三浦小太郎に突っ込む(2019年7月3日分)(追記あり)

素晴らしいブログ「ベトナムウオッチ」紹介 | 三浦小太郎BLOG Blue Moon
【動画】2019年6月30日グエン・ハー・キエン・グオック氏講演「ベトナムの現状と今後の民主化運動」 | 一般社団法人 アジア自由民主連帯協議会
 三浦とそのウヨ仲間集団『アジア自由民主連帯協議会』が珍しくベトナム批判です。
 とはいえ「質はともかく」中国や北朝鮮に対する悪口雑言に比べると「量も少なく」あまり「情熱」を感じませんね。
 「ベトナムに限らず」キューバラオスも含めてほとんど三浦らウヨは「中国、北朝鮮以外の共産国」は最近批判しませんからね。
 それどころか最近のウヨ連中は「ベトナムで金儲け(ベトナムに積極的に日系企業は進出すべきだ)」「中国を封じ込めるためにベトナムと手を組もう」「ベトナム親日国」とか言っちゃう。
 例としては

「 対中柔軟外交に見るベトナムの強さ 」 | 櫻井よしこ オフィシャルサイト
 日本にとっても、米国にとっても、「対ベトナム外交の成功」とは、より豊かでより強く、より自立したベトナムを実現することだ。
 その具体策が環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)参加であろう。TPP参加はベトナムの国内経済を大きく変える可能性がある。国有企業や、ベトナム共産党や一部の人々に利権をもたらしてきた腐敗構造がTPPという外圧でかなり整理されると見られている。そうしたことを承知でTPP参加を決めたベトナムは、経済を新たな発展段階へと進め、活性化し、豊かさを実現、力を蓄える可能性が大きい。
 だが、中国はベトナムのTPP参加を、米国への接近と見て、強く反対し、機会ある毎にベトナムに圧力をかけ続けている。そしていま、ベトナムがどの国に対してよりも協力と援助を求めているのが日本なのだ。これまで日本の援助は道路など陸上のインフラ整備に集中していたが、これからは海洋資源の保護や開発への協力も求めたいという。中国の脅威の前に自力で領土領海を守ろうとするベトナムに、日本は最大限の協力をし、中国に敢然と物を言わなければならない。

があります。「共産国ベトナム反共主義者として打倒しなければならない」とは櫻井よしこは言わない。
 三浦記事素晴らしいブログ「ベトナムウオッチ」紹介 | 三浦小太郎BLOG Blue Moonには

・今、ホーチミン市(旧サイゴン)市6区の一角にあるロックフン菜園(Vườn Rau Lộc Hưng)という住宅街に住んでいた124世帯150名以上の住民たちが、当局の暴政によって強制的に立ち退きを迫られ、家屋を破壊され、路頭に迷っています。
・このロックフンでは住民の100%がカトリック信徒であり、彼らは元々、ベトナム北部に住んでいた人々でした。第一次インドシナ戦争中(1946-1954)、ホー・チ・ミン*1率いるベトミン/ベトナム共産主義勢力はキリスト教カトリックフランス帝国主義勢力と見なし、同じベトナム人であっても見境なく*2迫害・虐殺していました。さらに1954年にベトミンが(ボーガス注:第一次インドシナ)戦争に勝利し北ベトナムホー・チ・ミン政権が成立した事で、北ベトナム領からはカトリックを中心とする約100万人のベトナム国民が難民として南ベトナム領へと避難しました。
・土地所有に関する現ベトナム政府の通達(1999年)では、「1993年10月15日までに係争なく土地を所有していた者」は合法的に土地を所有できると定められています。ところが近年、ホーチミン市の再開発事業が加速し、地価が高騰すると、各地で当局による土地の強制接収・住民の強制立ち退きが横行しています。70年以上に渡って法の支配が存在せず独裁政権が続いているベトナム社会主義共和国では、地方から国家レベルまで政府当局者は権力を利用して私腹を肥やす事しか考えておらず、開発業者と共謀してあらゆる手段で地上げを行い、再開発の利権を欲望のままに貪っています。

