新刊紹介:「歴史評論」4月号(追記あり)

★特集『これからの歴史科学運動のために』
・詳しくは歴史科学協議会のホームページ(http://www.maroon.dti.ne.jp/rekikakyo/)をご覧ください。興味があり「何とか紹介できそうな」内容のみオレ流に紹介しておきます。


■問いを生み出す学び舎中学歴史教科書(山田麗子)
(内容紹介)
 「学び舎中学歴史教科書(ともに学ぶ人間の歴史)」の特徴をいくつか紹介している。
フランス革命についてはオランプ・ド・グージュについて取り上げ、フランス革命が「女性の参政権」と言う点では限界があったことについて触れている。
アメリカ史においては「イロコイ連合」を取り上げ、アメリカ先住民が一定の政治体制を形成していたこと、そうした政治体制が、ヨーロッパからの移民によって破壊されていくこと、いわゆるアメリカ独立宣言での「自由と平等」は先住民を排除したモノであったことが触れられる。
・もちろん産経などウヨが非難する「慰安婦など日本の戦争犯罪についての記述」も重要なポイントである。

参考

http://wakei.at.webry.info/201604/article_1.html
■教育と社会を考える『「学び舎」の歴史教科書を難関私立・国立中学が採用しているという産経新聞の記事』
 産経新聞に興味深い記事が載っていた。
「灘、筑駒*1、麻布など有名校がなぜ? 唯一慰安婦記述の中学歴史教科書「学び舎」、30校超で採択」と題する記事で、要するに、慰安婦記述のある唯一の教科書を、国立や私立の有名校が採用しているのはけしからんといいたげな記事である。しかし、普段の産経新聞の記事に比べるといかにもおとなしいというか、気勢があがらないのである。「けしからん」というような明確にネガティブな文章もないのである。もし、これがどこかの市の教科書として採択されたというのならば、いかにも居丈高に非難し、撤回圧力をかけるような記事になったところだろう。しかし、灘、筑駒、麻布という最難関校が採択しているから、どうも非難しにくいようである。
(中略)
 灘、筑駒、麻布などの有名校が、「学び舎」の教科書を採用しているのは、実に示唆的である。産経新聞の記者も、実は心の底では、わかっているのではないだろうか。

 まあよほどの極右でない限り『灘、筑駒、麻布などの有名校』が使ってれば「いい教科書」と評価するでしょうねえ。産経がそれが悔しくて悪口するわけですがこのブログ主が言うようにかえって自滅行為の気もします。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-07-24/2015072401_06_0.html
赤旗『きょうの潮流』
 「問い直される戦後」の項目にも注目しました。資料として慰安婦問題での「河野談話」の要点を掲載。韓国人の元「慰安婦」、金学順(キムハクスン)さんの名前も。1997年度版の中学歴史教科書で7社全てに記述された「慰安婦」の用語が、皆無になっていた事実を思えば感慨深い▼何のために歴史を学ぶのか。偏狭なナショナリズムに陥らず「負の歴史」と向き合うことは、国際人として生きる上で不可欠です。

http://www.sankei.com/premium/news/150507/prm1505070008-n1.html
■産経【日本の議論】これは一体どこの国の教科書なのか…新参入『学び舎』歴史教科書、検定前“凄まじき中身”と“素性”
 金学順氏については「問い直される人権の侵害」とのコラムの中で「韓国の金学順の証言をきっかけとして、日本政府は、戦時下の女性への暴力と人権侵害についての調査を行った。そして、1993年にお詫びと反省の気持ちをしめす政府見解を発表した」と記述し、「慰安婦」の言葉は使わなかった。
 結局、そのまま残した河野談話と、注釈として「強制連行を直接示すような資料は発見されていない」との政府見解*2を記述する際に「慰安婦」「慰安所」の言葉が使われることになった。学び舎は修正理由を「戦後の曽祖父母や祖父母の時代を正面から考える入り口となる教材をと考えて素材を選び直した」と説明する。
 日中戦争時に旧日本軍の南京占領下で起きたとされながら、存否でも議論がある*3南京事件については、本文で「国際法に反して大量の捕虜を殺害し、老人・女性・子どもをふくむ多数の市民を暴行・殺害しました」と記述。
 さらに関連資料で、書籍から引用した「南京市に住んでいた夏淑琴(当時8歳)の話」として、「昼近くに銃剣を持った日本兵が家に侵入してきました。逃げようとした父は撃たれ、母と乳飲み児だった妹も殺されました。祖父と祖母はピストルで、15歳と13歳だった姉は暴行されて殺されました。私と4歳の妹は、こわくて泣き叫びました。銃剣で3カ所刺されて、私は気を失いました。気がついたとき、妹は母を呼びながら泣いていました。家族が殺されてしまった家で、何日間も妹と二人で過ごしました」と掲載した。

