珍右翼・高世仁に突っ込む(2021年7/13日分)(副題:今日も高世に悪口する)

坂口恭平ライブ決行 - 高世仁の「諸悪莫作」日記

 きのうのTBS「サンデーモーニング」の特集「風をよむ」は大谷選手だった。
 大谷選手が高校生時代に書いた「目標達成シート」が紹介された。
 MCの関口宏が「曼荼羅みたい」と評したが、大きな夢を達成するための方法を高校生時代に論理的に考えているのに感心した。

 ここで俺が連想したのが

「珍右翼が巣くう会」に突っ込む・番外編(3/13分:ミスター卓球・荻村伊智朗の巻)(追記・訂正あり) - bogus-simotukareのブログ
[黒夜行 ピンポンさん(城島充)
 荻村が通っていた高校は進学校で、生徒は大抵みな部活を二年の二学期で止め、以降は受験勉強に専念した。しかし荻村は部活を辞めなかった。卓球で飯が食えるわけないじゃないか、と荻村を諭そうとする友人に、荻村はこう返す。
『僕らが大人になったときにそうなっているかどうかはわからないけど、スポーツも、スポーツに時間を注ぎ込む人間も、その価値を認められる時代がきっと来るはずだ』
 これが高校二年生の言葉ですからね。凄すぎると思いました。

という「卓球の荻村」ですね。

 私が坂口恭平に関心を持ったのは、とても単純で、尊敬する渡辺京二さんが高く評価していたから。

 高世が「尊敬する」という渡辺ですが俺は以前「ろくでもない人間=渡辺」として以下のように批判していますので改めて紹介します。
 特に酷いのが渡辺が産経インタビュー【話の肖像画】史家・渡辺京二(4) 堕落した善の追求は最悪を招く(1/2ページ) - 産経ニュースで「自虐史観」なんてウヨ用語を平気で使ってることですね。「歴史修正主義ウヨ・渡辺」を尊敬してるといって恥じない世界に「昔は左翼だった高世」は「落ちぶれたわけ」です。高世が「本当にウヨとして渡辺への尊敬を口にしている」にせよ「商売ウヨ」にせよ無様なもんです。
【俺の渡辺&高世批判】

今日の産経ニュース(8/16分)(追記・修正あり) - bogus-simotukareのブログ
【話の肖像画】史家・渡辺京二(2) 失われた「内発的維新」(1/2ページ) - 産経ニュース

 国連に協力するために自衛隊を海外に派兵するのは当然だと思います。それを拒否するのは、エゴイズムにほかなりません。

 おいおいですね。今更言うのも馬鹿馬鹿しいですが「国連への協力」には非軍事的協力もあり得ます。


【話の肖像画】史家・渡辺京二(4) 堕落した善の追求は最悪を招く(1/2ページ) - 産経ニュース

 戦後、「自虐史観」が幅をきかせてきた

 学会はともかく日本社会においては幅など聞かせていませんし、だからこそ吉見義明氏や笠原十九司氏らを反日自虐呼ばわりする安倍が首相になるし、そうした安倍を支援する極右組織・日本会議神社本庁が無視できない政治力を持っているわけですが、それはさておき。
 この渡辺なる男をなぜ産経が持ち上げるのかがよくわかる渡辺発言です。
 そしてこの渡辺発言から、渡辺が「つくる会理事という歴史修正主義極右・三浦小太郎」に自らの評伝『渡辺京二』(三浦小太郎著、2016年、言視舎)を書かせたのかも理解できます。
 歴史家を自称する渡辺も「南京事件否定論慰安婦違法性否定論」のつくる会と同レベルの歴史修正主義右翼、バカ右翼なんだと。今までこの男の本を一度も読んだことがなかったのです*10が、もはや渡辺の本を俺は読むことはないでしょう。渡辺と生前、親密な交際があったという、石牟礼道子*11(故人)という人間にも疑問を感じざるを得ません。
 というか俺に言わせれば「戦前は素晴らしかったのに戦後は反日左翼のせいデー」と言い出す産経や渡辺の方がよほど自虐だと思いますが。

