珍右翼・高世仁に悪口する(2022年12/27日分)(副題:未だに『つくる会理事』三浦小太郎を褒める高世に呆れる)

渡辺京二さんの訃報によせて - 高世仁のジャーナルな日々

 私にとっては、尊敬し仰ぎ見る偉人だった。「巨星墜つ」という表現があるが、この人ほどの知の巨人はもう日本には現れないのではないか。心を病んでしまったようなこの日本がこれからどう歩んでいけばいいのか、もっとお聞きしたかった。
 多くのことをご教示いただいたことに感謝するとともに、心よりご冥福をお祈りします。

 なお、渡辺は「1930年生まれ(92歳)」。
 ちなみに「1930年生まれ」の著名人としては、ヘルムート・コール(2017年死去)、西村京太郎(2022年死去)、屠呦呦、不破哲三氏(存命)がいます。不破氏が不幸にして死去すれば、私にとっては、尊敬し仰ぎ見る偉人だった。「巨星墜つ」という表現があるが、この人ほどの政治家はもう日本には現れないのではないか。という痛惜の念を共産支持者、不破ファンとして感じるでしょう(勿論不破氏の長命を祈念していますが)
 そして「十津川警部シリーズなどの鉄道ミステリ」で一斉を風靡した西村も「巨星墜つ」という表現があるが、この人ほどの鉄道ミステリ作家はもう日本には現れないのではないか。といえるかもしれない。「東西ドイツ統一」ヘルムート・コール「巨星墜つ」だし、「抗マラリア薬であるアルテミシニン発見で2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞」屠呦呦もなくなった際には「巨星墜つ」と言われるでしょう。
 他には1930年生まれの著名人としては

1930年 - Wikipedia参照
【あいうえお順】
小山内美江子
 脚本家。代表作に連続テレビ小説マー姉ちゃん*1」(NHK、1979年)、3年B組金八先生第1シリーズ(TBS、1979年~1980年)、第2シリーズ(TBS、1980年~1981年)、連続テレビ小説「本日も晴天なり」(NHK、1981年)、大河ドラマ徳川家康」(NHK、1983年)、3年B組金八先生第3シリーズ(TBS、1988年)、大河ドラマ翔ぶが如く」(NHK、1990年)、3年B組金八先生第4シリーズ(TBS、1995年~1996年)、第5シリーズ(TBS、1999年~2000年)、第6シリーズ(TBS、2001年~2002年)、第7シリーズ(前半)(TBS、2004年)など
武井保雄(2006年死去)
 消費者金融武富士の創業者

等がいます(小山内はテレビドラマ界の、武井はサラ金業界の「巨星」といえるかもしれない)。
 なお、今年(2022年)亡くなった人間としては「既にミステリ界の巨匠・西村京太郎」は紹介しましたが以下の人間が「巨星堕つ」と言っていいのではないか。なお、産経などウヨ連中が安倍元首相や石原元都知事の死(いずれも今年)を「巨星墜つ」と言ってることは知っていますが「アンチ右翼」「アンチ不正(石原は水谷建設疑惑、安倍はモリカケ桜疑惑など)」の俺は彼らを勿論「巨星」とは思わないことを断っておきます。

訃報 2022年 - Wikipedia
【死亡日時順】
◆1月10日
 水島新司(1939~2022年)
 『野球狂の詩』『ドカベン』『あぶさん』など日本野球漫画界の「巨星」
◆4月7日
 藤子不二雄A(我孫子素雄、1934~2022年)
 『忍者ハットリくん』、『怪物くん』、『プロゴルファー猿』、『笑ゥせぇるすまん』、『まんが道』などで知られる日本漫画界の「巨星」
 それにしても我孫子と同世代の藤子・F・不二雄藤本弘、1933~1996年)や「やや若い世代」の石ノ森章太郎(1938~1998年)はやはり早死にですね(なお、両藤子、石森にはトキワ荘 - Wikipediaの住人という共通点がある)。その作品数の多さからかなりの年齢と誤解しがちですが60代での死去です。
◆9月8日
  英国女王エリザベス2世(1926~2022年)
◆9月13日
 映画監督ジャン=リュック・ゴダール(1930~2022年)
 映画界の「巨星」。1960年、『勝手にしやがれ』でベルリン国際映画祭銀熊賞(監督賞)を、1961年、『女は女である』でベルリン国際映画祭銀熊賞(審査員特別賞)を、1965年、『アルファヴィル』でベルリン国際映画祭金熊賞を受賞。ヌーヴェルヴァーグの旗手の一人と評価された(ジャン=リュック・ゴダール - Wikipedia参照)。
◆10月1日
 アントニオ猪木(1943~2022年)
 日本プロレス界の「巨星」新日本プロレス創設者。
◆11月30日
 江沢民(1926~2022年)
 中国政治の「巨星」。元中国国家主席(元中国共産党総書記)。
◆12月29日
 ペレ(1940~2022年)
 サッカー界の「巨星」サッカーブラジル代表のエースとして3度(1958年、1962年、1970年)のFIFAワールドカップ優勝。

 さて、俺個人は渡辺については低評価、酷評しかしていません。「巨星」なんて全く思ってない。
 そもそも

宮崎滔天北一輝の評伝*2をはじめ「神風連とその時代*3

て「宮崎」「北」「神風連」(全てウヨ)を好意的に評価する渡辺はどう考えてもウヨでしか無い(まあ、さわやかな映画「ブータン 山の教室」 - 高世仁のジャーナルな日々などでブータンをやたら高評価する高世が神風連を高評価する渡辺に惹かれるのは自然かもしれませんが)。
 だからこそ後述するように渡辺は「つくる会理事」三浦小太郎(後述しますが高世は三浦も「畏友」とまで呼んで高評価しています)と交遊があるのでしょう。そしてそんな渡辺を高評価する高世もどう見てもウヨでしか無い。
 以下、渡辺(そして高世)を低評価した記事を「かなり長くなりますが」改めて紹介しておきます。

「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(6/5分:高世仁の巻)&北朝鮮最新ニュースその他色々(追記・訂正あり) - bogus-simotukareのブログ2017.6.5
「懐かしい未来」再読 - 高世仁のジャーナルな日々

 労働は苦役ではなく、大きな喜びであり楽しみだったのだ。

 まあここで高世が言ってるような問題意識(現代社会において労働は苦役になっていないか:例としては「うつ病などのメンタルヘルスの問題」や過労死)は、「小生も正確に理解しているわけではないですが」、いわゆる「マルクスの労働疎外論」じゃないですかね。
 そう言う意味ではここで高世が言ってることは全然新しくない。「それマルクスが指摘してからずっと労働組合運動とかの重要問題ですけど」つう話です。
 元左翼でありながらマルクスについて触れない高世もどうかと思いますね。
 まあ労働疎外だけがマルクスの問題意識ではなく他にも貧困克服、不況克服とかあるわけですが、いずれにせよマルクスにおいて労働疎外は重要なテーマだった。
 さてマルクスと「高世が紹介するヘレナ・ノーバーグ・ホッジや渡辺京二」との共通点と違いは何か。
 共通点は「労働疎外に着目した点」です。
 違う点は「労働疎外の原因を何だと思ってるか」でしょうね。
 ホッジや渡辺は近代化が労働疎外の原因だと思ってるのか「高世の紹介」を信じれば「昔は良かった」と昔を美化するそうです。でもそれには発展性も現実性もないわけです。そもそも昔には戻りたくても戻れない。そもそも近代化にマイナス面しか無ければ誰も近代化しないわけです。
 近代化には「経済の発展」「生活の向上」というプラス面があるわけです。
 一方、マルクスは労働疎外の原因を近代化だとは考えない。「労働者が自由に働くことができないからだ」「だから近代化する以前にも労働疎外はあった」と考えます。したがって「労働者が自由に働ければ」、『労働疎外』と言う意味では近代化には何の問題もない。近代化が原因じゃないから近代化を批判しても意味がない。まあマルクスの場合、これは労働疎外に限らず環境破壊なんかもそうでしょう。近代化の使い方が悪いから問題なだけにすぎない。問題は近代化じゃない。
 そうやって考えたときに果たして「昔に労働疎外はなかったのか?」「マルクスが言うように昔も労働疎外はあったんじゃないか」。
 わかりやすい例で言えば「古代の奴隷労働」「アンクルトムの小屋、で知られる米国の黒人奴隷労働」なんかは労働疎外じゃないのか。
 つまりは「繰り返しますが」労働疎外が起こる原因は「労働者をこき使う人間がいるからだ(近代だと資本家と言われる人種)」とマルクスは理解するわけです。労働者をこき使う人間は昔からいたので、近代化それ自体が悪いわけではない。
 問題は近代化によって「資本家階級という労働者をこき使う力が今までより強い権力者集団が生まれたこと」にあるわけです。資本家が誕生するまでは「基本的に自分で労働時間を全て決める」自営業者も結構いた。自営業者ならバラ色というわけでもないですが「労働時間を決めるのは原則自分」だから労働疎外は起こりにくいわけです(起きないとまでは言えないでしょうが)。
 だから資本家の誕生で労働疎外が今までより目立つようになった。
 その「労働疎外」をマルクス共産主義という理論によって変えようとしたわけですが、それについては論じるほどの能力もないので特に論じません。
 「近代化しなければ」労働疎外がないかと言えば「繰り返しますが」そんなことはおそらくない。古代には古代の、中世には中世の、近世には近世の労働疎外が恐らくあったわけです。
 共産主義という理論の是非はともかく、「少なくとも」労働疎外の克服を論じるにおいて「近代化否定」をしなかった点ではマルクスは偉大だったといえるでしょう。

