■【書評】己の名誉、栄光追求で一貫 『近衛文麿*1 野望と挫折』*2林千勝*3著
http://www.sankei.com/life/news/180225/lif1802250013-n1.html
近衛のブレーンとして政権中枢に浸透した尾崎秀実、風見章*4ら共産主義者たちが日支事変を泥沼化*5して日本を疲弊させた後、日米を戦わせて*6日本を敗戦革命*7に追い込み、その上で世界の共産化を進めるという世界戦略で動いていたことは明らかである。
「近衛・ソ連の手先説」という「トンデモ右翼の世界では有名な手垢のついた」完全な陰謀論ですね。
こうした陰謀論については「少し引用が長くなりますが」
http://www.geocities.jp/yu77799/Comintern/nakagawa1.html
■あるいは共産主義者でいっぱいの日本:中川八洋*8『近衛文麿の戦争責任』*9(1)
中川八洋氏『近衛文麿の戦争責任』が描く戦前日本のイメージは、何とも異様なものです。 何しろ、近衛文麿をはじめ、松本重治、犬養健、影佐禎昭、三木清などという、戦前日本のビッグスターたちは、実は「共産主義者」だった。 日本が戦争に引きずりこまれたのは、コミンテルンの意を受けた彼らの陰謀であった、というのですから。
(中略)
言うまでもないことですが、日本の共産党組織は、1928年の三・一五事件、1929年の四・一六事件という相次ぐ弾圧によってその力の大部分を失い、最終的には1933年の宮本顕治*10らの逮捕によって事実上潰滅していました。
近衛が最初に首相になった1937年頃になっても、このような大規模な「共産主義者組織」が存在しており、しかも近衛首相自身も「共産主義者」であったというのは、中川氏の明らかな妄想でしょう。
少なくとも、現在に至るも中川氏の所論をサポートするような材料は全く出てきませんし、「歴史学者」でこの奇想天外な説をまともに取り上げる方も存在しません。
しかも、「近衛文麿の最側近たちの(しかもすべてソ連のGRUかNKGBの工作員である)尾崎秀実、松本重治、西園寺公一、大養健らからなる、日中戦争の長期化(講和つぶし)を狙うグループ」に至っては、 何を根拠にそのような無茶を言い出すのか、読んでいる方が頭が痛くなってきます。
尾崎はともかく、「リベラリスト」として有名な松本重治、立憲政友会(戦後は自民党)代議士であった犬養健まで、どうして「ソ連の工作員」ということになるのか。 戦後日本共産党に入党した西園寺公一にしても、戦前は、「尾崎の親友」であった、というだけの話で、当時における「共産主義」との関わりは確認されておりません。
(中略)
(ボーガス注:近衛のブレーン集団・昭和研究会メンバーの中で)真正の「共産主義者」は、尾崎秀美ただ一人、と言っていいでしょう。
この中には勝間田清一*11や和田耕作*12のように若い頃「治安維持法違反」で検挙された経験を持つ人物も少なくありませんでしたし、そのために「昭和研究会」が一部右翼から「アカ」の嫌疑をかけられていたことは事実です。 あるいは西園寺公一や風見章、勝間田清一らのように戦後「左派政治家」として活躍した人物も存在します。
しかし、厳しい弾圧によって「共産主義」が事実上封印されてしまった当時において、彼らがあえて「共産革命」を目指して活動していた、とする証拠は、何ひとつありません。 近衛首相とその周辺が全員共産主義者であった、と言わんばかり氏の決めつけは、間違いなく「妄想」の域に達しています。
なお治安維持法下の弾圧事件であった「企画院事件」は、関係者のほぼ全員が「無罪」判決を受けており、今日では「でっち上げ」であったことが明らかになっています。 中川氏は、このような「史実」を無視して、「企画院事件」関係者があたかも実際に「共産主義者」であったかのように読者を欺いているわけです。
も紹介しておきます。
こんなクズ本を読むくらいなら「近衛文麿」でググるとヒットする