 正直産経の悪口雑言は読んでいて不愉快ですが、「産経バイアスが係ってる」とはいえ学び舎教科書について一定の認識が得られるかと思い紹介しました。


■陵墓公開運動の今(白谷朋世)
(内容紹介)
 筆者は陵墓公開運動の主張として
1)陵墓でも文化財であり、公開が当然。そもそも文化庁ではなく宮内庁所管とすることが適切かも疑問
2)そもそも宮内庁の陵墓指定は基本的に明治時代そのままであり本当に陵墓か疑問(陵墓でなければ陵墓を理由に公開に消極的な態度をとることはそもそもおかしい)
の2つをあげている。
 最近「仁徳天皇古墳」などではなく「大山(あるいは大仙)古墳」などと呼ばれるのも陵墓指定に疑問があることの表れである。

参考

http://mainichi.jp/articles/20160701/ddn/041/040/007000c
毎日新聞大仙陵古墳*4:学説と異なる天皇陵「指定再考を」 河野担当相
 河野太郎行政改革担当相は30日、堺市堺区の大仙陵古墳仁徳天皇陵)を視察した。その際、継体天皇陵を例に、「天皇陵と言われているものに間違いがあってはいけない」と述べ、歴史学や考古学の定説と異なる陵墓については、指定を改める必要があるとの考えを示した。

 「天皇陵指定と行革と関係ない」ですが河野太郎が言ってること自体は正論です。

http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201202020353.html
朝日新聞〈時の回廊〉森浩一*5「古墳の発掘」 天皇陵の疑念 世に問う
 「仁徳天皇陵」に葬られているのは、本当に仁徳天皇か。半世紀前、天皇陵を巡る疑問を初めて世に問いかけた一冊が、『古墳の発掘』*6だった。それ以降、書き続けた一般書は100冊を超す。多くの研究者や歴史教科書に影響を与えた考古学者は、80歳を超えてなお、日々の発見に心躍らせる。
(中略)
 小学生の頃、電車通学する車窓から百舌鳥(もず)古墳群の巨大な古墳が見えた。その最大の古墳「仁徳陵」の被葬者が仁徳天皇かどうかを疑う人はいなかった。古墳群にあるもう一つの巨大な前方後円墳、ニサンザイ古墳は「陵墓参考地」で天皇陵ではない。天皇陵の指定が完璧なら、参考地というあいまいなものを残す必要はないのに、という疑念が子ども心にわいたんです。
 天皇陵は墳丘内への立ち入りが禁止されており、江戸時代の図面や石室の観察記録を丹念に読んで、知識とするほかない。幸運だったのは『古墳の発掘』を書く前年、宮内庁書陵部紀要」が発行され、幕末の「文久の修陵図」を見たこと。そこには、天皇陵を改変する前と後の様子が見事に描かれていた。荘厳な構築物を見せることで幕府が朝廷を尊崇していることを示そうとした実態もわかりました。
 初版本で思い切って「天皇陵の所在地と墳形」の一覧表を作り、信頼性の度合いを示した。多くの天皇陵に「妥当なようだが、考古学的な決め手を欠く」として、●印を付けたんです。後の11版では表に手を加え、初版で「ほとんど疑問がない」と○印を付けた仁徳天皇陵を●印に落としました。
 『古墳の発掘』は売れて28版までいったが、まだまだ不満やった。本では「仁徳陵」などと表記したが、その後、「仁徳陵古墳」を使い始めた。宮内庁が仁徳陵に指定している古墳、の意味だ。たった2文字があるかないかの違いだが、多くに影響を与えたようだ。宮内庁のある人から「法律で決まっている天皇陵に勝手に古墳名を付けるとはけしからん」と手紙も来た。
 それでもなお、「仁徳」の人名が付くという問題が残る。それは奈良時代に創られた漢風の諡号(しごう)で、古墳時代にはなかった。そこで、古墳の所在地で呼ばれている地名を適用し、「大山(だいせん)古墳」とする私案を出したんです。
 宮内庁天皇陵をどう考えているのか。1年ほどかけて知恵を結集し、今の仁徳陵で問題がないなら、そう言明すればいいし、疑いがあると思うなら今後、計画的に発掘すればいい。素早い決断を望みたいですな。