 日本の悪口を言うことによって自分が偉くなったような気になったり、喜々としていたりする態度には嫌悪感を覚えます。

 いったいいつ吉見義明氏や笠原十九司らがそんな態度をとったんでしょうか。というか問題は「吉見氏や笠原氏らの指摘(南京事件慰安婦の違法性についての指摘)が事実なのか」「事実とするならば*15、その事実について我々日本人はどう考え、どう今後対応すべきなのか」という話であって、「自虐史観の連中の態度が気にくわない」と言い出す渡辺はバカでしかありません。
 渡辺はそんなことを言う前に「元慰安婦など日本の戦争被害者(なくなった方もいますが、今も生存者はいます)の前で、日本人である自分に何が語れるのか」を真摯に考えるべきでしょう。
 彼ら戦争被害者の前でもこんなくだらないことを言う気なのか。というか渡辺が「自虐史観論者ガー」としかいわず故意に「今も生存している戦争被害者にどう向き合うか」を語らないのは俺のような突っ込みから逃げたいからでしょう。呆れたバカであり卑怯者です。そんな渡辺の何が歴史家か。笑わせるな、て話です。俺からすれば、今後渡辺を評価する奴は「人を見る目がないバカ」と判断できるので助かります。例えば高世仁(たとえば渡辺京二が語る人生の目的 3 - 高世仁の「諸悪莫作」日記参照)とか(例はもちろん高世でなくてもいいですが)。まあ渡辺を評価するしないにかかわらず「安田純平氏身柄拘束事件での高世の過去言説(日本政府は安田氏を救出しなくていいと放言)」や「特定失踪者を根拠レスで拉致扱い」ということで高世はどうしようもないクズですが。
 渡辺と親密交際してたという石牟礼道子もバカだったんでしょうね。

「実現すべき目的の超越的絶対性、組織の大目的への献身、そのための自己改造、目的のためには強弁も嘘も辞さぬ点」で、近世の日本に宣教師を派遣した当時のイエズス会と「二〇世紀の共産主義政党」とは驚くほど性格・手法が一致している−と渡辺さんは近著『バテレンの世紀』で指摘している。

 唖然呆然ですね。時代状況の違いなどを全く無視して「イエズス会共産党が似てる」とはどうしようもないバカです。そんなことを言うことに何か意味があるのか。

江戸川乱歩『蜘蛛男』の殺害方法*16とナチスガス室が似てる。蜘蛛男の方がナチスガス室の『発明』より先*17だから、ナチスは『蜘蛛男』を読んだんじゃないか」
小栗虫太郎『完全犯罪』*18の殺害方法*19と殺害理由*20がナチスの*21(以下略)」

とか何でも言えます(ちなみに乱歩『蜘蛛男』、小栗『完全犯罪』は読んだとき「ナチガス室ぽいなあ」と思ったのでそこだけはよく覚えています)。
 まあマジレスすれば『実際にやるかどうかはともかく』毒ガス大量殺人だの「劣悪遺伝子の持ち主は抹殺していい」なんてことは思いつきだけなら誰でも文章に書けるし、乱歩や小栗も『まさかマジでやる奴がいるとは思ってない*22ので』、49人の少女を拉致して毒ガス室で一挙に殺人(乱歩『蜘蛛男』)だの、劣悪遺伝子を受け継ぐ呪われた一族を絶滅させるためにはその一族のメンバーを毒ガスで殺していい(小栗『完全犯罪』)、つう与太を、割と気軽にかけたつうだけの話です。
 乱歩『蜘蛛男』の場合、このガス室殺人計画、明智の活躍で失敗に終わり、追い詰められた蜘蛛男は自決します。
 一方、小栗『完全犯罪』の場合、犯人は「自分自身も、別の悪性遺伝を持つ家系に属していることを知り、自らの信念に従い」自決します。なお、話が脱線しますが乱歩『蜘蛛男』、小栗『完全犯罪』は面白いと思うので一読をお勧めします。
 まあ、それはともかく。「イエズス会共産党が似ている」と時代状況を無視して言い出すこと自体が異常ですが、しかもそう決めつける理由が「イエズス会は時に侵略を行いそれを詭弁で正当化した、また時に残虐な行為も辞さなかった」、「共産党*25も時に侵略を(以下略)」てそんなんで似てると言っていいなら「アジア解放の戦争と詭弁で侵略戦争を正当化したあげく、時に731部隊などの残虐行為も辞さなかった」戦前日本、あるいはそうした戦前日本をイデオロギー面で支えた「国家神道」だって、「共産党イエズス会と似てる」ことになるでしょう。
 つうか「手段を選ばず目的を達しようとする人間がいる」なんてのは何もイエズス会スターリン共産党に限った話じゃない。古今東西、いくらでも存在する話です。
 戦前日本の731部隊だってそうした「目的のためには手段を選ばない蛮行」の一つです。
 もちろん「だからスターリン共産党イエズス会が問題がない」という話ではありません。
 「スターリン共産党イエズス会以外にそうした問題がないかのように言う渡辺はおかしい」「それは日本が歴史上やらかした目的のために手段を選ばない愚行(その一例は既に指摘したように731部隊です)を見逃すことになりかねない」つう話です。
 いずれにせよこんなんは単に渡辺が「異常な反キリスト教反共主義」であることを暴露してるだけです。俺だったらこんな本を読んでも「バカか」と呆れるだけですが、世の中には評価する人もいるし、渡辺本人も「俺はすごいこと書いた」と思ってるらしいのは実に滑稽です。
 しかも

