子どもたちの自殺を食い止めるには - 高世仁の「諸悪莫作」日記
「お前ごときが『偉そうな口』を叩くな、黙れ、カス野郎」「とっとと故郷の山形県に隠居しろ」ですね。
北朝鮮拉致問題について散々根拠のない楽観論を放言したあげく「ジンネットが倒産」したら拉致については全く触れなくなった卑怯者のクズが良くもふざけたことがいえたもんです。
正直、俺は「見るからに悪党」菅よりも「偽善者」高世の方に「激しい憎悪」を感じていますね。
そのせいで、どんどん犠牲者が増えているんだよ。
やれやれですね。高世は「救う会の太鼓持ち」である自分のせいでけっきょく反北朝鮮の道具として使い倒されただけじゃないか(横田滋氏の死) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)という「犠牲者」が出たことについてまともな反省もなく、「ジンネットが倒産」したら拉致から逃げ出したくせに良くもふざけたことが言えたもんです。
また、そこまで菅を批判するなら「救う会副会長・島田」「特定失踪者問題調査会代表・荒木」がツイッターやブログで「コロナはただの風邪」「緊急事態宣言など不要」と放言していることについて「拉致問題から国民の関心がなくなりかねないから無茶苦茶な暴言は辞めろ」とダメ出ししたらどうなのか。
まあ、「救う会を何一つ批判できない」という点は高世だけでなく、いいかげん家族会も、島田洋一に対して苦言くらいは呈したらどうか - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)が批判するように家族会も酷いもんですが。
菅義偉という人は、政治理念もリーダーシップもなければ、人情や最低限の常識もない。
まあ菅がまともとは思いませんが、「菅よりも酷い安倍(モリカケや桜疑惑、国会でのニッキョーソ野次など)」を家族会や救う会が散々持ち上げたことについて何一つ批判できなかった「腐れカス」がよくもいったもんです。
また、ジンネットを倒産させると拉致問題から逃げ出した卑怯者・高世の方こそ
高世仁という人は、(ジャーナリストとしての)理念も(会社社長としての)リーダーシップもなければ、(田中均氏や有田芳生氏への救う会による個人攻撃を容認する、特定失踪者という明らかなデマを容認するなど)人情や最低限の常識もない。
でしょう。「高世のようなクズ」と交遊できる人間の気が知れません。
尾身茂会長が、政府、国際オリンピック委員会(IOC)を批判して、喝采を浴びている。
「やっぱり国民に(ボーガス注:外出自粛を政府は)お願いしてるんだったら、オリンピックのリーダーバッハ会長は、なんで、わざわざ来るのかと。普通のカモンセンス(常識)なら判断できるはずなんですね。なぜわざわざバッハ会長がもう一回?。そんなのオンラインで出来るじゃないですか、というような気分がある」
「政府の御用学者」に過ぎないと思われていた人間が随分と変わったもんです。
「救う会の太鼓持ち」高世も「尾身氏を見習って」救う会批判でも開始したらどうか。あるいは
そういうことであるなら、小泉元首相、田中均氏、蓮池透氏らに陳謝する用意くらいはあるんだろうな - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)て話です。
つまりは
国内で40人も発見されてる特定失踪者が北朝鮮拉致なのか?(そんなわけがない)。小泉訪朝から18年も経済制裁を続けて拉致解決という意味で成果があったのか(成果なんかない)。蓮池透氏の家族会除名に正当性はあるのか?(あるわけがない)。救う会や家族会のやってる事に拉致解決という意味で意味があるのか(どうみても意味がない)。普通のカモンセンス(常識)なら判断できるはずなんですね。
と言う話です。
その「普通のカモンセンス(常識)」を発揮できず、ずっと「救う会の太鼓持ち」を続けてきたクズが高世です。
きょうのNHK「ニュース9」で、子どもの自殺のニュースが流れた。
「コロナ禍での自殺」は