http://www.sankei.com/region/news/170131/rgn1701310039-n1.html
■産経『「森浩一著作集」完結 第5巻出版 古墳研究の業績紹介 奈良』
 古墳研究に力を注いだ考古学者の森浩一さん(平成25年死去)の業績を紹介する「森浩一著作集」の最終刊「天皇陵への疑惑」(343ページ、新泉社)が出版された。天皇陵についての森さんの考えなどをまとめている。これで著作集全5巻の出版が完結した。
 天皇陵(天皇陵古墳)は現在、宮内庁が管理しているが、考古学的研究から「本当の天皇陵は他の古墳」と考えられるケースもある。
 著書では、全国最大の後期古墳・(見瀬)丸山古墳(橿原市、全長約310メートル)について、「欽明(天皇)陵の第一候補」とし、同古墳で平成3年に確認された巨大石室と2つの石棺の考察を掲載。
 また、宮内庁継体天皇陵とする太田茶臼山古墳大阪府茨木市)については、「5世紀の前方後円墳であって、継体(天皇)を葬ったものではなかろう」と述べている。本当の継体陵は今城塚古墳(同高槻市)をあてる説が有力だ。
 著書ではこのほか、「形象埴輪」や「遺跡保存」についての著作も紹介されている。
 森浩一著作集は平成27年夏に第1巻「古墳時代を考える」が刊行され、その後、第2巻「和泉黄金塚古墳と銅鏡」、第3巻「渡来文化と生産」、第4巻「倭人伝と考古学」が出版されている。
 森さんの弟子の大学教授や橿原考古学研究所の職員らでつくる編集委員会が編纂(へんさん)。第5巻の巻末には、著作目録も掲載されている。

 「天皇陵指定の虚構性」に触れるとは、産経とは思えない記事ですが意外と「学術・文化担当」の記者は阿比留なんぞと違いまともなのかもしれません。

https://nikkan-spa.jp/503030
■日刊スパ『考古学界の重鎮が語る「古墳の魅力」』
 古墳研究界の重鎮、明治大学の大塚初重*7名誉教授に話を伺った。
(中略)
 私たち研究者を含めた多くの愛好者が突き当たる壁が「宮内庁」。天皇家の陵墓およびそうと思われる「参考地」には研究者といえども入れないのです。
 今年、「卑弥呼の墓ではないか?」といわれる箸墓古墳奈良県桜井市)に調査団が入りました。しかし、古墳の裾野を1回まわっただけで、墳丘には上がらせてくれなかった。研究者であれば誰でも、上に上がって高さや形を確かめたり、土器の破片がたくさん落ちていれば観察したいものですが、何もできなかったようです。墳丘の形からして相当古い時代のものだったそうですが、本当に残念です。箸墓古墳の謎は5%も解明されていません。考古学的な見地からすれば、簡単に箸墓=卑弥呼の墓とはまだ言い切れないのです。
 私も清寧天皇陵(大阪府羽曳野市)が公開されたときに調査団として入れてもらいましたが、土手を歩いただけでした。「公開」といっても何もわからないのです。
 牽牛子塚古墳(奈良県明日香村)から、斉明天皇の墓であることをほぼ裏づける史料が発掘されましたが、宮内庁が管理する斉明天皇陵は別の場所*8にあります。しかし、宮内庁は明治期に行った斉明天皇陵の指定(当時は宮内省による)を換えようとはしません。江戸時代から明治期に指定した陵墓は不確実なものも多く、考古学的に再検討しなければ断定できないのです。
 とはいえ、(中略)天皇陵や参考地に(ボーガス注:研究者限定で数も少ないとは言え)民間人が入ることなど、明治期であれば考えられなかったことです。古墳ブームが今後も盛り上がって「知りたい!」という声が増えれば、宮内庁の扉も少しずつ開いていくのではないでしょうか。

