「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」を笑おう(2019年7/15日分:黒坂真の巻)

黒坂がリツイート
ウンちゃん
‏ 共産党は今次選挙では、同性愛や LGBTがどうのジェンダー平等社会とか言ってますが、それらに敏感な層から確実に票を得ようとの、ある種目玉公約にしたと考えられますね。

 こんなツイートをどや顔でする意味が分からないですね。「同性愛や LGBTがどうのジェンダー平等社会とか言ってますがそれらに敏感な層から確実に票を得ようとの、ある種目玉公約にしたと考えられます」なんてどや顔しなくても誰でも分かることです。
 別に共産党に限らず「ある政党がある政策を強く訴えてる」のなら、それは「その政策を支持するであろう層」への訴えかけだ、なんてのは当たり前の話です。もちろんそれ自体は何も悪いことではない。もちろん訴えてる内容が、例えば「ウヨ支持層にアピールするために首相靖国参拝」だったら「政教分離原則違反」で問題ですが、それは「訴えてる内容が問題だ」ということにすぎない。
 つうか「多少ニュアンスなどの違いがある」「全く同じ訳ではない」にせよ、立民も、国民民主も、社民も、れいわ新選組も基本的には共産と同じ「ジェンダー平等」つう立場なんですけど、なんで共産だけに絡むのか(ジェンダー平等反対なんてウヨ政党の自民と維新くらいでしょう)。たとえば立民なんか同性愛をカミングアウトしてる代議士(尾辻かな子氏)がいるし。

黒坂真
 池内さおりさんが引用なさっている同志社大教授は、男の子だから、女の子だからという育て方はジェンダー平等に反するという話をされていました。日本共産党が参加する野党政権ができたら、男の子と女の子を全く同じように育てること*1が奨励されるのでしょうか。格闘技を嫌う女の子はいるはず。

 いつもながら黒坂には呆れて二の句が継げませんね。
 「格闘技を嫌う女の子」に無理矢理させよう*2なんて誰も考えてない(つうか、そもそも格闘技を嫌う「男の子」だっているわけですが)。
 一方で、「五輪などの女子柔道、女子ボクシング、女子レスリング」などでわかるように「格闘技が好きな女の子」もいる。
 池内氏や岡野氏は「格闘技が好きな女の子がいるなら大いにやらせるべきだ。女の子だからやるな、なんてのはジェンダー平等に反する」と言ってるだけでそれ以上でもそれ以下でもない。つうか、こんなん保守派でもいわゆる保守リベラルなら普通にいってることですからねえ。共産党オリジナルの主張では全くない。こういう「共産オリジナルでない主張」で共産だけに絡むつうのが黒坂は異常ですね。
 まあ黒坂はウヨだから単に共産に絡んでるだけではなく「女が格闘技やるなんておしとやかじゃない、反対だ」という価値観でもあるのかもしれません。

https://twitter.com/ikeuchi_saori/status/1149896902000795649
■池内さおり
「今までなし得なかった社会を実現しよう!政治が、私たちの夢を育む明日へ❗️🌈」
 岡野先生のメッセージに、感動しきりです。ぜひ、このメッセージ動画をご覧ください!

https://twitter.com/jcp_cc/status/1149877115338149888
共産党ジェンダー平等を掲げたとき、え、本気か?と驚きました」。
 政治思想史・フェミニズム理論研究者の岡野八代さん*3
共産党が本気でジェンダー平等を掲げたことによって、新しい政治がひらかれるかもしれないと、期待を語ります。

 興味のある方はぜひ岡野先生のメッセージを視聴頂ければと思います。さて、これに対する「いつもながらの」黒坂の非常識リツイート

黒坂真
‏ 池内さおりさん。宮本百合子ソ連評論文「ソヴェト同盟の夫人と選挙」を御存知ですね。宮本百合子によれば、池内さんがお考えの事は概ね、スターリン統治下のソ連で次から次へと実現していった。この評論で百合子は地主やロシア正教会の聖職者だった方々にはソヴェトの選挙権が与えられないと紹介。

 「はあ?」ですね。岡野氏にせよ、池内氏にせよ「地主やロシア正教会の聖職者だった方々にはソヴェトの選挙権が与えられない」なんて話はしていません。
 そして本当に「池内さんがお考えの事は概ね、スターリン統治下のソ連で次から次へと実現していった」のなら「スターリン粛清とは関係なく」そのこと自体は勿論悪いことではありません。
 なお、動画を視聴しなくても、池内ツイート「だけ」でも分かるように池内氏や岡野氏の『お考えのこと』は「ジェンダー平等*4」です*5
 ただし、小生の知る限りスターリン統治下で「ジェンダー平等(池内さんがお考えの事)が実現していた」なんて事実はありませんが。
 「スターリン統治下でジェンダー平等が否定されていたわかりやすい例」を挙げれば、たとえばスターリン統治下において同性愛は犯罪扱いされ投獄されていました(ただし、ソ連でゲイとして生きるとはどのようなことだったか - ロシア・ビヨンドを信じれば「ジェンダー平等が実現」とまでおそらく評価はできないにせよ、レーニン時代は「同性愛は犯罪扱いされておらず」また事情が違うようですが)。