・岡義武*13『近衛文麿:「運命」の政治家』(1994年、岩波新書評伝選)
・筒井清忠*14『近衛文麿:教養主義的ポピュリストの悲劇』(2009年、岩波現代文庫)
・古川隆久*15『近衛文麿』(2015年、吉川弘文館人物叢書)
といった「まともな歴史学者」の「近衛の評伝」を読むべきでしょう。
近衛内閣書記官長(現在の官房長官に当たる)という重要ポストにいた風見はともかく、尾崎は近衛ブレーン(昭和研究会メンバー)としてそれほど重要な位置にありません。
また昭和研究会も別に左翼的な組織でもない。
また、書記官長の風見が共産主義者の訳もない*16でしょう。そして尾崎がしていたスパイ行為は情報スパイであって政策決定に影響を及ぼすことではないでしょう。
また、もちろん近衛内閣の責任は大きいですが、近衛一人で内閣運営していたわけでは無い*17。近衛内閣の軍事、外交に関わる閣僚(外相、陸軍大臣、海軍大臣)は、
■第1次近衛内閣
・外務大臣
広田弘毅*18→有田八郎*19
・陸軍大臣
杉山元*20→板垣征四郎*21
・海軍大臣
米内光政*22
■第2次近衛内閣
・外務大臣
松岡洋右*23
・陸軍大臣
東条英機*24
・海軍大臣
吉田善吾(阿部、米内内閣からの留任)*25→及川古志郎*26
■第3次近衛内閣
・外務大臣
豊田貞次郎*27
・陸軍大臣
東条英機(第2次近衛内閣からの留任)
・海軍大臣
及川古志郎(第2次近衛内閣からの留任)
だったわけです。当然外相、陸軍大臣、海軍大臣は「理由はともかく」近衛の戦争政策を支持していたわけです。
また
1)第1次近衛内閣から第2次近衛内閣の間には「平沼、阿部、米内内閣」が
2)第3次近衛内閣から、「日米開戦」に突入するまでに東条内閣が
存在し、そこで軍事、外交に関わる閣僚は
■平沼*28内閣
・外務大臣
有田八郎(第1次近衛内閣からの留任)
・陸軍大臣
板垣征四郎(第1次近衛内閣からの留任)
・海軍大臣
米内光政(第1次近衛内閣からの留任)
■阿部*29内閣
・外務大臣
野村吉三郎*30
・陸軍大臣
畑俊六*31
・海軍大臣
吉田善吾
■米内内閣
・外務大臣
有田八郎
・陸軍大臣
畑俊六(阿部内閣からの留任)
・海軍大臣
吉田善吾(阿部内閣からの留任)
■東条内閣
・外務大臣
東郷茂徳*32
・陸軍大臣
東条首相の兼任
・海軍大臣
嶋田繁太郎*33
だったわけです。
産経は近衛以外のこれらの首相、閣僚たちには戦争責任がないとでも言う気なんでしょうか?
大体近衛に問題があるなら「何で昭和天皇は彼に三回も組閣させたのか」つうことになりますしね。
近衛は悪いが昭和天皇は悪くないなんてのは屁理屈です。
特に「第1次近衛内閣(1937年6月〜1939年1月)の後の第2次近衛内閣(1940年7月〜1941年7月)」なんて、大分間が開いていてその間に「平沼、阿部、米内内閣」が入っているのだから「昭和天皇が近衛を評価していた」と考えない限りあり得ない話です。それで近衛だけ一方的に批判できるわけがないでしょう。
日米開戦後、近衛は一転して早期終戦を唱え、敗戦後はマッカーサーにいち早く接近して戦後政治の主導権を取ろうとしたが挫折した。一見変わり身が早く見える彼の行動は「己の名誉と栄光を求める」という意思で一貫しているとする著者の分析は正しい。
俺もそんなに歴史に詳しいわけではありませんが近衛が「早期終戦」を唱えるようになるのは「ミッドウェー海戦敗北以降、日本の軍事的敗北が続き、また同盟国イタリア、ドイツも降伏して、日本の敗色が濃厚になってから」でしょう。何も真珠湾攻撃直後から唱えたわけでもない。
そしてそうした「敗色が濃厚になってからの早期終戦論」なら何も近衛だけが主張していたわけでもない。
ウィキペディア『日本の降伏』はそうした「早期終戦論の主張者」として近衛以外には
・木戸幸一*34(内大臣)
・東郷茂徳(東条、小磯*35内閣で外相)
・米内光政(林*36、第1次近衛、平沼、小磯、鈴木*37内閣で海軍大臣。元首相)
