高世仁に突っ込む(2021年3/15日分)

軍事郵便に見る日露戦争 - 高世仁の「諸悪莫作」日記

 桂木惠『軍事郵便は語る~戦場で綴られた日露戦争とその時代*1』(信濃毎日新聞社刊、1400円+税)という本をとてもおもしろく読んだ。

 高世もこの記事で触れていますが

◆大江志乃夫*2『兵士たちの日露戦争:500通の軍事郵便から』(1988年、朝日選書)

という先行研究があります。 

 ついこの間まで農民だった者が、どのようにして「兵士」となっていくのかが興味深い。本書は、その仕掛けの一つが国民挙げての「見送り」にあったという。

 つまりは「郷土の英雄」として扱うことで戦意を高揚しようという話です。
 「戦意高揚」と言う意味では「靖国への合祀」もそうだし「上(高級将校)に手厚く下(一般兵士)に薄い」という問題があるとは言え「金鵄勲章(一般兵士はまずもらえない)」「軍人恩給」もそうです。
 なお、こうした「見送り的行為」は今もあって確か、自衛隊の海外派兵なんかは天皇が見送ることがあったように思います。

 意外だったのが、脚気(かっけ)の蔓延だ。
 日清、日露の戦争では、日本陸軍脚気罹患率はきわめて高かったという。
 日露戦争での戦病死3万7200余人中、脚気による死亡者は2万7800余人にのぼった。戦病死の4人に3人は脚気で死亡したのだ。
 脚気ビタミンB1不足で起きるとはまだ分かっていなかったが、海軍では麦飯で予防できることを確認して食事に取り入れられていた。一方、陸軍では森林太郎森鴎外)らが細菌説に固執して海軍の実践を無視し続け、被害が拡大したという。 
 後の陸軍、海軍の体質を示唆するようなエピソードだ。

 「え、意外なの?」ですね。
 近年は高木兼寛*3や「高木に反対して陸軍への麦飯採用*4を否定した森林太郎(作家・森鴎外の本名)陸軍軍医総監」などといった「脚気エピソード」は割と有名で「俺も知っていた」ので高世が知らないことの方が意外です。
 なお「後の陸軍、海軍の体質」云々というのは「高世のこじつけ」ですね。
 高木兼寛 - Wikipediaによれば高木は確かに麦飯を採用したのですが、彼の理論(仮説ですが)は「麦飯の方が米飯より蛋白質が多いから脚気予防になる」という代物でした(当時、ビタミンB1の存在はわかっていなかった)。
 そのため、高木が海軍軍医総監の地位を去ると「高タンパク食にすれば麦飯で無くてもいいはずだ」と「麦飯が米飯に戻って、また脚気が増加する」という事態になったと言います。つまりは麦飯採用は「高木の個人的意向」が強く、組織の体質とは全く関係ないとみるべきでしょう。
 大体「陸軍が不合理、海軍が合理的(高世)」というのはそもそも事実に反する。
 確かに「いわゆる海軍三羽烏(米内光政*5、井上成美*6山本五十六*7)」は「日独伊三国同盟に反対」しましたが彼らは海軍主流ではない。海軍主流派は「同盟支持」だったわけです。
 また、

トラウトマン和平工作 - Wikipedia
 この時、広田外相が「私の永い間の外交官生活の経験から見て、中国側の態度は、和平解決の誠意のない事は明らかであると信じます。参謀次長は外務大臣を信用することができませんか?」と発言。米内海軍大臣もこれに同調し「政府は外務大臣を信頼しております。統帥部が外務大臣を信用しないという事は、政府不信任である。それでは政府は辞職せざるを得ない」と発言。最終的に多田参謀次長が「内閣総辞職をさせたいのか」という政府側の圧力に屈した形になった。