などというベトナム政府、ベトナム共産党への悪口が書いてありますが、これは三浦が書いたわけではなくベトナムウォッチの記事ホーチミン市当局 カトリック難民街を強制立ち退きをそのまま引用しただけですし、三浦は何のコメントもつけてませんからね。
 「アンチベトナムの反共右翼」とのおつきあいで三浦が「こうした文章を載せただけ」で三浦ら日本ウヨのほとんどは今、「ベトナムに対する敵意」はあまりないでしょう。昔は「ベトナム戦争北ベトナム南ベトナム侵略」と言ってアメリカの軍事介入を支持したり、「ボートビープル(今でいえば脱北者みたいなもん)」をネタに散々悪口したり、カンボジア侵攻を侵略呼ばわりとかしたりしてたんですけどね。
 一方、最近のウヨ連中は安倍政権誕生後「保守政権である朴クネ政権時代から」韓国を「戦前日本賛美のウヨの立場」から敵視してるわけです。
 今やウヨ連中にとって大事なのはなぜか「反共よりも戦前美化」なのだろうということがうかがえます。
 だからこそ「共産国でもキューバベトナムラオスはあまり批判しない」一方、共産国でもない韓国に悪口するわけです。
 当然ながらウヨ連中の北朝鮮や中国への敵視も単純な反共とは違うでしょう。 

【追記】
 さて三浦が紹介した「森泉氏」なる御仁の他の「反ベトナム記事」を少しだけ見てみましょう。こんな御仁を自ブログで紹介する三浦は「ウヨの中ではいくらかはアンチベトナム」なのかもしれませんが、それでも「いくらか」でしょうね。中国や北朝鮮こそが三浦にとっての「最大の敵」であるわけです。

美作市のホーチミン像問題
 昨年*311月、岡山県美作市が市の施設に設置したホーチミン像に、世界中から批判が殺到しています。
 もともと美作市では市内在住ベトナム人の増加に伴い、ベトナムとの交流事業を積極的に行っていました。
 しかしその一方で、美作市は軽率にもベトナム政府が寄贈したホーチミン像を受け取り、あろうことか同市の運営する美作博物館に「ベトナムホーチミン空間」なる展示を、市民の税金を使って設置してしまいました。
(中略)
拝啓
ベトナム共産主義者からの難民団体を代表してお便りさせて頂きますことをお許し下さい。
・私達は、メディア情報にて、2017年11月21日に、日本とベトナムの外交関係樹立45周年を祝う式典で、美作市役所はベトナム共産党の中央委員会のメンバーによるホーチミン主席の銅像の寄贈を受け入れて設置し、併せて「ベトナムホーチミン空間」が美作博物館に作られたことを知りました。
・私達は、ベトナムの歴史において、はるかに敬愛に値する適切な人物がいることを美作市の皆様にご理解を頂きたいと思います。それは、ベトナムの独立と維持の戦いの中で、13世紀にモンゴルの侵攻を3度破ったチャン フン ダオ、そして、15世紀に明の支配の駆逐に活躍したグエン トライのような方々です。彼等は、真にベトナム人が尊敬する人物です。
 一方、ソ連で教育を受けたコミンテルンの幹部であるホーチミンは、ベトナム共産党を創設し、ベトナム人スターリン主義独裁政権支配下に置くためベトナムに戻りました。1950年代に北ベトナムで行われたホーチミン主導のいわゆる「土地改革」において、何千人もの人々が「土地所有者」であるとの理由で虐殺されました。
 1960年代と1970年代には、ホーチミンベトナム共産党の首脳は、10年間に及ぶベトナム戦争の間にベトナム共和国 (南ベトナム) への侵略を開始し、国を荒廃させ、何百万人もの犠牲者を出しました。
ホーチミン銅像美作市博物館の「ベトナム ホーチミン空間」の撤去を切にお願い申し上げます。
 独裁と腐敗した共産主義政権の象徴である人物を讃えるよりも、ベトナム史上で敬愛される人物の展示こそが美作博物館の来訪者にふさわしいものと私達は確信しております。

 まあ美作市長がベトナムに関係なく勝手に「ホーチミン像と展示スペース」を作ったのならまた話も別でしょうが「きっかけはベトナムからのホーチミン像寄贈」ですからね。「礼儀として展示スペースをつくって飾る」のは自然な話です。まあ非難してる御仁(要するに反共右翼)は「受け取りを拒否しろ」だの「受け取っても倉庫にしまって永久に出すな」だのいうのでしょうが。下手したら「美作市ベトナムと交流するな」とすらいうかもしれない。

