今日の産経ニュースほか(2019年10月19、20日分)

【ラグビーW杯 日本-南アフリカ戦再現】日本4強ならず 南アフリカに3-26で屈す - 産経ニュース
 「試合結果」だけで判断すれば「南アフリカ>日本>アイルランドスコットランド」になるわけですがどんなもんなんですかね。実はそれほどの差はなく「単に今回、南アと日本で点数に大差がついただけ」なのか。


【花田紀凱の週刊誌ウオッチング】〈741〉菅原一秀経産相に放たれた「文春砲」 - 産経ニュース

 菅原*1経産相は全面否定だが、どう読んでも分が悪い。

 「モリカケで安倍をかばった」産経&花田となれば「安倍の任命責任」が云々されるのを恐れて菅原をかばいそうですが、かばいきれないと判断しているようです。まあ、菅原は「第一次安倍内閣経産相自民党政調会長(第二次安倍総裁時代)、第二次、第三次安倍内閣経済財政担当相」などを歴任し「UR疑惑発覚による経済財政担当相辞任後」も「自民党選対委員長、税制調査会長」に就任した甘利などと違い、安倍の側近というわけでもないですからね。かつ今回の件は「安倍や自民と関係なく」明らかに菅原の個人犯罪ですし。

〈初当選から十六年間で菅原事務所を辞めていった秘書は公設秘書だけで、実に十七人にのぼる〉

 「公設秘書給与の上納」が理由ってそれが事実なら明らかな違法行為じゃないですかね。しかし「大物政治家として企業から賄賂まがいの献金をもらっていい」とは言いませんが何でそんなに菅原は金に詰まってるのか。よほど浪費してるのか、はたまた与党議員であり、当選も重ねているにもかかわらず政治力がないので献金が全然ないのか。


カニやメロン寄付疑惑 菅原経産相「配った認識ない」:朝日新聞デジタル
「金品渡していない」→「確認したい」→「現金と思った」菅原経産相の答弁変遷 - 毎日新聞
菅原一秀経産相「メロン贈答」を裏付ける明細書とお礼状を入手 | 文春オンライン
菅原経産相の寄付疑惑、元秘書の証言音声を杉尾氏が公開:朝日新聞デジタル
 菅原は言ってることが全くデタラメですね。こうした現職大臣(経産相)の疑惑(公選法違反の買収行為)をろくに報じない日本のテレビ局(特にワイドショー)の愚劣さには改めてうんざりします。


【昭和天皇の87年】天皇が参謀総長を叱責!「太平洋はさらに広し」 - 産経ニュース

 昭和16年7月30日に参内した軍令部総長永野修身*2が、昭和天皇に言った。
 「できるかぎり戦争を回避したいのですが、石油の貯蔵量は2年分のみで今後ジリ貧に陥るため、むしろこの際、打って出るほかありません」

 永野の主張は

・石油禁輸が続いたら、米国以外に輸入先はない(当時、世界最大の産油国は米国&中東の油田はまだ開発されてない)し、備蓄もどんどん減っていく。そうなれば石油を動力とする戦車や戦闘機、軍艦が動かなくなる。『米国との戦争』以前に、中国との戦争に支障を来す。そうなる前に米国を攻撃すべきだ
・米国は禁輸解除の条件として中国からの撤退を求めてるがそんなことはできない、戦争するしかない
・この際、東南アジアに侵攻すればそこの油田地帯から石油が得られる

という有名な「石油じり貧論」と言う奴です。
 普通に考えれば

・戦争して勝てるの?
・米国に負けるリスクを冒してまで中国全面植民地化を目指すことが適切なの?

ですが、当時の政府、軍部はそういう判断が出来ませんでした。「海軍の最高幹部(軍令部総長)」「軍事のプロのはず」である永野が堂々と「米国の要求なんか受け入れられない。米国と戦争すべきだ(要するに勝算があると思ってる)」と言ってしまうのだから「敗戦という戦争結果」を知る後世の我々からすれば頭痛がしてくる話です。
 一方で米国の方は「日本が戦争する気ならいくらでも受けて立つ、妥協なんかしない」とは思いながらも「日本が我が国に絶対に負けるからそんなことはしない(そんなことをするのはキチガイの沙汰だ)」つう油断が明らかにありました。だから、真珠湾攻撃で大打撃を受ける。
 「我が国の制裁に対し日本は降参するしかない、対米戦争なんか出来るわけがない。だから躊躇せず制裁する(米国)」「制裁されようが絶対に降参なんか出来ない、対米戦争するしかない。戦争しても勝算がある(日本)」つう「日米の認識のずれ」が戦争を不可避にしていきます。

