今日のロシアニュース(2023年1月10日分)

プーチンの部下叱責

「ふざけているのか」プーチン大統領、軍用機調達遅れ巡り大臣を叱る [ウクライナ情勢]:朝日新聞デジタル
 軍用機と民間機の調達に関する契約の遅れをプーチン氏に指摘され、「作業は順調に進んでいる」と述べると、プーチン氏が「ふざけているのか。契約がないのは知っている。いつできるのか」と厳しく質問した。
 「3カ月で完了する」と答えると、プーチン氏は「何の話だ。状況を理解していないのではないか。1カ月以内に終わらせてほしい」と述べた。

プーチン大統領「遅い、ふざけているのか」と副首相を叱責…軍用機調達で引き締め : 読売新聞オンライン
 マントゥロフ氏に対し、「(契約作業が)遅い。遅すぎる。今年の受注を受けていない企業もある。ふざけているのか。1か月以内で作業を完了させよ」とまくし立てた。マントゥロフ氏が「最善を尽くす」と応じると、プーチン氏は「最善を尽くすではなく、実行せよ」と念を押した。

 朝日や読売が書くように1)政権引き締め、2)「苦戦は部下のていたらくで自分はむしろ被害者」というプーチンのアピールと言ったところでしょうか。
 「軍用機調達が遅れてること」で公衆の面前で副首相を罵倒するなど身内の恥をさらす「恥ずかしい」ことだし、パワハラに該当する恐れ(当然、かえってプーチンの思惑に反し、評価を落とす危険性)もあるわけですが、そういうことを言ってられない苦境ではあるのでしょう。
 なお、プーチンの叱責で俺が連想したのは

「絶対に勝てるか」“抹殺できなかった公文書”が伝える昭和天皇の大声(辻田 真佐憲) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)
 1941年9月5日のことである。
 昭和天皇ははじめ、杉山*1に「日米事起こらば、陸軍としては幾許の期間に片づける確信ありや」と質問した。これに杉山は、「南洋方面だけは3ヶ月くらい」と答えた。
 これに満足しなかった昭和天皇は、続けて問うた。
「汝は支那事変(日中戦争*2)当時の陸相*3なり。その時陸相として『事変は1ヶ月くらいにて片づく』と申せしことを記憶す。しかるに4ヶ月*4の長きにわたり、いまだ片づかんではないか」。
 厳しい追及を受けた杉山は恐懼(きょうく)して、「支那は奥地が開けており、予定どおり作戦し得ざりし事情」をくどくどと弁明した。これにしびれを切らした昭和天皇は、励声一番、最初に引いた発言を行ったのである。
 「支那の奥地が広いと言うなら太平洋はなお広いではないか。如何なる確信あって3ヶ月と申すか
 杉山はこれに答えられず、隣にいた永野修身*5軍令部総長に「統帥部として大局より申し上げます……」と助け舟を出してもらったのだった。
 昭和天皇は、大声で「絶対に勝てるか」と質問した。これに対して、永野が「(ボーガス注:大国である米国相手に)絶対とは申し兼ねます」と言いながらも、「半年や1年の平和を得ても、続いて国難*6が来るのではいけないのであります。20年、50年の平和*7を求むべきであると考えます」などと答えた。
 昭和天皇はこれに対して、やはり大声で「ああ分った*8」と答えたという。

という有名な「昭和天皇の杉山陸相、永野軍令部総長叱責」ですね。プーチンの場合はともかく、昭和天皇の場合は本気で「俺は被害者だ」「杉山や永野たち無能な部下のせいでこんなこと(太平洋戦争開戦当時は日中戦争泥沼化、1945年以降は日本敗戦)になった」と思っていたのでしょう。
 だから前も新刊紹介:「前衛」2022年5月号その2(副題:昭和天皇のクズさに改めて呆れる) - bogus-simotukareのブログで触れましたが

「昭和天皇拝謁記」の驚き 人間的、辛辣な「肉声」: 日本経済新聞
 陸軍軍人だった*9鈴木貞一*10橋本欣五郎*11大島浩らが(ボーガス注:終身刑になったことについて)「死刑でなきは不思議」と言い

「拝謁記1」 側近に感情を発露 退位にも言及 朝日新聞書評から|好書好日
 広田弘毅*12木戸幸一*13重光葵*14などの量刑(ボーガス注:広田が死刑、木戸が終身刑、重光が禁固7年(A級戦犯では重光の刑が一番軽い))には(ボーガス注:重すぎる*15と)疑問を呈する。反して鈴木貞一、橋本欣五郎大島浩などは「死刑でなきは不思議」との感想を漏らす。