「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(8/10分:高世仁の巻)&北朝鮮最新ニュースその他色々(追記・訂正あり) - bogus-simotukareのブログ2018.8.10
人間は宇宙の自己感動器官 - 高世仁のジャーナルな日々

 生きる意味が分からないという人に、尊敬する思想家、渡辺京二の言葉を贈りたい。

 前も書きましたが、あえて言えば「生きることに意味なんかありません」。ほとんどの人間は小生も含めて凡人であり、「大物政治家や大企業社長、ノーベル賞級の大学者や大物スポーツ選手、文化人」などと違い、あす死亡したからといって「家族はともかく」社会に大きな影響があるわけでもない。
 「生きることに何か意味がある」のではなく「生きることに個人が自分にとっての意味を見つけ出す」わけです。それは仕事かもしれないし、家族の存在かもしれないし、趣味かもしれないし、宗教上、政治上の信念かもしれないし、それらすべてかもしれない。他のものかもしれない。
 そうした「生きる意味が見いだせない人間」の中には時に自殺する人間もいるわけです。
 例えばマンデラとか金大中とか政治活動家なんかわかりやすいですが、彼らにとっての生きる意味の一つは「アパルトヘイト撤廃」「軍事独裁打倒、韓国民主化」など「自らの政治信念」でしょう。でも彼らにとってはそうでも他の人間は必ずしもそうではない。
 彼らが「政治信念」を生きる意味にしたのも「自分でそう選んだ」のであって自然にそうなったわけではない。

 人間がいなけりゃ、美しく咲いてる花も誰も美しいと見るものがいないじゃないか。

 人間がいなくなったって、熊だのカワウソだのといった動物はいるし、彼らだって「美しい」という感情はあるんじゃないか。つうか別に花は「人間も含めた動物ごときに美しいと思ってもらうために咲いてるわけじゃない」。花はただ自分のために咲いてるわけです。
 別に自然は「人間に生きろなんて命じてない」。生きろなんて命じないから自殺したいと思えば自殺できるわけです。別に人間は「自然とやら」のために生きるんじゃない。自分のために生きるわけです。それは「生きる喜びが見つからなければつらい」でしょうが、「生きる喜びが見つかれば」、『自然が生きろと命じてる』なんて世迷い言よりは「自分のために僕は生きています」の方がずっとすばらしい。問題は「生きる喜びをどう見つけるか」「生きるつらさをどうなくして、あるいは減らしていくか」つう話でしかない。
 まあ、渡辺のくだらないお題目なんぞより、まだ周囲の人間(家族、友人、知人)が「お前は自殺したらだめだ。お前が死んだら俺も含めて周囲の人間がつらい。頼むから生きてくれ。生きている方が死ぬよりも楽しいと思う」「お前が生きるのがつらいのなら俺にそのつらさを話してくれ。少しでもお前の力になりたい」つうほうがよほど「自殺防止に役立つ」でしょうねえ。
 「周囲が自分の死を望んでない」ということは死を抑止する力になるはずです。
 「俺が死んでも誰もなんとも思ってくれない」よりは「俺の死を悲しむ人間がいる」の方が自殺を抑止する力になるはずです。

もし身近に悩んでいる若い人がいたら、とりあえずの相談先として、以下のようなところがあるので教えてあげていただきたい。
 チャイルドライン(電話/ウェブ)―18歳までの子ども
 24時間子供SOSダイヤル(電話)―いじめに限らず、悩む子どもと親
 Mex(ミークス)(ウェブ)―10代向け、カテゴリや手段によって相談窓口を選べる
 生きづらびっと(ウェブ/LINE)―LINEやチャットで相談受け付け
 東京シューレ(電話/LINE)―学校に行きたくない子どもや親

 渡辺のくだらないお題目が糞の役にも立たないことを事実上認めてるアホの高世です。
 渡辺のお題目に意味があるなら、こういう連絡先を教える必要もない。

今日の産経ニュース(8/16分)(追記・修正あり)(副題:江戸川乱歩『蜘蛛男』、小栗虫太郎『完全犯罪』の一部ネタばらしあり) - bogus-simotukareのブログ2018.8.16
【話の肖像画】史家・渡辺京二(2) 失われた「内発的維新」(1/2ページ) - 産経ニュース

 国連に協力するために自衛隊を海外に派兵するのは当然だと思います。それを拒否するのは、エゴイズムにほかなりません。

 おいおいですね。今更言うのも馬鹿馬鹿しいですが「国連への協力」には非軍事的協力もあり得ます。


【話の肖像画】史家・渡辺京二(3) 「西郷どん」たちが見た夢(1/2ページ) - 産経ニュース

 明治政府という近代国家が誕生し、四民平等をうたいながら国民一人一人を把握してゆくとともに、徴兵令や地租改正といった施策を次々と−農民たちの目からすれば強権的に−施行してゆきました。加えて、利害を異にする個人や法人が、合法的な競争のもとに決着や妥協を図る近代社会は、うまく立ち回った者が得をし、正直者は損をするという、それまでとは打って変わった神も仏もない世の中と映ったことでしょう。明治初期に多発した「農民騒擾(そうじょう)」にはそんな背景があります。こうした農民たちの心情を彼らの目線で理解していたのが西郷でした。
 こういったまなざしは、たとえ政治家として非常に優秀であっても、同じ元勲の大久保利通(としみち)や木戸孝允(たかよし)にはなかったものでした。

 何でそういう認識になるのかさっぱりわかりません。征韓論論争で大久保*4、木戸*5、岩倉*6らと対立し、結局、敗北、他の征韓論高官(土佐の板垣退助*7後藤象二郎*8、佐賀の江藤新平*9副島種臣*10など)とともに下野する西郷ですが、下野するまでに彼もメンバーだった明治新政府によって、「渡辺が批判するところ」の「伝統軽視施策」地租改正や徴兵令などの近代化施策が実行されたわけです。そして農民騒擾(新政反対一揆)も西郷が新政府メンバーだったときから存在した。
 普通に考えれば「明治新政府メンバー」西郷も地租改正などの近代化施策を支持していたとしか理解できないでしょう。下野理由は征韓論であってそれ以外の話ではありませんし。
 西郷が地租改正その他の近代化施策に反対だったなどという根拠を一つでも渡辺は提出できるんでしょうか?。「近藤勇土方歳三のような百姓出身ならまだしも」下級とは言え一応武士であり、島津久光によって「大久保とともに上級武士に取り立てられた」西郷がどうして農民の心情が持てたというのか。そのようなことを示す根拠を一つでも渡辺は提出できるんでしょうか?。
 俺はそんなことは無理だと思いますし、少なくともこの記事においてそんな根拠を渡辺は何一つ提出していません。端的に言って「価値観の問題ではなく」、事実認識の問題として、渡辺の西郷理解は間違っていると思います。というか渡辺による故意のデマ垂れ流し、歴史修正主義(歴史捏造主義)じゃないか。


【話の肖像画】史家・渡辺京二(4) 堕落した善の追求は最悪を招く(1/2ページ) - 産経ニュース
【注記】
 「完全な脱線ですが」、以下、文章の途中で、江戸川乱歩『蜘蛛男』、小栗虫太郎『完全犯罪』の一部ネタばらしがあります。

