三浦小太郎に突っ込む(2019年7月18日分)

ジミー・ディヴィス(カントリー歌手)の選挙演説 | 三浦小太郎BLOG Blue Moon
 極右の三浦が「穏健保守」「リベラル保守」らしい、ジミー・ディビス(カントリー歌手で、後にルイジアナ州知事を一時期(1944~1948年、1960~1964年)務めた)に本当に共感してるとはとても思えませんがそれはさておき。

「もし、対立候補をそしらなければならない*1、また、ただ選んでほしいために守れもしない約束をしなければならないという事でしたら、私は相応しい人間ではないし、知事の仕事を欲しくもありません。」
「とはいえ、かって農民として、街へ行くのも車輪がぬかるみにはまって難儀したことからしますと、立派な道路ができたことには感心していまして、もし知事に選ばれましたら、今の道路組織が維持され、また拡張されるために、私のできることは何でもやります。」
「また、月給75ドルで学校の教師をやっていた経験からしまして、学校と教師の問題は重要であり、決してなおざりにされてはならないと思います。」
「老人の世話も適切に行われるべきだと思います。総合病院をはじめとした機関を整備する今の制度には賛成でありまして、そのどの機関についても、それを改善し、維持するためにできるだけの努力をすることを約束します。」
「最後に、知事に選んでいただきましたら、皆さんのために精力的に、また公平に仕事をし、私を選んだことを決して後悔なさることがないよう任務を果たす所存であることを申し添えます。」(「ユー・アー・マイ・サンシャイン物語*2」三井徹*3著)
 ディヴィスは知事当選後、何をまず目指しますかという問いに「(音楽と同じく)ハーモニー、調和ですかね」と答えました

 いやー、三浦が紹介するディヴィスの発言「ネガキャンやウソの否定」「医療、福祉、教育の重視」「公平な政治の実施」は実にまともですね。今の自民党政治家にこうしたまともな発言をする人間がどれほどいるのか。
 そしてこうした発言は「狭義の左翼」ではありませんが小生は大いにディヴィスに共感します。
 小生は「共産支持者」とはいえ「狭義の左翼(マルクス主義者)ではない」「『消費税増税反対』『医療、福祉、教育の重視』『戦前日本軍国主義とその継承者(靖国神社本庁日本会議など)への批判』『憲法九条擁護、軍縮』『クリーンな政治』などの選択肢による消去法の選択*4」「社会党が力のあった1980年代までなら社会党に投票しただろう*5」ということで正直、共産党には失礼ながら、まともな保守リベラル政党(あるいはまともな社民政党)があればそれを支持しますが今ないですからね。
 なぜ「野党2議席」くらいのことが言えないのか(参議院京都府選挙区での、立憲民主党の福山幹事長の暴言) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)が批判する立民なんざ、俺はまともなリベラル保守政党とは思ってませんし。社民党共産党に比べあまりにも党勢が弱すぎます。
 それにしてもなぜ「野党2議席」くらいのことが言えないのか(参議院京都府選挙区での、立憲民主党の福山幹事長の暴言) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)で拙記事今日の朝鮮・韓国ニュース(2019年7月14分) - bogus-simotukareのブログをご紹介頂きいつもありがとうございます。


れいわ新選組をどう見るか | 三浦小太郎BLOG Blue Moon
 三浦が「れいわ新選組」を褒めないのは予想の範囲内ですが、「どう見ても好意的評価ではない」とはいえ、「(話題になっていて)脅威だ」と言ってるのが意外です。一方、例の野原さんは好意的評価のようです。
【追記】
 れいわが比例で2議席とり、一方、共産が「比例獲得議席5から4に減らしたこと」を考えればむしろ「れいわ」は左派にとっての脅威でしょう(共産の比例獲得票がれいわにある程度食われたという面はあるでしょう)。とはいえ「れいわは出馬するな」というわけにもいかないですが。
 今のところ「インチキ野党・維新(事実上、自民の別働隊)」と違い、反自民の「リベラル保守的なカラー」であり、なかなか共産としてもれいわを批判しがたい。
1)まあ、「れいわとも立民とも違う共産のカラー(もちろん共産主義という意味ではありませんが)」を出して「立民やれいわとの野党支持層の支持獲得競争」で共産党としての成果を出しながら
2)れいわや立民に、リベラル政党として安倍と戦う共闘を求めていく
つうことしかないんでしょうね。まあ、その共闘にれいわや立民が後ろ向きならそのときに批判すればいいことです。
【追記終わり】

 山本太郎氏とれいわ新選組について、複数の方から意見を止められましたので、簡単にだけ書いておきます。ただ、私のポリシーで選挙前に特定の党を激しく批判したりまた賛同したりするのは避けたいので、これ以上の評価は避けさせてください

 「え、そんなポリシーがあったの?」ですね。単に三浦が「ウヨ仲間にれいわに好意的な人間もいれば、否定的な人間もいる」ので適当にごまかしたいだけじゃないか(とはいえこの三浦記事のトーンはどう見てもれいわに好意的ではないですが)。
 というか習近平を来年「国賓待遇」で迎えていいのか? | 三浦小太郎BLOG Blue Moonでの

