高世仁に突っ込む(2020年5/21日分)

100年前の「スペイン風邪」流行の教訓 - 高世仁の「諸悪莫作」日記
 「100年前のスペイン風邪」については小生もスペイン風邪(1918~1920年)での著名人の死去について(追記あり) - bogus-simotukareのブログで以前触れています。

 2年間で米軍はインフルエンザで57,460人の死者を出した。第一次大戦での米軍の戦死者が50,280人だから、戦争より犠牲者が多かったのだ。

 ちなみに「話が脱線します」が、そして「豆知識」ですが「戦死より病死の方が多い」と言えば、

脚気をめぐるお話(その2) | 株式会社ファンペップ
 日清戦争(明治27~28年)では4万人を超える兵士が脚気に罹り脚気による病死者が4千人以上(死亡率10%)に昇るほどの蔓延でした。
 陸軍省医務局の公式記録では、「我軍ノ脚気患数ハ総計4万1431名……全入院患者ノ約四分ノ一」を占め、「銃砲創(戦傷者)1ニ付キ(脚気罹患者は)実ニ11.23」、戦死者977人に対して脚気による死亡者は4,064人であり、「古今東西ノ戦役記録中殆ト其ノ類例ヲ見サル」と書かざるを得ない惨状でした。

軍医森林太郎と脚気
 明治27~28年の日清戦役では、陸軍の戦死者がわずか977人にたいし、傷病患者約28万人、患者死亡約2万人であり、脚気患者は約4万人という奇妙な現象が起こる。
 明治37~38年の日露戦争では、陸軍の戦死者約4万6千人、傷病者35万人であり、そのうち脚気患者25万人という驚くべき数字になる。しかも、戦病死者3万7千人中、脚気による死者が約2万8千名に登った。

耳寄りな心臓の話(第21話)『 銃弾よりも多くの命を奪った脚気心』|はあと文庫|心日本心臓財団刊行物|公益財団法人 日本心臓財団
 日清戦争明治27年)では4万人を超える脚気患者がでて死者が4千人ちかくもあり、日露戦争では25万人もの脚気患者がでて戦傷病死者4万余人のうち病死者が3万人を占め、病死者の多くは脚気心(ボーガス注:脚気が原因の心臓病のこと)によるものだったとされています。

戦時下で多くの命を奪った「脚気」が感染症と疑われた理由 (3/3) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)
 日清戦争日露戦争の頃、日本の軍隊では脚気が流行して多くの軍人が命を落とした。海軍の軍医だった高木兼寛はこれを「何らかの栄養の問題」と察知し、海軍の軍人に麦飯などを食べさせた。結果、脚気は激減した。麦にビタミンB1があったからだ。軍人さんの食事は当時高級食材だった白米で、おいしい「銀シャリ」を腹いっぱい食べるのが贅沢だったのだ。そして、皮肉なことに田舎では粟やヒエを食べていた(かもしれない)若者たちが、軍に入ると脚気を発症したのだ。
 同じ頃、陸軍でも脚気が大流行していたが、陸軍ではこの病気を「栄養の問題」とは考えず、一種の感染症だと思っていた。頑健な若者が狭いところで集団生活を送っていて流行する病気だから、というわけで、それなりに理にかなった理屈だった。陸軍軍医だった有名な作家、森林太郎森鴎外脚気感染症だと思っていた。この誤謬(ごびゅう)のために陸軍はながく脚気に苦しめられる
 日露戦争が終わったのが1905年、鈴木梅太郎ビタミンB1を発見したのが1910年。海軍は脚気の原因を完全に理解していたわけではなかったが、それでも「こうすれば脚気にならない」という実利的な方法を開発したということだ。

脚気の原因はビタミン不足 判明した後も続いた理由は:朝日新聞デジタル
 海軍軍医の高木兼寛によって麦飯中心の食事が脚気を予防することが1884年に示されましたが、陸軍ではあいかわらず脚気が発生し、日露戦争(1904~1905年)では大量の死者が出ました。通説によれば、海軍では脚気による死亡者はゼロだった一方で、陸軍では敵軍の攻撃による戦死者以上に兵士が脚気で亡くなったのだそうです。
 1911年にビタミンB1が発見され、1924年には日本でも公的に脚気の主因がビタミン欠乏であることが認められました。これで脚気が減少すると思いきや、あまり変わりませんでした。太平洋戦争で食糧事情が悪化して脚気が増えたのではなく、戦前から年間に1万人前後の人が脚気で亡くなっていました。日本の脚気が終息するのは戦後になってからです。おそらく、白米を好む食文化のためでしょう。戦前戦中の日本は白米こそがごちそうで、十分な副食を食べる習慣ができるまではビタミンB1不足に陥りやすかったのです。

ということで、日清、日露戦争の死者で一番多かったのは戦死者ではなく「脚気による死者」らしいですね。当時は脚気の原因(ビタミンB1不足)が分かっていなかったからですが。でも現在の我々は「脚気が過去にそれほど恐ろしい病気だった」という認識はもはやないわけです。まあ、「脚気が過去の病気になったこと」は悪いことではないですが人間の認識なんて割といい加減なもんだということです。
 だから「高世も書いていますが」今回のような新型コロナでもないと100年前のスペイン風邪なんか意識しない。
 歴史上は過去にも「地震による津波」があったのに、「最近はなかった」ので東日本大震災津波で、大量の死者が出てびっくりしたりするわけです。

