今日の中国ニュース(2019年11月11日分)

リベラル21 少数民族にとって中国革命とは何だったか(5)
 今日の中国ニュース(2019年11月7日分) - bogus-simotukareのブログで紹介したリベラル21 少数民族にとって中国革命とは何だったか(4)の続きです。ちなみに「まだ続く」そうです。いつ終わるんでしょうか。正直こんなに長くなるなら自ブログで書いてほしいですね。
 そしてチベット問題がどうでもいいとまでは言いませんが「中国の国内問題」がどう「私たちは護憲・軍縮・共生を掲げてネット上に市民のメディア、リベラル21を創った」と関係するんでしょうか?

 いわゆるチベット叛乱は、農牧民のレベルでは、民族の自決とか高度の自治を要求するものではなかった。初めは「民主改革」への抵抗である。

 つまりは阿部は「中国政府は酷い」と言いたいのでしょうが俺なんか

 つまりインドで亡命生活60年の人と中国政府のもとで働いたその兄弟とでは、明らかに兄弟のほうがチベットの人たちの役に立っている(ほかに学校のことなど) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)が紹介する小島正憲氏の見解は正しいんじゃん

つまり「もし私がダライ・ラマならば、亡命しなかった。」は正しかったんじゃん。「展望もないまま『民主改革への反発』から暴動やらかした」んじゃん。

と思いますね。たぶん俺のような主張を聞いたら阿部らダライ支持者は烈火のごとく怒るのでしょうが。

 チベット仏教第二の高僧第十世パンチェン・ラマは、文化大革命が終わって10年後の1987年春、全国人民代表大会チベット自治区常務委員会で、1959年までの中共軍によるチベット叛乱鎮圧について告発した。以下はその抜粋である。

 「抜粋」とやらは紹介を省略します。
 ここで阿部はもちろん「ダライと行動を共にしなかった、そしてチベット自治区の要職に就いたパンチェン」ですら中国批判した、それほど中国政府は酷いと言いたいのでしょうが、俺なんか別の感想を持ちますね。
1)「1986年以前」「1988年以降(特にパンチェンが死去した1989年以降)」はともかく少なくとも1987年頃は「大物のパンチェンだから言えた」と言う面が大きいがこの程度の不満が言えた
 まあパンチェンは1989年に病死していますし、彼のこうした不満がどれほどその後のチベット政策に反映された(あるいは反映されなかった)のかは俺は無知なので知りませんが。
2)結局パンチェンはダライと行動を共にしなかった
 これはパンチェンだけでなく有名人ではプンワンもそうですが。勿論それは彼らが中国統治に何の不満もなかったとか、裏切り者で中国に媚びていたとかいう話ではない。武装蜂起とか亡命とかしても事態が悪化するだけだという現実主義だからそうしなかったわけです。

 布施や参拝を禁止し、僧侶に労働と還俗、結婚を強制した。釈尊は労働を禁じているから、中共の「坊主も大衆同様労働せよ」という政策は、結婚同様破戒の強制である。布施がなくなれば僧侶は餓える。しかも還俗は家族が扶養家族を抱え込むことを意味する。当時チベット人社会は一家に一人、あるいは二人の男子が出家していたから、集落社会は混乱した。

 まあ中国のやり方も乱暴で正当化は出来ないでしょうが、それにしても「当時、チベット人社会は(平均で)一家に一人、あるいは二人の男子が出家していた」というのが事実なら、まともな社会とは到底言えないでしょう。チベットが近代化できなかったのも当然と言うべきでしょう。「やり方はともかく」、こうしたチベットの状況には何らかの改革は不可避だったでしょう。

 『七万言書』によると、中共の工作者はこちらに村の娘や尼僧を並べ、あちらに僧侶を並べて相手を選ばせた。僧侶と尼僧を同居させ、性的堕落状態をつくるという「革命的」方法もとったという。ほとんど家畜同然の扱いである。

 まあ、中国政府のやり方が強引なことを認めた上の話ですが、日本においても海外においても宗教者の妻帯はもはや珍しくないですからねえ(未だに妻帯禁止の宗教も勿論あるが)。
 「そこまでして僧侶の独身にこだわって意味があるのか?」「つうか貧乏で食えないから、ガキをどんどん僧院に送り込んだあげく独身を強制して必要以上に人口が増えないようにしてるだけと違うのか?」とは思います。

 1958年6月毛沢東は青海の叛乱を聞き、「反動分子を粉砕するチャンスだ」といい、青海省党書記はこれに追従して、「奴らの親玉を捕まえれば任務は半分完成だ。そいつらを銃殺すれば100%完成だ」といった(後述)。

 で反乱分子がまともな裁判もされずにむやみやたらに殺された、「疑わしきは罰する」で「無実の者まで殺された」という話を始める阿部ですが「中国の態度に問題があること」を認めた上での話ですが、プンワンやパンチェンはこの種の反乱に「勝ち目がない」と否定的だったわけです。反乱することが政治戦術として正しかったのかは疑問符がつくでしょう。

