「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」を笑おう(2019年5/12分:三浦小太郎の巻)

「野ばら」「君の涙はドナウに流れ」など、ハンガリー決起と映画 | 三浦小太郎BLOG Blue Moon
 現在、ハンガリー動乱をネタにしたドイツ映画『僕たちは希望という名の列車に乗った』が公開中だそうです。小生は「この種の社会派映画」にあまり興味がありません。そもそも上映している映画館もおそらく少なく、見るのも一苦労なので多分見ないと思いますが興味のある方はご覧になってはどうでしょうか(もちろん「繰り返しますが」テレビ広告がバンバン打たれ、大劇場で公開されるハリウッド映画などとは違い、ミニシアターの公開になるのでしょうが)。
 で、三浦のこの駄文の何がくだらないかというと「映画紹介」はただの口実で「ハンガリー動乱発生当時に野上弥生子*1羽仁五郎*2は、動乱を反革命呼ばわりして冷淡だった」という左派への悪口がメインだと言うことですね。
 今更、もはや故人である野上や羽仁にそんな悪口して何か意味があるのか。そして「ソ連の権威が未だ大きかった動乱発生当時」はともかく、今や左派でハンガリー動乱を「反革命」と否定的に評価する人もまず居ないわけです。
 しかもこんな野上や羽仁への悪口をいう三浦が人権意識にあふれてるかというただの反共極右でしかないわけです。そして作家・野上や歴史家・羽仁のような「それなりの業績があるわけでも何でもない」。野上や羽仁は「三浦の言うような歴史的限界(ハンガリー動乱発生時の評価)」はあるにせよ、今も著作は刊行されています。
 三浦なんぞなくなったらウヨの世界ですら急速に忘れ去られていくでしょう。
 いずれにせよ、三浦は「ただの反共右翼としてハンガリー動乱鎮圧(なお、当時のナジ・ハンガリー首相がソ連に連行され処刑された)など旧ソ連の行為を非難している」だけで、人権意識などないから
1)つくる会理事として南京事件否定論河野談話否定論を垂れ流せる
2)「ハンガリー動乱の映画」紹介はしても、例えば「光州事件をネタにした韓国映画『タクシー運転手』」は紹介しない(もちろん三浦らウヨは光州事件当時、全斗煥を批判するどころか、むしろ支持しました)
わけです。
 三浦のようなデマ右翼のゲスさにはいつもながら心底呆れます。

天安門事件30周年の年、ぜひ、このいくつかの映画作品に触れてみてはいかがでしょうか。

 苦笑しました。ハンガリー動乱天安門事件って「共産圏での権力の民主運動弾圧」以外には何も関係ないでしょうよ。

【参考:映画『僕たちは希望という名の列車に乗った』】

東京新聞:岐路に立つ若者ヘ 独映画「僕たちは希望という名の列車に乗った」:放送芸能(TOKYO Web)竹島勇)
 東西冷戦下の旧東ドイツで国家から弾圧を受け、自由を求めて立ち上がった高校生たちを描く独映画「僕たちは希望という名の列車に乗った」の5月17日公開に先立ち、ラース・クラウメ監督(46)が来日した。今月上旬、映画を見た東京都内の高校生たちと意見を交わし、手応えをつかんだクラウメ監督は「人生の選択を控えた若者に見てほしい」と訴える。 
 1956年、授業中の2分間の黙とうが発端となり、高校生たちが国家を敵に回してしまうという実話を基にしたストーリー。
 フランクフルト育ちのクラウメ監督は、旧西独によるナチスユダヤ人大量虐殺の責任追及をテーマとした映画「アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男」(2016年)を手掛けたことでも知られる。「東西で同じころ、興味深い出来事があった。それぞれを映画にできたことは私の誇り」と胸を張る。
<あらすじ>
 1956年、東ドイツの高校に通うテオとクルトらは、自分たちと同じようにソ連の強い影響下に置かれたハンガリーで、自由を求めた民衆による動乱があったことを知る。ハンガリー市民に共感した2人は、弾圧の犠牲者のための黙とうを提案。反対もあったが歴史の授業で2分間黙とうしたところ、当局が「社会主義国家への反逆行為だ」と調査を始める。人民教育相まで乗り出し、首謀者の名を明かさないと卒業資格を剥奪すると通告。迫られた決断とは、大学に進学しエリートとなるか、労働者としての過酷な一生を選ぶのかという意味だった。
◆親子の特別授業 都立西高で「皆さんなりの決断をしなくては」
 都立西高校(杉並区)で今月9日、この作品について語り合う「親子特別授業」があり、1~3年生の生徒30人と保護者16人の計46人が出席。クラウメ監督も参加した。
 同校は授業以外の学びの場を大切にしていて、この作品を見た篠田健一郎指導教諭(公民)が「社会科学への関心を持つのに最適な作品」と感じ、今回の特別授業を企画した。保護者も参加することはクラウメ監督の要望だったという。
 作品について、生徒からは「私だったら家族の立場などを考えて、自信をもって決断できたか分からない」という意見が複数出た。ある保護者の男性も「今の日本とは違う状況*3だが、親として息子の幸せを考えて(対応)できるだろうか」と自分に置き換えて考えた発言が目立った。
 クラウメ監督は「(作品での)高校生は抑圧の下、悩みながら成長する。皆さんもいつかは親元を離れ独り立ちする。その時は皆さんなりの決断をしなくてはならない」と語りかけた。
 2年生の伊藤万由(まゆ)さんは取材に対し「さまざまなキャラクターによる対立が鮮明に描かれていて、深く考えさせられた作品でした。クラウメ監督と話ができて良かった」と話した。篠田指導教諭は「卒業式を終えた3年生も参加するなど、生徒たちも積極的だった。クラウメさんと意見交換できたことは有意義だった」と述べた。