と酷いことを平気で言う。『桜会(秘密結社)の橋本(クーデター計画という彼の行為は政府の行為ではそもそもない)』はともかく、事情はどうあれ、「大島が進めた日独伊三国同盟」「鈴木が総裁を務めた企画院」などを昭和天皇がトップとして承認したのに「大島や鈴木に騙された、俺は被害者だ」「大島らは死刑になるべきだ*16」と大島や鈴木を恨んでいたのでしょう。どんだけ当事者意識がないのか。

新刊紹介:「前衛」2022年5月号その2(副題:昭和天皇のクズさに改めて呆れる) - bogus-simotukareのブログ
「被害者意識」の強い「この男」が一度でも退位などまともに考えたことがないことがうかがえます。
 建前でも「終身刑でほっとした。やはり部下が死刑になるのは見たくない」といえないのか。これを聞かされた田島宮内庁長官も内心どう思っていたのか。
 「何か俺がトラブルを起こしたら、天皇が俺に当初は賛成したことでも大島のように恨まれて悪口されるのか」と気が滅入らなかったか。
 昭和天皇の「部下への冷たさ」に「これが日本の最高指導者だったのか(絶句)」と失望しなかったか。
 この発言は生前に大島浩とかが知ったら「部下に全部責任転嫁か。どんだけ責任感ねえんだよ」「いくら何でも部下の死刑を望むとはそれでも人間か」とさすがにむっとしたんじゃないか。
 (ボーガス注:いずれにせよ)これは「東京裁判は不当な裁判」というウヨにとっては「不都合な事実」でしょう。
 昭和天皇が(中略)戦犯裁判それ自体については「理由が何かはともかく」、それを受け入れていたことがうかがえます。

と書きましたが昭和天皇も全く酷い男です。


ドイツ国防相辞任

ドイツ国防相の新年動画に批判 ウクライナ侵攻で軽率発言:時事ドットコム2023.1.4
 ドイツのランブレヒト防相が、新年を祝う動画でロシアのウクライナ侵攻を軽んじるかのような発言をしたとして批判されている。
 ウクライナ侵攻は「多くの特別な体験」につながり、「偉大な人々との多くの巡り合わせ」をもたらしたと振り返った。
 これに対し、日刊紙ターゲスシュピーゲルは、戦争を「エキサイティングな職業的体験」と捉えているかのようだとして、「もはや閣僚にふさわしくない」と非難した。シュピーゲル誌も「不適切で恥ずかしい」と論じた。

独国防相が辞任意向か ウクライナ巡り批判高まる - 産経ニュース2023.1.14

 まあ、「ウクライナNATO諸国の首脳(偉大な人々)との協議(多くの巡り合わせ)」でロシアに対して一致団結で対抗できたこと(多くの特別な体験)は良かった程度の意味ではあるのでしょうが。


ウクライナ大統領府副長官、日本のさらなる支援を期待 - 産経ニュース
 問題はウクライナ政府の言う「支援」が何を意味するかでしょう。岸田政権の右翼性を考えればウクライナ政府の要請を口実に武器輸出という「ショーザフラッグ」作戦(出来レース)の実行を危惧、警戒せざるをえません。


「ロシアが朝鮮半島方式の停戦案」ウクライナ国防高官: 日本経済新聞

 ウクライナの通信社ウニアンによると、ダニロフ国家安全保障・国防会議書記は8日、地元テレビの番組で「我々はいま朝鮮半島方式を提案されている。いわゆる38度線のようなものだ」と発言した。
 こうしたウクライナの分割統治案は、ロシアのプーチン大統領の側近であるコザク*17大統領府副長官が欧州で過去に有力だった政治家たち*18を訪れ、打診しているという。
 ダニロフ氏は、韓国では朝鮮半島での休戦ラインの設定が「大きな誤りだったと考えられている」と指摘し、全占領地*19の早期奪回を目指すウクライナとしては決して受け入れられないとの考えを強調した。
 一方、ロシアのペスコフ大統領報道官は9日、ダニロフ氏が言及した「朝鮮半島方式」の停戦案について「デマだ」と記者団に否定した。

 赤字部分の根拠は一体何なのか?。現実問題として朝鮮戦争において「休戦ライン」を否定したらいつまで経っても戦争は終わらなかったのでは無いか。
 なお「朝鮮半島方式(?)ダメ、絶対」とは個人的には思いません。そうすることに一定の「合理性」があるならそうすべきでしょう。
 勿論、ウクライナがそれを拒絶することは「俺なりに理解できます」し、「ロシア軍撤退が容易にできる」のならそうすべきですが。
 結局「戦争の展望をどう見るか」で話は大きく変わってきます。
 「徹底抗戦すればいい」「早期停戦すればいい」とか言う単純な話ではないでしょう。

