今日の産経ニュースほか(2019年5月12日分)

最高裁に破られた市民感覚 裁判員判決「軽く見られた」:朝日新聞デジタル

 1歳8カ月の女の子の上半身には複数のあざが残っていた。体重は、標準を大きく下回る6・2キロ。写真を見た裁判員の男性は心に決めた。
「最大のよりどころであるはずの親からの虐待は殺人に近い。社会に警告を与えないといけない*1
 大阪地裁で2012年にあった傷害致死事件の裁判。無罪を主張する両親に、この裁判員らが出した結論は懲役15年だった。検察が求めた懲役10年の1・5倍という異例の重さ。判決理由には「児童虐待が大きな問題と認識されている社会情勢も考慮すべきだ」と盛り込んだ。
 裁判員の怒りが込められた判決は二審でも維持されたが、2年後に上告審で破られた。最高裁は「他の裁判との公平性」を重視し、一審について「これまでの量刑の傾向から踏み出す具体的な根拠が示されていない」と判断。両親の刑をそれぞれ懲役10年と8年に下げた。
 市民感覚が裁判に入れば、量刑の相場が変わる。
 当初から予想された影響だ。実際、子どもや女性が被害者になる虐待や性犯罪では重くなる一方、介護疲れをきっかけとした殺人などは刑が軽くなった。
 その市民感覚に基づいた量刑が最高裁で否定された。裁判員だった男性は「我々は最高裁と違って被告や証人と直接向き合った。軽く見られたようでとても残念だ」と漏らした。

 厳罰論を市民感覚と言い換えるのは大概にしてほしいですね。市民の俺はそんな「市民感覚(ただの感情論)」を共有してないし、法律で大事なことは「市民感覚」なんかじゃない。「法律の趣旨に照らして判決が妥当かどうか」などといった冷静でクレバーな論理的な法律議論です。最高裁がいうようにいわゆる「量刑相場」を安易に無視するのは公平性の観点で問題がある。
 正直、裁判員制度導入当初は名作映画「12人の怒れる男」のような感動的展開を期待していた俺ですが最近は「日本人は欧米人と違ってバカだからな、猫に小判だよ」と考えが変わってきました。「むしろ裁判員制度はやめた方がいいんじゃないか」と。
 ちなみにこの記事についたはてなブクマ。

はてなブックマーク - 最高裁に破られた市民感覚 裁判員判決「軽く見られた」:朝日新聞デジタル
■ystt
「社会に警告を与え」るために、検察が求めた懲役10年の1.5倍の刑を科すというのが「市民感覚」なのか? / 裁判所の司法権行使は民主主義よりも法の支配ないし自由主義の原理に基づきなされるべきである。
■misopi
 裁判に市民感覚を取り入れるならそれは裁判ではない。
■hgonzaemon2
 最高裁、グッドジョブ。量刑は法で決まっている、それを勝手に変えたら法治国家でなくなってしまう。裁判員に量刑は無理。陪審制みたいに有罪が無罪かを決めるだけにすべき。
■jimusiosaka
 裁判員になる人は、陪審制度をテーマとした名作映画『12人の怒れる男』を観て、「被告が有罪になっても無罪になっても私たちには何の利益もない。だからこそ公平な判断が出来る」という陪審員の台詞を心に刻むべき。
■masudatarou
 なんでも重くすりゃ解決って話じゃねぇだろ
■tarume
 無辜で善良な市民感覚としては、(ボーガス注:過失でない)故意の殺人者は全員死刑でいいと思うけど*2
■imakita_corp
 単純な厳罰化の加速だけで司法面の民度も上がってないからやめたほうがいい。判明したのは国民は人民裁判と私刑の解禁を求めてるっぽいって事くらい。続けるなら量刑判断を外すか1年程度のレクチャー後の参加とか。
■bbk0524
 少しは勉強して「司法感覚」を身に着けたほうがいいのでは。
■hirata_yasuyuki
 素人の市民感覚で裁判に関与される方が迷惑だと思う。機能しているとは言い難い制度だし、廃止でいいんじゃないかな。
■rKoneru_waiwai
 そもそも刑罰は(死刑を除いて)被告の社会復帰を促すものであるべき。腹いせや応報の情を混ぜてはならない。むしろ最高裁は、この量刑に「応報感情がある」ことを「重く」見て、量刑を変更したのでは?
■bunkashiken
 市民感覚って、ムカつくから重い刑を課したいという醜い独善でしょ。よくもまぁ、こうまで自分を唯一の正義だと信じられるものだ。


共産、“ソフト路線”に拍車 参院選に焦りか - 産経ニュース
 賀詞に賛成したことの是非はともかく、産経のいう「焦り云々」は関係ないでしょうね。賀詞に賛成した程度で野党共闘が進むと考えるほど志位執行部も脳天気ではないでしょう。
 なお、俺個人は「非の立場(天皇制否定という話ではなく「国民に天皇制否定派も居るのに賀詞は望ましくない」「特に安倍が天皇制の政治利用を画策してる現状では望ましくない」という話}」です。
 これについては小生の意見に近いおそるべし天皇制。衆院全会一致の阿諛追従決議。 | ちきゅう座を紹介しておきます。
 特に