ということで、和平工作を進めようとした多田駿*8参謀次長*9らに対し、「近衛*10首相も、広田*11外相も、杉山*12陸軍大臣も、海軍大臣の私も和平の必要性は無いと考えてるのに、参謀本部は何がしたいのか。内閣を倒したいのか」という趣旨のことを言って「さすがに内閣打倒の考えなどなかった」多田の和平工作を封じ込めたのは当時海軍大臣だった米内光政でした。
 トラウトマン和平工作においては「和平しないとまずいのでは無いか*13」という「陸軍の多田(ただし陸軍大臣の杉山は、和平反対であり、陸軍は内部の意思統一が出来ていなかった)」が良識派であり、「反対した海軍の米内」が愚かだったことは今更言うまでも無いでしょう。
 ちなみに「和平工作を諦めきれなかった」多田は

トラウトマン和平工作 - Wikipedia
 しかし、なおも参謀本部は諦めず最後の賭として、昭和天皇への上奏により政府決定の再考を得ようとした。しかし、(参謀本部の上奏を予想し『上奏があっても取り上げないで欲しい』と)先に上奏した近衛によって、参謀本部の試みは阻まれた。

ということで「天皇上奏という賭け」に出ますが失敗します。
 ちなみにこの「多田の賭け」は「張作霖暗殺事件での昭和天皇の叱責による田中義一*14首相辞任」「昭和天皇の強い意志による226事件の鎮圧(穏便な処理を要望する本庄繁*15侍従武官長らの意向を天皇が否定)」とともに「天皇大元帥として絶大な権威、権力を保有していたことの証明」として、俺が持ってる山田朗*16昭和天皇の軍事思想と戦略』(2002年、校倉書房)にも出てくる「割と有名な話」です。
 話を「海軍は合理主義」デマ(高世)への批判に戻します。
 そして海軍にも陸軍・反英米派に該当する「艦隊派」と呼ばれるグループが存在した。「515事件で犬養首相を暗殺したのは海軍青年将校」だった(ちなみにこの時に犬養を暗殺したメンバーの一人である三上卓(当時、海軍軍人)が戦後やらかしたのが「三無事件」です)。他にも海軍には「海軍特攻の父・大西瀧治郎」や「人間魚雷・回天の発明者である黒木博司」がいたわけです。
 結局「海軍合理主義論(海軍善玉論)」とは「226事件で陸軍皇道派に襲撃された岡田*17首相、斎藤*18内大臣、鈴木*19侍従長(後に首相)が海軍出身」「海軍三羽烏三国同盟反対」「海軍出身の鈴木首相によるポツダム宣言受諾」など「海軍に都合の良い話」を切り貼りした「デマゴギー」にすぎません。「海軍善玉説」を未だに唱えるなど高世は「歴史に不勉強」にもほどがある。
 こうした「海軍善玉デマ」批判としては、笠原十九司*20『海軍の日中戦争』(2015年、平凡社)がありますが小生は未読です。
 なお、話が脱線して「日露戦争についての豆知識の提供のお時間」になりますが、高世は「日露戦争では脚気が大問題」と書いていますが、脚気だけでは無く「伝染病も問題」でした。
 そしてこの時期に開発されたのが「征露丸」でもともとは「ロシアを征服する!」つう名前だったわけですが、さすがにそれをずっと続けるのは「ソ連(ロシア)との外交」上まずいので「1949年に正露丸に名称変更(?)」したわけです(正露丸 - Wikipedia参照)。

 読了してあらためて気づかされたのは、そもそもの日露戦争の目的が韓国支配にあったことだ。ロシアの不正を糾し、自衛のために仕方なく戦争に踏み切ると国内外に説明したはずが、真の狙いは朝鮮半島にあった。
 兵士のなかにも韓国人を《無智の民》と見下す心情が育っている。
 いま問題になっているコリアンへのヘイト言動の奥深い根っこはここにあると言えるのではないか。
 司馬遼太郎の影響もあって、日本という国は明治までは良かったし、日露戦争は、弱いものいじめではなく、小国日本が大国ロシアと戦い、奇跡の大逆転で勝った快事だというイメージがなんとなくある。日本が「悪く」なるのは満州事変からであると。
 しかし、朝鮮半島の人々の視点からは、日清も日露も韓国をめぐる戦争であり、1905年のポーツマス条約から1910年の「日韓併合」へは直結していると見えるはずだ。