 日本の悪口を言うことによって自分が偉くなったような気になったり、喜々としていたりする態度には嫌悪感を覚えます。

という渡辺が「産経記事を読む限り」共産党イエズス会への悪口を「産経の取材に対して嬉々として、やっている」のも実に滑稽です。
 「日本への悪口を言うことに嫌悪感を覚える」つう人間が「他人(イエズス会共産党)への悪口を嬉々として言う」。
 単に渡辺が「日本への悪口が嫌いなだけ」「ただし自分の嫌いな相手(イエズス会共産党)へは嬉々として悪口を言う」というクズなだけじゃないですか。
 渡辺のでたらめさ、腐った人間性には全く嫌悪感を覚えざるを得ません。
 まるで「自分が嫌いな他人への悪口は嬉々として言うくせ」に「自分が好きな人間への悪口(例:小生のダライラマ批判)は一切認めようとしない」id:Mukkeのようです。まあ「id:Mukkeと同レベルの身勝手なクズ」、それが渡辺なのでしょう。なお、古今東西、この種のクズはいくらでもいると思います。

高世仁に突っ込む(2021年2/13日分) - bogus-simotukareのブログ

150年前、日本女性は世界を魅了した - 高世仁の「諸悪莫作」日記
 私の愛読書、渡辺京二*5『逝きし世の面影*6』は、江戸末期から明治初期にかけて日本を訪れた欧米人の目に写った日本を紹介している。これをひもとくと、日本の女性は実に自由で活発、初めて見る外国人にも物おじせず、加えて愛くるしいと激賞されている。

 「外人(いわゆる御雇外国人)が褒めたから何なんだ?」ですね。
 外人は日本の事情に詳しいわけではないし、御雇外国人とは要するに日本政府から「高いサラリー」をもらってるわけです。日本に好意を抱いて何でもかんでも「日本スゴイですね」でも全然珍しくない。世界が驚いたニッポン! スゴ〜イデスネ!!視察団(テレビ朝日、2014~2019年までレギュラー番組(1時間番組)、現在は不定期放送(2時間番組))、世界!ニッポン行きたい人応援団(テレビ東京、2016~2020年までレギュラー番組(1時間番組)、現在は不定期放送(2時間番組))に出てくる「日本スゴイ」の外国人みたいなもんです。
 しかも「在野の歴史研究者」と言えば聞こえは良いですが要するに渡辺は「大学教授」などのプロじゃ無いわけです。
 「アマチュアのうさんくさい、信用性の怪しい本」を持ち出して「昔の日本女性は輝いていた!」。
 まだ「尼将軍・北条政子(将軍・源頼朝の妻、初代執権・北条時政の娘、2代執権・北条義時の姉)」「日野富子(将軍・足利義政の妻、将軍・足利義尚の母)」をネタに「中世日本の女性は政治に関与していた!、昔の日本女性の地位は高かった!」という方がまだマシじゃ無いか。
 「お前はアホか(横山ホットブラザーズ風に)」「そんな馬鹿だから会社が潰れるんだよ」「故郷の山形に帰れ、バカ」と高世に悪口したくなります。