の名前を挙げています(他にも早期終戦派はいるとは思いますが。もちろんポスト東条の小磯、鈴木内閣に早期終戦派の東郷、米内が入閣したのは偶然では無く早期終戦派の政治工作の結果でしょう)。
なお、近衛も含め早期終戦論者の「最低条件」は「国体護持(天皇制維持)」であり、それが保証されない限り降伏できないという立場でした。そして彼らは「日ソ中立条約」を理由に中立国・ソ連を仲介者とした和平交渉に期待を掛けますが、それはソ連の対日参戦で挫折します。
早期降伏論はそういう意味で「近衛一人を批判できる話」ではない(そもそも早期降伏は批判すべき話とも思いませんが。敗色濃厚になった時点ではどう降伏するかはともかく降伏以外に道はないでしょう。まあ、後で降伏を覚悟するくらいなら、最初から開戦するなつうならそうでしょうけどね)。
「マッカーサーに接近し」云々なら、戦後の保守政治家は近衛に限らず、「昭和天皇も含めて」皆そうです。マッカーサーと対立してもメリットがないのだからそうなるでしょう。近衛の接近が問題なら、昭和天皇ら他のメンツの接近も問題であり、そういう意味で「近衛一人を批判できる話」ではない(ただしマッカーサーは「昭和天皇を守るには全てを近衛のせいにするしかない」と考えたのか、すり寄ってきた近衛を戦犯指定し、将来を悲観した近衛は自決します)。
「己の名誉と栄光を求める」云々つうのも酷いですね。それを全く求めない人間はまずいない。
そして近衛は何も「己の名誉と栄光だけ」を求めていたわけでもないでしょう。彼なりに国のことを考えて動いていたがそれは「1945年の敗戦につながる対米開戦を招いた」という意味で間違っていたと言うだけの話です。
本書の試みは、近衛ブレーンの末裔(まつえい)たちがいまなお執拗(しつよう)に流し続ける反日・反米プロパガンダに対する解毒剤として有意義である。
馬鹿馬鹿しい。こんなもん解毒剤になるわけもない。大体、近衛ブレーン(昭和研究会)の内、共産主義者といえるのはゾルゲ事件で逮捕された尾崎秀実だけでしょう(また昭和研究会はべつに左翼的な組織ではありません)。かつ尾崎は逮捕前は「右翼ではないにせよ共産主義者では無くリベラル」と認識されていました。尾崎の友人だった西園寺公一*38が「当初はゾルゲ事件は近衛を敵視する東条内閣のでっち上げだと思っていた」と回想していることは有名な話です(なおゾルゲ事件での「西園寺の有罪」「犬養健*39の起訴(無罪になりますが)」について言えば、彼らを含む政治グループのダメージを狙った、明らかな政治的でっち上げと言っていいでしょう。西園寺らが主張するように尾崎に重要情報を伝えていたのは彼らだけではありませんし、彼ら以外の人間について「尾崎の正体を知らなかったから無罪だ」というなら西園寺や犬養も尾崎のスパイ活動など気づいてはいません)。
尾崎は別に「反日プロパガンダ」なんか流してない。
それは尾崎の「情報スパイ」という任務上、当然のことでした。これは尾崎に限りませんが「情報スパイする」には相手の信頼を得ることが必要なわけです。
だから「怪しい」どころか、一見しただけでは全然怪しくない。ブラント*40・西ドイツ首相を辞任においこんだギヨーム事件のギヨーム(ブラントの私的秘書)なんかもその一例でしょう。
「反日プロパガンダ」つうのは慰安婦や南京事件のことでしょうが「公式には日本政府がその存在を否定できない」これらの事件の何がプロパガンダなのか。
大体、「反米プロパガンダ」て何なのか。沖縄基地問題での米国批判は別に反米プロパガンダではない。
むしろ一部ウヨが放言する「米国が石油禁輸するから真珠湾攻撃した」「バターン死の行進は戦争犯罪じゃ無くえん罪」などの方がよほど反米プロパガンダだと思いますがそういう理解は産経にはないようです。
しかしこのクズ本の評者が『葛西敬之*41(JR東海名誉会長)』つうのにはずっこけました。葛西ってガチで「こんな陰謀論を信じてる」んでしょうか。いや「本心じゃ信じてないけど安倍とのお付き合いで」つう場合でも十分異常ですが。