【続報】美作市ホーチミン空間問題
・私たち日本在住ベトナム人協会は、美作市にある作東芸術文化博物館でのホー・チ・ミン像設置計画に反対しています。
 博物館など公共の文化空間は、一般市民らに認められる普遍的価値を有する芸術作品のみの設置が相応しいと思うからです。
 当市出身の剣豪・宮本武蔵は、武術のみならず、著書『五輪書』にみられるオリンピックに通じる精神性の高さで後世の私たちに大きな影響を与えています。偉人・宮本武蔵像の建立であれば十分、納得できますし、皆が誇りを持って喜んで見学に訪れるでしょう。
 しかし、(中略)ホー・チ・ミンの実像は宮本武蔵とは全くかけ離れた独裁者です。彼は、抗仏時代において民族主義的政党の要人多数を粛清・暗殺し、1950年代農地改革時代には2万人を惨殺、20万人を迫害しました。1968年のテト攻撃においては罪なき国民6000人以上を殺し、生き埋めにしたなど暴力と残虐な手段でベトナム共産主義政権を作りました。その後の数え切れないボートピープル発生の惨状は、日本でも多く批判的に報道されてきたと思います。
ホー・チ・ミン像の設置計画を撤廃するよう希望し、日本国と美作市の皆様に深い謝意と敬意をもって、本請願書を提出させていただきます。
2018年1月20日
グェン・フォン・カィン
日本在住ベトナム人協会会長

美作市ホーチミン像に世界のベトナム難民団体が抗議
 これまでも当ブログでお伝えしてきましたが、昨年11月に美作市が同市の作東文化芸術センターに設置した『ベトナムホーチミン空間』に対し、地元の美作市民と共に、世界中のベトナム系市民団体も反対の声を上げています。
 既に美作市民の間では展示の中止を求める署名運動が行われ、およそ2,000名分の署名が市に提出され、市議会でも複数の市議が展示に反対したと聞きおよびます。地方都市である美作市の人口を考えれば、2,000という数字は決して少なくはないでしょう。また市議の先生のお話では、美作市民の大多数はこのホーチミン空間に反対、もしくは無関心*4であり、積極的に設置に賛成している市民はほとんどいないとの事でした。しかしその民意は萩原市長には届かず、市民の税金を使ってホーチミン空間の設置が強行されます。
この署名運動の中で、世界各地のベトナム系市民からは以下のような声が多数寄せられています。
 「なぜあのような残虐な独裁者が日本で崇拝されるのか?*5。日本は民主主義国家ではなかったのか?」
 「ホーチミンは美術館ではなく、ハーグで戦犯裁判にかけられるべき人物です」
 そして2018年4月6日、日本在住ベトナム人協会の有志、およびドイツ、カナダ在住ベトナム難民協会の代表者が、世界のベトナム系市民を代表し、抗議のため美作市を訪問しました。私、森泉も代表団に同行し、抗議に参加させて頂きました。
 代表団から請願を受けた萩原市長の返答を要約すると以下の内容になります。
 ・ホーチミン空間の設置はあくまでベトナムと日本の友好の為のものであり、撤去する考えはない
 ・ホーチミン像は美作市以外にも、フランスやオーストリアにも設置されている
 ・ユネスコホーチミン主席を顕彰する決議を発表している
 ・ベトナム難民の苦難は理解するが、過去の遺恨を乗り越え未来志向になるべき
 この中でオーストリア・ウィーンのホーチミン像については、萩原市長の認識に誤解があったので、代表団から指摘がありました。確かに2017年、ウィーン市においてホーチミン像の設置計画が持ち上がりましたが、この計画はドイツやアメリカ在住のベトナム難民コミュニティー、およびオーストリアドイツ国内の人権団体からの強い反対を受けてウィーン市も方針を改め、像の設置計画は昨年2月に中止となっています。
 また過去の遺恨を乗り越えるよう促した件では、萩原市長は「日本も第2次大戦においてアメリカによる空襲や原爆投下など悲惨な経験をしたが、戦後日本人はルーズベルトを恨むことなく未来のために行動した」と、戦後の日本を引き合いに出し、過去に拘る事は未来のためにならないとし、代表団に対して考えを改めるよう求めました。
 目の前でそれを聞いていた私や、他の代表団のメンバーは、率直に言って萩原市長のこの発言に憤りを覚えました。萩原市長は今回のベトナム人による抗議・請願を、「ベトナム・日本の友好を阻害するもの」と捉えておられるようです。

 以上は、以前産経が

【アジア風雲録】岡山・美作市が公共施設にホー・チ・ミン像 在日ベトナム人ら反発、撤去求める(1/4ページ) - 産経ニュース
 ベトナムとの交流を推進している岡山県美作(みまさか)市が昨年、同国政府から「建国の父」とされるホー・チ・ミン主席(1890~1969)の銅像を寄贈され公共の文化施設に設置したところ、日本在住のベトナム人団体が「残虐な独裁者だ」として反発し、撤去を求めるなどの騒ぎに発展している。(以下略)

