「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2020年1/13日分:荒木和博の巻)

今井裕さんの地図(12月14日付大臣要請)【調査会NEWS3164】(R02.1.13): 荒木和博BLOG
 今回の記事に限りませんが、最近の荒木記事は「1ヶ月前の要請(既に1ヶ月前にこういう要請をしたという記事を発表済み)」を「また改めて」わざわざ記事にするのだからよほどネタがないのでしょう。「荒木の運動」に展望がないことを改めて実感します。

(要請項目12)
 今井裕さんの生徒手帳から見つかった地図について、警察ではこれが拉致に関わる情報との認識を持ったと考えてよろしいでしょうか。
※特定失踪者家族会会長である今井英輝さんの弟さん、裕(ゆたか)さんは昭和44年(1969)3月2日、弘前工業高校の卒業式前々日夕刻、青森県弘前市内の自宅から出かけたまま行方不明となりました。失踪からちょうど50年を経た昨年、英輝さんが家に残されていた裕さんの生徒手帳に挟まれていた紙片に気付きました。

 この荒木の質問については「情報量が少なすぎて判断など何も出来ない」というのがマジレスになります。
 まず第一に今井さんの失踪が「自発的失踪」なのか「誘拐などの犯罪事件」なのかさっぱりわかりません。北朝鮮拉致認定以前の話です。
 ただし横田めぐみさん拉致など政府拉致認定が1977年*1~1983年*2福田赳夫*3、大平*4、鈴木*5、中曽根*6内閣時代)であることを考えれば「1969年の失踪(佐藤栄作*7内閣時代)」が北朝鮮拉致である可能性は低いでしょう。
 第二に「地図」とやらは今井さんの自宅から見つかったそうですが、「誰がいつ何のために書いたのか」さっぱりわかりません。
 そんなものが、失踪に関係あるかどうか分かるわけがないでしょう。
 ただし「常識的に考えれば」失踪には関係ないでしょうね。失踪に関係ある地図ならば失踪時に今井さんが自分で地図を持ってでかけるでしょう。
 なお、「50年間も気づかなかった」というのはあまりにも不自然なので、おそらく荒木が「何かありませんか」としつこく聞いて無理矢理引っ張り出してきたのでしょう。
 しつこく聞かれたあげく「多分関係ないと思うけど手書きの地図があった(今井英輝氏)→関係あるのでは!(荒木)」つうこじつけでしょう。

※「正論」令和元年6月号。今井さんの地図のことと都庁職員アベック拉致未遂についてで書きました。なお本件とは関係ありませんが都庁職員アベック拉致未遂で、事件の現場を本稿では能登半島西岸としています。その後の調査で東岸の富山県氷見市と石川県七尾市の境のあたりであろうという結論に達しました。

 これまた、ばかばかしい話です。そもそも荒木の言う「アベック未遂拉致」とはアベックがごろつきに因縁を付けられて殴られたと言うだけの事件です。
 そのごろつきが「拉致を実行しようとした北朝鮮工作員どころか」拉致する気があったかどうかすら疑問です。「因縁付けて殴る=拉致未遂」ではない。
 そしてその「因縁を付けたあげく殴った現場」が「能登半島西岸」だろうと「能登半島東岸の富山県氷見市と石川県七尾市の境のあたり」だろうとどうでもいい話です。
 そもそも、もはやそのごろつきが逮捕できると思えない。逮捕できる証拠があるかどうか以前に「ごろつきの身元」自体がもはや分からないでしょう。仮に逮捕したところで「表に現れてること」は「アベックに因縁を付けてアベックの男性を殴ったこと」ただそれだけです。
 せいぜい傷害罪しか成立しないし、その程度ではたいした罰にもならない。まあ、どう考えても「拉致を画策した北朝鮮工作員」どころか、拉致を画策したかどうかすら怪しいですが、どっちにしろ、よほどのことがない限り、これでは「拉致未遂での処罰」など到底無理でしょう。

*1:たとえば、横田めぐみさん拉致

*2:例えば有本恵子さん拉致

*3:大蔵省主計局長から政界入り。岸内閣農林相、自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)、佐藤内閣蔵相、外相、田中内閣行政管理庁長官、蔵相、三木内閣副総理・経済企画庁長官などを経て首相

*4:池田内閣官房長官、外相、佐藤内閣通産相、田中内閣外相、三木内閣蔵相、自民党幹事長(福田総裁時代)など経て首相

*5:池田内閣郵政相、官房長官、佐藤内閣厚生相、福田内閣農林相、自民党総務会長(佐藤、田中、大平総裁時代)などを経て首相

*6:岸内閣科学技術庁長官、佐藤内閣運輸相、防衛庁長官、田中内閣通産相自民党幹事長(三木総裁時代)、総務会長(福田総裁時代)、鈴木内閣行政管理庁長官などを経て首相

*7:運輸次官から政界入り。自由党幹事長(吉田総裁時代)、吉田内閣郵政相、建設相、岸内閣蔵相、自民党総務会長(岸総裁時代)、池田内閣通産相科学技術庁長官などを経て首相