「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2020年7/29分:荒木和博の巻)

産経新聞「北で日本人7人と接触」との記事について(7月29日のショートメッセージです): 荒木和博BLOG
産経「北で日本人7人と接触」の記事について【調査会NEWS3309】(R02.7.29): 荒木和博BLOG
 これが「横田めぐみさんと会った」なんて話で信憑性が高ければビッグニュースですが「日本人らしき人を見かけた」程度の話でしか無いですからね。
 もちろん会話をしたわけではないし、身元も当然わからない。
 産経や救う会ぐらいしか騒がないわけです。


安明進氏が竹下珠路さんと最初に会ったときの話(7月27日のショートメッセージです): 荒木和博BLOG
 6分程度の動画です。安明進覚醒剤使用で逮捕され「覚醒剤のカネほしさに拉致関係であること無いことほざいた」と自白し、「安証言の信用性」に疑問符がつく今、「安明進ガー」もないもんです。
 大体

(ボーガス注:フジテレビの番組で)平成14年(2002)12月、古川了子さんのお姉さん竹下珠路さんがソウルのホテルで安明進さんと初めて会ったときの話

て、古川さんて政府認定拉致被害者で無くて、「特定失踪者」ですからねえ。当然、安が「古川さんに似た人を見た」などといったところで日韓両国政府は相手にしなかったわけです。
 ちなみにこのフジテレビの番組(『Mr.サンデー』?)を担当した「当時のディレクター」が「荒木動画」曰く「信友直子」という御仁です。
 信友氏の名前でぐぐるといくつか記事がヒットするので後で紹介します(荒木も動画内で「映画を見てないのでよく知らないんですが最近は認知症の映画をとったことで話題になった方で」云々と話しています)。
【参考:信友直子氏】

老いゆく両親を泣きながら撮った3年 信友直子監督 (1/5):日経ARIA
◆信友
 父を見ていてすごいなと思うのは、食器を納める場所とか、洗濯の仕方とかたたみ方とかしまう引き出しとか、全部母のやり方を踏襲しているんです。実は、父は家事をサボっていたわけではなくて、専業主婦の母のことをすごく尊重していた。父は家事を「やらせてもらっていなかったけど、やり方をちゃんと見ていた」のだと気づきました。
 父が「あんたはあんたの好きなことをしろ」というのは、私が小さい頃からずっとです。家庭の事情から文学を研究する道を諦めた父は、一人娘の私が好きな道に進むことで無念を晴らしているようなところがあった。私はそんな父に反発するような時期もありましたが、母が認知症になって自分も体力的につらいだろうに、それでも同じことを言い続ける父を見ていると、本当に信念の人なんだなあ、と感心します。

認知症だけど辛くない。なぜか幸せを感じる映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』が話題 1/5(佐藤智子) - 個人 - Yahoo!ニュース
 ドキュメンタリー映画ぼけますから、よろしくお願いします。』が大きな反響を呼んでいる。
 2018年11月3日から東京・ポレポレ東中野で上映されるや、口コミで広がり、現在、60館と全国に拡大公開されている。ドキュメンタリー映画では6千人がヒットと言われるなかで、動員数5万人を超える異例の大ヒットとなっている。
 その映像を手がけた信友直子監督に、2018年の年末、ロングインタビューをおこなった。
 広島県呉市出身、広大附属高校から東大へ進んだ一人娘、信友直子監督、東京在住。テレビドキュメンタリーのディレクターとして活躍している。
 完璧なスーパー主婦だった母がアルツハイマー認知症と診断された2014年から、家族の生活は徐々に変化していく。
 フジテレビ系情報番組『Mr.サンデー』で2016年9月に2週に渡って特集。継続取材をして、2017年10月、BSフジで放送されたのが、大変な話題となり、今回の映画化が実現した。
◆インタビュアー
 それにしても、映画、すごい反響ですよね。常に数字が更新されているんですけど、今、動員数は何人って聞いています?
◆信友
 多分、12月22日の段階で2万9,000人、ですか。(*現在は5万人を超える)
◆インタビュアー
 すぐに3万人超えますね。全国拡大公開されていますが、今決まっているのは何館ですか。
◆信友
 49館。(*現在は60館)
◆インタビュアー
 すごいですね。
◆信友
 びっくりですよ。最初は、「ポレポレ東中野」という1館から始まったので。
◆インタビュアー
 元々、テレビのドキュメンタリーだったのが、映画化されて、全国公開される。これはどうですか、ドキュメンタリーの監督としては。
◆信友
 ものすごい夢のような話です。多分ドキュメンタリーをやっている人って、テレビの仲間とかで飲むと、みんな映画をやりたいはやりたいんです。だけど、やっぱりお金がかかるし、先にお金を出して、後々回収できるかどうか。特に私は、女性の一人暮らしだから、自分の老後の資金のことも考えなきゃいけないから、まとまったお金を使って、それが借金のまま残ってしまったら、自分の老後が困るじゃないですか。
 憧れはあるけど縁はないと思っていたんです。だけど声がかかって、すごい嬉しかった。映画監督になりたいとはあまり思ってなかったです。というか、なれると思ってなかったので。
◆インタビュアー
 でも、こんなふうになっちゃうと、オファーが来るんじゃないですか。大きい資金を出します的な。
◆信友
 でも、セルフドキュメントだからな。それじゃない全く別のネタで来るかっていうと、またそれは別だと思いますけど。