自民党を支持する人たちこそ、もし、自民党の党名でもある「自由と民主主義」の価値を尊重し、また、保守の立場から各民族の伝統に敬意を払う考えをお持ちならば、自民党に対し、総理総裁ご自身も、また、総理総裁が難しいなら各国会議員が、現在のウイグルにおける人権弾圧に対しもっと発信してほしいと訴えることが必要です。自民党を支持するというのは自民党の誤った政策に目をつむることではないはずです。

というのは「選挙前に特定の党(自民)を激しく批判」ではないのか。
 それとも「批判ではない、叱咤激励だ」とでもいうのか。

 私が山本氏に共感しがたいのは、かって放射能をめぐるあまりにも極端な発言と、皇室に対する態度ですが、今回の国会におけるいくつかの法案への反対の言動を見て、この人の言葉はすべて、ある種のパフォーマンス、その場での問題提起をいかに「扇動的」にやるかなんだな、あまり論理の正確さとかは興味ないのかな、とも思いました。

 と言うのなら具体的に問題点を指摘してみろという話です。せめて「いくつかの法案」とは一体何のことなのか、法案の名前ぐらい書いたらどうなのか。
 山本氏の問題点を、具体的に指摘も出来ない男、ただの印象操作しかできない男が「論理の正確さとかは興味ないのかな」とは何の冗談でしょうか。
 なお、お断りしておきますがこれは山本氏擁護ではなく三浦批判です。
 小生は山本氏に対して適切にコメントできるほどの知識がないのでコメントは控えておきます。
 ただいくつか思いついたことを言えば「れいわ」支持者が求めてることはジミー・ディヴィス(カントリー歌手)の選挙演説 | 三浦小太郎BLOG Blue Moonが紹介するジミー・ディビスのような「まともな保守リベラル」じゃないですかね(偶然ですがジミーも山本氏*6も芸能人です)。
 7月17日(水) 小林節慶応大学名誉教授の共産党への応援ビデオでの演説を聞いた:五十嵐仁の転成仁語:So-netブログが紹介していますが、本来は保守である小林節氏が、共産党の応援をしてるのも「まともな保守リベラル政党がないから」でしょう。今の自民党は極右・安倍をトップとする極右政党になってしまった。
 俺的には共産党には失礼ながら、「まともな保守リベラル政党(昔の新党さきがけなど)があればそれでもいい」んですが今ないですからねえ。
 俺的には「共産が決して楽な選挙ではないこと」「安倍のような極右がでかい面してること」よりもむしろ「石橋湛山*7」「大平正芳*8」「三木武夫*9」「宮沢喜一*10」「河野洋平*11」「加藤紘一*12」などのような自民リベラル(宏池会など)の存在感がないことがショックですね。
 たとえば自社さ連立政権は批判されましたがそれにしたって社会党が組んだ河野総裁(村山内閣外相)、橋本*13総裁(村山内閣通産相)にはある種のリベラル性があったわけです(一方で村山内閣運輸相に極右・平沼赳夫*14がいましたが)。
 さすがの社会党も安倍のような極右がトップなら自民と連立しない。公明党が連立をはじめた最初の小渕*15首相だって安倍ほどの極右ではない。
 今の公明は「安倍とズブズブでも恥じない」ほど極右と化しましたが当時の公明はさすがに安倍が相手では連立できなかったでしょう。
 自民党が長期政権だった理由の一つ(あくまでも一つですが)は「彼ら自民党リベラルの存在」です。彼らがいなければ、保守リベラル支持層の選挙民は社会党支持に向かったでしょう。
 それがなぜ今こんな惨状なのか。なぜこんな惨状でも自民党支持層が支持し続けるのか。
 流れ的には自民党リベラルとは言え

 谷垣氏*16:「第二次安倍内閣法相、自民党幹事長(第二次安倍総裁時代)」
 岸田氏:「第二次、第三次安倍内閣外相、自民党政調会長

として安倍の軍門に降っている連中には全く期待できないでしょう(まあ谷垣氏は自転車事故で政界引退しましたが、彼が健康でも何が出来たかは疑問です)。
 7月18日(木) 『日刊ゲンダイ』に掲載されたコメント:五十嵐仁の転成仁語:So-netブログで五十嵐氏は「世論調査通り、自民改選過半数では安倍が更に図に乗る」「野党の奮闘を期待したい」といっていますが、正直、なんとも気が重いですね。もちろん「最善の結果を目指して最後まで戦い」「仮に望ましい結果が出なくても諦めずに今後も戦う」しかないわけですが。
 なお、三浦は