 陸軍も「開戦やむなし」だ。昭和天皇が30日、「南部仏印進駐により、やはり経済圧迫*3を受けることになったではないか」と指摘すると、参謀総長杉山元*4は「当然予期したことで驚くに当たりません」と開き直った。昭和天皇は、《予期しながら事前に奏上なきことを叱責される》(29巻28頁)

 まあ「予期した」つうのはどう見ても居直りでしょう。予期したのならそう報告するわけですから。予期しないからこそ「米国は反発しないと思う」と奏上したわけです。こんな居直りをすれば昭和天皇から「ならばお前らは私を故意にだましたのか」つう反発が出てくるのは当然ですが、「陸軍の最高幹部(参謀総長)」杉山が「予想の範囲内」と居直ったあげく、「もはや対米開戦やむなし」と言い出すのだから海軍だけでなく陸軍も後世の我々から見れば正気ではありません。
 「日米開戦(太平洋戦争)は軍部が悪い、昭和天皇は悪くない*5(産経)」とは全く思いませんが、こんな非常識な部下に囲まれていた昭和天皇も不幸ではあったでしょう。

 昭和天皇は憂慮した。翌日、内大臣木戸幸一*6に《かくては捨て鉢の戦をするにほかならず、誠に危険であるとの感想》を述べたと、昭和天皇実録に記されている(29巻29頁)。

 まあ、杉山も永野もさすがに無責任に「米国相手に楽勝できる」とはいえず*7「苦戦すると思いますが、我が国には快進撃を続けるドイツもついてるしなんとか勝てると思います」「とにかく今のままではじり貧なんです、座して死を待つわけにはいきません」程度しか言えなかったわけで、普通の人間なら昭和天皇でなくても「そんなんで米国に勝てるのか」つう恐怖心を感じます。問題なのは昭和天皇が当初感じたこの恐怖心を維持できず、「杉山や永野」に丸め込まれて開戦を決意してしまったことの訳です。

参謀総長より陸海軍において研究の結果、南方作戦は約五箇月にて終了の見込みである旨を奉答するも、天皇は納得されず、従来杉山の発言はしばしば反対の結果を招来したとされ、支那事変当初、陸相として速戦即決と述べたにもかかわらず、未だに事変は継続している点を御指摘になる。参謀総長より、支那の奥地が広大であること等につき釈明するや、天皇支那の奥地広しというも、太平洋はさらに広し、作戦終了の見込みを約五箇月とする根拠如何と論難され、強き御言葉を以て参謀総長を御叱責になる》(29巻47~48頁※2)

昭和天皇
「お前は米国相手に開戦した場合、南方作戦は5ヶ月で終了すると言うが信用できない。お前は第一次近衛内閣陸軍大臣だった、盧溝橋事件(1937年7月)発生当初、中国との戦争はすぐに終わらせると言っていたが、盧溝橋事件から約4年が経った今も、お前が大臣を辞めた今も未だに終わってないじゃないか。いつ終わるんだ。そして今回のお前の『5ヶ月』がまた前回同様の間違いじゃないという保証がどこにあるんだ」
杉山
蒋介石は奥地の重慶に引っ込んでしまってなかなか攻撃して降伏させることが困難です。何せ中国は奥地が広いですから(言い訳)」
昭和天皇
「中国は奥地が広いつうなら太平洋だって広いだろうが!(お前ふざけんな!)」
て、昭和天皇が「軍は計画がずさんで信用できない」と相当マジギレしてることがわかります。
 でこの結果昭和天皇が「そんなずさんな計画で米国と戦争が出来るか。とにかく米国と交渉をまとめてこい。戦争は絶対に不可だ」と言えば東京大空襲、広島、長崎の原爆投下といった「悲惨な敗戦」もなく、昭和天皇国家元首から「象徴に転落」せず、「台湾、朝鮮といった植民地を失うこと」もなかったのですが結局「対米開戦を認めてしまう」のだから「最初は昭和天皇も『米国に勝てるか不安だ』といって反対してたんですよ」といったところで「でも結局は丸め込まれて承認したんじゃ意味ねえじゃん」で終わる話です。

 翌9月6日、重要閣僚と軍部首脳が参内して開かれた御前会議は、戦前の昭和史におけるクライマックスといえるだろう。そこで昭和天皇は、前例のない行動に出る。立憲君主の枠組みを超え、初めて口を開くのだ。

 別に「立憲君主の枠組み」など超えていませんがそれはさておき。
 後で産経が報じる話ですが9/6の御前会議では昭和天皇が「対米戦争は回避するのが原則だ」と語ったというのが通説です。
 ただし一方でこの9/6の御前会議では