自殺・自決・自害した日本の著名人物一覧 - Wikipedia参照
【死亡日時順】
三浦春馬 - Wikipedia(俳優、1990年~2020年7月18日、享年30歳)
芦名星 - Wikipedia(女優、1983年~2020年9月14日、享年36歳)
竹内結子 - Wikipedia(女優、1980年~2020年9月27日、享年40歳)
津野米咲 - Wikipedia(ロックバンド「赤い公園」のギター担当、1991~2020年10月18日、享年29歳)
の自殺で解るように「子ども(未成年者)限定」ではないのに、話を子どもに限定する高世も全く「変な奴」です。
もちろん何故高世が「子ども限定にするのか」は見当がつきます。
「子どもの自殺防止=学校教育での人間形成」と言う話にしたいからでしょう。
「大人の自殺」まで話を広げれば「自殺防止=学校教育での人間形成」と言う話にはできなくなる。その時点で「高世は自殺防止などまともに考えてない」といっていいのではないか。
文科省は「命を大切にする心を育む」というスローガンを早くからかかげているが、具体的には自殺予防の防止プログラムという技術的な対策だったり、「動物飼育や植物栽培など生き物とのかかわりを通した「いのちの不思議さ」に触れる活動」(ある地域での教育実践)だったりと、ちゃんとした方針を出せないでいる*2。
朝顔を育てたり鶏を飼育することが、そのままレジリエンス(打たれ強さ)ある「心」をつくることができるとは思えない。
自殺したいなどとすぐに考えない「命を大切にする心」は、自己肯定感の高さが核心だと思う。
では、それをどうやって形成できるのか。
(つづく)
「うるせえよ、黙れ、バカ」「会社潰した無能がふざけんな」ですね。どうせ「まともな根拠もない」思いつきでしかものが言えない素人が何様のつもりなのか。
つうか
・朝顔を育てたり鶏を飼育することで「生命の大事さ」を知ってもらい、少しでも自殺減少に役立てたい
つう文科省の方が
・「経済制裁すれば拉致が解決する」と放言したあげく、小泉訪朝から18年経っても進展なし。あげくジンネットが倒産したら拉致から逃げ出したクズ・高世
より「何倍もマシ」です。
高世はそういうことであるなら、小泉元首相、田中均氏、蓮池透氏らに陳謝する用意くらいはあるんだろうな - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)という批判に真摯に対応しない限り「高世には偉そうなことを言う資格は何一つない(とっとと故郷の山形県に隠居しろ)」ということをいい加減自覚したらどうなのか。
つうか自殺・自決・自害した日本の著名人物一覧 - Wikipediaを見て解るように「世間的には成功者と見なされる著名人」だって
川端康成 - Wikipedia(ノーベル文学賞受賞者、1972年死去)
など、「様々な理由」で自殺している人間がいるのであって「自殺防止」なんてのは高世が放言するほど「甘い話ではない」でしょう。
【追記】
自殺したいなどとすぐに考えない「命を大切にする心」は、自己肯定感の高さが核心だと思う。
こういう高世の物言いにはいろいろと違和感を感じますね。
まず第一に「自殺しないように命を大切にする心を育む」のではなく「自殺を考える人間を周囲が精神的に支える」と言う問題の捉え方を何故高世はしないのか。
何というか「自殺は自殺者の心の持ち方の問題」と言ってるように聞こえ、「自殺を考える人間を精神面で支援する社会のありよう」という考えはないのか、「すべてを自殺者の心の問題にする気か」と言いたくなります。
第二に「自己肯定感の高さ」とやらがどうでもいいとはいいませんが、それよりも「家族や友人の存在」「仕事や学業、趣味でのやりがい」「好きなもの(好きな食べ物、音楽、芸能人など)」などといった「まだ死ねない」「死んで花実が咲くものか」と思えるものがどれだけあるかが問題ではないか。もちろんそれらも「広い意味」では「自己肯定感」に含まれるでしょうが。