今日の中国ニュース(2019年6月20日分)

天安門事件30周年や香港デモに無言の日本――「中国への忖度」か? | 六辻彰二 | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

 天安門事件30周年や香港デモで中国の人権問題が改めて関心を集めるなか、日本政府が明確にこれを批判することはない。そこに「中国政府への忖度」という見方もあるが、日本政府の沈黙はむしろ昔からのものである。
 念のためにいえば、日本政府のこの態度は、相手が中国の時ばかりでなく、基本的にどの国に対しても同じだ。
 例えば、ロヒンギャ問題が深刻なミャンマーに対して、欧米諸国は政府や軍の責任を明確に批判しているが、日本政府はロヒンギャ難民の帰還などで支援しながらも、基本的に何も言わない。
 もっといえば、1988年にクーデターで軍事政権が成立した後のミャンマーに、欧米諸国が援助を基本的に停止したのに対して、日本は援助を続けた。
 こうした場合、「関係を維持しながら状況の改善を働きかける」というのが日本政府の建前だが、ミャンマーに関していえば、民政移管を定めた2008年の新憲法採択などは軍事政権の側の事情の変化によるもので、日本政府の働きかけによるとはいえない。
 日本の援助と相手国の政治状況を統計的に調査したマラヤ大学のフルオカ准教授は、日本が援助を民主化のテコとして用いたという証拠はないと結論している。
 より最近の例をあげよう。北東アフリカのスーダンでは6月3日、民主化を求めるデモ隊に治安部隊などが発砲し、60名以上が死亡した。これを受けてスーダン政府は欧米諸国から批判されただけでなく、周辺のアフリカ諸国が加盟するアフリカ連合AU)からも参加資格を停止されたが、日本政府は発砲を「非難する」という声明を出しながらも、今年8月に横浜で開催されるアフリカ開発会議TICAD)でのスーダン出席の取り消しなどには言及していない。
 良くも悪くも、日本政府の立場は戦後ほとんど変わらない。そのため、冒頭の「中国への配慮」を強調する取り上げ方は、故意か偶然かはともかく、相手が中国だからという点に焦点を当てすぎているばかりか、あたかも「日本はそれ以外の場合、人権問題に積極的に関わっている」というミスリードにさえなりかねない。
 中国を擁護する気は全くない。しかし、「気に入らない」という感情を「人権」のワードで正当化することは、日本を含むそれ以外の国の人権問題を軽視する風潮にもつながり、結果的に人権の理念を貶めるものといえる。
 それは中国の人権問題には熱心でも、友好国であるという理由でサウジアラビアのジャーナリスト殺害事件やインドのムスリム迫害などには口をつぐむアメリカ政府に関しても同じだ。言い換えると、都合のいい時だけ人権を持ち出す立場は、人権を基本的に尊重していないという意味で、中国政府の立場と大きく変わらないのである。

 まあ「アパルトヘイト南ア」とレアアース目当てにつきあって「名誉白人の称号をいただいた国=日本」ですからね。そして米国の態度がでたらめだというのも全くその通りです。