つうか、歴史学者が評者じゃないって産経にもずっこけましたが、まあこんなのはまともな歴史学者は好意的評価なんかしませんからね。
参考
・筒井清忠『近衛文麿:教養主義的ポピュリストの悲劇』(2009年、岩波現代文庫)のアマゾン書評
■イケメン宰相の悲喜劇
2016年2月13日
五摂家出身の「貴族」である近衛はモダン性、復古性を併せ持ったスターであった。親英米であり、当時の流行である社会主義に通じ、ゴルフ好きであった。一方で、天皇への忠誠心を抱き、古美術を愛し、アジアの連帯を訴えた。「長身」「美丈夫」は女性の人気を集め、相撲の見物は庶民に親近感を持たせ、教養主義はインテリの人気を集めた。そのような「近衛」像はメディアを通して拡散し、首相就任前から国民的人気を作り出していく。
(中略)
一方でその熱狂的人気は近衛の政治活動を束縛するようになる。「貴族」に過ぎない近衛は国民の支持をなくしては活躍できない。結局、国民の強硬世論に流され、自身もまた「国民政府を対手とせず」声明などで火に油を注いでいく。
■ポピュリズムの陥穽
2012年9月8日
近衛の大衆的人気(ポピュリズム)は、権力論的には、軍部・官僚・政党など当時の政治権力に実体的な基盤を持ったものでないことは近衛自身がよく認識しており、そうであるだけに彼としてはこの「近衛人気」をバックに戦うしかなかった。しかし大衆の関心とは所詮近視眼的で景気のいい話でしかない。満州経営がうまくゆき、北支を押さえて経済的利権が拡大し、自分たちの生活が良くなるならそれでいいではないか、英米と毅然として対決し欧州の覇者ドイツと手を組む松岡外相の活躍などあっ晴れではないか。大衆人気を気にするポピュリスト政治家はこれらに抗して支那よりの断固撤兵、英米との協調、三国軍事同盟阻止を命がけで追求することなど不可能だった。
(中略)
加えて、当時の閣僚は天皇に責任を負い、首相の実権は限られたものだった。近衛の意図に抵抗する、板垣(ボーガス注:陸軍大臣)も松岡(ボーガス注:外務大臣)も東条(ボーガス注:陸軍大臣)も一存で解任するわけにはいかなかった。
■【田村秀男*42の日曜経済講座】仮想通貨に自由の大義あり 中国による統制を警戒せよ
http://www.sankei.com/premium/news/180225/prm1802250015-n1.html
問題は「中国云々」ではなく
1)仮想通貨には意義があるのか(禁止しないで続けていくべきか)
2)意義があるとして弊害をどう是正していくか
つうことであって「中国ガー」なんてことは脇道の話でしょうに。
*2:2017年、ワック
*3:著書『日米開戦 陸軍の勝算』(2015年、祥伝社新書)
*4:第1次近衛内閣内閣書記官長、第2次近衛内閣司法大臣を歴任
*5:戦争が泥沼化したのは「最終的には勝てる」と思ったからですし、そうした誤った認識から戦争が泥沼化したのは日本以外にも「米国のベトナム戦争」「ソ連のアフガン侵攻」などいくらでもあります。
*6:日米戦争回避のためには「ハルノート受諾」が必要でしょうがその覚悟は産経らウヨ連中にはあるんでしょうか?。
*7:むしろそうした敗戦革命を危惧していたのが近衛であり、そんな彼が書いたのが有名な近衛上奏文です。この近衛上奏文は本心、東条をそのように評価していたのか、それとも「戦争継続論者である当時の首相・東条英機」を首相の座から引きずり下ろし和平工作を進めるための方便かはともかく、東条ら陸軍統制派を「敗戦革命を計画する隠れ共産党」呼ばわりしたが故に「さすがに東条ら陸軍統制派を隠れ共産党とは理解していない」昭和天皇にかえってその内容を評価されなかったという曰く付きの代物です。
*8:『日本核武装の選択』(2004年、徳間書店)、『皇統断絶:女性天皇は、皇室の終焉』(2005年、ビジネス社)、『女性天皇は皇室廃絶:男系男子天皇を、奉戴せよ』(2006年、徳間書店)などの著書があるトンデモ右翼。