 戦後、「自虐史観」が幅をきかせてきた

 学会はともかく日本社会においては幅など聞かせていませんし、だからこそ吉見義明氏や笠原十九司氏らを反日自虐呼ばわりする安倍が首相になるし、そうした安倍を支援する極右組織・日本会議神社本庁が無視できない政治力を持っているわけですが、それはさておき。
 この渡辺なる男をなぜ産経が持ち上げるのかがよくわかる渡辺発言です。
 そしてこの渡辺発言から、渡辺が「つくる会理事という歴史修正主義極右・三浦小太郎」に自らの評伝『渡辺京二』(三浦小太郎著、2016年、言視舎)を書かせたのかも理解できます。
 歴史家を自称する渡辺も「南京事件否定論慰安婦違法性否定論」のつくる会と同レベルの歴史修正主義右翼、バカ右翼なんだと。今までこの男の本を一度も読んだことがなかったのです*11が、もはや渡辺の本を俺は読むことはないでしょう。渡辺と生前、親密な交際があったという、石牟礼道子*12(故人)という人間にも疑問を感じざるを得ません。
 しかし、この渡辺に

「あんたのいう自虐史観とは何か?。笠原十九司*13南京事件研究か?。林博史*14沖縄戦研究(集団自決研究を含む)か?。吉見義明氏*15慰安婦研究か?。731部隊インパール作戦の研究は自虐史観なのか?」
「あんたは自虐と言うが、それは歴史的事実に合致していても国の恥は暴くなという意味なのか。そのあんたの理屈では、例えばドイツではホロコースト研究、ロシアではスターリン粛清研究、中国では文革研究、韓国では光州事件研究はしてはいけないのか?」
教科書検定での沖縄集団自決記述削除に対し、大規模な県民の抗議運動が起こったことはあんた的には自虐史観なのか?(これについては例えば、赤旗主張/沖縄県民大会/「集団自決」検定を撤回せよ教科書検定意見撤回のとき/「集団自決」軍命記述戻せ/沖縄で県民集会参照)」

などと聞いたらなんと答えるんですかね。
 というか俺に言わせれば「戦前は素晴らしかったのに戦後は反日左翼のせいで」云々と言い出す産経や渡辺の方がよほど自虐だと思いますが。

 日本の悪口を言うことによって自分が偉くなったような気になったり、喜々としていたりする態度には嫌悪感を覚えます。

 いったいいつ吉見義明氏や笠原十九司氏らがそんな態度をとったんでしょうか。というか問題は「吉見氏や笠原氏らの指摘(南京事件慰安婦の違法性についての指摘)が事実なのか」「事実とするならば*16、その事実について我々日本人はどう考え、どう今後対応すべきなのか」という話であって、「自虐史観の連中の態度が気にくわない」と言い出す渡辺はバカでしかありません。
 渡辺はそんなことを言う前に「元慰安婦など日本の戦争被害者(なくなった方もいますが、今も生存者はいます)の前で、日本人である自分に何が語れるのか」を真摯に考えるべきでしょう。
 彼ら戦争被害者の前でもこんなくだらないことを言う気なのか。というか渡辺が「自虐史観論者ガー」としかいわず故意に「今も生存している戦争被害者にどう向き合うか」を語らないのは俺のような突っ込みから逃げたいからでしょう。呆れたバカであり卑怯者です。そんな渡辺の何が歴史家か。
 笑わせるな、て話です。俺からすれば、今後渡辺を評価する奴は「人を見る目がないバカ」と判断できるので助かります。例えば高世仁(たとえば渡辺京二が語る人生の目的 3 - 高世仁のジャーナルな日々参照)とか(例はもちろん高世でなくてもいいですが)。まあ渡辺を評価するしないにかかわらず「安田純平氏身柄拘束事件での高世の過去言説(日本政府は安田氏を救出しなくていいと放言)」や「特定失踪者を根拠レスで拉致扱い」ということで高世はどうしようもないクズですが。
 渡辺と親密交際してたという石牟礼道子もバカだったんでしょうね。

「実現すべき目的の超越的絶対性、組織の大目的への献身、そのための自己改造、目的のためには強弁も嘘も辞さぬ点」で、近世の日本に宣教師を派遣した当時のイエズス会と「二〇世紀の共産主義政党」とは驚くほど性格・手法が一致している−と渡辺さんは近著『バテレンの世紀』で指摘している。

 唖然呆然ですね。時代状況の違いなどを全く無視して「イエズス会共産党が似てる」とはどうしようもないバカです。そんなことを言うことに何か意味があるのか。
 こんなでたらめな議論をしていいのなら、

江戸川乱歩『蜘蛛男』の殺害方法*17ナチスガス室が似てる。蜘蛛男の方がナチスガス室の『発明』より先*18だから、ナチスは『蜘蛛男』を読んだんじゃないか」
小栗虫太郎『完全犯罪』*19の殺害方法*20と殺害理由*21ナチス*22(以下略)」

とか何でも言えます(ちなみに乱歩『蜘蛛男』、小栗『完全犯罪』は読んだとき「ナチガス室ぽいなあ(小栗の場合は殺害動機も)」と思ったのでそこだけはよく覚えています)。
 まあマジレスすれば『実際にやるかどうかはともかく』毒ガス大量殺人だの「劣悪遺伝子の持ち主は抹殺していい」なんてことは思いつきだけなら誰でも文章に書けるし、乱歩や小栗も『まさかマジでやる奴がいるとは思ってない*23ので』、49人の少女を拉致して毒ガス室で一挙に殺人(乱歩『蜘蛛男』)だの、劣悪遺伝子を受け継ぐ呪われた一族を絶滅させるためにはその一族のメンバーを毒ガスで殺していい(小栗『完全犯罪』)、つう与太を、割と気軽にかけたつうだけの話です。
 乱歩『蜘蛛男』の場合、このガス室殺人計画、明智の活躍で失敗に終わり、追い詰められた蜘蛛男は自決します。
 一方、小栗『完全犯罪』の場合、犯人は「自分自身も、別の悪性遺伝を持つ家系に属していることを知り、自らの信念に従い」毒ガスで自決します。この犯人は

◆コロナを馬鹿にするようなことを言いながら自分は喉が痛いだけでPCR検査を受けた「平熱パニックオジさん」橋下徹
イラク日本人人質事件では自己責任論をぶちながら自分は無謀ヨットをやったあげく海保の救援を呼んだ辛坊治郎けっきょく辛坊治郎は、自分がその立場になったらどうなるという想像力が欠けていたのだと思う - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)参照)

等とは違い「私は死にたくない!」ではなく自分の信念「悪性遺伝を持つ劣等家系は死ぬべき(だから私も死ぬべき)」を貫いたわけです(間違った信念ですが)。乱歩『蜘蛛男』、小栗『完全犯罪』は面白いと思うので一読をお勧めします。
 さて話を元に戻します。以前、三浦小太郎もhttp://miura.trycomp.net/?p=4675でこの本を取り上げて

カトリックの戦闘的布教集団、イエズス会に属していた宣教師たちは、キリスト教による世界の一元的支配を目指し、その為には手段を択ばない、後のマルクス主義前衛党同様の信念に導かれていた。