三浦小太郎に突っ込む(2020年7月11日分)(追記あり) - bogus-simotukareのブログ

2019年に読んだ10冊の本 - 高世仁の「諸悪莫作」日記
2.渡辺京二『黒船前夜 ロシア・アイヌ・日本の三国志』(洋泉社
 以前から気になっていた「和人がアイヌを搾取、圧迫してきた」という俗論から自由になれてすっきりした。

なんて書いてることを考えると「高世のアイヌ認識」には危うさを感じますね。
 「和人がアイヌを搾取、圧迫してきた」てのは俗論で無くて事実でしょうよ。ただし「中国のチベット統治に問題があろうとも、一方で中国政府によってチベットは近代化され、チベット人は経済的に豊かになれた」ように「アイヌの問題」も「一方では利益があった」つうだけでしょう。
 高世の物言いは「中国のチベット解放でチベットは豊かになった。だから、チベット解放を批判するのは俗論でくだらない。皆で中国のチベット統治を称えよう」「ダライ・ラマ?。中国相手に無意味に反乱してインドに逃亡した犯罪者だろ?」つうぐらい無茶苦茶な詭弁でしょう。
 まあ、高世がそういうデタラメなクズだから高世の会社も倒産したんでしょうけど(苦笑)。と言うと高世もマジギレするんですかね?

高世仁に突っ込む(2020年1月1日分) - bogus-simotukareのブログ

2019年に読んだ10冊の本 - 高世仁の「諸悪莫作」日記
2.渡辺京二『黒船前夜 ロシア・アイヌ・日本の三国志』(洋泉社
 以前から気になっていた「和人がアイヌを搾取、圧迫してきた」という俗論から自由になれてすっきりした。

 高世が「俗論」と決めつける根拠は何なんですかねえ。そもそもアイヌについて語るのに「アイヌ専門家ではない渡辺を持ち出す」つうのも頭がどうかしていると思いますが(そもそも渡辺のアイヌについての記述は、おそらく孫引きでしょうし)。

「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2019年6/22分:高世仁の巻) - bogus-simotukareのブログ

原発とジャングル3 - 高世仁の「諸悪莫作」日記
 ただ、(ボーガス注:平均寿命や識字率が低くても)ジャングルの暮らしには、文明によって規定されない、人類にとって普遍的な「しあわせ」があることも確かだ。

 ばかばかしい。高世や渡辺京二*3が無根拠に「ジャングルの暮らし(昔のくらし)」を美化してるだけでしょうよ。
 高世や渡辺のやってることは「三丁目の夕日(昭和30年代美化)」や「人情長屋の時代劇(江戸時代美化)」と変わりが全くない。「三丁目や時代劇」のように「娯楽ネタ」でやってるのならいいですが、本気で言われてもこっちが呆れるだけです。
 仮に「アマゾンジャングルで暮らしてる原住民」が「自分たちは幸せだ」と言っても彼らは「それ以外の暮らしを知らない」でしょうからね。自分から「ジャングルの暮らし」を選択したわけでもないでしょう。今後、「ジャングル」も次第に近代化していくでしょう。

「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2019年5/6分:高世仁の巻) - bogus-simotukareのブログ

コスモロジーの創造4 - 高世仁の「諸悪莫作」日記
 渡辺京二さん*1が語る、人は何のために生きるかの答えはこうだ。
 《この宇宙、この自然があなた方に生きなさいと命じているんです。わかるかな。
(以下略)
(『女子学生、渡辺京二に会いに行く*2』(亜紀書房)P223-225)