*11:社会党国対委員長、政策審議会長、委員長、衆院副議長など歴任
*13:著書『近代日本の政治家』(2001年、岩波現代文庫)、『国際政治史』(2009年、岩波現代文庫)など
*14:著書『二・二六事件とその時代』(2006年、ちくま学芸文庫)、『昭和戦前期の政党政治:二大政党制はなぜ挫折したのか』(2012年、ちくま新書)、『満州事変はなぜ起きたのか』(2015年、中公選書)、『陸軍士官学校事件』(2016年、中公選書)、『戦前日本のポピュリズム:日米戦争への道』(2018年、中公新書)など
*15:著書『大正天皇』(2007年、吉川弘文館人物叢書)、『東条英機』(2009年、山川出版社日本史リブレット 人)、『昭和天皇』(2011年、中公新書)など
*16:ウィキペディアによれば風見は戦後、社会党衆院議員になっていますが社会党と共産党は違いますしねえ。
*17:なお、近衛内閣の問題点を全て近衛一人の責任にしたがる産経らウヨ連中は、安倍内閣を批判されると「安倍総理は悪くない、閣僚が悪い」と言い出すのだから全くでたらめです。
*18:斎藤、岡田、第一次近衛内閣外相、首相を歴任。戦後、東京裁判で死刑判決。1978年、昭和殉難者として靖国神社に合祀
*19:第1次近衛、平沼、米内内閣で外相
*20:林、第一次近衛内閣陸軍大臣や参謀総長を歴任。戦後、自殺。
*21:関東軍高級参謀として満州事変に関与。第1次近衛、平沼内閣で陸軍大臣。戦後、東京裁判で死刑判決。1978年、昭和殉難者として靖国神社に合祀
*22:林、第1次近衛、平沼、小磯、鈴木内閣海軍大臣、首相など歴任
*23:南満州鉄道(満鉄)総裁、第2次近衛内閣外相など歴任。戦後、東京裁判審理中に病死。1978年、昭和殉難者として靖国神社に合祀
*24:関東憲兵隊司令官、関東軍参謀長、陸軍次官、第2次、第3次近衛内閣陸軍大臣、首相を歴任。戦後、東京裁判で死刑判決。1978年、昭和殉難者として靖国神社に合祀
*27:海軍出身(元海軍次官)。第2次近衛内閣商工相、第3次近衛内閣外相、鈴木内閣軍需大臣(運輸通信大臣兼務)など歴任。
*28:検事総長、大審院長、第2次山本内閣司法相、枢密院議長、第2次近衛内閣内務相、首相など歴任。戦後、東京裁判で終身刑判決。病気のため1952年に仮釈放されたがすぐに死去。1978年、昭和殉難者として靖国神社に合祀
*30:海軍出身。阿部内閣外相、駐米大使など歴任。
*31:阿部、米内内閣で陸軍大臣。戦後、東京裁判で終身刑判決を受けるが1954年に仮釈放。
*32:東条、鈴木内閣で外相。戦後、東京裁判で禁錮20年の判決を受け服役中の1950年に病死。1978年、昭和殉難者として靖国神社に合祀
*33:東条内閣海軍大臣、軍令部総長を歴任。戦後、東京裁判で終身刑判決を受けるが、1955年(昭和30年)に仮釈放
*34:第1次近衛内閣文相、厚生相、第2次近衛内閣内務相、内大臣など歴任。戦後、東京裁判で終身刑判決を受けるが1955年に仮釈放。
*35:陸軍次官、関東軍参謀長、朝鮮軍司令官、平沼、米内内閣拓務大臣、朝鮮総督などを経て首相。戦後、東京裁判で終身刑判決を受け服役中に病死。1978年、昭和殉難者として靖国神社に合祀
*37:海軍次官、連合艦隊司令長官、海軍軍令部長、侍従長、枢密院議長などを経て首相
*38:元老・西園寺公望の孫。ゾルゲ事件で有罪判決を受けたことで西園寺家の相続権を放棄している。
*39:犬養毅元首相の息子。吉田内閣で法相。造船疑獄でいわゆる指揮権発動を行った。
*40:西ベルリン市長、キージンガー内閣副首相・外相などを経て首相。1971年、デタント外交を評価されノーベル平和賞受賞。
*41:教育再生会議(第1次安倍内閣)委員、産経・正論大賞受賞者という極右財界人。
*42:著書『消費増税の黒いシナリオ:デフレ脱却はなぜ挫折するのか』(2014年、幻冬舎ルネッサンス新書)、『人民元の正体:中国主導「アジアインフラ投資銀行」の行末』(2015年、マガジンランド)など