http://www.nikkei.com/article/DGXLASIH14H0A_U6A610C1AA2P00/
日経新聞『巨大古墳に様々な呼称 仁徳陵の謎を探る(2)』
 「『仁徳天皇陵』の正式名は何ですか」。
 堺市役所の文化財課には時々、こんな電話がかかってくる。無理もない。宮内庁仁徳天皇陵として管理する同市の巨大古墳は、実に様々な名前で表記されるからだ。
「大山(だいせん)古墳」「大仙古墳」「大仙陵古墳」「伝仁徳陵古墳」。
 呼称を複数持つ古墳は他にもあるが、ここまで多彩な例は珍しい。関心の高さの表れだろう。
 市の担当者はその都度、こう答えている。「立場や考え方によってそれぞれです」
 宮内庁の呼称は「仁徳天皇 百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)」。平安時代法令集延喜式(えんぎしき)が記す名だ。同庁が管理している陵墓はいずれも明治初期、延喜式をもとに当時の知見を踏まえて被葬者が指定された。だが歴史学や考古学の研究が進み、指定に対する疑問や否定的な意見が相次いでいる。
 「天皇の名を冠して呼ぶのは学術上は不適切」。
 1970年ごろからこう考えられるようになり、現在は陵墓も一般の遺跡と同じく所在地の名で呼ぶか、古文書に登場する名を使うようになっている。
 仁徳天皇陵の所在地は堺区大仙町。では「大仙古墳」が正しいかというと、堺市文化財課では「大山古墳」と表記している。「大阪府が用いている文化財地図に合わせた呼称。一部の古文書に『大山陵』と書いてあるのに基づく」と堺市世界文化遺産推進室の十河良和さんは説明する。
 ただし古文書を調べると「大仙陵」と書かれたもののほうが多いという。日本史の教科書では「大仙陵古墳」を採用しているものもある。
 2010年、世界遺産の国内暫定リストに登録した呼称は「仁徳天皇陵古墳」。「同じ堺市でも、世界文化遺産推進室はこちらを使う」と十河さん。ただし「被葬者が確定したわけではない。『現在は仁徳天皇陵としている古墳』という意味だと丁寧に説明する必要がある」。大阪府立近つ飛鳥博物館の白石太一郎*9館長はこうくぎを刺す。

【追記】
■産経『「レゴ」製の仁徳天皇陵古墳 全長約1・5メートル 藤井寺市に登場』
http://www.sankei.com/west/news/170319/wst1703190069-n1.html
 森浩一氏(同志社大学名誉教授)や大塚初重氏(明治大学名誉教授)、白石太一郎氏(国立歴史民俗博物館名誉教授)が言うようにもはや「仁徳天皇陵」は「天皇陵」か怪しいのですが「仁徳天皇陵古墳」と書き「大山古墳」とは書かない産経です。
 ただ森氏が

http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201202020353.html
 本では「仁徳陵」などと表記したが、その後、「仁徳陵古墳」を使い始めた。宮内庁が仁徳陵に指定している古墳、の意味だ。たった2文字があるかないかの違いだが、多くに影響を与えたようだ。宮内庁のある人から「法律で決まっている天皇陵に勝手に古墳名を付けるとはけしからん」と手紙も来た。
 それでもなお、「仁徳」の人名が付くという問題が残る。それは奈良時代に創られた漢風の諡号(しごう)で、古墳時代にはなかった。そこで、古墳の所在地で呼ばれている地名を適用し、「大山(だいせん)古墳」とする私案を出したんです。

と語るように
1)そもそも「仁徳天皇陵古墳」という呼び方は「天皇陵も古墳の一種として宮内庁管理ではなく文化庁管理にし基本自由に発掘調査させるべき」と言う意味*10もあるが、「それだけでなく」、『宮内庁が仁徳陵に指定している古墳(その指定が正しいか怪しい)』と言う意味で森氏は使っていた
2)そのため宮内庁などから『天皇陵に勝手に古墳名を付けるとはけしからん』という抗議が来た
のですが「そう言ういきさつを知らないのか」、知った上で「大阪府庁や堺市役所も使ってるし問題ない」と思ってるのか、「仁徳天皇陵古墳」という表記は使用する産経です。
 それにしても

http://www.sankei.com/west/news/170319/wst1703190069-n1.html
 世界文化遺産登録*11への機運を高めようと、ブロック玩具「レゴ」製の仁徳天皇陵古墳が藤井寺市生涯学習センター(大阪府)に登場した。