自らの乳がんも母の認知症もありのままに撮る。ドキュメンタリー監督のサガとは 2/5(佐藤智子) - 個人 - Yahoo!ニュース
 両親を自ら撮り続けたドキュメンタリー映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』~広島県呉市。泣きながら撮った1200日の記録~が大ヒットしている信友直子監督のロングインタビューの第2回目。
 自身の乳がん体験をセルフドキュメントした作品『おっぱいと東京タワー~私の乳がん日記』(フジテレビ『ザ・ノンフィクション』2009年)が話題となり、ニューヨークフェスティバル銀賞、ギャラクシー奨励賞など受賞し、高く評価された。その映像の中でも元気だった頃の母と娘(信友監督)の姿が残っている。
◆インタビュアー
 そもそも、家族を映像で撮ろうというのは、どういうことだったんですか。
◆信友
 将来何かにしようかと思ったかということですか? いや、いや。最初は2000年に、家庭用のビデオカメラを買ったんですよ。その頃、私たちの業界的にも革命が起きて、1994年ぐらいから、それまではドキュメンタリーの取材といったら、カメラマンと音声とディレクターの3人で行っていて。ディレクターは、カメラマンの横で指示を出したり、インタビューする。それをカメラマンが撮って、音声が音を録るみたいな。だんだん小型カメラの性能が良くなってきたから、放送にも、家庭用のカメラでも画質や音が耐えられるようになってきて。カメラマンとやっていると、自分が思っていた画じゃない時もあるじゃないですか。
◆インタビュアー
 見ている視点が違うかもしれない。
◆信友
 そう、そう。あと、「カメラが来た」みたいに迫ってくると、取材される側が萎縮するんですよね。
◆インタビュアー
 機材が大きいとね。仰々しくなるというか。
◆信友
 そういう威圧感みたいなのがあると、やっぱり相手も緊張するし、それより小型カメラで、ディレクターが自分の思うような画を撮ったほうがいいんじゃないか、という革命が起きてきて。ディレクターが撮り始めたというのが増えてきて。ハンディカメラが会社にあったんですが、ロケに出る度に、申請書を書いて、借りてというのが面倒くさいなと思ったの。自分が持っていると楽だなと。だからプライベートで買ったというよりも仕事のために使おうと思って。
◆インタビュアー
 それを家族でちょっと試し撮りじゃないけど、練習みたいな感じで。
◆信友
 せっかく買ったんだから、プライベートでも撮ろうかって、そう、そう、撮り始めて。
◆インタビュアー
 撮り出した時は、お母様、お父様、おいくつぐらいだったんですか。
◆信友
 2001年の正月だから、「もうちょっとで72よね」とか言ったんだから、71歳と、父が9つ上だから80歳ぐらい。
◆インタビュアー
 もしかしたら、これが将来テレビに出るかも的な話はしなかったんですか。
◆信友
 というか、私も思ってなかったし。とりあえず練習で(笑)。
◆インタビュアー
 そういうご両親の映像を撮っていて、お母様に認知症の症状が出てきたんですね。
(中略)
 で、結局、世に出ることになるじゃないですか。『Mr.サンデー』に放送されて。日曜日の夜って、みんな、あの時間だと結構見ているし、身につまされますよね。私も見ていたけど。あの時から印象に残っていたんですけど。ご本人たちは見ているんですか。お父さんとか。
◆信友
 見てます。見てます。なんか普通に楽しんで見ていたみたいですよ。
◆インタビュアー
 それでテレビの放送後に、すごい反響になったわけですよね。どういう感じだったんですか。
◆信友
 『Mr.サンデー』の「番組にメッセージ」というのがあるんですけど、それにものすごい来たんですよ。いつもの10倍ぐらいは来た。「うちもそうなんです」とか、皆さん、本当に自分のこととして。
◆インタビュアー
 で、これは、撮り続けていこうみたいな感じになったんですか、確信が持てた。
◆信友
 私も撮り続けようと思ったし、『Mr.サンデー』のプロデューサーも、「これはずっと撮り続けてほしい」と。いろんな人からも。「『Mr.サンデー』でやるよ」って言われてからは、全然、変わりましたね。本当にちゃんと、それこそ受けの画をちゃんと撮るとか、例えば、こういう話をしたら、その証拠物を撮るとか。もう本当にプロとして撮りました。わりと父と母のことを、引きの目で見られたから、救われた部分があると思うんです。母がいろんなことを言い出しても、娘としては、ものすごく悲しい出来事だけど、ディレクターからすると、ものすごくいい映像が撮れているというふうになるので。なんか「やった」と思うし、やっぱりディレクターとしては。でも、そう思っちゃう自分、娘としてどうなんだろう、人間としてどうなんだろう、っていうこともあります。
◆インタビュアー
 今度映画となったら、編集して撮り直す。どういうところを付け加えたんですか。
◆信友
 私のカメラでしか撮ってなかったから、実景が本当にヘナチョコだったんですよ。だから父と母の暮らす懐かしい呉というのを、ちゃんと描くような実景をと。それはすごく信頼しているカメラマンに撮ってもらった。
◆インタビュアー
 世に出ることになって、反響があって、そして映画化されて、その映画がどんどん広がっていくうちに、「こういうふうに人が見てくれたらいいな」とかはありました? 例えば「認知症のことを、もっと人が普通のこととして捉えてほしい」とか。
◆信友
 それは結構後付けですね、全部。「テーマはなんですか」って聞かれて、答える時には、そういうことを答えていると思うけど。『Mr.サンデー』で放送するきっかけになったのも、父と母を撮っていたテープと同じテープで、私が通っているスポーツクラブのインストラクターさんのレッスンを撮っていて。彼が辞めるというので、送別会の贈り物として、かっこよく編集しようとして。デジタイズ作業ができる『Mr.サンデー』のADにテープを渡したら「一緒に映っているこの老夫婦は誰ですか」と聞いてきて、「うちの両親なんだけど、実は母が認知症なんだよね」というのを初めて人に話した。そしたら「えー」みたいなことになって、で、私が知らないうちに、「信友さんが認知症のお母さんのことを撮っているらしいです」という話がプロデューサーに伝わって。「認知症です」とお医者さんに言われるところも映っていたから。「なんで先に言わないんですか! 隠してたんですか」ということになって(笑)。