と書いたのを小生、過去記事「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」を笑おう・パート145(追記・訂正あり) - bogus-simotukareのブログで「さすがにこれは三浦の曲解じゃないか。ここまでバカなことを渡辺も書かないんじゃないか」「まあ曲解じゃないとしたら、渡辺て明らかに頭がおかしいよね」と言う趣旨のことを書いたのですがなんと曲解ではなかったわけです。つまり渡辺は明らかに頭がおかしい。こんなんと親しくつきあってたという石牟礼道子て頭は大丈夫だったんでしょうか?(多分大丈夫でない)
 少なくとも「日本の宝」石牟礼道子さんを送る - 高世仁のジャーナルな日々が言うような「日本の宝・石牟礼」でなかったことは確かだと思います。「日本の汚点・石牟礼」「石牟礼の死は社会への奉仕(元老・山県有朋*24死亡時の石橋湛山*25風に)」といっていいんじゃないか。
 そして「日本の宝」石牟礼道子さんを送る - 高世仁のジャーナルな日々によれば石牟礼なんぞ尊敬してるらしい美智子皇后の頭は(以下、自主規制)。
 まあ、それはともかく。「イエズス会共産党が似ている」と時代状況を無視して言い出すこと自体が異常ですが、しかもそう決めつける理由が「イエズス会は時に侵略を行いそれを詭弁で正当化した、また時に残虐な行為も辞さなかった」、「共産党*26も時に侵略を(以下略)」てそんなんで似てると言っていいなら「アジア解放の戦争と詭弁で侵略戦争を正当化したあげく、時に731部隊などの残虐行為も辞さなかった」戦前日本、あるいはそうした戦前日本をイデオロギー面で支えた「国家神道」だって、「共産党イエズス会と似てる」ことになるでしょう。
 つうか「手段を選ばず目的を達しようとする人間がいる」なんてのは何もイエズス会スターリン共産党に限った話じゃない。古今東西、いくらでも存在する話です。
 戦前日本の731部隊だってそうした「目的のためには手段を選ばない蛮行」の一つです。
 もちろん「だからスターリン共産党イエズス会が問題がない」という話ではありません。
 「スターリン共産党イエズス会以外にそうした問題がないかのように言う渡辺はおかしい」「それは日本が歴史上やらかした目的のために手段を選ばない愚行(その一例は既に指摘したように731部隊です)を見逃すことになりかねない」つう話です。
 いずれにせよこんなんは単に渡辺が「異常な反キリスト教反共主義」であることを暴露してるだけです。俺だったらこんな本を読んでも「バカか」と呆れるだけですが、世の中には評価する人もいるし、渡辺本人も「俺はすごいこと書いた」と思ってるらしいのは実に滑稽です。
 しかも

日本の悪口を言うことによって自分が偉くなったような気になったり、喜々としていたりする態度には嫌悪感を覚えます。

という渡辺が「産経記事を読む限り」共産党イエズス会への悪口を「産経の取材に対して嬉々として、やっている」のも実に滑稽です。
 「日本への悪口を言うことに嫌悪感を覚える」つう人間が「他人(イエズス会共産党)への悪口を嬉々として言う」。
 単に渡辺が「日本への悪口が嫌いなだけ」「ただし自分の嫌いな相手(イエズス会共産党)へは嬉々として悪口を言う」というクズなだけじゃないですか。
 渡辺のでたらめさ、腐った人間性には全く嫌悪感を覚えざるを得ません。
 まるで「自分が嫌いな他人への悪口は嬉々として言うくせ」に「自分が好きな人間への悪口(例:小生のダライラマ批判)は一切認めようとしない」id:Mukkeのようです。まあ「id:Mukkeと同レベルの身勝手なクズ」、それが渡辺なのでしょう。なお、古今東西、この種のクズはいくらでもいると思います。
 ちなみにこのクズ本の版元は「あの右翼出版社」新潮社だそうです(苦笑)。

「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2019年4/1分:高世仁の巻) - bogus-simotukareのブログ
かつて日本は子どもの楽園だった(3) - 高世仁のジャーナルな日々
 以前も批判したところですが「間引きなんぞあった江戸時代日本」が「子どもの天国」のわけもない。高世の与太には改めて呆れます。大体、高世主張の根拠が渡辺京二『逝きし世の面影』オンリーってのが滑稽です。他に根拠が出せないのか。出せないんでしょうね。そもそも与太だし、高世はバカだし。

 150年前の日本でも子どもの虐待はほとんど見られなかったようだ。明治初期に来日した外国人が、こぞって日本は子どもの天国だと讃える声を紹介してきた。

 単に「外人が児童虐待を認識できなかっただけ」という可能性をなぜ高世は否定できるのか。
 なお、「児童虐待統計」など江戸時代にないので「数は分からない」ものの、江戸時代においても児童虐待自体は存在したことは
「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2019年3/1分:高世仁の巻) - bogus-simotukareのブログでそれについてのネット上の記事を紹介しました。

・ネットー=明治6年~18年お雇い外国人として在日
・アリス・ベーコン=明治21年華族女学校の教師として来日した米人
・ブスケ=明治5年から司法省顧問として在日した仏人

 高世記事ですぐに気づくこと、それは「高世が紹介する外国人のほとんどが、明治時代のいわゆる御雇外国人だ」ということです(外交官など御雇外国人でない人間もいますが)。
 明治の近代化はこうした「御雇外国人」の手によって進められたわけです。そもそもいくら明治政府が「高給払うから来てくれ」といったからといって当時は「アジアの田舎国家」にすぎない日本にわざわざ来るような人間は「日本に対して好意を持ってるので、日本に対する発言にはそうしたバイアスがかかってる可能性がある」でしょう。また高給をもらったら、「よほどのことがない限り」人の情として「イヤー、日本ってホンマろくでもない国やったわ、二度とあんな所に行きたくないわ」とは普通言わないわけです。まあ普通の人間は「日本良かったわあ、ワシみたいなもんに高い給料払ってくれたし」と褒めるでしょう。
 高世はその可能性を完全無視していますが。

「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2019年5/6分:高世仁の巻) - bogus-simotukareのブログ

コスモロジーの創造4 - 高世仁のジャーナルな日々
 渡辺京二さんが語る、人は何のために生きるかの答えはこうだ。
 《この宇宙、この自然があなた方に生きなさいと命じているんです。わかるかな。
(以下略)
(『女子学生、渡辺京二に会いに行く』(亜紀書房)P223-225)

 高世のバカはこんな寝言で感動するようです。
 「性格が悪い」俺なら「わかんねえよ、バカ」「何を根拠に宇宙が生きなさいと命じてると思ったのか、渡辺シェンシェイは根拠を出して下さい」「宇宙が命じてる、てシャブのやり過ぎで幻聴でも聞こえるのか?」ですね。
 まあ、当たり前ですが、そんなことを自然も宇宙も命じてはいません。渡辺はもしかしたら「精神病か、薬物依存症」で「宇宙の声」という幻聴が聞こえるのかもしれませんし、それに共感する高世も渡辺同様に(以下略)(もちろん皮肉のつもり)。
 つうか、俺が「性格が悪いこと(特に高世や渡辺のような、全く人として評価してない大嫌いな相手に対しては)」は否定はしません。しかし別に性格が悪くなくても「受験や仕事の失敗」「人間関係の悩み」「経済的悩み(生活苦)」「重病」などで苦しみ、その結果、自殺が脳内によぎった人間にこんなことを言って救いになるのか。普通に考えて救いになりませんね。むしろ「馬鹿にしてるのか」と怒るか、「こいつに相談したのは時間の無駄だった」と後悔するか、どっちにしろ救いにはなりません。
 まあ、「自殺者の例」は誰でもいいですが、太宰治円谷幸吉田宮二郎中川一郎や「チベット焼身自殺してる人間」だのがこんな寝言で自殺を思いとどまるとはとても思えません。

 以前書いたことの「二番煎じ」「焼き直し」を繰り返しますが、誠実かつ聡明な人間なら渡辺みたいなこの宇宙、この自然があなた方に生きなさいと命じているんですなんてバカなことは言わない。要するに渡辺が不誠実orバカ(勿論不誠実andバカの可能性もある)と言うことですが。
 まだトルストイ人はなんで生きるか - Wikipedia」の回答「人は愛のために(というか妻子、友人など愛する人間を幸せにするために)生きる」の方がましです。なお、トルストイの話はもろに「いい人しか出てこないお涙頂戴話」ですが俺も割とそういうのが好きです。
 トルストイ小説「人は何で生きるか」については以下を紹介しておきます(完全なネタバレがあります)。

第2273回「トルストイ民話集 人はなんで生きるか ネタバレ」(宗教ミステリ) | 新稀少堂日記2010.6.30
トルストイ著『人はなんで生きるか』 人の心に息づく神の愛つづった不朽の名作 : 書籍 : クリスチャントゥデイ2020.12.7
(前略)
 2つ目の微笑は、大富豪が(ボーガス注:病気で)自分の命がすぐに失われることを知らずに長靴を注文したときで、「人間に与えられていないものは何であるか*27」が分かったからであった。そして最後の微笑は2人の孤児を愛情込めて育てている婦人の涙を見たときで、彼女の中に生きた神を見、「人はなんで生きるか*28」が分かったからであった。