て「世界遺産登録」を目指すというならそれこそ「仁徳天皇陵」ではユネスコが「天皇陵か怪しいやないか」と突っ込むと思いますけどね。
 そこはユネスコ相手には大山古墳で申請して国内では仁徳天皇陵で宣伝つう「姑息な策」を考えてるのか。

https://www.shibunkaku.co.jp/publishing/detail/9784784218721/
■今尾文昭*12 、高木博志*13編『世界遺産天皇陵古墳を問う』(2016年12月、思文閣出版
■内容
 仁徳天皇陵か、大山古墳か。
 日本最大の前方後円墳を、考古学者・森浩一は「大山古墳」と呼ぶべしといい、古墳を管理する宮内庁は「百舌鳥耳原中陵」と呼び、(ボーガス注:大阪府庁、堺市役所など)百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録を目指す関係者などは「仁徳天皇陵古墳」と呼ぶ。
 それぞれがこのように主張する背景にはいったい何があるのだろうか?。そして私たちは天皇陵をどう呼ぶべきなのか?
 世界文化遺産登録に向けた動きのなかで浮かびあがる天皇陵をめぐる諸問題――考古学の成果との齟齬、天皇陵指定の経緯、陵墓公開運動、社会への広がり(ウェブ・教科書・報道)などを多角的に取りあげ、これからの天皇陵のあり方を考える。
■担当編集者より
(中略)
 まずは天皇陵をめぐる歴史と現状を知り、一緒に天皇陵の将来を考えましょう。世界文化遺産登録の運動もその先にあるはずです。

https://nikkan-spa.jp/656498
■日刊スパ『2017年の世界遺産登録なるか?「百舌鳥古墳群」』(2014.06.12)
 2017年の世界遺産登録を目指しているという「百舌鳥(もず)・古市古墳群」。といってもピンとこない人が多いだろう。百舌鳥古墳群仁徳天皇陵古墳(大仙古墳)、古市古墳群応神天皇陵古墳を中心とした古墳群で、日本を代表する巨大古墳群だ。
 仁徳天皇陵古墳は歴史の教科書にも載っていて、誰でも知っている存在。しかし「百舌鳥古墳群」については、知名度はまだまだ低い。
 「そこが悩みどころです」と、堺市文化観光局世界文化遺産推進室の宮前誠室長は打ち明ける。
堺市百舌鳥古墳群藤井寺市古市古墳群をあわせての世界遺産登録をめざしているのですが、仁徳天皇陵古墳は有名でも百舌鳥なんていうのは読み方もわからない人が多い。できるだけ多くの人に百舌鳥古墳群を知ってもらいたいのですが……」(宮前室長)

http://mainichibooks.com/sundaymainichi/society/2015/08/16/post-250.html
毎日新聞『「遠く険しい」世界遺産への道 来年があるさ?「仁徳天皇陵」』
 2017年の世界文化遺産登録の候補として文化審議会は7月28日、福岡県の「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」を国連教育科学文化機関(ユネスコ)に推薦することを決めた。一方、国内最大の古墳「大山古墳」(堺市)などがある大阪府の「百舌鳥(もず)・古市古墳群」は他の2候補とともに落選、朗報を待ちわびた市民らを落胆させた。
 竹山修身堺市長は「悔しさをバネに来年も挑戦する」と落選にも意気軒高で、古墳の清掃などを担当してきた「仁徳陵をまもり隊」のメンバーも「遺産の価値が福岡に劣ったわけではない」と気を取り直す。だが、気になる敗因は何だったのか。
 大山古墳は宮内庁が「仁徳天皇陵」に指定しており、立ち入りが禁止されている。上空から見れば雄大前方後円墳も、地上の視点では森にしか見えない。堺市は「世界でも立ち入れない古墳は多く、立ち入り禁止の措置がネックになったわけではないと思う」(世界文化遺産推進室)と影響を否定する。
 教科書でもおなじみの「仁徳天皇陵」は、世界最大規模の墳墓として知名度は抜群。しかし後年、埋葬者が仁徳天皇かどうか疑問視され、(ボーガス注:学会では大山古墳に)名称も変更された。さらには同古墳群の中にある履中(りちゅう)天皇、反正(はんぜい)天皇の陵墓にも疑問が出ている。天皇陵はごく一部の学者を除いて立ち入りできないため、真の学術的価値も不明だ。
「"観光優先"のせいか、大山古墳は仁徳天皇陵でええやないか、のような動きがある。(ボーガス注:天皇の墓か怪しいのに王の墓である)ピラミッドや秦の始皇帝の陵墓と並列視するのは歴史的検証とは言えない」と、世界遺産登録へ突っ走る動きに懸念を感じている学者もいる。今後、推薦されれば、ユネスコで非公開の理由、被葬者は誰か、名称の由来―などが問われることになるだろう。
 その経済効果を当て込んで、各地の推薦競争が過熱する世界遺産。神代の被葬者も苦笑しているに違いない。