として取り上げていた話です。
 今日の産経ニュース(6/7分)(追記・修正あり) - bogus-simotukareのブログで小生も産経記事にコメントしています。
 それにしても、この森泉という御仁、明らかに筋金入りの「反共」「反ベトナム」「反ホーチミン」ですね(苦笑)。萩原*6市長は自民系ですし、【アジア風雲録】岡山・美作市が公共施設にホー・チ・ミン像 在日ベトナム人ら反発、撤去求める(1/4ページ) - 産経ニュースや拙記事今日の産経ニュース(6/7分)(追記・修正あり) - bogus-simotukareのブログを読めば分かりますが、設置目的も「ホーチミンイデオロギー的に万歳」つうよりはもちろん「ベトナムがせっかく友好の証として送ってきたからちゃんと丁重に飾っておこう」「ベトナムとのおつきあいで金儲け、地域振興したい」つう話の訳です。自民党員(そもそも萩原市長もその一人ですが)や極右連中(例:三浦小太郎)でも「金日成毛沢東」ならまだしもホーチミンをここまで敵視する人も珍しいでしょう。
 やはりこの御仁、反共主義から「ベトナム戦争南ベトナムが勝てばよかった」どころか、「第一次インドシナ戦争でフランスが勝てばよかった」とすら考えてるであろう事が容易にうかがえます。
 そしておそらく、この御仁、小生が以前今日の産経ニュース(4/29分)(追記・訂正あり) - bogus-simotukareのブログで取り上げた
【サイゴン陥落40年(下)】幻想だった「人民の闘争」 古森義久 ワシントン駐在客員特派員(1/3ページ) - 産経ニュース
【サイゴン陥落40年】対照的な米越 「暗黒の4月」米ベトナム系は抗議行動 ホーチミンでは軍事パレード(1/2ページ) - 産経ニュースなどでの反ベトナム言説にも賛同するのでしょうね。
 もちろん、お断りしておけば、俺は中国でアレ、北朝鮮でアレ、ベトナムでアレ、他のどこの国(例:軍政のエジプトやタイ、フンセン首相が独裁食を強めるカンボジア、記者殺害問題のサウジ、エルドアン大統領が独裁色を強めるトルコ、ロヒンギャ弾圧問題のミャンマーなど)でアレ、「民主主義や人権の観点」で問題があれば、批判は当然すべきだし、問題改善のいい手があるのであれば政府なり人権団体なりが何らかの動きをすべきだと思いますよ。
 ただそれは「ホーチミン像反対」みたいな非現実的、非常識なもんとは違うでしょう。まあ、大体こういう連中は単に「反共」「反ベトナム」「反ホーチミン」に過ぎないわけです。だから森泉も「つくる会理事」なんて反人権そのものの三浦と交遊できる。
 あるいはMukkeも「人権派ではなく」ただの「反中国」「チベットキチガイ」にすぎないからこそ「ペマ・ギャルポがウヨと一緒に河野談話否定論を放言しよう」とも「ダライが国基研のウヨ連中と面会しよう」とも「自称アンチ歴史修正主義」のくせに批判しないで黙認できるわけです。あげく「批判したらどうなのか。みっともない身びいきじゃないのか」という俺に向かって「身びいきじゃない」だの「中国びいきのお前*7にそんなこと言われる覚えない」だの居直る。
 あげく門司港、小倉、中津その他紀行(2014年8月~9月)(1)(ばかばかしい追記あり) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)の追記が批判していますが「連座制支持」などという馬鹿げたデマまで飛ばす。Mukkeが本当に「人権派」ならこんなデマは飛ばさないでしょう。そのあげく「プライベートモード」では何かやってるのかもしれませんが、「公然とははてなダイアリーやブログをやれなくなった」のだからMukkeも無様な男です。

*1:北ベトナム国家主席ベトナム労働党主席

*2:小生もベトナム素人ですが、文革ポルポトじゃあるまいし、迫害や弾圧があったにしても、さすがに「見境」はあるでしょう。いずれにせよこの文章からはこの御仁が反共主義から「ベトナム戦争南ベトナムが勝てばよかった」どころか、「第一次インドシナ戦争でフランスが勝てばよかった」とすら考えてるであろう事が容易にうかがえます。

*3:2017年のこと

*4:無関心と反対は違いますが。

*5:少なくとも美作市は「崇拝していません」が。「美作市との友好の証」としてベトナムが寄贈したので「それに対する礼儀」として飾るだけの話です。

*6:岡山市長、衆院議員を経て美作市

*7:俺は少なくとも主観的には中国びいきじゃないですが、仮に中国びいきでも当然ながらMukkeの異常なチベットびいきが容認されるわけではありません。俺が中国びいきでも「中国びいきのボーガスにMukkeのチベットびいきを批判する資格があるとは思わないけど批判自体は正論。Mukkeのチベットびいきは異常」つう話でしかない。