 何らかの新しい政治勢力、もっと言えばポピュリズム運動として展開していく可能性はあります。

として「れいわ」をポピュリズム扱いしていますが、「れいわをどう評価するにせよ」少なくとも三浦にはそんなことを言う資格はないでしょう。
 なぜなら三浦らウヨが美化する「戦前日本」のほうがよほど「悪しきポピュリズム」だからです。
 何せ「満蒙(満州内蒙古、現在の中国東北三省と内モンゴル自治区)は日本の生命線」「暴支膺懲(横暴な支那を膺懲する(膺懲=懲らしめる))」「鬼畜米英(アメリカやイギリスは鬼や畜生も同然)」「ハルノートを受け入れたら死んでいった英霊に申し訳が立たない、彼らは無駄死にになる(当時の軍の主張)」「(政府を批判する奴は)非国民」などといった空疎な「ポピュリズム」スローガンで無謀な戦争に突入していったわけですから。
 後世の我々の目から見れば全て「満蒙なんて別に生命線じゃねえだろ」「横暴で膺懲されるべきなのは日本だろ。つうか別にそういう感情論で戦争してるわけと違うやろ。利権目的やろ」「相手国を鬼畜呼ばわりとかまずすぎやろ」「英霊に申し訳が立たないとか言う情緒論で戦争するな」「お前に反対しただけで非国民呼ばわりか」つう話です。
 あるいは今現在の「韓国を懲らしめろ!(安倍の無法な報復行為を支持する連中)」「北朝鮮を懲らしめろ!(巣くう会や家族会)」のほうがよほど「悪しきポピュリズム」でしょう。まあ、戦前風に言えば「鬼畜韓国(あるいは朝鮮)」「暴韓(あるいは朝)膺懲」ののりなのかもしれない。
 あるいは「南京事件慰安婦も捏造だ!」と言う「つくる会理事」三浦の方がよほど「悪しきポピュリズム」でしょう。
 あるいは「あすの会の厳罰論」なんかもポピュリズムでしょう。日本の歴史においては「左翼ポピュリズム*17」よりも「極右ポピュリズム」のほうがよほど有害でした。
 れいわは少なくとも極右ポピュリズムではない。
 まあ「極右ポピュリスト」三浦にとっては「戦前日本の中国、欧米敵視」「三浦らウヨの中韓北朝鮮敵視」「三浦らウヨの南京事件慰安婦違法性否定論」「三浦らウヨの厳罰論」、どれ一つとして「悪しきポピュリズム」とは認められないでしょうけどね。
 いずれにせよ「戦前日本美化による中韓敵視ポピュリズム(三浦ら日本右翼)」についていえば、冷静に考えたら重要な貿易相手国である中国や韓国を三浦のように敵視するなど正気の沙汰ではありません。
 なお、「話が脱線します」が、右翼ポピュリズムと言えば、奥武則*18『露探:日露戦争期のメディアと国民意識 』(2007年、中央公論新社、後に『ロシアのスパイ: 日露戦争期の「露探」』と改題し、「2011年、中公文庫」)と言う、以前俺が読んだポピュリズムを取り上げた面白い本があるので紹介しておきましょう(面白いという語弊があるかもしれませんが)。
 ここでいう「露探」とは「ロシアの探偵(スパイ)」の意味です。では尾崎秀実、ゾルゲのようなモノホンの「露探(彼らの時代はソ連ですが)」がこの本に出てくるか*19というとそうではなく、「日露開戦に反対する奴はロシアの手先だ!」「ロシア正教の信者はロシアの手先だ!」などという日露開戦前後の「反ロシアポピュリズム」と「そうしたポピュリズムを政府と新聞が扇動したこと」が取り上げられています。そういう意味では著書名は『露探ポピュリズム』とでもした方が誤解がなく正確です。
 日露戦争時代「露探」を創った新聞たち: 日々雑記が指摘していますが、反ロシア極右が「あいつは露探だ」と言う決めつけから、罪もない人間を殺す、おぞましいテロ事件も出てきて読んでて憂鬱になってくる本です。
 あるいは日露戦争つながりと言うことで脱線すれば「日比谷焼き討ち事件」などもポピュリズムでしょう。

