「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2019年5/6分:高世仁の巻)

コスモロジーの創造4 - 高世仁の「諸悪莫作」日記
 「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2019年5/3分:高世仁の巻) - bogus-simotukareのブログで取り上げたコスモロジーの創造3 - 高世仁の「諸悪莫作」日記の続きです。

 渡辺京二さん*1が語る、人は何のために生きるかの答えはこうだ。
 《この宇宙、この自然があなた方に生きなさいと命じているんです。わかるかな。
(以下略)
(『女子学生、渡辺京二に会いに行く*2』(亜紀書房)P223-225)

 高世のバカはこんな寝言で感動するようです。
 「性格が悪い」俺なら「わかんねえよ、バカ」「何を根拠に宇宙が生きなさいと命じてると思ったのか、渡辺シェンシェイ*3は根拠を出して下さい」「宇宙が命じてる、てシャブのやり過ぎで幻聴でも聞こえるのか?*4」ですね。
 まあ、当たり前ですが、そんなことを自然も宇宙も命じてはいません。渡辺はもしかしたら「精神病か、薬物依存症」で「宇宙の声」という幻聴が聞こえるのかもしれませんし、それに共感する高世も渡辺同様に(以下略)(もちろん皮肉のつもり)*5
 つうか、俺が「性格が悪いこと(特に高世や渡辺のような、全く人として評価してない大嫌いな相手に対しては)」は否定はしません。しかし別に性格が悪くなくても「受験や仕事の失敗」「人間関係の悩み」「経済的悩み(生活苦)」「重病」などで苦しみ、その結果、自殺が脳内によぎった人間にこんなことを言って救いになるのか。普通に考えて救いになりませんね。むしろ「馬鹿にしてるのか」と怒るか、「こいつに相談したのは時間の無駄だった」と後悔するか、どっちにしろ救いにはなりません。
 まあ、「自殺者の例」は誰でもいいですが、太宰治円谷幸吉田宮二郎中川一郎*6や「チベット焼身自殺してる人間」だのがこんな寝言で自殺を思いとどまるとはとても思えません。
 では俺が考える「人が何のために生きるのか」の答えは何か。これは前も別の記事「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(8/10分:高世仁の巻)&北朝鮮最新ニュースその他色々(追記・訂正あり) - bogus-simotukareのブログで書いてるんですが、「人は自分が『やっていて楽しい』『やっていて家族や社会のためになっている』などと思う生きがいのために生きる」「しかし生きがいは個人個人が見つけることで、元々生まれたときからあるわけでもなければ、誰かが与えてくれるわけではない」「だから誰にでも通用する答えなんかない」ですね(なお、この別記事でも高世が紹介したこの渡辺の寝言「宇宙が命じている」を批判しています)。
 人間というのは「空を飛ぶために飛行機を作った」「時間を計るために時計を作った」という「目的があって作られた道具」とは違う。
 「生まれたこと」それ自体には意味なんかありません。意味は自分で見つけるもんです。
 それは高世が紹介する

コスモロジーの創造4 - 高世仁の「諸悪莫作」日記
・5月2日が、忌野清志郎さんの10回忌だった。
・2日の朝日新聞天声人語でも彼にかかわる逸話を書いていた。
 《「十八になる私の子供は内向的でハキハキしません。ギターのプロになるのだと申します。どうしたらよいでしょう」。50年前、本紙の人生相談の欄に投稿が載った。相談者はのちにロックシンガーとなる高校生、忌野(いまわの)清志郎さんの母である・・》