 高世のバカはこんな寝言で感動するようです。
 「性格が悪い」俺なら「わかんねえよ、バカ」「何を根拠に宇宙が生きなさいと命じてると思ったのか、渡辺シェンシェイ*3は根拠を出して下さい」「宇宙が命じてる、てシャブのやり過ぎで幻聴でも聞こえるのか?*4」ですね。
 まあ、当たり前ですが、そんなことを自然も宇宙も命じてはいません。渡辺はもしかしたら「精神病か、薬物依存症」で「宇宙の声」という幻聴が聞こえるのかもしれませんし、それに共感する高世も渡辺同様に(以下略)(もちろん皮肉のつもり)*5。
 つうか、俺が「性格が悪いこと(特に高世や渡辺のような、全く人として評価してない大嫌いな相手に対しては)」は否定はしません。しかし別に性格が悪くなくても「受験や仕事の失敗」「人間関係の悩み」「経済的悩み(生活苦)」「重病」などで苦しみ、その結果、自殺が脳内によぎった人間にこんなことを言って救いになるのか。普通に考えて救いになりませんね。むしろ「馬鹿にしてるのか」と怒るか、「こいつに相談したのは時間の無駄だった」と後悔するか、どっちにしろ救いにはなりません。
 まあ、「自殺者の例」は誰でもいいですが、太宰治円谷幸吉田宮二郎中川一郎*6や「チベット焼身自殺してる人間」だのがこんな寝言で自殺を思いとどまるとはとても思えません。

「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2019年4/1分:高世仁の巻) - bogus-simotukareのブログ
かつて日本は子どもの楽園だった(3) - 高世仁の「諸悪莫作」日記
 以前も批判したところですが「間引きなんぞあった江戸時代日本」が「子どもの天国」のわけもない。高世の与太には改めて呆れます。大体、高世主張の根拠が渡辺京二*1『逝きし世の面影』*2オンリーってのが滑稽です。他に根拠が出せないのか。出せないんでしょうね。そもそも与太だし、高世はバカだし。

 150年前の日本でも子どもの虐待はほとんど見られなかったようだ。明治初期に来日した外国人が、こぞって日本は子どもの天国だと讃える声を紹介してきた。

 単に「外人が児童虐待を認識できなかっただけ」という可能性をなぜ高世は否定できるのか。
 なお、「児童虐待統計」など江戸時代にないので「数は分からない」ものの、江戸時代においても児童虐待自体は存在したことは
「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2019年3/1分:高世仁の巻) - bogus-simotukareのブログでそれについてのネット上の記事を紹介しました。

・ネットー=明治6年~18年お雇い外国人として在日
・アリス・ベーコン=明治21年華族女学校の教師として来日した米人
・ブスケ=明治5年から司法省顧問として在日した仏人

 高世記事ですぐに気づくこと、それは「高世が紹介する外国人のほとんどが、明治時代のいわゆる御雇外国人だ」ということです(外交官など御雇外国人でない人間もいますが)。
 明治の近代化はこうした「御雇外国人」の手によって進められたわけです。そもそもいくら明治政府が「高給払うから来てくれ」といったからといって当時は「アジアの田舎国家」にすぎない日本にわざわざ来るような人間*3は「日本に対して好意を持ってるので、日本に対する発言にはそうしたバイアスがかかってる可能性がある」でしょう。また高給をもらったら、「よほどのことがない限り」人の情として「イヤー、日本ってホンマろくでもない国やったわ、二度とあんな所に行きたくないわ」とは普通言わないわけです。まあ普通の人間は「日本良かったわあ、ワシみたいなもんに高い給料払ってくれたし」と褒めるでしょう。
 高世はその可能性を完全無視していますが。

「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(8/10分:高世仁の巻)&北朝鮮最新ニュースその他色々(追記・訂正あり) - bogus-simotukareのブログ
人間は宇宙の自己感動器官 - 高世仁の「諸悪莫作」日記

 生きる意味が分からないという人に、尊敬する思想家、渡辺京二の言葉を贈りたい。

 
 前も書きましたが、あえて言えば「生きることに意味なんかありません」。ほとんどの人間は小生も含めて凡人であり、「大物政治家や大企業社長、ノーベル賞級の大学者や大物スポーツ選手、文化人」などと違い、あす死亡したからといって「家族はともかく」社会に大きな影響があるわけでもない。
 「生きることに何か意味がある」のではなく「生きることに個人が自分にとっての意味を見つけ出す」わけです。それは仕事かもしれないし、家族の存在かもしれないし、趣味かもしれないし、宗教上、政治上の信念かもしれないし、それらすべてかもしれない。他のものかもしれない。
 そうした「生きる意味が見いだせない人間」の中には時に自殺する人間もいるわけです。
 例えばマンデラとか金大中とか政治活動家なんかわかりやすいですが、彼らにとっての生きる意味の一つは「アパルトヘイト撤廃」「軍事独裁打倒、韓国民主化」など「自らの政治信念」でしょう。でも彼らにとってはそうでも他の人間は必ずしもそうではない。
 彼らが「政治信念」を生きる意味にしたのも「自分でそう選んだ」のであって自然にそうなったわけではない。

