヨーク総局長などを経て現在、解説委員長。著書『ドキュメント・ゼロ金利』(2004年、岩波書店)、『ドキュメント・アメリカの金権政治』(2009年、岩波新書)、『日米コメ交渉』(2014年、中公新書)など

*12:復帰直前に唱えられた、いわゆる反復帰論は「現実の復帰論」の問題点を批判したものであり、必ずしも「独立論」や「米国支配継続容認論」ではないことに注意が必要である。従来、左右双方ともに主流派は支持しなかったこともありから軽視される傾向のあった反復帰論であるが現在では一定の研究が行われているようだ。

*13:なお、米騒動だけが原因ではないと思われるが米騒動は当時の寺内内閣の退陣理由の一つとなり原内閣が誕生した。

*14:斉藤氏に寄れば「一般的な俗流理解」だけでなく歴史学の世界すらその傾向が強いようですが

*15:ちなみに江戸時代の米俵の一俵が60キログラム、現在、一般に農協などで使われる米袋の一俵が30キログラムです。小生、この30キログラム米袋を1度試しに持ち上げたことがありますが体力がない人間には30キロですらかなり重いですね。

*16:もちろん主催者側は主催者側で過大評価の傾向があるでしょうが

*17:だからこそ彼女も自ブログから削除したのでしょう。個人的には「私の過ちは認めるがそんな不当な要求には応じられない」と抵抗して欲しかったと思います。もちろんいろいろしがらみもあるのでしょうから無理強いはしませんし、一番おかしいのは「歴史評論編集部」ですが

*18:著書『平安朝の母と子』(1991年、中公新書)、『平安朝の女と男』(1995年、中公新書)、『平安朝の家と女性:北政所の成立』(1997年、平凡社選書)、『平安朝・女性のライフサイクル』(1998年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『「源氏物語」の時代を生きた女性たち』(2000年、NHKライブラリー)、『平安朝に老いを学ぶ』(2001年、朝日選書)、『平安朝の父と子:貴族と庶民の家と養育』(2010年、中公新書)など

*19:著書『都市大坂と非人』(2001年、山川出版社日本史リブレット)、『大坂の非人:乞食・四天王寺転びキリシタン』(2013年、ちくま新書)など

*20:議論するまでもなく不正行為でしょう。盗作は言うまでもなく不正行為だし二重投稿についても歴史評論の投稿規定で禁止されています。

*21:なお、過去にそうした事例が歴史評論ではあるそうです

*22:著書『近代スーダンにおける体制変動と民族形成』(2001年、大月書店)、『中東革命のゆくえ』(2014年、大月書店)

*23:高橋史朗を県教委委員長に任命した過去のある札付きの極右。

*24:犬養内閣陸軍大臣、近衛、平沼内閣文部大臣を歴任

*25:駐ドイツ大使

*26:海軍省軍務局長、海軍次官を歴任

*27:戦前、近衛、東条内閣で大蔵大臣。戦後は自民党政務調査会長(池田総裁時代)、池田内閣法相を歴任

*28:陸軍省軍務局長

*29:東条内閣海軍大臣軍令部総長

*30:近衛、東条内閣企画院総裁

*31:陸軍内の右翼結社桜会の幹部として3月事件、10月事件というクーデター未遂事件に関与

*32:阿部、米内内閣陸軍大臣

*33:近衛内閣企画院総裁、東条内閣書記官長を歴任