という忌野清志郎氏の話でも明白でしょう。彼は「好きな音楽のために生きた」。でもそれは彼が自分で見つけ出した道であって、誰かが与えてくれたわけでもないし、生まれたときから決まっていたわけでもない。
 まあ、親は「この子を家業の跡継ぎにしたい(伝統芸能の家に生まれた場合)」「この子が成長したら働いてもらって、いずれ私が年老いたときに面倒見てもらいたい(福祉が不十分な発展途上国で良くある話)」なんて目的がもしかしたらあるかもしれない。
 ただそれに子どもが拘束されるいわれはないし「親の希望を生きがいにする」つうのは「やって悪い」とは言いませんが、それには限界があるわけです。そうすれば全てが解決するわけでは全くない。「この子が成長したら働いてもらって、いずれ私が年老いたときに面倒見てもらいたい」程度の考えだったら、要するに「子どもの生計が立てば仕事は何でもいい」わけですから。「家業の跡継ぎにしたい」だって話は同じです。ほとんどの人間は親の家業なんかないし、「家業がある家の子」が家業を継ぐと決めたら人生が楽なのか。
 歌舞伎や能狂言と言った伝統芸能の演技者は楽な人生なのか。そんなことはないわけです。家業を継ぐと決めても「一体どんな芸能家になればいいのか」つう悩みは当然つきまといます。
 結局自分の生きがい、「何のためにどう生きるか」は自分で探すしかない。仕事か、学業か、趣味か、家族のためか、社会貢献のためか。
 仕事にしても「農林水産業」「鉱工業」「サービス業」と山ほどあるし、学業にしても「歴史学」「数学」「医学」などなど山ほどある。
 趣味も「音楽」「スポーツ」「旅行」など山ほどある。
 社会貢献にしても「仕事による社会貢献」「市民運動による社会貢献」などいろいろある。もうその中からどういう生きがいを見つけるかというのは、人それぞれです。他人は誰も自分の「生きる目的」なんか見つけてくれない。それはある意味つらいです。「ヒントを教えてくれる人」はいても答えを誰も教えてくれないわけですから。正解なんて自分でしか出せない。しかもその正解が正しいかどうか、多くの人間はいつまでも悩んだりする。「是非はともかく」悩んだ結果、生き方を変える人間も中にはいる。わかりやすい例だと脱サラ(いったん就職した会社を辞める)、離婚(いったん結婚した相手と別れる)、「戦前共産党幹部(佐野学、鍋山貞親)の右翼転向」、「蓮池透氏の路線変更(対北朝鮮の制裁路線から対話路線へ、東電原発技術者から脱原発派へ)」なんかはそういうことです。 
 ただ一方で「自分しか答えを出せない」ということは楽しいことでもあるわけです。他人から「お前はこうしろ」といわれることほどつまらないこともない。
 なんて書きましたが、まあ小生もバカでいい加減なので、普段はこんな真面目なことは何も考えてないですね。仕事だって、「自分の好きな仕事にすんなりつけた」なんてことは全くなくて、就職活動の結果、「成り行きで今の仕事に就いた」様な面も大きいですが、まあ、理屈の上ではこういう話だと思います。
 まあとにかく「自分の生きる意味」は自分で見つけるしかない。「生まれたときから、人間には生きる意味がある」なんてことはありません。繰り返しますが、人間は飛行機とか時計みたいに目的があって作られたわけではないですから。
 ならば「生きる意味が見つからないなら、生きていることに喜びや楽しみがなく、つらさや苦しみしかないなら自殺すればいい、あるいは自殺してもいい」のか。もちろん俺はそんなことは言いません。確かに精神的つらさから「俺に生きる意味なんかあるのか」と悩み「生きる意味が見つからなくて」自殺する人は居るでしょう。
 でも「死んで花実が咲く物か」ですね。まあこんなこといったって、自殺しようとしている人の救いにはならないかもしれません(渡辺の寝言「宇宙が生きろと命じてる」よりは俺の「死んで花実が咲く物か」の方がましだと思いますが)
 死んだっていいことは何もないわけです。そして自殺しなくてもいずれ人間は病気(老衰を含む)か事故(例:東日本大震災)で死ぬ。
 不死の人間なんかいませんから。
 ならば「生きるのがつらくても」がん死、津波死などで、死が自分のもとに来るまでは進んで自殺するのではなく「生きてみようよ」「生きているウチに生きがいが見つかるかもしれない」て話です。そして「生きる意味があるのかと悩むほどつらかったら自殺する前に周囲(家族、友人知人)に相談しましょう」て話ですね。
 例えば相談することによって問題が解決するかもしれない。「生活苦」なら相談することによって「生活支援の道」が見つかるかもしれない。問題が解決しなくても相談することによって気持ちが楽になるかもしれない。そういうことです。

*1:著書『逝きし世の面影』(2005年、平凡社ライブラリー)、『神風連とその時代』(2006年、洋泉社MC新書)、『なぜいま人類史か』(2007年、洋泉社MC新書)、『北一輝』(2007年、ちくま学芸文庫)、『日本近世の起源』(2008年、洋泉社MC新書)、『私のロシア文学』(2011年、文春学藝ライブラリー)、『維新の夢』(2011年、ちくま学芸文庫)、『神風連とその時代』(2011年、洋泉社新書y)、『ドストエフスキイの政治思想』(2012年、洋泉社新書y)、『私の世界文学案内』(2012年、ちくま学芸文庫)、『近代の呪い』(2013年、平凡社新書)、『無名の人生』(2014年、文春新書)、『幻影の明治:名もなき人びとの肖像』(2018年、平凡社ライブラリー)など

*2:渡辺京二津田塾大学三砂ちづるゼミ著、2011年。わざわざ本を出版したということは「津田塾大学三砂ちづるゼミの学生たち」は渡辺の回答に「概ね満足した」んでしょうが、高世の紹介する回答だけでも「???」ですねえ、俺には。

*3:もちろん馬鹿にした言い方。

*4:もちろん馬鹿にした言い方。

*5:まあ、マジレスすれば「文学的比喩」なのでしょうが、こういう話で文学的比喩なんぞ使っても話がややこしくなるだけです。こんなんに感動するのは「渡辺と感覚が似ている文学愛好家だけ」でしょう。俺なんぞ「そんな文学的比喩なんていらねえんだよ!」「俺、その種の文学的比喩が大嫌いなんだよ」と思う人間ですね。

*6:福田内閣農水相、鈴木内閣科学技術庁長官など歴任