今日の朝鮮・韓国ニュース(2019年6月20日分)

中国、なぜ北朝鮮を見捨てない?「血の同盟」が続く意味:朝日新聞デジタル
 まあこれは朝日記事を読まなくても素人の俺でも容易に検討が付きます(まあこの記事は有料なので俺にはほとんど読めませんが)。
 まず第一に「統一韓国」が中国にとって「今の北朝鮮」よりメリットがある保証はないわけです。「今の中朝国境付近」に米軍基地など置かれたら目も当てられません。あるいは「統一後の韓国」が「ずたぼろの北朝鮮経済」に引きずられて沈没したらかえって中国の経済的利益に反するかもしれない。
 第二に「平和的な統一」ならまだしも「戦乱など起こっても困る」。なお、以上のこと(今すぐの南北統一がメリットがあると限らない)は何も中国だけではなく、一部(例えば韓国経済沈没の危険性)については日本や韓国、ロシアや米国にとっても当てはまる話です。


【中朝首脳会談】北経済の生殺与奪握る中国(1/2ページ) - 産経ニュース

 習氏は19日の北朝鮮紙への寄稿で、中朝が「外部勢力の侵略」に共闘した歴史*1を取り上げ、金氏が社会主義体制下で進める経済建設に「断固支持」を表明した。
 支持は既に中国の統計に表れており、4月だけで北朝鮮に肥料約335万ドル(約3億6千万円)分を支援したことが明らかになった。習氏は観光分野の協力拡大も打ち出した。中国人観光客約20万人が毎年訪朝しているといい、国際社会の制裁の中、推定7200万ドルの外貨を生んでいる。
 北朝鮮の4月の対中輸出も約2275万ドルと昨年同期に比べほぼ倍増した。
 今回の首脳会談でさらなる食糧や肥料支援の約束を交わした可能性がある。

 和田春樹氏*2田中均*3も言ってることですが、つまりは拉致問題は中国の協力を得ずして解決することはまず無理だということです。
 日本が北朝鮮経済制裁してもこれでは意味がない。
 これは「中国が好きだとか嫌いだとか言うこと」とは全く関係ない。まあ、救う会のウヨ連中は中国をやたら敵視しますが、もちろんそれは連中にとって拉致が「北朝鮮非難のネタ」でしかなく拉致を解決する気などないからです。


【中朝首脳会談】中国主席、14年ぶりの訪朝 習氏、オープンカーで移動(1/2ページ) - 産経ニュース

・中国国営新華社通信によると、この日、習氏*4と彭麗媛(ほう・れいえん)夫人は専用機で平壌国際空港に到着
・習氏の滞在は2日間で、外交を統括する楊潔●(=簾の广を厂に、兼を虎に)(よう・けっち)*5政治局員、王毅*6国務委員兼外相、経済政策をまとめる国家発展改革委員会の何立峰主任らが随行した。

 夫人とともに訪朝し、外交政策、経済政策を担当する高官も同行するとは習氏もこの訪朝にかなり力を入れているといえるでしょう。どんな成果が出るのか、そしてG20で訪日するとみられる習氏がこの訪朝結果をもとに「G20で訪日するとみられるトランプ米国大統領、文在寅*7・韓国大統領、プーチン*8・ロシア大統領」や我が国の安倍*9首相にどんな外交を仕掛けて聞くのかが気になるところです。


【中朝首脳会談】中国トップ「鬼門」の訪朝 華国鋒氏ら、後に災い - 産経ニュース

 中国と北朝鮮の間ではこれまで、首脳の相互訪問が繰り返されてきた。ただ、その歴史をひもとくと、北朝鮮訪問によって災いを招いた中国首脳が少なくない。中国のリーダーにとって訪朝は“鬼門”かもしれない。
 1978年5月4日から1週間、北朝鮮を訪問したのは華国鋒共産党主席(当時)だ。

 もちろん華国鋒*10は訪朝したから失脚したわけではなく「文革時に出世したため、反文革派のトウ小平*11に打倒された」わけです。産経も全く無茶苦茶いうもんです。

 中朝国交樹立40周年に当たる89年の4月23日から1週間訪朝したのが、趙紫陽*12総書記(当時)だ。

 もちろん趙紫陽は訪朝したから失脚したわけではなく「天安門での学生運動に融和的な態度をとったため、学生運動に否定的なトウ小平ら党長老の不興を買い失脚した」わけです。産経も全く無茶苦茶いうもんです。
 この産経の詭弁なら「日本の首相にとって訪中は鬼門だ。首相として訪中した田中角栄*13は後にロッキード事件で刑事被告人になり、外相として訪中した大平正芳*14は首相在任中に病死した」とも言えてしまうでしょう。