 なお、草野唯雄(そうの・ただお)*29のミステリ『トルストイ爺さん』(初出は『小説推理』1975年5月号。後に草野『文豪挫折す*30』(1978年、光文社→1986年、角川文庫)、日本推理作家協会編『ミステリー傑作選11:どんでん返し*31』(1981年、講談社文庫)、山前謙編『そして謎解きへ:小説推理傑作選*32』(1996年、双葉社)に収録)はこの「人は何で生きるか」にヒントを得たトリッキーな作品だったかと思いますがググってもあらすじが分かる記事がヒットしない!。以前読んだときは斜め読みだったので「記憶があやふや」で機会があったら再読したいとは思います。
 それはともかく、俺なら、「生きる目的は他の誰でも無い、あなたが見つけるんですよ」というでしょう。 
 その上で「何も生きる目的は『政治を変えたい』『社会に貢献したい』のようなご大層なモノでなくていいと思う。ご飯が美味しい、家族や友人と話してて楽しい、仕事や勉強にやりがいがある、だから生きてて楽しい、そのレベルでいいと思う」「ご大層な目的じゃなきゃ生きる目的が無いなんて事は無いと思う。仕事でも勉強でも趣味でも何でもいい、あなたが生きてて楽しければ、それが生きる目的なんですよ」「生きててつらいのなら、自死では無く、つらさをなくすことを一緒に考えましょう。死ぬことはいつでもできるんですよ」というんじゃないか。まあ、そう言っても自殺する人間は残念ながら勿論いるわけですが。俺だってこんな偉そうなことを言っていても、不幸にして「阪神東大震災や日本大震災で多くの被災者が受けたような深刻な精神的ショック」で今後自殺することが無いとは勿論言えません。所詮弱い人間ですので。

「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2019年6/22分:高世仁の巻) - bogus-simotukareのブログ

原発とジャングル3 - 高世仁のジャーナルな日々
 ただ、(ボーガス注:平均寿命や識字率が低くても)ジャングルの暮らしには、文明によって規定されない、人類にとって普遍的な「しあわせ」があることも確かだ。

 ばかばかしい。高世や渡辺京二が無根拠に「ジャングルの暮らし(昔のくらし)」を美化してるだけでしょうよ。
 高世や渡辺のやってることは「三丁目の夕日(昭和30年代美化)」や「人情長屋の時代劇(江戸時代美化)」と変わりが全くない。「三丁目や時代劇」のように「娯楽ネタ」でやってるのならいいですが、本気で言われてもこっちが呆れるだけです。
 仮に「アマゾンジャングルで暮らしてる原住民」が「自分たちは幸せだ」と言っても彼らは「それ以外の暮らしを知らない」でしょうからね。自分から「ジャングルの暮らし」を選択したわけでもないでしょう。今後、「ジャングル」も次第に近代化していくでしょう。

高世仁に突っ込む(2020年1月1日分) - bogus-simotukareのブログ

2019年に読んだ10冊の本 - 高世仁のジャーナルな日々
2.渡辺京二『黒船前夜 ロシア・アイヌ・日本の三国志』(洋泉社
 以前から気になっていた「和人がアイヌを搾取、圧迫してきた」という俗論から自由になれてすっきりした。

 高世が「俗論」と決めつける根拠は何なんですかねえ。そもそもアイヌについて語るのに「アイヌ専門家ではない渡辺を持ち出す」つうのも頭がどうかしていると思いますが(そもそも渡辺のアイヌについての記述は、おそらく孫引きでしょうし)。

三浦小太郎に突っ込む(2020年7月11日分)(追記あり) - bogus-simotukareのブログ

2019年に読んだ10冊の本 - 高世仁のジャーナルな日々
2.渡辺京二『黒船前夜 ロシア・アイヌ・日本の三国志』(洋泉社
 以前から気になっていた「和人がアイヌを搾取、圧迫してきた」という俗論から自由になれてすっきりした。

なんて書いてることを考えると「高世のアイヌ認識」には危うさを感じますね。
 「和人がアイヌを搾取、圧迫してきた」てのは俗論で無くて事実でしょうよ。ただし「中国のチベット統治に問題があろうとも、一方で中国政府によってチベットは近代化され、チベット人は経済的に豊かになれた」ように「アイヌの問題」も「一方では利益があった」つうだけでしょう。
 高世の物言いは「中国のチベット解放でチベットは豊かになった。だから、チベット解放を批判するのは俗論でくだらない。皆で中国のチベット統治を称えよう」「ダライ・ラマ?。中国相手に無意味に反乱してインドに逃亡した犯罪者だろ?」つうぐらい無茶苦茶な詭弁でしょう。
 まあ、高世がそういうデタラメなクズだから高世の会社も倒産したんでしょうけど(苦笑)。と言うと高世もマジギレするんですかね?

高世仁に突っ込む(2021年2/13日分) - bogus-simotukareのブログ
「三行半」は妻の再婚のための証明書だった - 高世仁のジャーナルな日々

 私の愛読書、渡辺京二『逝きし世の面影』は、江戸末期から明治初期にかけて日本を訪れた欧米人の目に写った日本を紹介している。これをひもとくと、日本の女性は実に自由で活発、初めて見る外国人にも物おじせず、加えて愛くるしいと激賞されている。

 「外人(いわゆる御雇外国人)が褒めたから何なんだ?」ですね。
 外人は日本の事情に詳しいわけではないし、御雇外国人とは要するに日本政府から「高いサラリー」をもらってるわけです。日本に好意を抱いて何でもかんでも「日本スゴイですね」でも全然珍しくない。世界が驚いたニッポン! スゴ〜イデスネ!!視察団 - Wikipediaテレビ朝日、2014~2019年までレギュラー番組(1時間番組)、現在は不定期放送(2時間番組))、世界!ニッポン行きたい人応援団 - Wikipediaテレビ東京、2016~2020年までレギュラー番組(1時間番組)、現在は不定期放送(2時間番組))に出てくる「日本スゴイ」の外国人みたいなもんです。
 しかも「在野の歴史研究者」と言えば聞こえは良いですが要するに渡辺は「大学教授」などのプロじゃ無いわけです。
 「アマチュアのうさんくさい、信用性の怪しい本」を持ち出して「昔の日本女性は輝いていた!」。
 まだ「尼将軍・北条政子(将軍・源頼朝の妻、初代執権・北条時政の娘、2代執権・北条義時の姉)」「日野富子(将軍・足利義政の妻、将軍・足利義尚の母)」をネタに「中世日本の女性は政治に関与していた!、昔の日本女性の地位は高かった!」という方がまだマシじゃ無いか。
 「お前はアホか(横山ホットブラザーズ風に)」「そんな馬鹿だから会社が潰れるんだよ」「故郷の山形に帰れ、バカ」と高世に悪口したくなります。

「アジア的生活の研究者は、日本に来ると、他の国に比べて日本の女性の地位に大いに満足する。ここでは女性が、東洋の他の国で観察される地位よりもずっと尊敬と思いやりで遇せられているのがわかる。日本の女性はより大きな自由を許されていて、そのためより多くの尊厳と自信を持っている」(福井藩校で教えたグリフィス*33

 高世の紹介するグリフィス発言は「具体性がなさ過ぎて意味不明」ですし言ってることは「他の東洋やアジアの国家(中国や韓国?)」よりは「恵まれてる」程度の話にすぎません。

「農民の婦人や、職人や小商人の妻たちは、この国の貴婦人たちより多くの自由と比較的高い地位をもっている。下層階級では妻は夫と労働を共にするのみならず。夫の相談にもあずかる。妻が夫より利口な場合には、一家の財布を握り、一家を牛耳るのは彼女である」(明治6年に来日し明治44年まで滞在したチェンバレン*34

 「外人の評価」がどれほど信用できるか疑問ですが、「下層階級」つうのがポイントですよねえ。つまりは上流階級(公家や武士など?)では「女性の地位は低い」わけです。
 下層階級だから「猫の手も借りたい」から「女性の地位が高くなっている(つうか女性も男性と共に働く)」にすぎないでしょうに。かつこの場合の「労働」は明らかに「職人や小商人の妻たち=自営業」ですよね。
 自営業だから「職住近接」で一緒に労働できる。今だって自営業で職住近接ならそうした「女性の労働」はありうるでしょう。日本テレビnews every. - Wikipediaの「暇ネタコーナー(every.特集)」で紹介される「街の洋食屋や惣菜屋」とか。
 でも今の日本において自営業で職住近接なんて「労働形態の主流」では明らかにない。
 「一家の財布を握り」つうのも「何だかなあ?」ですね。ドラえもんサザエさんなんかでも「金を稼ぐのは夫(父親)」でも、一家の財布を握ってるのは妻(母)である「のび太のママ」「サザエさん」のわけです。夫は妻から小遣いをもらう。
 そういう家は日本では珍しくない。ならばドラえもんサザエさんの世界は「男女平等」なのか?。聞くだけ馬鹿馬鹿しい話です。