【参考:露探】

日本ハリストス正教会ウィキペディア参照)
■明治時代初期
 日本ハリストス正教会は、日本にロシア正教を伝道したニコライ・カサートキン(1836~1912年)に多くを負っている。ニコライは1861年箱館のロシア領事館附属礼拝堂司祭として着任。1868年(明治元年)、箱館(北海道函館市)で三人の日本人(沢辺琢磨*20・酒井篤礼・浦野太蔵)が信徒になったのが日本正教会のはじまりとされる。
 その後、ニコライは東京に上京。1891年には神田駿河台に大聖堂(通称:ニコライ堂)を建設し、ここを布教の根拠とした。
■明治中期以降:対露感情悪化の中で
 大津事件にみられるように日本の対露感情は悪化していく中、ロシア正教会から伝道された日本正教会もまた各地で迫害を受けることになる。日本人正教徒達は各地でロシア帝国のスパイであるとの嫌疑をかけられ、住居からの追放や、神父への襲撃、墓石や教会建物の破壊行為が各地で起こった。
 1904年に日露戦争開戦。この時ニコライは日本人信徒達から懇請を受け、日本にとどまり、苦難の下にあった日本人正教徒達を激励し続けた。日比谷焼打事件の際には大聖堂とその関連施設も暴徒に襲撃されるところであり、あわや火をかけられるところであった。この時は戒厳令の下に出動した近衛兵の護衛により教会の各施設も難を逃れた。
 こうした逆境にもかかわらず、1911年には、日本正教会は教会数265箇所、信徒数31,984名、伝教者121名に達した。これは当時の日本にあってカトリック教会に次ぐ規模であった。
 1912年にニコライは永眠、76歳であった。この時、明治天皇から恩賜の花輪が与えられた。外国人宣教師の葬儀に際して時の天皇から花輪が与えられるのは異例のことであった。
■大正・昭和時代:ロシア革命という激震のあおり
 ソ連誕生以降、1991年のソ連崩壊に至るまで、日本正教会は「反露感情」のみならず「反共感情」にもさらされていくことになる。正教会は「日本正教会の初代京都主教を務めたいわゆる『ペルミの聖アンドロニク』が1918年に銃殺される」「救世主ハリストス大聖堂が1931年にスターリンの命令でダイナマイト爆破される」など、実際にはソ連から弾圧を受けている被害者であったにもかかわらず、当時の日本における「ロシア=ソ連」という通俗的観念はぬぐいがたいものがあり、日本正教会は「親露=容共」というあらぬ嫌疑をかけられることとなった。
 またロシア革命以降、ロシア正教会からの日本正教会への財政的支援が消滅した。この時点での日本正教会は財政的にすぐに自立出来る状態にはなく、給与を支払うことができなくなった多くの伝教者を解雇せざるを得なくなり、教勢は一時衰えた。一例として、長野ハリストス正教会復活会堂が1921年に閉鎖された事が挙げられる。一方でロシア革命から日本に逃れてきた多くの白系ロシア人日本正教会での信仰生活に加わり、教会によっては現在に至るまで、一定の在日ロシア人系コミュニティを教会内に形成している。

日露戦争時代「露探」を創った新聞たち: 日々雑記
 日露戦争勃発する前年の1903年明治36年)、ある新聞記者があの「電通」の前身である「電報通信」という新聞に「露探」という言葉を使った記事を掲載しました。それは、当時文藝小説家として名を上げていた長田秋濤という小説家をある疑惑によって「露探(ロシアのスパイ)」と断定する記事でした。
 長田は、身の潔白を証明するために、すぐさまこの記者を名誉毀損で訴えますが、裁判所は長田が露探であるかどうかに対してはまったく触れず、その記事が乗せた伝聞が確かに伝聞として存在したことを根拠として、その記事は名誉毀損に当たらない*21としたために、長田は裁判に敗訴することになります。
 裁判に負けたことにより、長田秋濤というひとつの才能は、世論から「露探」という烙印を押され、文壇で誰にも相手にされなくなり、また世間からも非難され、彼は失意のうちにわずか45歳で脳溢血でなくなります。
 いったい、証拠もなく、何の事実関係も無根の人間が単に「露探」という疑いをもたれただけで世間から抹殺されてしまう、という時代とはどんな時代だったのでしょうか。著者の奥氏は、長田事件を新聞記事により追った後、その理由を探るため、この事件の12年前に起きたロシア皇太子ニコライ二世が滋賀県の大津で警察官に襲われた、「大津事件」に遡っていきます。
 この事件を引き起こしたのは、当時の列強の一角であった強大な国、露西亜(ロシア)に対する恐怖が生んだ過剰な防衛反応でした。そして、大津事件の後、日本は日清戦争で勝利を収め、その勝利によって遼東半島が清国から割譲されました。ところが、不凍港である遼東半島を手にしたいロシアはドイツ、フランスと手を組んで日本に圧力をかけて遼東半島を清に返還させてしますのです。
 この三国干渉によって、強国ロシアに対する日本の感情には「恐怖」とともに「恨み」が加わり、我慢を重ねて復讐を待つという「臥薪嘗胆」が、日本の合言葉となったのです。こうした中で新聞によって創造された「露探」という言葉は、あっという間に「非国民」を表わす象徴的な言葉として新聞紙上をにぎわすことになったのです。
この本には、当時新聞紙上に掲載されたたくさんの「露探」が登場します。
 衆議院議員に当選しながら時の総理大臣桂太郎内閣と対立し、「露探」のレッテルを張られることにより、政界から去らざるをえなくなった「二六新報」の社長、秋山定輔。ロシア語の研究のためにウラジオストックに留学し、ロシア国籍を取得したがゆえに「露探」として新聞紙上に掲載され、スクープをねらったメディアにそそのかされた国粋主義者に刺殺されてしまった前田清次。「函館新聞」の報道によって、徹底的に攻撃された無実のロシア教会の信者たち。
 スパイ本と思って読み出した本書でしたが、おもわぬ日本文化と日本メディア論に遭遇し、改めて日本人のメンタリティを考えさせられる結果となりました。ジャーナルに興味のある皆さん。年末のひと時、もうひとつの日露戦争の裏側を考えてみてはいかがでしょうか。メディアのあり方を考えさせられます。

