今日の産経ニュース(2020年7月4日分)

東京で約130人感染 新型コロナ、3日連続の3桁 - 産経ニュース
 「国と東京都は何をやっているのか」と非難されて当然の失態でしょう。


【昭和天皇の87年】天皇はなぜ、靖国神社に参拝しなくなったのか - 産経ニュース
 昭和天皇について言えば「そりゃ靖国A級戦犯を合祀したからだろ」で終わる話です(恐らく前天皇も現天皇も同様の理由でしょうが。前天皇と現天皇の場合はそれプラス『政教分離への配慮』もあるかもしれない)。

・(ボーガス注:死刑となった)A級(ボーガス注:戦犯)が合祀され
・その上(ボーガス注:A級戦犯ではあるが、死刑では無く、病死の)松岡*1、白取*2(ボーガス注:原文のまま、本当は「白鳥」が正しい)までもが(ボーガス注:昭和殉難者として合祀された)
・筑波*3は慎重に対処してくれたと聞いたが
・松平*4の子の今の宮司*5がどう考えたのか
・易々と
・松平は平和に強い考えがあったと思うのに
・親の心子知らずと思っている
・だから 私あれ以来参拝していない
・それが私の心だ

といういわゆる富田メモ - Wikipediaでもそのことは明白ですが、「戦犯合祀」を正当化するために、そして一方で昭和天皇を非難したくも無いために、それは絶対に認めたくない「産経らウヨ連中」です。
 あげく「富田メモは、昭和天皇の意思を正確に記録したか分からない。富田氏の主観によるゆがみがあるかもしれない」と元宮内庁長官・富田氏を嘘つき呼ばわりし出す。
 あるいは「富田メモが事実だとしても、昭和天皇が合祀を問題にされたのは文民(外交官)で病死だった松岡や白鳥だけだ」「だから軍人で死刑になった東条*6陸軍大臣などは合祀しても問題ないのだ」と言い出す(といったところで文民で病死の松岡や白鳥を合祀から外さないのだから詭弁でしかありませんが)。全くデタラメな連中です。


【参考:富田メモを故意に無視するウヨ連中】

「 『昭和天皇』A級戦犯メモ 富田メモの危うい『政治利用』 」 | 櫻井よしこ オフィシャルサイト
 「A級が合祀されその上松岡、白取までもが、」「だから私あれ以来参拝していない。それが私の心だ」。
 元宮内庁長官富田朝彦*7が、昭和天皇のお言葉として書きつけたメモが波紋を広げている。
 スクープを物にした「日経」は7月20日付朝刊トップで同メモを「A級戦犯靖国合祀」「昭和天皇が不快感」と大見出しで報じた。政界、メディア界には早くも、“A級戦犯”の分祀*8が高まっている。だが、富田メモ分祀推進の政治的動きに直結させてよいのか。そもそも富田メモはどれだけ信頼出来るのか。
 メモの書かれた88年4月28日当時、陛下のご体調が万全でなかったのは周知のとおりだ。
 外交評論家の田久保忠衛氏は次のように語る。
「あの時期の昭和天皇が、10年も前のA級戦犯合祀について、果たして御自分の意図が正確に伝わるように御意見を述べられていたのかどうか、失礼ながら、私は疑問に思っています」
 体調が優れないとき、人間は考えてもみなかった思い違いもする。だからこそ、私たちは、当時の陛下のお言葉をとりわけ慎重に吟味しなければならない。
 一方、陛下のお言葉を、富田氏がどれだけ正確に書き残したのかも疑問だ。メモは断片的で、御発言のなかから、幾つかの言葉が富田氏のフィルターを通して不完全な形で書き残されたと言わざるを得ない。この点について、富田氏を知る田久保氏はこう語る。
「富田元長官は高潔な方ではあったでしょうが、本当に歴史を知っていたのか。たとえば白鳥(敏夫元駐伊大使)を『白取』と書いています。また『筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが』と、恰も筑波(藤麿)宮司が合祀を渋ったかのように書かれていますが、これは事実と異なります」
 富田メモでは昭和天皇は「筑波は慎重に対処」とする一方で、「松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と」と語ったとされている。筑波宮司の慎重な判断はよかったが、後任の松平永芳宮司は「易々と」A級戦犯を合祀して怪しからんという口調だととれる。
 だが、A級戦犯の合祀を決めたのは他ならぬ筑波宮司である。同宮司は昭和45年2月の崇敬者総代会で、A級戦犯合祀を決定し、同年9月の同会で「時期は宮司預かり*9」と決めたのだ。
 「文藝春秋」8月号で、上坂冬子氏と対談した湯澤貞・前宮司も「筑波宮司は何度かA級戦犯の合祀を(崇敬者総代会に)諮っています」と述べている。つまり、天皇のお言葉という形で示唆された、筑波宮司A級戦犯合祀に反対というのは事実ではないのだ。
 にもかかわらず、昭和天皇富田メモに見られるような思い違いをされたのはなぜか。
 「昭和天皇にきちんとした情報が伝わっていなかったのか、伝わっていたにしても御体調が悪くて健全に判断出来なかったのか、或いは忘れてしまわれたのか。または、歴史に明るくない富田さんが事実と異なったことを書いてしまった可能性も考えられます」と田久保氏は語る。

