「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2021年6/26分:荒木和博の巻)

民主主義と「油断」(R3.6.26): 荒木和博BLOG

 令和3年6月26日土曜日のショートメッセージ(Vol.449)。香港のリンゴ日報*1が廃刊*2になり、一方で日本では国会での対中非難決議が見送られました。私たちは冷戦終結以来、自由とか民主主義というものを、当然のものとして油断してきたのではないか、そういうお話しです。

 6分25秒程度の動画です。
 呆れて二の句が継げません。動画説明文だけで見る気が失せます。実際見る価値はないですが。
 まず第一に香港問題なんか拉致問題と何の関係があるのか。何の関係もない。
 第二に「冷戦終結以来、自由とか民主主義というものを、(ボーガス注:日本人は)当然のものとして油断してきたのではないか」という荒木の物言いに呆れますね。
 「明治維新(日本の近代化)以来」「明治憲法制定、国会開設以来」「終戦後の様々な民主改革(不敬罪治安維持法の廃止、新憲法制定による国民主権天皇象徴化、政教分離国家神道廃止)、首長公選制導入など)以来」などではなく「冷戦終結以来」という説明文で想像が付くでしょうが、荒木にとって「共産主義反自由主義、反民主主義」「反共主義自由主義、民主主義」であり「冷戦終結共産主義の敗北=自由主義、民主主義の勝利」のわけです。荒木ははっきりそう動画で明言している。
 そして荒木とウヨ仲間は「天安門事件での欧米の対中国経済制裁」で、「ソ連東欧の共産体制の崩壊」があったこともあり、「中国共産党体制崩壊も間近だ」と思ったと。
 しかし荒木曰く「冷戦終結共産主義の敗北=自由主義、民主主義の勝利」という認識は今思えば間違っていた。「共産国でなくなった国家(ソ連東欧やカンボジア)、発展途上国である他の共産国家(北朝鮮ベトナムラオスキューバ)はともかく中国は世界に冠たる経済大国、政治大国になってしまった」「民主主義擁護のために打倒中国!」。
 まあ呆れます。ナチドイツ、ムソリーニイタリア、蒋介石台湾、朴正熙韓国など、いくらでも「反共主義独裁政権(あるいは『フランスの国民戦線』など野党の場合は、独裁的政党、政治家)」は存在したし、今も存在する。たとえば「フランスの国民戦線」「ドイツのネオナチ」「日本会議(日本最大の右翼団体)」「米国のトランプ共和党」などは「反共主義」だから「自由主義で民主主義」なのか。そんな馬鹿な話はない。
 「反共主義自由主義、民主主義」では全くない。「右の独裁」が存在しますので。
 例えば冷戦が終結しても「ミャンマー軍事独裁イラクフセイン独裁政権(米国の軍事侵攻で崩壊し、フセインも処刑)、エジプト・ムバラク独裁政権(いわゆるアラブの春で崩壊したが、今、また、軍事クーデターでシシ独裁政権)などは独裁だった」わけです。冷戦終結と民主主義と「必ずしも関係はない」。仮に荒木のご希望通り中国共産党体制が崩壊したとしてもそれは「世界中で民主主義が勝利した」と言う話ではない。せいぜい、中国が民主化した程度の話でしかない(まあ、ソ連崩壊後のロシア・プーチン政権が独裁的であることを考えれば『共産主義体制崩壊イコール民主化』という単純な話でもありませんが。もちろんこれはロシアに限った話でもない)。
 大体「打倒共産主義」なんて話が拉致の解決と何の関係があるのか。
 別に拉致の解決とは、北朝鮮打倒という話ではないわけです。
 第三に「日本では国会での対中非難決議が見送られました」というのは是非はともかく「そうする方が日中友好が維持でき、日本企業の中国ビジネスが今後も展開でき日本の国益に資する」と見送った側(自民、公明)が認識したという話です。
 自民や公明が「自由とか民主主義というものを、当然のものとして油断してきた」と言う話ではない。
 まあ率直に言っていわゆる香港民主派は「今のような厳しい事態を想定せず油断してきた」かもしれない。ただしそれは中国非難決議見送りとは全く関係ない話です。
 それにしても「決議見送り」について荒木の物言いが「奥歯に物が挟まっていて大笑い」ですね。
 ウヨの荒木は日頃、自民や国民民主と言ったウヨ政党万歳だった。
 ところが「決議に賛成した」国民民主はともかく、自民は「個々の政治家はともかく」党としては決議を見送りました。
 一方、野党各党(立民、国民民主、共産、社民)は「自民の反対(決議不成立)を予想して、無責任にふかしていた疑いもありますが」、とにかく決議に賛成した。
 荒木としては自民は批判したくない、立民、共産は評価したくないが、常日頃の「反中国」の立場ではそれが難しい。
 まあ「国民民主(旧民社党系が主力)」は賛成しましたが、最大野党・立民や第二野党・共産を差し置いて「落ち目の国民民主だけべた褒めする」のも変な話です。結果、荒木の物言いがすごく「奥歯に物が挟まったもの」になる。 

*1:正式名称は『蘋果日報』だが『蘋果』が日本では使われない言葉なので『リンゴ』と意訳されている。

*2:実態は確かに廃刊(あるいは復刊の見込みが乏しく、廃刊に限りなく近い)といっていいでしょうが、「日本の雑誌の廃刊の多くが建前上は休刊(文春マルコポーロホロコースト否定論)、新潮45LGBT差別)のような不祥事による廃刊でないとなかなか廃刊と言わない)」なのと同様「建前上は休刊」だったかと思います。結局「復刊の見込みは乏しいとの判断の下、廃刊と書くことで中国批判色を強めるか」「休刊と書くことで(中国批判色が弱まる恐れはあるが)復活に期待をかける思いを示すか」という価値観の違いで表現も変わるわけです。