 人間がいなけりゃ、美しく咲いてる花も誰も美しいと見るものがいないじゃないか。

 て人間がいなくなったって、熊だのカワウソだのといった動物はいるし、彼らだって「美しい」という感情はあるんじゃないか。つうか別に花は「人間も含めた動物ごときに美しいと思ってもらうために咲いてるわけじゃない」。花はただ自分のために咲いてるわけです。
 別に自然は「人間に生きろなんて命じてない」。生きろなんて命じないから自殺したいと思えば自殺できるわけです。別に人間は「自然とやら」のために生きるんじゃない。自分のために生きるわけです。それは「生きる喜びが見つからなければつらい」でしょうが、「生きる喜びが見つかれば」、『自然が生きろと命じてる』なんて世迷い言よりは「自分のために僕は生きています」の方がずっとすばらしい。問題は「生きる喜びをどう見つけるか」「生きるつらさをどうなくして、あるいは減らしていくか」つう話でしかない。
 まあ、渡辺のくだらないお題目なんぞより、まだ周囲の人間(家族、友人、知人)が「お前は自殺したらだめだ。お前が死んだら俺も含めて周囲の人間がつらい。頼むから生きてくれ。生きている方が死ぬよりも楽しいと思う」「お前が生きるのがつらいのなら俺にそのつらさを話してくれ。少しでもお前の力になりたい」つうほうがよほど「自殺防止に役立つ」でしょうねえ。
 「周囲が自分の死を望んでない」ということは死を抑止する力になるはずです。
 「俺が死んでも誰もなんとも思ってくれない」よりは「俺の死を悲しむ人間がいる」の方が自殺を抑止する力になるはずです。

もし身近に悩んでいる若い人がいたら、とりあえずの相談先として、以下のようなところがあるので教えてあげていただきたい。
 チャイルドライン(電話/ウェブ)―18歳までの子ども
 24時間子供SOSダイヤル(電話)―いじめに限らず、悩む子どもと親
 Mex(ミークス)(ウェブ)―10代向け、カテゴリや手段によって相談窓口を選べる
 生きづらびっと(ウェブ/LINE)―LINEやチャットで相談受け付け
 東京シューレ(電話/LINE)―学校に行きたくない子どもや親

 渡辺のくだらないお題目が糞の役にも立たないことを事実上認めてるアホの高世です。
 渡辺のお題目に意味があるなら、こういう連絡先を教える必要もない。

「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(6/5分:高世仁の巻)&北朝鮮最新ニュースその他色々(追記・訂正あり) - bogus-simotukareのブログ
「懐かしい未来」再読 - 高世仁の「諸悪莫作」日記