露探
 「二六新報」の社長である秋山定輔*22は、衆議院議員であったが、「露探」疑惑がもとで議員辞職をすることになる。長山靖生*23の文章を引用してみよう。
 「三月初旬(明治三十七年)、内務省秋山定輔がロシア極東軍総司令官クロパトキンと密かに連絡を取り合ってスパイ行為を働いているとの投書があった。総選挙後に召集された臨時国会で、その投書が議題として取り上げられた。具体的な証拠もない匿名の投書にもかかわらず、議会には『露探・秋山定輔事件調査会』が設置されることになった。それでも結局、秋山は三月二十九日に議員辞職を余儀なくされた。議会において、秋山定輔議員が露探だという証拠はないと認められたにもかかわらず、辞職を促すとの決議が採択されたためだ。理由なき辞職勧告だった。」(長山靖生著「日露戦争*24」P99より引用)
 証拠も何も無く、しかも本人は否定しているにも関わらず、議員辞職が要求された。しかも その発端は匿名の投書だったというから驚く。
 長山氏が言う、「言論に対する弾圧であり、政府の意向次第でだれでも『疑惑』が科せられ得る」という指摘ももっともなことである。

 デマで勝手にスパイだの裏切り者だの扱いしたあげく、辞任に追い込む。我々はこの秋山の議員辞任劇に近い「不祥事」を二つ知っています。
 「田中均氏外務省追放」と「蓮池透氏家族会追放」です。俺はこんな無法に加担した横田奥さんら家族会には何一つ同情しません。むしろ彼らを軽蔑し、憤激し、憎悪しています。

日露戦争時代の「露探」騒動と「嫌韓」騒動の類似点について: 美しい国への旅立ち
■『露西亜のスパイ』80~81頁
■無実の罪を作りあげる露探報道
 このような「露探報道」の過熱は、ロシアへの恐怖と恨みとも絡み、無実の人々をも巻き込んで展開する。
 1904年6月15日、対馬海峡にて陸軍輸送船の「常陸丸」がロシア艦隊に撃沈される。
 この事件がきっかけとなって、現場から近い長崎や福岡といった北九州の地に騒動が持ち上がった。
 長崎では市民が恐慌をきたし、「誰々は露探だ」と騒ぎまわり、ついには雑貨商人の家に数千の暴徒が乱入し、商品を破壊する事件に発展した。同店はロシア皇室の御用を承っており、「『常陸丸』沈没の報に接して祝杯を挙げた」という風聞がたっていた。
 福岡では、ガラス製造業者が露探のレッテルを貼られた。贅沢な暮らしをし、朝鮮人が出入りしているというあやふやな理由からだった。門司では、富豪の旅館経営者が露探と決めつけられ、労働者に襲撃されそうになったところを警官が押しとどめた。
 これら一連の騒動は、ロシアへの恐怖心もあっただろうが、金持ちへの嫉妬という潜在的な負の感情が、戦争をきっかけに暴発したという点で共通している。
 不名誉な”露探疑惑”の目は民間人だけでなく政治家にも向けられた。政府に批判的な論調でしられた『二六新報』の創刊者であり、衆議院議員でもあった秋山定輔は、選挙運動中に露探として攻撃を受けた。
 東京市内のいたる所に、「秋山は露探云々」と書かれたビラを貼られたり、疑惑を指摘する演説会が開かれたのだ。「ロシアから金をもらっている」とのいわれのない中傷も受けた。この騒動の裏で糸を引いていたのは、桂太郎*25首相の側近・大浦兼武*26だったようだ。
 日露戦争によって持ち上がった露探騒動に便乗して、政権にとって邪魔な秋山を落選させようと「秋山定輔は露探であるという途方もない怪説を創作」し選挙妨害を行ったのだ。
 このように、当時の日本には、民間・政界を問わず、憎い相手を露探と決めつけ中傷する浅ましい風潮があった。それはメディアによる煽動で助長され、日露戦争による死傷者が増えるにつれ、さらに激しいものとなっていった。

 桂太郎と安倍の間には「長期政権(それなりに有能な桂はともかく、無能でクズの安倍が長期政権など国辱ですが)」「山口県出身」だけではなく「デマ体質」という共通点もあったわけです。

日本がロシアに宣戦布告をした3日後のこと…|【西日本新聞ニュース】
 日本がロシアに宣戦布告をした3日後のこと。現在の福岡県柳川市で17歳の文学少年が命を絶った。中島鎮夫(しずお)、ペンネームは白雨(はくう)。後に国民的詩人となる北原白秋大親友である
▼白秋の回想によると、鎮夫は神童肌の少年で、語学に堪能だった。英語に加え独学でロシア語も勉強していたことから「露探」(ロシアのスパイ)のぬれぎぬを着せられる。汚名に耐えきれず、親戚の家の押し入れで、喉を短刀で突いた。
 今、学校へ行きたくないと悩んでいる君へ。君がいなくなると悲しむ人が必ずいる。君を傷つける者がいる学校へなど行かなくていい。白秋も友の自殺の後、学校を退学し東京へ飛び出している。