 青海省副省長だったタシ・ワンチュクはこれを見て、(ボーガス注:反乱軍の捕虜に対する中国軍の)あつかいのひどさに驚き怒った。のちにプンワン(中共ラサ工作委員、拙稿前回参照)に会ったとき、中共*1の捕虜の残酷な扱いを話して涙を流した。タシ・ワンチュクは長征途上の紅軍がカムを通過した時紅軍に加わった「老紅軍」で、のちに第一野戦軍とともに青海に来て、そこで省幹部になった人物である。

 以前今日の中国ニュース(2019年11月7日分) - bogus-simotukareのブログで紹介したリベラル21 少数民族にとって中国革命とは何だったか(4)を読めば分かりますが、ワンチュクもプンワンも「当時の遅れたチベットの状況」に不満を抱き改革を志し、しかしチベット中央政府が改革に乗り気でないことから「もはや外部勢力の力を借りるしかない」「外部勢力の中では一番中国共産党がまともそうだ」と中国共産党チベット解放を支援した人物です。
 「チベット解放初期」は中国共産党側も「あまり無茶は出来ない」と謙虚でそれなりにプンワンらの信頼も得ていたところ、解放後、チベットでの政権基盤が確立すると「増長した」と言うべきなのか、こうしたプンワンらを嘆かせる事態に残念ながらなったわけです。


香港への武装警察投入は近い 太田文雄(元防衛庁情報本部長) « 国基研ろんだん 国基研ろんだん « 公益財団法人 国家基本問題研究所

 「新しい日中関係を考える研究者の会」という学者集団がある。7月に東大で行われた「米中対立」セミナーに参加したところ、静岡県立大学の諏訪一幸教授が、今後の日中キーワードは「協働」だと結んだ。
 7月から同会の代表幹事となった高原明生*2東大教授は「中国の『一帯一路』と西側が主導する『自由で開かれたインド太平洋構想』とは共存できる」と言っていたが、自由で開かれた香港が専制的な武力介入によって抑圧されるのを目の当たりにしても、同じ発言ができるのだろうか。

 国基研など反中国ウヨがこんなことをいったところで「経済的に深いつながりがある」日中間に対立などという選択肢はあり得ません。


新潟米輸出 県、中国向けPRを本格化 :日本経済新聞
介護用品、炊きたてコシヒカリ…中国輸入博で日本製PR:朝日新聞デジタル

新潟米輸出 県、中国向けPRを本格化 :日本経済新聞
 新潟県は中国向けに県産食材のPRを強化する。日本貿易振興機構JETRO)と連携し、北京で県産米の魅力を伝えるイベントを開くほか、現地のレストラン関係者を招き、県内の酒造会社などを巡るツアーを実施。県産米は中国の輸入規制が解除されて11月末で1年がたつ。県はコメ以外の品目の規制解除も見据え、輸出増に向けた布石にしたい考えだ。
 15日に北京の日本料理店「北京なだ万」で、新潟米を売り込むレセプションを開く。中国政府関係者や県産米の輸出事業者など50人を招き、新潟米のチャーハンやおにぎり、デザートをふるまう。29日~12月1日には上海のレストラン関係者を招き、新発田市の酒造会社や燕市の銅器などを見学する。
 中国政府はコメを除き、県産食材の輸入を停止している。県は米菓や日本酒、農産品など幅広い品目の規制解除を求めている。県の担当者は「中国の人に新潟の食文化や食に関わる産業を深く知ってもらえれば」と期待している。

介護用品、炊きたてコシヒカリ…中国輸入博で日本製PR:朝日新聞デジタル
 中国は今後、急激に高齢化が進む見通しだ。パナソニックは今回、利用者の歩行データを分析できる歩行補助器や、生体データをもとに健康のアドバイスをするミラーなど、介護や健康維持関連の展示をした。(ボーガス注:パナソニック)中国・北東アジア社の本間哲朗社長はこの日の説明会で「日本は世界で最も早く高齢化した。その経験と技術を生かし、課題解決の力になりたい」と訴えた。
 電気自動車(EV)大国となった中国は、水素燃料電池車(FCV)にも積極的になった。トヨタ自動車はFCV「ミライ」の新型を展示。燃料電池の部品を供給した現地メーカーのFCVバスの試乗会もした。
 東日本大震災後続いていた輸入規制が2018年11月に解禁された新潟米。炊きたてのコシヒカリを目当てにバイヤーが大勢集まっていた。輸入業者によると、日本米の価格は中国米の2~10倍と高いが、富裕層に人気だ。福建省のバイヤーは「安心安全を掲げる日本の農産物への信頼は高い」と話す。

 産経、日本会議などウヨ連中がどんなに中国を敵視しようともこうした「中国ビジネス」を希望する「日本財界のニーズ」がある以上、安倍に中国敵視という選択肢はないわけです。

*1:阿部は「中国人民解放軍(正式名称)」とは絶対にいいたくないのでしょうねえ。

*2:著書『開発主義の時代へ 1972-2014』(共著、2014年、岩波新書)など