 労働は苦役ではなく、大きな喜びであり楽しみだったのだ。

 まあここで高世が言ってるような問題意識(現代社会において労働は苦役になっていないか:例としては「うつ病などのメンタルヘルスの問題」や過労死)は、「小生も正確に理解しているわけではない*42ですが」、いわゆる「マルクスの労働疎外論」じゃないですかね。
 そう言う意味ではここで高世が言ってることは全然新しくない。「それマルクスが指摘してからずっと労働組合運動とかの重要問題ですけど」つう話です。
 元左翼でありながらマルクスについて触れない高世もどうかと思いますね。
 まあ労働疎外だけがマルクスの問題意識ではなく他にも貧困克服、不況克服とかあるわけですが、いずれにせよマルクスにおいて労働疎外は重要なテーマだった。
 さてマルクスと「高世が紹介するヘレナ・ノーバーグ・ホッジや渡辺京二」との共通点と違いは何か。
 共通点は「労働疎外に着目した点」です。
 違う点は「労働疎外の原因を何だと思ってるか」でしょうね。
 ホッジや渡辺は近代化が労働疎外の原因だと思ってるのか「高世の紹介*43」を信じれば「昔は良かった」と昔を美化するそうです。でもそれには発展性も現実性もないわけです。そもそも昔には戻りたくても戻れない。そもそも近代化にマイナス面しか無ければ誰も近代化しないわけです。
 近代化には「経済の発展」「生活の向上」というプラス面があるわけです。
 一方、マルクスは労働疎外の原因を近代化だとは考えない。「労働者が自由に働くことができないからだ*44」「だから近代化する以前にも労働疎外はあった」と考えます。したがって「労働者が自由に働ければ」、『労働疎外』と言う意味では近代化には何の問題もない。近代化が原因じゃないから近代化を批判しても意味がない。まあマルクスの場合、これは労働疎外に限らず環境破壊なんかもそうでしょう。近代化の使い方が悪いから問題なだけにすぎない。問題は近代化じゃない。
 そうやって考えたときに果たして「昔に労働疎外はなかったのか?」「マルクスが言うように昔も労働疎外はあったんじゃないか」。
 わかりやすい例で言えば「古代の奴隷労働」「アンクルトムの小屋、で知られる米国の黒人奴隷労働」なんかは労働疎外じゃないのか。
 つまりは「繰り返しますが」労働疎外が起こる原因は「労働者をこき使う人間がいるからだ(近代だと資本家と言われる人種)」とマルクスは理解するわけです。労働者をこき使う人間は昔からいたので、近代化それ自体が悪いわけではない。
 問題は近代化によって「資本家階級という労働者をこき使う力が今までより強い権力者集団が生まれたこと」にあるわけです。資本家が誕生するまでは「基本的に自分で労働時間を全て決める」自営業者も結構いた。自営業者ならバラ色というわけでもないですが「労働時間を決めるのは原則自分」だから労働疎外は起こりにくいわけです(起きないとまでは言えないでしょうが)。
 だから資本家の誕生で労働疎外が今までより目立つようになった。
 その「労働疎外」をマルクス共産主義という理論によって変えようとしたわけですが、それについては論じるほどの能力もないので特に論じません。
 「近代化しなければ」労働疎外がないかと言えば「繰り返しますが」そんなことはおそらくない。古代には古代の、中世には中世の、近世には近世の労働疎外が恐らくあったわけです。
 共産主義という理論の是非はともかく、「少なくとも」労働疎外の克服を論じるにおいて「近代化否定」をしなかった点ではマルクスは偉大だったといえるでしょう。

【批判紹介終わり:他にも書いた気がしますが】

 自殺者をゼロにする目標をかかげ、「いのっちの電話」で24時間、相談電話を受け付けている。

 高世の誤記なのか、それとも本当に「いのっち」なのかと思ってググったら本当に「いのっち」のようですね。
 いずれにせよ、こういうときに「誤記だと思われないように、命名の由来を簡単に説明しよう」とすら思わない高世は「バカなのか」。
 バカなんでしょうね。

 会場で物販をやっていて、彼の新刊『躁鬱大学』が並んでいた。躁鬱病の坂口さんの経験から「ラクに愉快に生きる」技術を指南するというもの。

 マジで躁鬱病だったら医者に行くことですね。「本にして金儲けのネタにできる」時点で「昔はともかく」もはや、今のこの男はたいした躁鬱病ではないでしょう。
 まあ、坂口が高世や渡辺が評価するほど立派かどうかはともかく

◆『独立国家のつくりかた』(2012年、講談社現代新書)
◆『モバイルハウス 三万円で家をつくる』(2013年、集英社新書)
◆『TOKYO一坪遺産』(2013年、集英社文庫)
◆『現実脱出論』(2014年、講談社現代新書→増補版、2020年、ちくま文庫)
◆『ゼロから始める都市型狩猟採集生活』(2016年、角川文庫)
◆『徘徊タクシー』(2017年、新潮文庫)
◆『苦しい時は電話して』(2020年、講談社現代新書)
◆『躁鬱大学』(2021年、新潮社)

と言う著書を大手出版社「角川書店」「講談社」「集英社」「新潮社」「筑摩書店」から出す「今の坂口」は成功者ではあるでしょう(昔はともかく)。俺も含めて大抵の人間は、本が出したければ、「自費出版」ですから。まあ、俺は坂口に興味もないので読む気はありませんが。