http://www.sankei.com/west/news/160808/wst1608080005-n1.html
■産経【関西の議論】世界遺産「落選」は当然 文化庁が激怒した羽曳野市の大失態…パートナーの堺市も大迷惑
 7月25日に開かれた国の文化審議会で、平成30年の世界文化遺産登録を目指す国内候補が「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」(長崎、熊本両県)に選ばれた。
 堺市などが猛プッシュしていた「百舌鳥(もず)・古市古墳群」は選から漏れた。
 実は、直前に羽曳野市文化庁に無断で国史跡の土地に砕石を敷きつめる工事を行う騒ぎを起こしていた。同市は「認識が甘かった」と釈明したが、文化庁などは「きちんと勉強してほしい」と怒り心頭。関係者の間では「これだけ自治体間の温度差があれば、選ばれなかったのも当然だ」との声も挙がっている。
 問題が発覚したのは今年2月下旬。文化財保護を担当する府教委(現・府教育庁)の職員らが偶然、応神天皇陵古墳の西側に隣接する空き地を通りかかった際に「許可申請の内容と違う」と疑問に思ったことがきっかけになった。問題の土地には、約4700平方メートルに砕石が敷きつめられていた。
 この空き地は市有地で、古墳のすぐ近くに位置することから国史跡に含まれている。文化財保護法では国史跡の開発は制限されており、事前に所管の文化庁から許可を受ける必要がある。
 羽曳野市は当初、「天皇陵と一緒に花のある風景を楽しんでもらおう」と空き地を花畑として整備することを計画。「花畑整備のために土を埋める」という開発許可を府教委を通じて今年1月、文化庁の許可を得ていた。
 だが、2月上旬から始まった工事では、道路整備で使う砕石を敷いたうえで真砂土をかぶせることにしていた。だが、市は工事内容を変更したことについて文化庁などへの許可を届け出ていなかった。
 市の説明によると、4月に世界文化遺産登録に向けたPR活動の一環として、この空き地を使った野外イベントを開催することを計画。その際にステージイベントも行うことから、「土では地盤が安定せず、雨が降ったときには足もとがぬかるむ可能性がある」との声が挙がり、工事内容を変更することにしたという。
 文化庁などは、市に現状復旧を要請し、市はすぐに砕石の撤去工事を始めて、3月18日に元に戻した。だが、一連の事業費は撤去費用も含めて総額約1090万円もかかっており、「しなくてもいい工事」のために市民の血税が使われた形になった。
 この問題をめぐっては、羽曳野市の高崎政勝教育長らが文化庁まで足を運んで事情説明に行ったが、同庁担当者から直接、注意を受けたという。
 市の担当者は「1日だけのイベントだったので、文化庁などに断らなくても工事ができると思っていた。認識が甘かった」と陳謝したが、文化庁や府教委側はカンカン。府教育庁の担当者は「文化財保護を指導する立場にある行政が、どうしてこのようなことをするのか。きちんと勉強してほしい」とあきれかえっていた。