【参考:戦前昭和のポピュリズム

■暴支膺懲(ウィキペディア参照)
 日中戦争における政治スローガン。「横暴な支那(中国)を懲らしめる」という意味。1937年(昭和12年)の盧溝橋事件および通州事件以降は特に用いられるようになり、「暴支膺懲国民大会」が数多く開催された。太平洋戦争開始後は「鬼畜米英」とセットで使われ、「鬼畜米英、暴支膺懲」となった。

今後、野党がさらなる解体や分裂を繰り返すと思われる

 おいおいですね。世論調査で不振が伝えられる国民民主党は選挙後「右派は自民、左派は立民」に行く可能性が大きいでしょうが、「議席増が予想される」立民や「老舗政党*27」共産が分裂や解体することなどまず考えられません。つうか、山本氏について語るにおいて何でこんな野党への悪口をする必要があるのか。三浦らしいゲスさです。つうか三浦だって選挙前に「選挙後に次世代の崩壊は間違いないね」なんて言われたら怒り出すでしょうによくもいったもんです。

 山本太郎という人を「左派」と決めつけないほうがいい。

 そりゃ「右派政治家・小沢一郎氏(元自民党幹事長)が党首の自由党に入党し」、天皇に直訴した過去がある彼は「狭義の左派ではない」でしょう。わかりきったことです。
 ただし彼は一方で極右でもないわけです。そして共産党の辰巳候補の応援演説をする程度には容共でもある。そういう山本氏は三浦のような極右にとって「左派みたいなもん」ではあるでしょう。
 なお、今回のれいわの「選挙結果」及び「その後、山本氏がどう動くか」も一つの注目点ではあるでしょう。たとえば彼が果たして当選するのかどうか。選挙結果が思わしくない場合、れいわの展開を諦め、立民など「立場の比較的近いと思われる政党」に入党しないかどうか。
 過去に「多くの新党(新自由クラブスポーツ平和党日本新党新党さきがけなど)が消滅してきたこと」を考えると必ずしもその当たり「れいわは脅威」と言う三浦ほど、俺は「れいわの未来」について楽観的にはなれません。


習近平を来年「国賓待遇」で迎えていいのか? | 三浦小太郎BLOG Blue Moon

ウイグルにおける人権弾圧、いや、そんな言葉では表現できない民族浄化政策
・私たちに何ができるか、という問いへの答えはなかなか難しい。しかし、私たちが今すぐこのような残酷な中国政府を倒すことはできないかもしれない*28けれど、ここは民主主義国日本なのだから、最低限、自国の政府に訴えることはできる。
・G20の場で、安倍首相が、習近平*29国賓待遇で日本に招くことを発言した
習近平国賓で招くということは、例えばスターリンヒトラーのような政策をしている指導者を国賓で招くということですよ。
・最悪の場合、天皇陛下皇后陛下が、ジェノサイド*30を行っている犯罪者と同席されるような事態になりかねないのですよ*31
自民党を支持する人たちこそ、もし、自民党の党名でもある「自由と民主主義」の価値*32を尊重し、また、保守の立場から各民族の伝統に敬意を払う考え*33をお持ちならば*34自民党に対し、総理総裁ご自身も、また、総理総裁が難しいなら*35各国会議員が、現在のウイグルにおける人権弾圧に対しもっと発信*36してほしいと訴えることが必要です。自民党を支持するというのは自民党の誤った政策に目をつむることではないはずです。

 今の時期にこんなことを書くとは三浦は「来春まで安倍が総理を続けよう*37と、それまでに安倍が総理を辞めて誰かが後釜につこうと」「その誰かが石破元幹事長、石原元幹事長、岸田政調会長のような自民党幹部だろうと、枝野立民党代表のような野党幹部だろうと」もはや「習氏の国賓訪日(G20での日中首脳会談で安倍が来春の訪日を要請したとマスコミが報道)」は不可避とみてるのでしょう。
 そしてそれでも「ウヨとして黙っていられない」。
 まあそもそも先日の「G20での訪日自体」が国賓待遇でしたし、マスコミの「来春、訪日を要請」報道に安倍は抗議してませんから安倍の要請は事実でしょう。
 そして「習氏訪日時期まで」安倍政権が続けばその方向で進むでしょうし、ポスト安倍がだれになるににしたって「安倍総理が決めたことは俺には関係ない」として訪日要請を撤回したりはしないでしょう。
 しかしあの「韓国への不当な嫌がらせ(自民党の誤った政策)」あるいは「モリカケ疑惑(安倍の不正行為)」には何も批判を言わないのだから三浦も呆れたバカです。「中国は日本にとって重要な隣国だから仕方がない」「英仏独だって訪問時は国賓待遇で迎えた」といえる習氏訪日とは違いあんな嫌がらせは「よほどの反韓国か、安倍自民信者でない限り」容認できない無法行為です。