『昭和天皇実録』公表で浮上する政治利用への疑問 | 櫻LIVE - 櫻井よしこ | 言論テレビ
 言論人として自身が目を通していない資料について述べるのは不見識なことだが、それを承知で書いてみたい。
 かねて、昭和天皇はなぜ、靖国参拝をおやめになったのかが論じられてきた。一部の人々は1978年秋にいわゆる「A級戦犯」と呼ばれる人々が合祀されたことが原因であり、それを裏付けるのがいわゆる「富田メモ」だと主張してきた。
 富田メモは元宮内庁長官富田朝彦氏が昭和天皇のお言葉として書き残したものだ。その中に昭和63年(1988年)4月28日のご発言として、「A級が合祀されその上松岡、白取までもが」「だから私あれ以来参拝していない。それが私の心だ」などとのメモがある。
 この富田メモが「実録」に収められたことから、一部の人々は富田メモの信頼性が確立されたと解釈し、「A級戦犯」合祀故に天皇陛下は参拝されなくなったことが確定されたと主張するのが目立った。
 私自身「実録」に目を通していないこと、従って、論評を展開することにいささかの不安を感じている点はすでに述べた。それでも指摘したいのは、富田メモをここまで明確に「確立した歴史資料」と見なしてよいのか(中略)という疑問である。
 富田氏は白鳥敏夫・元駐日イタリア大使*10を「白取」と書いている。また、「筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」と書き残し、あたかも筑波藤麿宮司が「A級戦犯」の合祀を渋ったかのように書いている。しかし、これは事実と明確に異なる。現実に「A級戦犯」合祀を実現したのは筑波宮司の後任の松平永芳宮司ではあったが、合祀を決めたのは筑波宮司である。「時期は宮司預かり」とし、筑波宮司は何度か崇敬者総代会に「A級戦犯」合祀の件を諮っている。
 こうした疑問に加えて、部分的に紹介された「実録」からも推察される、君主としてのお心構えを備えた昭和天皇が、最晩年、いかにご病気がちだったとはいえ、富田メモに書かれている乱暴な表現で、「A級戦犯」をなじったと、本当に信じてよいのだろうか。


「 富田メモ、今や必要な全面公開 」 | 櫻井よしこ オフィシャルサイト
 もちろん「全面公開はされるべき」ですが、よしこの場合「富田氏の遺族の同意が得られないので、将来はともかくおそらく当面は全面公開できない」と言う判断の下に「全面公開されない限り、昭和天皇が戦犯合祀反対だったと認めない」「日経がインチキ引用している疑いがある」と居直ってるだけです。

*1:満鉄総裁、第二次近衛内閣外相など歴任(松岡洋右 - Wikipedia参照)

*2:スウェーデン公使、駐イタリア大使など歴任(白鳥敏夫 - Wikipedia参照)

*3:筑波藤麿 - Wikipediaのこと

*4:戦後、宮内大臣、宮内府長官(今の宮内庁長官の前身)を務めた松平慶民のこと(松平慶民 - Wikipedia参照)

*5:松平永芳 - Wikipediaのこと

*6:関東憲兵隊司令官、関東軍参謀長、陸軍次官、陸軍航空総監、第二次、第三次近衛内閣陸軍大臣、首相などを歴任(東條英機 - Wikipedia参照)

*7:警察庁警備局長、警視庁副総監、内閣調査室長、宮内庁次長などを経て宮内庁長官富田朝彦 - Wikipedia参照)

*8:赤旗なども指摘していますが分祀したところで1)靖国が神社である限り、政教分離原則問題は解消しない、2)靖国が太平洋戦争、日中戦争を美化し続ける限り「靖国=日本極右の聖地」と言う問題は解消しない、と言う意味で分祀論は問題を解決しません。もちろん靖国分祀を拒否しているので「分祀しても問題は解決しない」という以前の状況ではありますが。

*9:宮司預かり」と言うことは要するに「棚上げ」なのだから、筑波氏が「慎重に対応した」「合祀を渋った」「(理由が何であるにせよ)合祀に反対」という理解で何の問題も無いでしょう。合祀賛成派を相手に「合祀反対」と明言できなかったので棚上げで逃げただけでしょう。一方で賛成派も筑波宮司時代には「宮司預かりにせず今すぐ合祀しろ」と筑波氏に迫る政治力も無かったわけです。合祀賛成派・松平宮司時代になって「宮司預かり」は「宮司一任だから、宮司である俺の一存で今、合祀して何が悪い」と合祀強行の正当化に悪用されます。

*10:原文のまま。もちろん白鳥は「駐イタリア・日本大使(駐イタリア大使)」が正しい。「駐日イタリア大使」では「イタリアの外交官」になってしまいます(白鳥については『ムソリーニびいきの白鳥は駐日イタリア大使も同然だ』という陰口があったと言いますが櫻井のこの文章はただの誤記でしょう)。他人の誤記をあげつらう櫻井が堂々と誤記するのは何かのコントでしょうか?