参考

ソ連でゲイとして生きるとはどのようなことだったか - ロシア・ビヨンド
 ロシアにおけるゲイ・コミュニティーソビエト当局との関係は良好にスタートした。1917年の十月革命から間もない頃、ボリシェヴィキロシア帝国時代に存在した、男性の同性愛に対する刑罰を撤廃した。
 だが、その後すべてが変わった。
 1934年、政府は同性愛を再び犯罪とした。スターリンは(中略)刑罰を懲役5年と規定した悪名高い刑法121条を導入した。
 「これは、ソビエト政府が保守的な価値観へと舵を切ったことを示す政策の一つだった」と歴史家のオリガ・エデリマン氏は話す。1920年代の革命後の自由が幕を閉じたのは、スターリンが帝国さながらの独裁政治を築いていたからだ。そしてゲイの人々が犠牲となった。
 公式のプロパガンダは、同性愛をファシズムと結び付けていた。作家のマクシム・ゴーリキーは述べている。
「ドイツでは、同性愛が合法だ。『同性愛を根絶すればファシズムも消え去る』という風刺文句まであるほどだ。」
 数年後アドルフ・ヒトラーはゲイを排除し始めるが、このことがソビエト政府の信条を変えることはなかった。ソ連でゲイは敵と見なされ続けた。
 どれだけの人々がスターリン時代に同性愛容疑で刑務所に入れられたか、正確な数は明らかでない。歴史家のダン・ヒーレー氏の著書『革命ロシアでの同性愛の切望』によれば、1934年から1950年までの出来事に関してNKVDの公文書に残っているデータには不透明な部分が多いという。
 また裁判所が同性愛に直接言及しないこともしばしばだった。自分がゲイで、そのために迫害を受けていると理解しながら、別件で投獄されることもあり得た。有名なゲイの詩人ニコライ・クリューエフがその一例だ。彼は「反革命運動」の罪状で逮捕され、裁判にかけられ、1930年代に銃殺された。
 スターリンが死去しても、ソビエト当局はゲイの弾圧を続けた。「我々が入手した1934年から1993年のデータによれば、判決で刑務所に送られた人の総数は25688人から26076人ほどだが、この数字はもちろん確定的とは言えない」とヒーリー氏は述べている。
 ソビエトの一般の同性愛者は、恐怖に震え、社会に無視されながら隠れて生きていかなければならなかった。当局は「ソビエト・タンゴの王」と呼ばれた歌手ヴァディム・コージンや、映画監督のセルゲイ・パラジャーノフのような有名人でも躊躇なく刑務所に入れていたのだ。
 ソ連崩壊後の1993年、ようやくロシア政府によって刑法121条が撤廃された。だからと言ってロシアに住むLGBTの人々が今日楽園のような生活を享受しているわけではない。だが少なくとも、性的指向で刑務所に入れられる恐怖に怯える必要はなくなった。

 なお「ソ連の名誉のため(?)」に一言指摘しておけば「同性愛処罰」自体は過去においては西欧諸国でもやっていました(勿論現在は既に廃止されれていますが)。
 有名なのが「英国の作家オスカー・ワイルドに対する同性愛処罰」です。
 また未だにイスラム国では同性愛が処罰対象です。
 有名な話としては、当人は「マハティール政権の謀略であって私は同性愛者ではない」と釈明していますがマレーシアのアンワル(一時マハティール政権財務相を務めたが後にマハティールと対立し解任された)が同性愛行為で処罰され、マレーシアが欧米から批判されたことがあります。

*1:そんなことは誰も言っていません。

*2:まあ格闘技が「その学校の体育授業」で「男女ともに必修」になってれば話は別ですがここではそういう話をしてるわけでは明らかにないですし。そして必修の場合は「定められた時間だけやるに過ぎない(部活動などと違って毎日のようにやるわけではない)」わけです。

*3:同志社大学法学部教授(政治学)。著書『法の政治学:法と正義とフェミニズム』(2002年、青土社)、『シティズンシップの政治学(増補版)』(2009年、白澤社)、『フェミニズム政治学』(2012年、みすず書房)、『戦争に抗する:ケアの倫理と平和の構想』(2015年、岩波書店)など

*4:ジェンダー平等」と表現されてるのは「単なる男女平等」だけではなく「LGBTの平等問題を含むから」です。

*5:ただ黒坂のいう『お考えのこと』はおそらくそうではないのでしょう。黒坂が「何が言いたいのか」よく分かりませんが。