 そんなん「改めて気づくこと」じゃないでしょうよ。義士・安重根が何のために「元韓国統監」伊藤博文を暗殺したと思ってるのか。
 そして「植民地支配」の件を無視したところで明治時代には「秩父事件(生活苦から貧農が蜂起))」「大逆事件(明らかなでっち上げ冤罪)」などあるのだから「明治までは良かった」なんてとても言えない。
 「お前、本当に元左翼か?」と高世を問いただしたくなります。
 それはともかく、こうした自衛云々のデマは「日中戦争(中国に在留する日本人の生命と安全を守る!)」「太平洋戦争(ABCD包囲網が悪い!)」でも実行されることになります。

 国民の多くは、賠償金が得られず、思うような領土が獲得できなかったことに対する暴動まで起こして講和に反対したが、日本政府としては(ボーガス注:韓国、南樺太の植民地化や満鉄利権が得られて)満足する内容だったのだ。

 つまりは当時の日本人は「利権が手に入るなら戦争大賛成」だったわけです。
 日中戦争や太平洋戦争も恐らく「日清(台湾植民地化と賠償金)や日露(韓国や南樺太の植民地化)のように利権が得られれば万々歳」と国民の多くは甘く考えていたのでしょう。「真珠湾攻撃の大勝利」でその「甘い考え」は「日本に米軍の空襲が来る」までは強化されますが「米国との国力差」を考えれば太平洋戦争は無謀の極みであり、利権が得られるどころか「過去の利権(植民地)を全部手放すこと」になります。
 そう言う意味では「日本は勝ってる」と政府がデマっていたとはいえ、日本国民は単純な被害者ではありません。

*1:2021年刊行

*2:1928~2009年。茨城大学名誉教授。軍事、戦争関係の著書として『国民教育と軍隊』(1974年、新日本出版社)、『日露戦争軍事史的研究』(1976年、岩波書店)、『戒厳令』(1978年、岩波新書)、『戦争と民衆の社会史』(1979年、現代史出版会)、『徴兵制』(1981年、岩波新書)、『昭和の歴史(3) 天皇の軍隊』(1982年、小学館→1994年、小学館ライブラリー)、『統帥権』(1983年、日本評論社)、『靖国神社』(1984年、岩波新書)、『日本の参謀本部』(1985年、中公新書)、『日露戦争と日本軍隊』(1987年、立風書房)、『張作霖爆殺:昭和天皇の統帥』(1989年、中公新書)、『御前会議:昭和天皇15回の聖断』(1991年、中公新書)、『東アジア史としての日清戦争』(1998年、立風書房)、『バルチック艦隊日本海海戦までの航跡』(1999年、中公新書)、『世界史としての日露戦争』(2001年、立風書房)(大江志乃夫 - Wikipedia参照)

*3:1849~1920年。海軍軍医総監。医学博士。男爵。東京慈恵会医科大学の創設者。軍隊内の食事に麦飯(脚気予防になるビタミンB1が含まれてる)を採用するなど脚気の撲滅に尽力。吉村昭の小説『白い航跡(上、下)』(1994年、講談社文庫)の主人公(高木兼寛 - Wikipedia参照)。

*4:高木は「麦飯採用で脚気が減るらしい」という統計データを示せても「何故減るのか」理由を説明できなかった(この時点ではビタミンB1不足による脚気の原因は不明)ため、陸軍は高木の「麦飯採用説」を拒否しました。