http://www.sankei.com/west/news/170107/wst1701070025-n1.html
■産経『百舌鳥・古市古墳群「来年度中に推薦決定を」 世界遺産へ松井知事ら菅長官に要望書』
 「百舌鳥(もず)・古市古墳群」の世界文化遺産登録を目指す松井一郎大阪府知事竹山修身堺市長ら、地元4自治体のトップが6日、首相官邸などを訪れ、菅義偉官房長官松野博一文部科学相宮田亮文化庁長官に対し、平成29年度中に国として推薦を決め、31年の登録実現を求める要望書を提出した。
 古墳群は、25、27、28年の文科省文化審議会の選考で、いずれも世界文化遺産への推薦が見送られた。4自治体は、今年3月にも推薦に必要な書類をあらためて提出する方針。
 要望書を受け取った松野文科相は「審議会の内容は学術的な調査判断になる。審議に耐えられるものを地元としてつくってほしい*14」と促した。菅官房長官への要望は非公開*15だった。
 古墳群は、大阪府南部の堺市羽曳野市藤井寺市にまたがり、4世紀後半〜6世紀前半に築かれ、日本最大の前方後円墳で全長486メートルの大山古墳(仁徳天皇陵)など89基の古墳が現存する。

http://style.nikkei.com/article/DGXBZO18843180V21C10A1000000
■日経スタイル『宮内庁調査官が明かす「896の聖域」 天皇陵の真実(2010/11/27)
 日本には一般の立ち入りが許されない「聖域」が896ある。歴代天皇など皇室の祖先の墓として、宮内庁が管理する陵墓だ。大仙古墳(仁徳天皇陵大阪府)をはじめ巨大古墳の多くが陵墓となっており、文化財保護法の適用外とされて公開や調査が厳しく制限されている。だが先日話題を集めた牽牛子塚古墳(奈良県)などの発掘成果や、百舌鳥・古市古墳群大阪府)の世界遺産候補の暫定リスト入りを受け、「本当の被葬者は違うのでは」「史跡に指定し、文化財として取り扱うべきだ」との声は高まる一方。宮内庁はどう対応するのか、聖域の守り人である宮内庁の福尾正彦・陵墓調査官に現状と今後を聞いた。(聞き手は奈良支局長 竹内義治)
インタビュアー
 陵墓は文化財保護法の対象外だ。どのような管理・保全を行っているのか。
宮内庁
 「陵墓は皇室の祖先のお墓です。今も祭祀(さいし)が執り行われています。静安と尊厳を保つのが本義です。文化財としての側面もあり、研究者には学術的な目的による立ち入りや、保全・修理工事に伴う事前調査(発掘)の現場見学を認めています。調査成果は速やかに公表し、出土遺物は貸し出しもしています」
 「考古学や土木など外部の専門家で構成する陵墓管理委員会を庁内に設け、保全や修理について詳細なアドバイスを受けているほか、文化財保護法が定める手続きに沿って管理しています。史跡の指定がなくても、保全と管理は宮内庁が十分役目を果たしています」
インタビュアー
 陵墓が世界遺産候補の暫定リスト入りしたことを、どうとらえているのか。
宮内庁
 「現在の管理体制が維持されるなら反対はしない、という立場です」
(中略)
インタビュアー
 宮内庁が指定している陵墓の被葬者には、考古学などの研究成果をもとに「間違っているのでは」「指定を見直さないのか」などの声が多い。
宮内庁
 「現在の指定を覆すに足るだけの確固たる資料は無いと考えています。確証となり得るのは、内容がきちんと合致する文献か、ピンポイントで天皇陵を示している古絵図。考古資料では墓誌です。100%確実な資料が現れた段階で検討します」
 「現在は基本資料や過去の諸説を収集し、将来に備えている段階です。まだ時間が必要でしょう」
インタビュアー
 古墳から墓誌が見つかる可能性は低い。考古資料では指定を見直さないのか。
宮内庁
 「墓誌以外の考古資料で被葬者が特定できた例があるのでしょうか。考古学は状況証拠の積み重ねです。いくつも重ねることで絞り込むことはできますが、100%か、それに近い精度でないと、新資料が現れるたびにやりなおすことになります」
インタビュアー
 牽牛子塚古墳や今城塚古墳(大阪府)などは陵墓ではないが、「真の天皇陵」との説が研究者の間では強い。新たに陵墓参考地に指定する可能性はないのか。
宮内庁
 「参考地の指定は、陵墓とするのに備えて現状を保全しておくのが目的です。主な古墳はすでに史跡として保全されており、新たな指定は必要ないと考えています」
インタビュアー
 宮内庁には「もし指定が誤っていても、祭祀を執り行っているところに御霊が移ってくる」との考え方があると聞く。本当か。
宮内庁
 「そんな考え方はしていません。研究者が著した本にそう書いてあるため調べたことがありますが、本当にそんな発言があったのか、確認できませんでした」
インタビュアー
 陵墓のあり方には多様な意見がある。静安と尊厳を保ちつつ、広く公開し活用する可能性を探る方が、国民の広い理解と追慕尊崇を得られるのではないか。
宮内庁
 「様々な考え方があるからこそ、慎重にならざるを得ません。私たちの役目は陵墓を現状のまま保全し、後世に伝えていくことです。発掘は破壊でもあります。調査は管理に必要な範囲で行うことにしています」