耳寄りな心臓の話(第21話)『 銃弾よりも多くの命を奪った脚気心』|はあと文庫|心日本心臓財団刊行物|公益財団法人 日本心臓財団
脚気の伝染病説論争
 東大に赴任中のドイツの内科医・ベルツ博士の進言もあって、東大・衛生学教授で後に(ボーガス注:東京帝国大学医科大学)学長*1を務めた緒方正規(まさのり)らは脚気を細菌感染による伝染病と考えて脚気病菌発見の論文まで発表したこともあって、陸軍軍医総監・石黒直悳*2(ただのり)や後任の森林太郎*3らも脚気伝染病説に同調しました。森林太郎はご存じ作家・森鴎外のことであり、陸軍からのドイツ留学では細菌学の大御所・コッホ*4に師事していた北里柴三郎*5らと親交があり、帰国後に小説『舞姫』やアンデルセンの『即興詩人』の翻訳を発表した明治を代表する文筆家であり、二足の草鞋(わらじ)を穿きながら軍医総監まで上りつめた医師でもあったのです。
 一方、イギリス留学の経験のある海軍軍医・高木兼寛*6(かねひろ)は脚気が欧米では見られないことから食事が関係しているのではと考え、練習艦の遠洋航海中の食事を麦食やパンに変えるなどの比較実験を重ねて脚気の発生しないことをつき止めたのです。その他の研究も重ねて日本初の医学博士号を取得し、後に東京慈恵会医科大学の前身を築きました。
 このように、脚気の原因が食料にあるとする高木説に対し、脚気細菌説をとる陸軍の石黒、森らとの間に大きな論争となりましたが、日露戦争に突入しても陸軍の白米至上主義は変わず、戦地では多くの犠牲者を出すことになったのです。この間の海軍での脚気患者は僅かに数十名で死亡者はゼロだったということです。
 ドイツ留学中の北里柴三郎も細菌学の大御所のコッホとともに脚気伝染病説を否定する論文を外国で掲載したことから、(ボーガス注:当時、伝染病説を採る)親元の東大との間に大きな軋轢が生じてしまいました。破傷風菌の純培養に成功し、帰国したものの東大には席がなく、これを見兼ねた福沢諭吉が屋敷の一部に衛生研究所を造り提供しました。後年、北里は福沢の恩義に報いるべく慶應義塾大学に医学部を創設して、初代学部長を務めました。
 このように、日清・日露戦争では多くの兵士を外地に送った陸軍は白米を主食として給食し続けたために戦わずして脚気心による多数の死者を出したことになります。
 脚気問題も、明治の終わり頃になって、東大農学部鈴木梅太郎教授が米糠(ぬか)から脚気予防に有効な成分としてオリザニンを抽出したことで、落着しました。

と言う高木兼寛のエピソードも、高木兼寛 - Wikipediaが紹介する

吉村昭『白い航跡』(上、下)講談社文庫、1994年(高木を主人公とした小説)
◆ドラマ『大いなる航海 : 軍医高木兼寛の280日』(2003年・南日本放送開局50周年記念番組、原作・吉村昭、主演・榎木孝明

などによって割と最近では有名かなあと思います。

【参考:脚気

被告4人「かっけ」、川口署で留置中ビタミン不足で 成人男性の3分の1の摂取「体調管理に努める」
 川口署に留置されている20~30代の男性被告4人が10月、ビタミンB1不足による「かっけ」と診断されていたことが7日、県警への取材で分かった。現在は症状が回復しているという。
 県警留置管理課によると、男らは9月ごろ、脚のしびれなどを訴え、医師の診断を受けた際、カロリーとビタミンB1不足を指摘された。
 同署など県警の20施設では、越谷市の業者が納めた弁当を1日3食提供している。9月に検査機関で栄養素を確認したところ、ビタミンB1が成人男性の1日の摂取目安量の3分の1程度だったという。県警は現在、20施設の留置人に栄養ドリンクを1日1個支給している。
 県警留置管理課の間下泰晴次席は「一部の被留置者に栄養素が欠乏していたとの診断を踏まえ、糧食業者に対する指導を徹底し、被留置者の体調管理に努めたい」としている。

いまどき脚気 どうして? : yomiDr./ヨミドクター(読売新聞)
◆Q
 埼玉県警川口署の留置施設で20~30歳代の4人が 脚気と診断されたというニュースが11月にあったよ。脚気ってまだあるんだね。
◆ヨミドック
 毎日食べていた弁当の栄養が偏っていたようです。脚気はビタミンB1の欠乏で起こります。欠乏が続くと、心不全や 昏睡状態になり亡くなることがあります。大正時代は、年間1万~3万人が死亡していた怖い病気でした。栄養がひどく偏ると、今でも起こり得ます。
(中略)
 実は、脚気まで行かなくても、ビタミンB1不足の人は多いんです。厚生労働省の調査(2017年)では、ほぼすべての年代の平均摂取量が、必要量を下回っています。ビタミンB1は、炭水化物からエネルギーを生産する時に欠かせません。不足すると疲れやすくなったり、太りやすくなったりします。豚肉や大豆、魚卵、玄米、ナッツ類など、ビタミンB1の多いものを食べましょう。

*1:現在の東大医学部長に当たる

*2:1845~1941年。陸軍軍医総監、陸軍省医務局長、日本赤十字社社長など歴任

*3:1862~1922年。軍人としては陸軍軍医総監、陸軍省医務局長など歴任

*4:1843~1910年。炭疽菌結核菌、コレラ菌の発見者

*5:1853~1931年。ペスト菌の発見や破傷風の治療法確立で知られる。北里研究所初代所長、慶應義塾大学医学科(現・医学部)・初代医学科長、慶應義塾大学病院・初代病院長、日本医師会初代会長

*6:1849~1920年。海軍軍医総監、海軍医務局長など歴任