 内容的には映画のテーマは「生徒のソ連批判(その場合の政府批判がハンガリー動乱鎮圧)」に逆上した「旧東ドイツ政府の教育介入」、つまり「権力の教育への不当な政治介入」であり、日本だと「前川前次官の講演への政府の嫌がらせ行為(例えば文科省 前川氏授業で圧力/名古屋 公立中に報告要求/録音・録画の提出執ように主張/前川氏授業に圧力/異常な教育介入、異常な体質自民議員圧力 文科相認める/前川氏授業 市教委への質問 事前に修正)」などが連想されますが、もちろん三浦はそういうことは論じません。「政府の教育介入がテーマ」の映画を論じる文章で「ハンガリー動乱ガー」しか言わず、「教育への政府の介入は許されない」といわない辺りさすがゲス右翼の三浦です。例の野原さんもよくもまあ三浦のようなゲスなんぞと平然と付き合えるもんです。


【参考:映画『タクシー運転手』】

映画「タクシー運転手」に宿る韓国人の悔恨 - 徐正敏|論座 - 朝日新聞社の言論サイト
 2017年に製作された韓国映画「タクシー運転手」(監督チャンフン、主演ソンガンホ)は、韓国国内だけで延べ観客動員数1200万人以上を記録し、空前の大ヒット作品になった。韓国現代史の暗部のひとつである「光州民主化運動」をテーマにした映画が、現代の韓国で大きな反響を呼び起こしたのはなぜだろう。
 映画としての演出力、役者の卓越した演技がその要因であることはいうまでもないが、同時に、この映画のテーマが韓国人にはいまだ冷めやらぬ悔恨と乗り越えねばならない痛みの記憶として残っているからであろう。
 映画は、ごく普通のソウルのタクシードライバーが、韓国南部の光州で何か異変が起きているという情報を得て現地入りを目指すドイツ人記者をタクシーに乗せ、軍に封鎖されている光州に向けて発つところから始まる。
 軍事クーデター勢力が韓国メディアを完全に制圧し、権力奪取のために軍の特殊部隊を動員して民主主義を叫ぶ市民たちを制圧・殺傷したというこの恐るべし事件は、韓国の他の地域にはまだこの時点で報道されておらず、国民の大半が何も知らされていない状況下で、ドイツ人記者を乗せたタクシーは光州に入る、という設定だ。
 1980年5月、韓国全羅道の中心都市・光州では、民主化を要求する学生とこれに同調する市民たちのデモが続いていた。18年間の朴正熙(パクチョンヒ)軍事独裁政権が内部の亀裂のため崩壊し、絶好の民主化の機会が訪れたにもかかわらず、軍部の別勢力すなわち全斗煥(チョンドファン)を中心とする「新軍部」が政権を奪取して政治権力を私物化していくことに反対する運動であった。
 もちろん学生、市民の反対デモは全国的であったが、もっとも激しい運動は光州で展開された。これに対して軍事政権は、国民のためにあるはずの軍隊を、自国民を殺害するというおぞましい目的のために動員したのである。
 光州事件は、公的には死者数193人、負傷者数852人と発表されている。より多くの犠牲者を証言する記録もあるが、結局この民主化のための蜂起は失敗し、全斗煥の暴圧的な軍事政権は1987年6月10日の「6・10民主抗争」まで維持される。またそれ以降もしばしば韓国の民主主義は脅威にさらされ、危機を経験するところとなる。
 朴正熙全斗煥による軍事政権が続いた時期に、学生、宗教人、学者、社会活動家、文化人を中心とする民主化運動勢力は、筆舌に尽くしがたい苦痛と受難を味わった。
 特に1987年のソウル大生の朴鍾哲(バクジョンチョル)の拷問致死事件、延世大学生の李韓烈(イハンリョル)の催涙弾直撃死亡事件は、韓国の民主化運動を一部の学生やグループの運動から全市民の運動へと拡大させるきっかけとなり、延べ人数にして数百、数千万の群衆が街頭に出て、デモに参加し、政治の民主化を要求するようになった。韓国の軍事政権もこれには屈服せざるをえなかったのである。
 この出来事は、韓国に軍事政権の樹立はもはや不可能であることを世に示す明確な画期点になったといってよい。付言すればこのとき、反朴正熙民主化運動の時よりもさらに大きな支援が、日本のクリスチャンを中心として寄せられ、隣人としての日本の良心が示されたことも記憶されるべきであろう。

*1:著書『大石良雄・笛』、『海神丸』、『迷路(上)(下)』(岩波文庫)、『秀吉と利休』、『真知子』(新潮文庫)など

*2:著書『ミケルアンヂェロ』(岩波新書)、『明治維新史研究』(岩波文庫)など

*3:イヤー今の日本だって生徒が学校内で政権批判なんかやれば自民党がどんな嫌がらせをするかわかったもんではないでしょう。そういう意味では「違う状況」とはいえません。