グリコ森永事件が転機。98歳の父が娘に願う「好きなことをしろ」を極めた末のワクワクする仕事とは3/5(佐藤智子) - 個人 - Yahoo!ニュース
 ドキュメンタリーの名手と言われる、信友直子監督(映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』が大ヒット上映中)のロングインタビュー、第3回目。
 東大に合格した信友監督。卒業後、森永製菓入社、社内コピーライターに。
 その後、テレビ番組制作会社に入社。2010年に独立して、フリーディレクターになる。身体障害者のお笑い芸人、年老いた大道芸人の赤貧な暮らし、北朝鮮拉致問題*1、ひきこもり、若年性認知症アキバ系、ギャル、草食男子の生態など、あらゆるテーマのドキュメンタリー作品を100本近く手がける。
◆インタビュアー
 広大附属から東大と言ったら、広島県のエリートコース。すごい自慢の娘だったんじゃないですか、正直な話。
◆信友
 東大に入った時は、父曰く、一生でいちばん嬉しかったらしいです。というか、それは自分がやりたかったこと。自分の夢を叶えてくれたから。
◆インタビュアー
 お父様はすごい知的な方で、98歳になる今も毎日、新聞を読んで、語学の勉強もされていますが、ご自身は、京大に入りたかったと。
◆信友
 そう。それをずっと今も言っているので、よっぽど無念なんだと思います。私、生まれた時から聞いているから。洗脳ですよね、要は(笑)。映画の中で父が新聞読みながら鼻歌歌ってるじゃないですか。あれが三高(ボーガス注:現在の京大教養学部の前身)の寮歌です。いつも歌ってる。ほんとに何十年、私が生まれてからずっと。「わしはほんとは三高に行きたかったのに、戦争があった」と……。父の父が早くに亡くなったので、母親と妹2人の面倒見なきゃいけなかったからと。またその話かよっていうぐらい。だから「おまえは好きなことをしろ」と。別に、京大に行けとは言わなかったけれど。もうなんか物心ついた時には、私は父の期待を背負って東大に行かなきゃって思ってたかもしれない。
◆インタビュアー
 親の期待を背負って、それがプレッシャーになる人もいるじゃないですか。
◆信友
 そうですよね。よくならなかったなと思って、そうなってもおかしくないですよね。でも、何だろう、強要してる感じではなくて、父にこの間聞いたら、父と初めてそんな話したんですけど、いやなんか、恥ずかしいんだけど、「おまえがそんなに頭がいいっていうのは、ちょっとびっくりしたわ」みたいなことを言ってて。「トンビがタカを生んだと思った」とか言ってて。「こんな勉強のほうにいくとはな。お父さんはびっくりしてなあ」みたいな。98歳になって言うかみたいな(笑)。
◆インタビュアー
 就職はメーカーの森永製菓に入られたのは、何か理由があったんですか。
◆信友
 それは単純で、文章書くのが好きだったんですよね。大学4年が就職活動時期だったんですけど。バブルのちょい前です。私、コピーライターになりたいと思って。っていうのも、その年にコピーライターが突然大ブームになったんですよ。
◆インタビュアー
 糸井重里さんとか。
◆信友
 そう。糸井重里さんが西武百貨店の「おいしい生活」っていうコピー1行で500万円もらったっていう都市伝説があったりとか。林真理子さんとか、仲畑貴志さんとか、急にコピーライターが一躍有名になった時期で、私、コピーライターになりたいって思ったの。それでいろいろ探したら、企業で社内コピーライターをやってるところがあるって。森永製菓もそうだったんですよ。森永は広告の歴史があって、「大きいことはいいことだ~、森永エールチョコレート♪」とか、ツイッギー小枝とかチョコフレークとか、社内でコピーを書いてたんですよ。で、募集があって、それで入ったんです。でも、そうこうしてたら、グリコ・森永事件がその年に起きて。