*1:1880~1945年。陸軍航空本部長、参謀次長、陸軍教育総監、平沼、第一次近衛、小磯内閣陸軍大臣、北支那方面軍司令官、参謀総長など歴任、戦後、自決。太平洋戦争開戦当時は参謀総長

*2:1937年7月の盧溝橋事件から始まる日中全面戦争のこと

*3:当時は第一次近衛内閣

*4:原文のまま。盧溝橋事件は1937年7月、昭和天皇の発言は1941年9月なので明らかに「4年」の誤記。講談社も大企業なのに随分とお粗末です。まさに「あまりに初歩的なところから粗雑すぎる」ですね。「杉山が陸軍大臣として盧溝橋事件に対応したのはいつか」きちんと確認しないからこうなる。ちなみに、言いえて(書きえて)妙だとは思った - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)講談社の記事です。

*5:1880~1947年。太平洋戦争開戦当時の軍令部総長。広田内閣海軍大臣連合艦隊司令長官など歴任。戦後、裁判中に病死。後に靖国に合祀

*6:いわゆる石油じり貧論のこと。「対米宥和で1年の平和」でも「1年後に対立再燃で、対米戦争」となったら対日石油禁輸で航空機や軍艦を動かすのに使う石油がないのですぐに戦争した方がいいという話。

*7:勿論そんな話にならなかったことは1945年の敗戦で明白です。まあ、1945年の敗戦後、20年、50年、日本国内では平和が続いたというならそうですが、永野発言は勿論そういう意味じゃない(対米戦勝利の意味)

*8:勿論「よく理解した、納得した」という意味ではなく「勝てる」といえず、「石油じり貧論」話をすり替える永野に「なんで勝てると言えないのか。話をすり替えるな。お前の寝言は聞きたくない」とマジギレしてるわけです。だから大声になるし、対米開戦が9月中にされることもなかった。とはいえそれでも昭和天皇は「杉山、永野叱責(9/5)から約3ヶ月後の12月8日」の対米開戦を結局承認しました。

*9:とはいえ鈴木は企画院総裁としての、大島はドイツ大使としての言動が東京裁判で追及されたのであって「土肥原賢二関東軍高級参謀として満州事変を実行:死刑判決、後に靖国に合祀)」「南次郎(満州事変当時の陸軍大臣(第二次若槻内閣):終身刑判決が出るが後に仮釈放))」「木村兵太郎(太平洋戦争開戦当時の陸軍次官:死刑判決、後に靖国に合祀)」「武藤章(太平洋戦争開戦当時の陸軍省軍務局長:死刑判決、後に靖国に合祀)」などとは違い「陸軍軍人」として追及されたわけではありません。

*10:第二次、第三次近衛、東条内閣企画院総裁。石油じり貧論などを根拠に対米開戦を主張した一人とされる。

*11:桜会(陸軍内の秘密結社)幹部としてクーデタ計画三月事件 - Wikipedia三月事件 - Wikipediaに関与

*12:斎藤、岡田、第一次近衛内閣外相、首相など歴任。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀

*13:第一次近衛内閣文相、厚生相、平沼内閣内務相、内大臣を歴任。戦後終身刑判決を受けるが後に仮釈放

*14:東條、小磯内閣で外相。戦後終身刑判決を受けるが仮釈放。後に公職追放も解除され政界に復帰。改進党総裁、日本民主党副総裁(総裁は鳩山一郎)、鳩山内閣外相を歴任

*15:昭和天皇が広田、木戸、重光については「(軍部の?)被害者扱い」していたことがうかがえます。

*16:死刑になってたら靖国合祀でしょうけど、その場合、富田メモでの「白鳥(駐イタリア大使、終身刑で服役中病死、後に靖国合祀)や松岡(第二次近衛内閣外相、裁判中病死、後に靖国合祀)への悪口」同様に「大島らの合祀」に悪口したんでしょうね。

*17:エリツィン政権時代にプーチン首相の下で官房長官プーチン政権で大統領府第一副長官、地域開発相、副首相などを経て大統領府副長官

*18:「デマでない」というならば、具体名を出して欲しいところですね。過去に有力だった欧州の政治家(元首相や元大統領?)は「ブレア元英国首相」「オランド(サルコジ)元フランス大統領」「メルケルシュレーダー)元ドイツ首相」「ベルルスコーニ元イタリア首相」など山ほどいるわけで、風評被害を招きかねない。

*19:これが「ウクライナ全面侵攻以降の占領地」なのか、「全面侵攻以前の占領地(例:クリミア)」も含むのかが気になるところです。