◆帝国国策遂行要領(ウィキペディア参照)
・昭和十六年九月六日御前会議決定
 帝国は現下の急迫せる情勢特に米英蘭各国の執れる対日攻勢ソ連の情勢及帝国国力の弾撥性に鑑み「情勢の推移に伴う帝国国策要綱」中南方に対する施策を左記に依り遂行す
1)帝国は自存自衛を全うする為対米(英蘭)戦争を辞せざる決意の下に概ね十月下旬を目途とし戦争準備を完整す
2)帝国は右に平行して米英に対し外交の手段を尽して帝国の要求貫徹に努む対米(英)交渉に於て帝国の達成すべき最小限度の要求事項並に之に関連し帝国の約諾し得る限度は別紙の如し
3)前号外交交渉に依り十月上旬頃に至るも尚我要求を貫徹し得る目途なき場合に於ては直ちに対米(英蘭)開戦を決意す
(以下略)

として「日米交渉が10月上旬までにうまくいかなければ戦争も否定しない」「だから交渉と平行して戦争準備もしておく」という決定(帝国国策遂行要領)も仮に「渋々」であるにせよ「天皇も勿論同意した」上で決定されました。
 この結果、軍部タカ派(対米強硬派)は「帝国国策遂行要領で交渉がうまくいかなければ戦争は否定しない、と書いてある。昭和天皇が言ったことも『原則、交渉で解決しろ』『戦争はできる限り回避しろ』だ。あくまでも『原則論』だ。戦争は完全には否定されてないのだから交渉ではダメなこと、戦争しか道がないことを天皇陛下にご説明して対米戦争の同意を得ればいいんだ」としか理解しません。
 そしてその方向で軍部タカ派(対米強硬派)は動き、実際昭和天皇は「交渉ではダメなこと、戦争しか道がないこと」を納得し、開戦決定するのだから繰り返しますが、「当初は反対しても、でも結局は丸め込まれて承認したんじゃ意味ねえじゃん」で終わる話です。
 まあ、帝国国策遂行要領なんてもんを決めるべきではなかったでしょうね。はっきりと「10月上旬までに交渉がうまくいかなければ戦争の方向で動く」と書いてある政府文書を「9/6に決める」というのではこの文書通りに行動するなら「戦争回避の余裕が約1ヶ月しかない」わけで相当に無謀でしょう。
 日本が大幅に妥協しない限り、普通に考えて「約1ヶ月で合意」なんか無理ですし、10月上旬までに合意できない場合、正式に要領を廃止や修正するかどうかはともかく「この要領を死文化しない限り」、つまり「要領通りに行動する」ならば戦争に突入する以外に道がありません。
 帝国国策遂行要領について産経がどう説明するのか楽しみに待つことにします。


【昭和天皇の87年】開戦まで「日本をあやしておける」!? 米大統領の非情外交 - 産経ニュース

 その頃、荻窪の荻外荘には近衛家の使用人らとともに、眼光鋭い禿頭(とくとう)の男が住み込んでいた。昭和7年に血盟団事件(※2)を首謀した右翼テロリスト、井上日召(にっしょう)である。
 (ボーガス注:対米交渉の結果、515事件の犬養*8首相、226事件*9の岡田*10首相のように襲撃されることを恐れた)近衛*11は、15年に出獄した井上を用心棒として雇い入れた。

 「何だかなあ」ですね。どう言い訳しようが首相がそういうプロ右翼活動家と懇ろというのは問題だと思いますが。
 ちなみに

■四元義隆(1908~2004年、ウィキペディア参照)
 「1932年の血盟団事件井上準之助*12元蔵相、三井財閥総帥・団琢磨暗殺)」を起こした血盟団のメンバーの一人。1934年に殺人罪で懲役15年の実刑判決を受けるが、1940年に他の団員と共に恩赦で出所する。1955年から田中清玄の経営していた三幸建設工業の社長となる。
 出所後、近衛文麿鈴木貫太郎*13首相秘書*14を務め、戦後は政界の黒幕的な存在として吉田茂*15池田勇人*16佐藤栄作*17福田赳夫*18大平正芳*19竹下登*20宮沢喜一*21などの歴代総理と親交があり、特に中曽根康弘*22細川護煕*23政権では「陰の指南役」と噂された。

ということで日本政治の裏側では戦前も戦後もこの種のプロ右翼が暗躍していたわけです(一番有名なのはロッキード事件児玉誉士夫でしょうが)。うんざりしますね。
 児玉や四元のようなプロ右翼の存在も日本の右傾化に「貢献してきた」といえるでしょう。

 8月上旬に米英首脳会談が行われたとき、一層の対日強硬策を求めるチャーチル*24に、ルーズベルトはこう言ったという。
 「私に任せてほしい。私は、三カ月間ぐらい彼らをあやしておけると思っている」(※4)
 アメリカにとって日米交渉は、もはや開戦準備を完了するまでの時間稼ぎとなりつつあったのだ。