【参考:安倍の習氏訪日要請】

首相、来春の国賓来日を要請 習氏「いいアイデアだ」 :日本経済新聞
 安倍晋三首相は27日、中国の習近平(シー・ジンピン)国家主席大阪市内のホテルで会談した。首相は「来年の桜の咲くころに習主席を国賓として迎え、日中関係を次の高みに引き上げていきたい」と来春の国賓来日を要請した。習氏は「来春に貴国を訪問するのはいいアイデアだ」と応じた。

 しかし中国にはこうした融和的な対応に変わった安倍が韓国にはあれほど敵対的なのはおよそ理解に苦しみます。
 「中国は10億以上の人口で市場として魅力的だけど、韓国はそうじゃないから」とかそういう話なのか。

*1:勿論この場合の「そしる」とは正当な批判ではなく「ネガキャン」「誹謗中傷」のことです。

*2:1989年、筑摩書房

*3:著書『マイケル・ジャクソン現象』(1985年、新潮文庫)、『ジーンズ物語:「アメリカ発世界文化」の生成』(1990年、講談社現代新書)など

*4:1980年代ならこれでも共産党以外の選択肢があったんですがね。

*5:団塊ジュニア(1970年代後半生まれ)の小生が選挙権を得たのは1990年代後半です。この時、既に社会党は自社さ連立政権(1994~1998年)への支持層の反発、旧民主党(鳩山・菅新党)の誕生(1996年)などで退潮傾向にあり、「過大評価は禁物ですが」逆に共産党が「上田耕一郎氏のテレ東「朝ヤン」出演や、それをきっかけとしたテリー伊藤『お笑い日本共産党』の出版(1994年)」「足立区長選での吉田万三氏、狛江市長選での矢野裕氏当選(1996年)」「上田耕一郎『国会議員』(1999年、平凡社新書)の刊行」など、一定の追い風を受けていました。正直、小生の共産支持は明らかに「1990年代後半」という時代の風潮を受けています。

*6:それにしても近年、芸能人政治家は「蓮舫氏」など一部例外を除けば「丸川珠代(自民)」「橋下徹(維新)」など「安倍自民に近いウヨ」が多い中、山本氏のスタンスは実に興味深い。

*7:吉田内閣蔵相、鳩山内閣通産相などを経て首相

*8:池田内閣官房長官、外相、佐藤内閣通産相、田中内閣外相、三木内閣蔵相、自民党幹事長(福田総裁時代)を経て首相

*9:片山内閣逓信相、鳩山内閣運輸相、岸内閣科学技術庁長官(経済企画庁長官兼務)、池田内閣経済企画庁長官、佐藤内閣通産相、外相、田中内閣副総理・環境庁長官などを経て首相

*10:池田内閣経済企画庁長官、佐藤内閣通産相、三木内閣外相、福田内閣経済企画庁長官、鈴木内閣官房長官、中曽根、竹下内閣外相を経て首相。首相退任後も小渕、森内閣で蔵相

*11:中曽根内閣科学技術庁長官、宮沢内閣官房長官、村山、小渕、森内閣外相、衆院議長など歴任。現在、日本国際貿易促進協会会長

*12:中曽根内閣防衛庁長官、宮沢内閣官房長官自民党政調会長(河野総裁時代)、幹事長(橋本総裁時代)を歴任

*13:大平内閣厚生相、中曽根内閣運輸相、海部内閣蔵相、自民党政調会長(河野総裁時代)、村山内閣通産相などを経て首相

*14:村山内閣運輸相、森内閣通産相小泉内閣経産相など歴任

*15:竹下内閣官房長官自民党副総裁(河野総裁時代)、橋本内閣外相などを経て首相

*16:小泉内閣国家公安委員長財務相福田内閣国交相自民党政調会長(福田総裁時代)、第二次安倍内閣法相、自民党幹事長(第二次安倍総裁時代)など歴任

*17:そんなものがあったかどうか自体、疑問符がつくと思いますが。

*18:毎日新聞学芸部長、編集局次長、論説副委員長など歴任。2003年4月~2017年3月まで法政大学社会学部教授。『スキャンダルの明治』(1997年、ちくま新書)、『大衆新聞と国民国家』(2000年、平凡社選書)、『熟慮ジャーナリズム :「論壇記者」の体験から』(2010年、平凡社新書)、『幕末明治新聞ことはじめ』(2016年、朝日選書)、『増補 論壇の戦後史』(2018年、平凡社ライブラリー)など,メディア関係の著書多数。

*19:実は俺が図書館で手に取ったのはまさに「どんなスパイが出てくるのかな」と言う完全な誤解でしたがそういう本なのでモノホンのスパイは出てきません。

*20:1834~1913年。日本ハリストス正教会最初の正教徒にして最初の日本人司祭

*21:まるで吉見義明氏不当敗訴のようなひどさです。

*22:1868~1950年。1904年に議員の職を追われた後も1915年、1917年の衆院総選挙や1928年の東京市長選へ立候補し政界への復帰を目指したが、いずれも落選している。しかし、政界の黒幕として、大隈内閣の成立工作、近衛文麿による新体制運動の構築などで活動したとされる(ウィキペディア秋山定輔」参照)。