日本テレビ『皇太子ご一家、神武天皇陵を参拝』
http://www.news24.jp/articles/2016/07/21/07335939.html
日経新聞『両陛下、神武天皇陵を参拝 2600年式年祭
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG01HGT_T00C16A4CR8000/

 言うまでもないですが神武陵は明らかなでっち上げです。

*1:筑波大附属駒場中学のこと

*2:正直この政府見解は「河野談話当時」ならともかく現在では明らかに不適切です。BC級戦犯裁判記録など「強制連行を直接示すような資料」は現在では発見されているからです。これについては例えば■誰かの妄想・はてな版『河野談話発表までに「強制連行を直接示す資料」は見つけられなかった、しかし、その後見つかった、という話』(http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20130526/1369543851)を参照下さい。

*3:もちろん「存否」については議論などありません。そもそも産経も蒋介石秘録では事件の存在を認めていました。これについてはたとえば■誰かの妄想・はてな版『「蒋介石秘録」に見る南京大虐殺』(http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20120226/1330258512)を参照下さい。

*4:陵は「天皇の墓」を意味するのでここは「大山(あるいは大仙)古墳」と呼ぶべきです。大山古墳は「仁徳天皇の墓」どころか「天皇の墓かどうかも怪しい」古墳です。

*5:著書『古代日本と古墳文化』(1991年、講談社学術文庫)、『巨大古墳:治水王と天皇陵』(2000年、講談社学術文庫)、『海から知る考古学入門』(2004年、角川oneテーマ21)、『記紀の考古学』(2005年、朝日文庫)、『倭人伝を読みなおす』(2010年、ちくま新書)、『萬葉集に歴史を読む』(2011年、ちくま学芸文庫)、『天皇陵古墳への招待』(2011年、筑摩選書)、『天皇陵への疑惑』(森浩一著作集第5巻、2016年、新泉社) など

*6:1965年、中公新書

*7:著書『邪馬台国をとらえなおす』(2012年、講談社現代新書)、『古代天皇陵の謎を追う』(2015年、新日本出版社)など

*8:奈良県高市郡高取町に所在する車木ケンノウ古墳のこと。

*9:著書『古墳とヤマト政権:古代国家はいかに形成されたか』(1999年、文春新書)、『古墳の語る古代史』(2000年、岩波現代文庫)、『古墳とその時代』(2001年、山川出版社日本史リブレット)、『考古学と古代史のあいだ』(2009年、ちくま学芸文庫)など

*10:もちろんこうした主張にはウヨの多くは否定的です。

*11:群馬の富岡製糸場なんかそうですが世界遺産登録すると観光客が伸びるので本当に「遺産登録申請運動」がブームになってますよね。なお、現時点では「日本政府に働きかけてる段階」で「日本政府がユネスコに申請する段階」にはなっていません。

*12:著書『古墳文化の成立と社会』(2009年、青木書店)、『ヤマト政権の一大勢力・佐紀古墳群』(2014年、新泉社)など

*13:著書『近代天皇制と古都』(2006年、岩波書店)、『陵墓と文化財の近代』(2010年、山川出版社日本史リブレット)など

*14:まあこれ以外言い様がないでしょう。

*15:「何か怪しい密談でもしてるのか」と疑われかねないから公開すればいいのに。