 つまりはチャーチルに「わかった、強攻策をとる」とはいいたくなかった、つまりは「対日交渉でできる限り自由度を保ちたかった」ルーズベルト*25は適当なことを言ってなだめた、ということでしょう。
 産経のように「日本をルーズベルトがだました」とかそういう話ではない。
 まあルーズベルトだって日本と戦争なんかしたくはないでしょう。
 しかし米国の国益も守らないといけないし、同盟国である英国や中国の同意も必要だ、となったら「対日政策」での柔軟性には自ずから限界があります。
 「日本が中国侵略も、仏印進駐も三国同盟も何一つ辞めない、今まで通りだ、という態度なら制裁を強めないといけないし、その結果、日米が戦争になっても仕方ない」と言う話でしょうね。結局、何一つ妥協しなかった日本の非が大きいわけです。

*1:第一次安倍内閣厚労大臣政務官、第二次安倍内閣経産副大臣、第三次安倍内閣財務副大臣を経て第四次安倍内閣経産相

*2:軍令部次長、横須賀鎮守府司令長官、広田内閣海軍大臣連合艦隊司令長官軍令部総長など歴任。戦後、東京裁判中に病死。のちに靖国に合祀

*3:米国による鉄くずや石油の対日禁輸のこと

*4:陸軍省軍務局長、陸軍次官、陸軍航空本部長、参謀次長、陸軍教育総監、林、第一次近衛内閣陸軍大臣、北支那方面軍司令官、参謀総長、小磯内閣陸軍大臣など歴任。戦後、自決

*5:といいながら日米開戦を推進した当時の「東条英機・首相兼陸軍大臣(死刑)」、「木村兵太郎・陸軍次官(死刑)」、「武藤章陸軍省軍務局長(死刑)」、「永野修身軍令部総長(裁判中病死)」を靖国合祀することに反対しないのだから産経も変な新聞です。

*6:第一次近衛内閣文相、厚生相、平沼内閣内務相、内大臣を歴任。戦後終身刑判決を受けるが後に仮釈放

*7:言っても信用されず正気を疑われるだけですので

*8:第1次大隈内閣文相、第2次山本、加藤高明内閣逓信相などを経て首相。515事件で暗殺される。

*9:斎藤実内大臣(元首相)、高橋是清蔵相(元首相)、渡辺錠太郎陸軍教育総監が暗殺され、鈴木貫太郎侍従長が瀕死の重傷を負わされた。

*10:連合艦隊司令長官、田中、斎藤内閣海軍大臣、首相など歴任。226事件で襲撃されるが幸運にも逃げることが出来一命は取り留めた。

*11:貴族院議長、首相を歴任。戦後、戦犯指定を苦にして自殺。

*12:日銀総裁、山本、濱口、第2次若槻内閣蔵相を歴任

*13:海軍次官連合艦隊司令長官、海軍軍令部長侍従長、枢密院議長、首相を歴任

*14:これまた「用心棒」なのでしょうが。

*15:戦前、天津総領事、奉天総領事、駐スウェーデン公使。外務次官、駐伊大使、駐英大使を歴任。戦後、東久邇、幣原内閣外相を経て首相

*16:大蔵次官から政界入り。吉田内閣蔵相、通産相、石橋内閣蔵相、岸内閣蔵相、通産相などを経て首相

*17:運輸次官から政界入り。吉田内閣郵政相、建設相、岸内閣蔵相、池田内閣通産相科学技術庁長官などを経て首相

*18:大蔵省主計局長から政界入り。岸内閣農林相、自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)、佐藤内閣蔵相、外相、田中内閣行政管理庁長官、蔵相、三木内閣副総理・経済企画庁長官などを経て首相

*19:池田内閣官房長官、外相、佐藤内閣通産相、田中内閣外相、三木内閣蔵相、自民党幹事長(福田総裁時代)などを経て首相

*20:佐藤、田中内閣官房長官、三木内閣建設相、大平、中曽根内閣蔵相、自民党幹事長(中曽根総裁時代)などを経て首相

*21:池田内閣経済企画庁長官、佐藤内閣通産相、三木内閣外相、鈴木内閣官房長官、中曽根、竹下内閣蔵相などを経て首相。首相退任後も小渕、森内閣で蔵相

*22:岸内閣科学技術庁長官、佐藤内閣運輸相、防衛庁長官、田中内閣通産相自民党幹事長(三木総裁時代)、総務会長(福田総裁時代)、鈴木内閣行政管理庁長官などを経て首相

*23:熊本県知事、日本新党代表を経て首相

*24:アスキス内閣商務大臣、内務大臣、海軍大臣ロイド・ジョージ内閣軍需大臣、植民地大臣、第2次ボールドウィン内閣大蔵大臣、チェンバレン内閣海軍大臣などを経て首相

*25:海軍次官ニューヨーク州知事などを経て大統領