「日本の婦人は作法や慣習の点で、ずいぶん中国女性と違う。後者にとっては、外国人の顔を眼にするや否や逃げ去るのがエティケットなのだが、日本の女は逆に、われわれに対していささかの恐怖も気おくれも示さない。これらの茶屋では、彼女らは笑顔で近づいて来てわれわれをとり囲み、衣服しらべにとりかかる。握手することさえ覚えてしまうのだ」(プラントハンターとして1860年(万延元年)に来日したフォーチュン*35が名所の梅屋敷に立ち寄ったさい)

 『外人に対して当時の日本女性が物怖じしない』が事実だとしても「江戸時代日本の女性の地位」が高いかどうかと何一つ関係ないですが。「お前はアホか(横山ホットブラザーズ風に)」「そんな馬鹿だから会社が潰れるんだよ」(以下略)。

 江戸の庶民には、男言葉と女言葉の差がほとんどなかったという。
 飲酒喫煙もほぼ自由だった。
 離婚歴は当時の女性にとってなんら再婚の障害にはならなかった。その家がいやならいつでもおん出る。それが当時の女性の権利だった。

 最後に、外国人をとりこにしたかつての日本の女たちについて。
「開国したこの国を訪れた異邦人の“発見”のひとつは、日本の女たち、それも未婚の娘たちの独特な魅力だった。ムスメという日本語はたちまち、英語となりフランス語となった。オイレンブルク*36使節団の一因として1860年初めてこの国の土を踏み、62年領事として再来日、72年から75年まで駐日ドイツ大使をつとめたブラント*37のいうように『ムスメは日本の風景になくてはならぬもの』であり、『日本の風景の点景となり、生命と光彩を添え』るものだった」
 この当時の日本女性は実に魅力的だったようである。これを復活させよう。

 赤字部分(飲酒喫煙の自由、離婚の自由)は「女性の権利面で評価できる話」でしょうが、そんなことは、森暴言問題を契機に論じられている「男女の地位が対等かどうか(女性が対等に男性と話が出来るかどうか、女性がお飾りでは無く権限のある役職に就けるかどうかなど)」とは関係ない話です。かつ既に「飲酒喫煙の自由*38、離婚の自由」なんて日本女性にあるし(単身女性は生活苦に陥る危険性があるので、事実上離婚がしがたいという問題はひとまずおきます)。
 ましてや黒字部分(男女の言葉に違いが無い、外国人にとっての『未婚の日本人女性』の魅力)に至っては「女性の権利」とも全く関係ない。
 大体外国人にとっての『未婚の日本人女性』の魅力て、高世の引用文を読んでも何が何だかさっぱりわかりません。
 それにしても高世の「江戸時代礼賛」も酷いですが、明治以降について

【誕生年順】
平塚雷鳥
 1886~1971年。日本婦人団体連合会初代会長、世界平和アピール七人委員会委員など歴任(平塚らいてう - Wikipedia参照)
奥むめお
 1895~1997年。日本生活協同組合連合会副会長、全国婦人会館協議会会長、主婦連合会初代会長など歴任(奥むめお - Wikipedia参照)
宮本百合子
 1899~1951年。作家。日本共産党員。新日本文学会中央委員や婦人民主クラブ幹事など歴任(宮本百合子 - Wikipedia参照)。
土井たか子
 1928~2014年。日本社会党委員長衆院議長、社民党党首など歴任(土井たか子 - Wikipedia参照)

などといった女性活動家*39がいることに全く触れないのも酷いもんです。
 高世のように「江戸時代賛美」なんて馬鹿げたことをやる前に「明治以降の女性活動家の功績と限界」を振り返る方が余程有益でしょうよ。     
 つうか、今回の森辞任もそうですが、過去において

◆1945年:女性参政権の容認
◆1986年:男女雇用機会均等法の制定、土井たか子社会党委員長就任(主要国政政党で初の女性党首)
◆1999年:男女共同参画基本法の制定
◆2000年:ストーカー規制法の制定
◆2001年:DV防止法の制定
◆2014年:リベンジポルノ防止法の制定

など(例は何でもいいですが思いついたものをあげました)があり「欧米に比べればスピードが遅い」とはいえ「女性の人権」は「長い目」で見れば一応「改善の方向に向かってる」のになんで高世は「江戸時代万歳」という訳の分からないことを始めるのか。
 何で「森辞任で女性権利を拡大する運動はまた一歩前進した。この前進を更に続けよう」つう話にならないのか。

珍右翼・高世仁に突っ込む(2021年10/26日分)(副題:今日も高世に悪口する) - bogus-simotukareのブログ
熊本の文芸を辿る(坂口恭平×渡辺京二) - 高世仁のジャーナルな日々

 地方を元気に、という掛け声は、主に経済を念頭においているイメージだが、ほんとうに地方の独自性をもちながら活性化するには、文化を重視すべきだと思う。
 熊本では、石牟礼道子*40渡辺京二*41ら、ユニークで一目置かれる作家たちが地元に住みながら作品を生み続けてきた。
 熊本はなぜ文芸活動が盛んなのかを、坂口恭平*42渡辺京二が『ブルータス*43』(去年1月1日/15日号)で対談していて、これは地方文化の活性化にとって参考になるのではと思った。

 高世が「高世が評価するという石牟礼、坂口、渡辺」を礼賛してるだけの駄文です。
 もちろん「石牟礼らを礼賛するのは高世の勝手」ですが正直、この中で「世間一般に知られてる人間」は『苦海浄土』(講談社文庫)の石牟礼だけでしょう。
 そして「町おこし(地場産業の育成や観光促進)」云々という意味で「熊本の文芸活動」が評価できるのかと言ったら「一番有名な石牟礼も含めて」評価できないでしょうね。

◆いわゆる「大林宣彦尾道三部作(例えば大林 宣彦作品-尾道三部作-参照)」で尾道が大林ファンにとっての聖地となり観光客誘致に役立ってる

のような事実は「熊本の文芸活動」にはないでしょう。
 勿論「文芸活動」は「町おこし」のためにやるもんではありませんが。
 むしろ「くまモン」「熊本城」の方が「町おこし」ではないか。
 また「熊本の文芸活動」とやらも「石牟礼や渡辺」と言った個人が好き勝手やってるだけで「熊本の文化人がネットワークを築いてやってきた。それを行政など地元の諸団体もバックアップしてきたので石牟礼や渡辺が死んでも、熊本の文芸活動は続いていく」つうもんでもなさそうです。高世が紹介する対談も「熊本文芸活動」の長老面する「渡辺」が単に「熊本の文芸活動は俺と石牟礼が支えてきた」と自画自賛してるだけに過ぎません。つまり、石牟礼らの活動をどう評価するにせよ、彼らの活動は「彼らの個人的活動」にすぎず、明らかに「地方文化の活性化にとって参考になる話(高世の強弁)」ではありません。

 さて高世の駄文に戻ります。

 三浦小太郎さんが渡辺さんについておもしろい論説を書いていたので、紹介しよう。
 三浦さんには渡辺さんの全著作を読み込んで彼の思想の全貌にせまる『渡辺京二』(2016)という著作がある。こんな偉大な思想家によくもまあ、正面から挑んだもの*44だなあと感心した。出版後、三浦さんと飲んで渡辺京二論を話し合う*45のが楽しみだった。

 未だに「新しい歴史教科書をつくる会理事(役員構成|新しい歴史教科書をつくる会参照)」というデマ右翼「三浦」と交遊があるのか、そして高く持ち上げるのかと、高世のバカさには心底呆れます。
 以前

中公新書から中北浩爾『日本共産党』、黒木登志夫『変異ウイルスとの闘い』が発売された - kojitakenの日記
 本記事からリンクを張った高世仁氏は、某人によって「珍右翼」なるレッテルを貼られて以前から攻撃され続けている。某は最近では弊ブログの攻撃にも熱心だが、私の見るところ「珍右翼」とのレッテルは某自身にこそふさわしい。なぜなら某は極端なまでの権威主義者であって、下手なネトウヨなんかよりもよっぽど右翼的と思われるからだ。私はこの人士を稀に見る醜悪な心性の持ち主であるとして心底から軽蔑している。このことは以前にも書いたが、高世氏のブログにリンクを張ったことをきっかけとして改めて申し述べておく。