おそるべし天皇制。衆院全会一致の阿諛追従決議。 | ちきゅう座
■志位
 ただ、(賀詞の)文言のなかで、「令和の御代」という言葉が使われています。「御代」には「天皇の治世」という意味もありますから、日本国憲法国民主権の原則になじまないという態度を、(賀詞)起草委員会でわが党として表明しました。
■澤藤コメント
 それならば、(ボーガス注:賀詞それ自体には賛成するとしても)「『令和の御代』との文言を削除しない限り、日本国憲法国民主権の原則になじまないのだから、わが党としては(ボーガス注:この文言の賀詞ならば)反対」という選択はありえたのだ。(ボーガス注:反対意見を述べたとは言え、)文言をそのままで、賛成をしてしまったのは、どうしたことか。

つう澤藤氏の共産批判には全く同感です(まあそれでも既存の『国会に議席を持つ政党』では一番共産が天皇制の現状に批判的なのですが)。
 それにしてもこの産経記事は産経がいかにデタラメな新聞であるかを露呈していますね。「共産がソフト化」とかく一方で、未だに「暴力革命」とかほざいてるわけですから。


南ア与党の議席数過去最低 総選挙、汚職疑惑で批判 - 産経ニュース

・与党アフリカ民族会議(ANC)は過半数を維持したが、2014年の前回選挙から19議席減らし過去最低となる230議席にとどまった。
・白人所有の土地収用を強硬に主張する黒人主体の急進派、経済的解放の闘士(EFF)は得票率が10・79%で、前回から19議席増やし44議席を獲得した。ANCの批判票が一定程度、EFFに流れたとみられる。
 野党第1党で白人支持者が多いリベラル系の民主同盟(DA)は5議席減の84議席で、得票率は20・77%だった。

 「ANCは本当に強いな」ですね。過去最低とはいっても過半数を獲得し、政権は維持するわけですから。


【日曜に書く】スターリンの犯罪訴えよう 論説委員・河村直哉(1/2ページ) - 産経ニュース

 領土問題もスターリン体制下でなされた犯罪行為である。犯罪をなした者にこちらが低姿勢に出る必要はない。北方領土のうちの2島先行返還などが日本でも議論されたが、四島返還の原則は貫くべきだ。

 産経らしい馬鹿馬鹿しさです。「侵略なんだから正々堂々と訴えればいい」で島が帰るのなら誰も苦労しません。それですむなのなら、戦後70年の今現在どころか、とっくの昔に島が帰っていたでしょう。
 産経が「大東亜戦争はアジア民族解放の聖戦」「南京事件蒋介石の捏造」などと居直ってることが「正論が簡単に通用しないこと」のいい証明です。
 つうか前も別記事で指摘しましたが産経は「今島に住んでるロシア人」をどうする気なのか。産経だと「侵略だからロシア人が島に住むこと自体が間違ってる。全員ロシア本土に帰ってもらう。ロシア系日本人として居住を認める必要なんかない。ロシア本土への帰国費用を誰が持つか、ですか?。島に住む法的根拠もないのにロシア人が勝手に住んだんだから、一円たりとも日本が負担するいわれはない。全額、ロシア政府が負担するか、島のロシア人が自己負担すればいい」といいそうですが、それいったら確実に北方領土四島で「島返還絶対反対!」の声が高まるでしょうね。

 今年は日本とポーランドが国交を樹立して100周年に当たる。経済や文化で交流を深めていくのもよいが、対「スターリンの犯罪」という点でも連携したい。ポーランドカチンの森事件の非を相手に認めさせているのである。協力しない手はあるまい。

 「ということは、今年は31独立運動100周年、54運動100周年と言うことで、中国と韓国が対「日本の侵略」ということで連携しても全く問題ないですね!」というと産経はマジギレするのでしょうね。
 まあ、それはともかく中韓が日本へ批判的なのは、「カチンの森事件ポーランド」「ハンガリー動乱でナジ首相をソ連に連行されたあげく処刑されたハンガリー」「プラハの春を弾圧されたチェコスロバキア(現在はチェコスロバキアに分離)」など、多くの東欧諸国が「未だにロシアに不快感を持ち、含むところがある」のと変わらないのに「東欧のロシア批判は正しい、しかし中韓の日本批判は間違ってる」とはいつもながらデタラメな産経です。

*1:判決の目的は少なくとも建前では「社会に警告を与えること」ではありません。「個別事件への厳罰」が警告になるか疑問でもあります。

*2:もちろんこのブクマは「でも朝日はそれは支持しないんでしょ?」という皮肉です。ただし、マジで「故意の殺人者は犠牲者が一人でも死刑にしろ」「遺族として死刑以外の判決はいらない」と主張する遺族は一部にいます。気持ちは分かりますし、俺も「短気で狭量な性格には自信がある」ので同じ立場なら「現在のこうした安易な厳罰論反対の主張」を、岡村勲が『妻が殺害されたことで、死刑反対派から狂信的死刑愛好家に変節』したようにためらいなく投げ捨てて、そのように発狂するかもしれませんが、もちろん明らかに適切な意見ではありません。