*5:戦前、連合艦隊司令長官、林、第一次近衛、平沼、小磯、鈴木内閣海軍大臣、首相を、戦後、東久邇宮、幣原内閣海軍大臣を歴任

*6:海軍航空本部長、海軍兵学校長、海軍次官など歴任

*7:海軍航空本部長、海軍次官連合艦隊司令長官など歴任

*8:支那駐屯軍司令官、参謀次長、北支那方面軍司令官など歴任

*9:当時の参謀総長は皇族の閑院宮であり、参謀次長の多田が事実上、参謀総長の立場だった。

*10:貴族院議長、首相を歴任。戦後、戦犯指定を苦にして自殺。

*11:斎藤、岡田、第一次近衛内閣外相、首相を歴任。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀

*12:林、第一次近衛、小磯内閣陸軍大臣参謀総長など歴任。戦後、自殺

*13:但し多田は「日中戦争の泥沼化で満州国、満鉄など、過去に得た日本の中国利権がなくなること」を恐れていたのであって、別に平和主義だったわけではありません。それは「和平工作派」に「満州事変の石原莞爾(当時、参謀本部第一部長)」がいたことでも明白です。もちろん日本は、満州国、満鉄どころか、結局植民地(台湾、朝鮮、南樺太パラオなど南洋諸島)を全て失い、多田や石原の危惧は「彼らの予想した以上の形」で現実化します。

*14:参謀次長、原、第二次山本内閣陸軍大臣立憲政友会総裁などを経て首相

*15:満州事変当時の関東軍司令官であることから戦後、戦犯指定を受けるとそれを苦にして自殺。

*16:明治大学教授。著書『昭和天皇の戦争指導』(1990年、昭和出版)、『大元帥昭和天皇』(1994年、新日本出版社→2020年、ちくま学芸文庫)、『軍備拡張の近代史:日本軍の膨張と崩壊』(1997年、吉川弘文館)、『歴史修正主義の克服』(2001年、高文研)、『護憲派のための軍事入門』(2005年、花伝社)、『世界史の中の日露戦争』(2009年、吉川弘文館)、『これだけは知っておきたい日露戦争の真実:日本陸海軍の〈成功〉と〈失敗〉』(2010年、高文研)、『日本は過去とどう向き合ってきたか』(2013年、高文研)、『近代日本軍事力の研究』(2015年、校倉書房)、『兵士たちの戦場』(2015年、岩波書店)、『昭和天皇の戦争:「昭和天皇実録」に残されたこと・消されたこと』(2017年、岩波書店)、『日本の戦争:歴史認識と戦争責任』(2017年、新日本出版社)、『日本の戦争Ⅱ:暴走の本質』(2018年、新日本出版社)、『日本の戦争III:天皇と戦争責任』(2019年、新日本出版社)、『帝銀事件と日本の秘密戦』(2020年、新日本出版社)など

*17:田中、斎藤内閣海軍大臣、首相など歴任

*18:第一次西園寺、第二次桂、第二次西園寺、第三次桂、第一次山本内閣海軍大臣朝鮮総督、首相、内大臣を歴任。内大臣在任中に226事件で暗殺される。

*19:海軍次官連合艦隊司令長官、海軍軍令部長侍従長、枢密院議長、首相を歴任

*20:都留文科大学名誉教授。著書『アジアの中の日本軍』(1994年、大月書店)、『南京事件』(1997年、岩波新書)、『日中全面戦争と海軍:パナイ号事件の真相』(1997年、青木書店)、『南京事件三光作戦』(1999年、大月書店)、『南京事件と日本人』(2002年、柏書房)、『南京難民区の百日:虐殺を見た外国人』(2005年、岩波現代文庫)、『南京事件論争史』(2007年、平凡社新書→増補版、2018年、平凡社ライブラリー)、『「百人斬り競争」と南京事件』(2008年、大月書店)『日本軍の治安戦』(2010年、岩波書店)、『第一次世界大戦期の中国民族運動』(2014年、汲古書院)、『日中戦争全史(上)(下)』(2017年、高文研)、『憲法九条と幣原喜重郎日本国憲法の原点の解明』(2020年、大月書店)など