と高世を擁護したid:kojitakenはこうした高世の振る舞いを批判したらどうなのか。「珍右翼」三浦小太郎と交遊し、「珍右翼」野村旗守野村旗守さんの逝去によせて~「朝銀」取材の思い出 - 高世仁のジャーナルな日々*46で賛美する高世を「珍右翼」と呼んで何が悪いのか。
 志位共産党が来年の愛知県知事選で零細新選組系の(元?)「ケムトレイル陰謀論者」尾形慶子を担ぐらしい(呆) - kojitakenの日記とまで志位氏に悪口した男id:kojitakenが高世については

 高世仁は「南京事件否定論者」の「新しい歴史教科書をつくる会理事」を「畏友」と呼んでるらしい(呆)

等とは批判しないのだから「そのデタラメさ、クズさ」には心底呆れます。単に「『俺に悪口してむかつくボーガス』が悪口してる高世氏を擁護しよう、ボーガスが非難してる人間だから立派な人間に違いない」程度の考えで高世を擁護するからこういう醜態をさらすことになる。あげく俺の批判がよほど精神的に嫌だったのか、kojitakenブログへの俺の批判コメントは当初は掲載拒否、今や「コメント投稿拒否設定」です。kojitakenはどこまでチキンで恥知らずなのか。しかもkojitakenの取り巻き連中はそんなkojitakenの態度を「何故、kojitakenはボーガスにきちんと応答しないのか」等と批判するどころか「ボーガスの排除は当然」として擁護するのだから心底呆れます。
 それはともかく三浦&高世については以前下記のように批判しましたので改めて紹介しておきます。

珍右翼・高世仁に突っ込む(2021年10/26日分)(副題:今日も高世に悪口する) - bogus-simotukareのブログ
熊本の文芸を辿る(坂口恭平×渡辺京二) - 高世仁のジャーナルな日々
 俺は「渡辺」など評価しません。
 以前も今日の産経ニュース(8/16分)(追記・修正あり)(副題:江戸川乱歩『蜘蛛男』、小栗虫太郎『完全犯罪』の一部ネタばらしあり) - bogus-simotukareのブログで批判しましたが、

【話の肖像画】史家・渡辺京二(4) 堕落した善の追求は最悪を招く(1/2ページ) - 産経ニュース
◆戦後、「自虐史観」が幅をきかせてきた
◆日本の悪口を言うことによって自分が偉くなったような気になったり、喜々としていたりする態度には嫌悪感を覚えます。

なんて言ってるウヨが渡辺ですのでねえ。
 渡辺など「死ねば(山本七平などのように)急速に忘れられる」でしょう。渡辺が「自虐史観」と悪口する「南京事件研究」笠原氏、「沖縄戦研究」林氏、「慰安婦研究」吉見氏の方がよほど「後世に残る」でしょう。
 ちなみに渡辺の評伝『渡辺京二』(2016年、言視舎評伝選)を書いた三浦小太郎も「新しい歴史教科書をつくる会理事」という「歴史修正主義極右(渡辺の同類)」ですが、この「極右」三浦についても高世は

三浦小太郎が斬るNY平壌公演1 - 高世仁のジャーナルな日々2008.3.12
 畏友、三浦小太郎さんが、先月、この公演を批判するすばらしい文章をある雑誌に書いた。三浦さんという人、政治だけでなく、文化・芸能にも強い。阿久悠ZARD坂井泉水が亡くなったときには、味わい深い追悼文を書いたし、クラシックからジャズ、ロック、はてはサブカル系アート、少女漫画まで何でもありの実に幅広い教養人だ

嘘の人権 偽の平和 - 高世仁のジャーナルな日々2010.12.26
 畏友、三浦小太郎さんの先月発売の著作『嘘の人権 偽の平和』(高木書房、1200円)が届いた。
 三浦さんは、評論家にして「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」の代表をつとめる活動家でもある。以前から、彼の見識の深さ、確かさには教えられることが多かった

2019年に読んだ10冊の本 - 高世仁のジャーナルな日々2019.12.31
 三浦さんは長い付き合いの畏友である。

ということで畏友彼の見識の深さ、確かさには教えられることが多かったと書いて大絶賛です。
 「自虐史観」という言葉を平然と使う「歴史修正主義右翼」渡辺や三浦を、高世は「エクスキューズもつけずに」平然と礼賛する。
 「元左翼」高世も随分と落ちぶれたもんです。こうした高世の右翼路線が「ガチで右翼」なのか「商売右翼」なのかはともかく。

*1:原作は漫画家・長谷川町子の自伝エッセイ漫画『サザエさんうちあけ話』で主人公マリ子のモデルは、長谷川町子の姉・毬子である。

*2:『評伝宮崎滔天』(1976年、大和書房→2006年、書肆心水)、『北一輝』(1978年、朝日評伝選→2007年、ちくま学芸文庫)のこと

*3:2006年、洋泉社MC新書→2011年、洋泉社新書y

*4:参議、大蔵卿、内務卿を歴任。紀尾井坂の変で暗殺される。

*5:参議、文部卿、内務卿を歴任

*6:右大臣(外務卿兼務)

*7:参議、第1次大隈、第2次伊藤、第2次松方内閣内務相など歴任

*8:参議、黒田、第1次山県、第1次松方内閣逓信相、第2次伊藤内閣農商務相など歴任

*9:参議、司法卿を歴任。下野後、佐賀の乱を起こし処刑

*10:参議、外務卿、第1次松方内閣内務相を歴任

*11:単に興味を引かれなかっただけで、意図的に避けていたわけではないですが、今後は意図的に忌避することにします。

*12:著書『十六夜橋』(1999年、ちくま文庫)、『新装版 苦海浄土』(2004年、講談社文庫)、『妣たちの国』(2004年、講談社文芸文庫)、『西南役伝説』(2009年、洋泉社MC新書)、『食べごしらえおままごと』(2012年、中公文庫)、『椿の海の記』(2013年、河出文庫)など

*13:著書『アジアの中の日本軍:戦争責任と歴史学歴史教育』(1994年、大月書店)、『南京事件』(1997年、岩波新書)、『日中全面戦争と海軍:パナイ号事件の真相』(1997年、青木書店)、『南京事件三光作戦』(1999年、大月書店)、『南京事件と日本人』(2002年、柏書房)、『南京難民区の百日:虐殺を見た外国人』(2005年、岩波現代文庫)、『南京事件論争史』(2007年、平凡社新書)、『「百人斬り競争」と南京事件』(2008年、大月書店)、『日本軍の治安戦:日中戦争の実相』(2010年、岩波書店)、『海軍の日中戦争』(2015年、平凡社)、『日中戦争全史(上)(下)』(2017年、高文研)など

*14:著書『沖縄戦と民衆』(2001年、大月書店)、『BC級戦犯裁判』(2005年、岩波新書)、『シンガポール華僑粛清』(2007年、高文研)、『戦犯裁判の研究』(2009年、勉誠出版)、『沖縄戦 強制された「集団自決」』(2009年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『沖縄戦が問うもの』(2010年、大月書店)、『米軍基地の歴史』(2011年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『裁かれた戦争犯罪:イギリスの対日戦犯裁判』(2014年、岩波人文書セレクション)、『暴力と差別としての米軍基地』(2014年、かもがわ出版)、『日本軍「慰安婦」問題の核心』(2015年、花伝社)、『沖縄からの本土爆撃:米軍出撃基地の誕生』(2018年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)など

*15:著書『草の根のファシズム』(1987年、東京大学出版会)、『従軍慰安婦』(1995年、岩波新書)、『毒ガス戦と日本軍』(2004年、岩波書店)、『日本軍「慰安婦」制度とは何か』(2010年、岩波ブックレット)、『焼跡からのデモクラシー(上)(下):草の根の占領期体験』(2014年、岩波現代全書)など

*16:というかもちろん事実ですが

*17:殺害方法は毒ガスです。

*18:ウィキペディア『蜘蛛男』によれば、『蜘蛛男』は講談社の雑誌『講談倶楽部』に1929年8月から1930年6月まで連載された。一方、ナチスガス室絶滅収容所 - Wikipediaによれば1942年以降に実用化された。なお、乱歩作品は光文社文庫の乱歩全集で読むことができます。