*1:おそらく朝鮮戦争への中国の参戦のこと。

*2:東京大学名誉教授。著書『歴史としての社会主義』(1992年、岩波新書)、『金日成満州抗日戦争』(1992年、平凡社)、『歴史としての野坂参三』(1996年、平凡社)、『北朝鮮:遊撃隊国家の現在』(1998年、岩波書店)、『朝鮮戦争全史』(2002年、岩波書店)、『朝鮮有事を望むのか:不審船・拉致疑惑・有事立法を考える』(2002年、彩流社)、『同時代批評(2002年9月〜2005年1月):日朝関係と拉致問題』(2005年、彩流社)、『テロルと改革:アレクサンドル二世暗殺前後』(2005年、山川出版社)、『ある戦後精神の形成:1938〜1965』(2006年、岩波書店)、『これだけは知っておきたい日本と朝鮮の一〇〇年史』(2010年、平凡社新書)、『北朝鮮現代史』(2012年、岩波新書)、『領土問題をどう解決するか』(2012年、平凡社新書)、『「平和国家」の誕生:戦後日本の原点と変容』(2015年、岩波書店)、『慰安婦問題の解決のために』(2015年、平凡社新書)、『アジア女性基金慰安婦問題:回想と検証』(2016年、明石書店)、『米朝戦争をふせぐ:平和国家日本の責任』(2017年、 青灯社)、『レーニン:二十世紀共産主義運動の父』(2017年、山川出版社世界史リブレット人)、『ロシア革命』、『スターリン批判・1953〜56年:一人の独裁者の死が、いかに20世紀世界を揺り動かしたか』(以上、2018年、作品社)、『安倍首相は拉致問題を解決できない』(2018年、青灯社)など

*3:著書『日本外交の挑戦』(2015年、角川新書)など

*4:福州市党委員会書記、福建省長、浙江省党委員会書記、上海市党委員会書記、国家副主席、中国共産党中央軍事委員会副主席、国家中央軍事委員会副主席を経て中国共産党総書記、国家主席中国共産党中央軍事委員会主席、国家中央軍事委員会主席(ウィキペディア習近平』参照)

*5:駐米大使、外相、国務委員(外交担当)などを経て中国共産党中央外事工領導弁公室主任(中国共産党政治局員兼務)(ウィキペディア『楊潔チ』参照)

*6:駐日大使、中国共産党中央台湾工作弁公室主任(国務院台湾事務弁公室主任兼務)などを経て国務委員(外交担当)兼外相(ウィキペディア王毅』参照)

*7:廬武鉉政権大統領秘書室長、「共に民主党」代表を経て大統領(ウィキペディア文在寅』参照)

*8:エリツィン政権大統領府第一副長官、連邦保安庁長官、第一副首相、首相を経て大統領(ウィキペディアプーチン』参照)

*9:自民党幹事長(小泉総裁時代)、小泉内閣官房長官を経て首相(ウィキペディア安倍晋三』参照)

*10:1921~2008年。文革時(1976年4月)に毛沢東によって、死去した周恩来の後任として、首相、中国共産党第一副主席に抜擢。毛沢東死後(1976年10月6日)、四人組を逮捕し文革を終了させる。その後(1976年10月7日)、党主席、党中央軍事委員会主席に就任するがトウ小平との権力闘争に敗れ、1980年に首相を、1981年に党主席を辞任した(ウィキペディア華国鋒』参照)。

*11:1904~1997年。中国共産党副主席、副首相、中国人民解放軍総参謀長などを経て中国共産党中央軍事委員会主席、国家中央軍事委員会主席(ウィキペディアトウ小平』参照)

*12:1919~2005年。文革終了後、トウ小平に抜擢され、副首相、首相、中国共産党副主席などを経て中国共産党総書記、中国共産党中央軍事委員会第一副主席に就任。しかし天安門事件の処理でトウ小平・国家中央軍事委員会主席、陳雲元副首相、李先念国家主席ら党長老の不興を買い、党総書記を解任されて失脚(ウィキペディア趙紫陽』参照)。

*13:岸内閣郵政相、池田内閣蔵相、佐藤内閣通産相自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)などを経て首相

*14:池田内閣官房長官、外相、自民党政調会長(佐藤総裁時代)、佐藤内閣通産相、田中内閣外相、三木内閣蔵相、自民党幹事長(福田総裁時代)などを経て首相