*23:著書『千里眼事件:科学とオカルトの明治日本』(2005年、平凡社新書)、『奇想科学の冒険:近代日本を騒がせた夢想家たち』(2007年、平凡社新書)、『天下の副将軍:水戸藩から見た江戸三百年』(2008年、新潮選書)、『テロとユートピア五・一五事件橘孝三郎』(2009年、新潮選書)、『戦後SF事件史』(2012年、河出ブックス)、『「ポスト宮崎駿」論:日本アニメの天才たち』(2017年、新潮新書)、『日本SF精神史 幕末・明治から戦後まで(改訂版)』(2018年、河出ブックス)、『帝国化する日本 明治の教育スキャンダル』(2018年、ちくま新書)など

*24:2004年、新潮新書

*25:台湾総督、第3次伊藤、第1次大隈、第2次山県、第4次伊藤内閣陸軍大臣、首相、内大臣など歴任。

*26:島根県山口県熊本県宮城県知事、警視総監、第1次桂内閣逓信大臣、第2次桂内閣農商務大臣、第3次桂内閣内務大臣、第2次大隈内閣農商務大臣、内務大臣などを歴任。しかし、第2次大隈内閣内相時代に選挙違反の嫌疑で取り調べを受けることになり、そこからかつて第2次桂内閣農商務相だったときに二個師団増設案を通過させるために議員を買収していたことが発覚。これで内相を辞任することになり、政治生命を絶たれることとなった(いわゆる大浦事件)。

*27:現時点では「都民ファーストブーム時代の都議選(一応2議席増えましたが)」のような微妙な状況で「議席が増える」と言いきれないところがつらいところです。

*28:極右の三浦ですら「すぐに中国を打倒しよう」とは言わないわけです。

*29:国家主席」「党総書記」といった肩書きを何も付けない当たりが三浦らしい。

*30:少なくとも現時点ではジェノサイド(「ナチスユダヤ人虐殺」「ルワンダツチ族虐殺」のような民族虐殺)など誰も「認定してない」でしょう。強制収容所が事実だとしてもそれは「ジェノサイド」ではありません。それとも三浦のジェノサイド定義は一般とは違うんでしょうか?(当然ながらジェノサイドでなければ問題ないと中国を擁護してるわけではなく、三浦の事実誤認を批判してるだけです)。もしかしたら三浦は「同化=民族文化のジェノサイド(ウィキペディア『ジェノサイド』によればそうした主張も一部にはある)」と言う認識かもしれません。ただし、それだと「明治日本のアイヌ政策や米国の建国初期の原住民政策=民族文化のジェノサイド」になることを三浦がどう理解してるのかが気になるところです。

*31:こういうことを言ってる三浦って現上皇夫婦の「天皇・皇后時代の訪中」はよほど不愉快だったのでしょう。

*32:安倍の独裁体質を容認する極右・三浦が「自由と民主主義」とはよくもいったもんです。大体党名だけだったら、「立憲民主党」「国民民主党」「社会民主党」と「民主」がつく政党は他にもあります。ちなみにロシアのジリノフスキーの極右政党も「自由民主党」ですし、三浦の大嫌いな隣国の正式名称も「朝鮮民主主義人民共和国」です。つまりこんなもんはどれも屋号に過ぎません。

*33:日本の伝統民族(勿論少数民族ですが)アイヌに冷たい男、あの「アイヌ新法」を「アイヌ利権」と誹謗した男ががよくもいったもんです。恥を知れと言いたい。

*34:「自民の議員センセイにいろいろと世話になってるから」というウチの両親が典型ですが「俺の経験上」大抵の自民支持者はそんな「自由民主主義」「保守」イデオロギーで自民を支持してるわけではない。実利益による支持です。自民議員の方も「与党だから自民からでた」程度の「実利益優先」の連中がほとんどでしょう。そうした「実利主義」の彼らが「実利のない」ウイグル問題に興味など持たないのはある意味「当然」です。むしろ「中国ビジネスは大事だから中国国家主席国賓として招くのは当然」と言う「実利」から習主席訪日を歓迎してもおかしくない。まあ三浦ら反中国ウヨだって単に「反共右翼」の立場から中国政府叩きネタとしてウイグルを政治利用してるだけですが。

*35:「総理が難しいなら」だそうです。吹き出しました。なぜそこで安倍をきっちり批判しないのか。

*36:批判と書かず「発信」と「中立的表現(?)」をするのはなぜでしょうか?

*37:勿論俺は一日も早く安倍にやめてほしいですが。「安倍以上の非常識極右」が後任首相になる可能性はまずない(石破も石原も岸田もそこまで酷くないでしょう)のでとにかく安倍にやめてほしい。