*19:この『完全犯罪』、現在では『日本探偵小説全集6 小栗虫太郎集』(1987年、創元推理文庫)、『怪奇探偵小説名作選6 小栗虫太郎集』(2003年、ちくま文庫)で読むことができます。また「完全犯罪」以外の小栗作品で現在入手が容易なものとしては『黒死館殺人事件』(2008年、河出文庫)、『二十世紀鉄仮面』(2017年、河出文庫)、『人外魔境』、『紅殻駱駝の秘密』(以上、2018年、河出文庫)があります((小栗虫太郎 - Wikipedia完全犯罪 (小栗虫太郎) - Wikipedia参照)。 参照)。

*20:殺害方法は毒ガスです。

*21:殺害理由は『犯人は人種改良学の信奉者であり、被害者を殺害したのは、合衆国のジューク家、カリカック家と同様の悪性遺伝を持つミュヘレッツェ一族を断絶させるためであった』というナチスユダヤ人虐殺に似た動機です(なお、現在ではジューク家、カリカック家についての言説はえせ科学であると評価されています)。小生もあまりよく知りませんが、小栗とはこうしたトリッキーな作品で知られる作家のようですね。当時はもちろん現在においてもこういうトリッキーな小説はあまりないんじゃないか。

*22:『完全犯罪』は『新青年』(博文館)1933年(昭和8年)7月号に掲載された。一方、ナチスガス室は1942年以降に実用化された。

*23:もちろん乱歩も小栗もネタとして書いていてそんなことを是としていません。だからこそ犯人たちは作品において自滅します。

*24:陸軍卿、内務卿、第1次伊藤、黒田内閣内務相、第2次伊藤内閣司法相、首相、枢密院議長、参謀総長など歴任。元老の一人。

*25:戦前、東洋経済新報主幹。戦後、政界入り。吉田内閣蔵相、鳩山内閣通産相などを経て首相

*26:といってもそれはスターリンソ連などに限定されると思いますが。すべての共産党がそうだとか、今もそうだとかはとても言えないでしょうね。言ったらそれこそ日本共産党などへの名誉毀損です。とはいえ渡辺のような狂信的右翼の輩は日本共産党など相手にそういう暴言を吐きそうですが

*27:要するに「未来を知る力」でしょう。人間は自分のことですら未来を知る力が無く、その結果、最悪のタイミングで起きた噴火 - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)(2014.9.30)、地震とか噴火とかの突発的に発生する災害は、発生時の月日時間がポイントになる - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)(2021.2.16)が紹介する悲劇(御嶽山噴火や笹子トンネル天井板落下事故による死亡)も起きます。

*28:要するに「愛」ですね。人は「妻子、友人など愛する人間を幸せにするために生きる」がトルストイがこの小説で提示した回答です。

*29:1915~2008年。本名は荘野忠雄。1967年、『失われた街』(のち『大東京午前二時』と改題)が第13回江戸川乱歩賞候補作(受賞作は海渡英祐「伯林:一八八八年」)、1968年、『転石留まるを知らず』(のち『抹殺の意志』と改題)が第14回江戸川乱歩賞候補作(第14回は受賞作無し)、1969年、『抹殺の意志』が第23回日本推理作家協会賞候補作(受賞作は陳舜臣 『孔雀の道』『玉嶺よふたたび』)となる(草野唯雄 - Wikipedia参照)

*30:草野「トルストイ爺さん」の他に草野「文豪挫折す」、「森鴎外の女」を収録

*31:草野「トルストイ爺さん」の他に三好徹「(無題)」、陳舜臣「日本早春図」、小林久三「赤い落差」、佐野洋「証拠なし」、山村美紗「恐怖の賀状」、.小泉喜美子「冷たいのがお好き」、鮎川哲也「割れた電球」、麗羅「怨の複合」、森村誠一「紺碧からの音信」、菊村到「雨の夜、誰かが死ぬ」、海渡英祐「死の国のアリス」、戸板康二グリーン車の子供」、石沢英太郎「噂を集め過ぎた男」、夏樹静子 「特急夕月」を収録

*32:草野「トルストイ爺さん」の他に、 有栖川有栖「タイタンの殺人」、井沢元彦「トラップアンドエラー」、内田康夫「陰画の構図」、笹沢左保「青い地上」、辻真先「村でいちばんの首吊りの木」、中町信「動く密室」を収録。辻真先「村でいちばんの首吊りの木」については以前高世仁に突っ込む(2020年11/22日分)(注:映画『旅路 村でいちばんの首吊りの木』のネタばらしがあります) - bogus-simotukareのブログで紹介しました。

*33:1843~1928年。著書『ミカド:日本の内なる力』(岩波文庫)、『明治日本体験記』(平凡社東洋文庫)(ウィリアム・グリフィス - Wikipedia参照)

*34:1850~1935年。海軍兵学寮(後の海軍兵学校)や東京帝国大学で英語教師を務めた。著書『日本事物誌』(平凡社東洋文庫)(バジル・ホール・チェンバレン - Wikipedia参照)

*35:1812~1880年。著書『幕末日本探訪記』(講談社学術文庫)(ロバート・フォーチュン - Wikipedia参照)

*36:1815~1881年。訪日使節団団長、プロイセン内務相など歴任(フリードリヒ・アルブレヒト・ツー・オイレンブルク - Wikipedia参照)

*37:1835~1920年。駐日公使、駐清国大使など歴任。著書『ドイツ公使の見た明治維新』(新人物往来社)(マックス・フォン・ブラント - Wikipedia参照)

*38:まあ飲酒はともかく喫煙について言えば「喫煙場所以外での喫煙が不可」とされる上に「喫煙場所がどんどん減ってる(ファミレスなどは喫煙場所などもはやない)昨今」喫煙人口自体が減っていますが。

*39:まあ、挙げる名前は誰でも良いので、ここであげた名前は思いつきです

*40:著書『十六夜橋』(1999年、ちくま文庫)、『新装版 苦海浄土』(2004年、講談社文庫)、『妣たちの国』(2004年、講談社文芸文庫)、『西南役伝説』(2009年、洋泉社MC新書)、『食べごしらえおままごと』(2012年、中公文庫)、『椿の海の記』(2013年、河出文庫)など

*41:著書『逝きし世の面影』(2005年、平凡社ライブラリー)、『北一輝』(2007年、ちくま学芸文庫)、『維新の夢』(2011年、ちくま学芸文庫)、『日本近世の起源』、『神風連とその時代』(2011年、洋泉社新書y)、『ドストエフスキイの政治思想』(2012年、洋泉社新書y)、『もうひとつのこの世:石牟礼道子の宇宙』(2013年、弦書房)、『近代の呪い』(2013年、平凡社新書)、『私のロシア文学』(2016年、文春学藝ライブラリー)、『死民と日常:私の水俣病闘争』(2017年、弦書房)、『幻影の明治:名もなき人びとの肖像』(2018年、平凡社ライブラリー)など

*42:著書『独立国家のつくりかた』(2012年、講談社現代新書)、『モバイルハウス:三万円で家をつくる』(2013年、集英社新書)、『TOKYO一坪遺産』(2013年、集英社文庫)、『現実脱出論』(2014年、講談社現代新書→増補版、2020年、ちくま文庫)、『ゼロから始める都市型狩猟採集生活』(2016年、角川文庫)、『幻年時代』(2016年、幻冬舎文庫)、『徘徊タクシー』(2017年、新潮文庫)、『苦しい時は電話して』(2020年、講談社現代新書)、『躁鬱大学』(2021年、新潮社)など

*43:マガジンハウス発行の雑誌(BRUTUS - Wikipedia参照)

*44:というか、多くの人間は渡辺を偉大だと思ってないから取り上げないだけでしょうに(呆)。そして渡辺が本当に「偉大な思想家」なら「三浦ごときデマ右翼」に取り上げられるのは不幸でしか無い。

*45:デマ右翼の三浦と「飲んで話し合う」ほど親密な関係のようです。元左翼が随分と劣化し落ちぶれたもんです(呆)。まあ、珍右翼・高世仁に悪口する(2022年11/5日分)(副題:デマ右翼・野村旗守を褒める高世に呆れる)(追記あり) - bogus-simotukareのブログで批判しましたが過去には野村旗守さんの逝去によせて~「朝銀」取材の思い出 - 高世仁のジャーナルな日々で「デマ右翼」野村旗守も褒めてるし高世のバカさには心底呆れます。高世の周囲にはもはや「高世に苦言を呈する人間」はいないんでしょうか。

*46:この駄記事については珍右翼・高世仁に悪口する(2022年11/5日分)(副題:デマ右翼・野村旗守を褒める高世に呆れる)(追記あり) - bogus-simotukareのブログで批判しました。