◆インタビュアー
 入社した年に?
◆信友
 はい。4月に入って、実は3月にグリコ事件だったんですよ。グリコの社長が小屋に監禁されてどうのこうの。私は、森永に入ってすぐ、コピーライター養成講座に半年間研修に行って。「10月からデビューね」って言われてて。そしたら、9月に「グリコ犯、森永を脅迫」ということになってしまい……。広告どころか、製品そのものがスーパーにもどこにも出せないみたいな。全部撤去ですから。森永の製品に毒入れたという事件で、毒入り危険みたいになって。工場直送の1,200円ぐらいのお菓子をビニール袋に詰めて、1,000円で売りますみたいなのを社員が直売りしてたんですよ。私もいろんな所に行って。新宿や渋谷の街頭とか。社員全員がやってましたよ。だって他にやれることがないんだもん。
◆インタビュアー
 コピーライターになると思っていたら、いつの間にか売り子をしてて。そこにマスコミが直撃取材で来るわけですね。
◆信友
 私、新人OLだったから、かわいそうと思われたのか、話を聞かれることが多くて。お姉さんみたいな記者さんが来てくれて、いいコメント欲しいみたいな突撃のノリじゃなくって、初めてちゃんと私に話を聞いてくれようとする人がいたんですよ。その人に話をしてるうちに、なんか「私、親にほんとに申し訳ない」みたいなことを言って、そしたらめっちゃ泣いたんですよ。親が4年間学費も出してくれて仕送りもしてくれて、やっと自分のやりたい職業に就いて、今からって時にと、事件になって人前で初めて泣いたんですよね。そしたらめっちゃすっきりしたんですよ。めっちゃ救われた気分になって、なんかすごいこのお姉さんに感謝だなって。で、こういう仕事もいいなって思ったんだと思う。
◆インタビュアー
 テレビの制作会社に入ったのは?
◆信友
 それはもうほんとにまた別の話で。森永事件が半年後に収束して、広告が再開して、コピーライターの仕事も始めて、楽しかったんですけど。コマーシャルフィルムの制作現場にも立ち会うんですが、スタジオで実際に作ってる人がすごい楽しそうで。クライアントとして行くと、「そこ座っててください」ってただ見てるだけで絶対加われないので。ほんとは私一緒にやりたいのに、口出しすると面倒くさくなるじゃないですか。だから口も出せないし、すごい疎外感だったんですよね。「あっちの方が楽しそう。あっちに行きたい」という気持ちがどんどん強くなったんです。それも、同じやるんだったらコマーシャルとかの商品を紹介するんじゃなくて、テレビがやりたいなと思って。そして、そういえば私、(脚本家の)向田邦子さんが好きだったって思い出して。大学の頃に向田邦子さんが亡くなったんですよ、飛行機事故で。その時、すごいショックで、これからもずっと作品を見たかったのにと。で、あんなのがやれたらいいなって思って、何を思ったのかドラマの制作会社に入ったんです。何だろうな、迷走してますよね。母も向田邦子好きで、一緒にドラマを見てたんですよ。みんながドリフのお笑い番組を観ている時に、向田邦子さんのドラマ「阿修羅のごとく」を見ていたのね。
◆インタビュアー
 ドラマの制作会社に入って。ドラマを作れると思いきや、だったんですよね。
◆信友
 ドラマ『男女7人夏物語』の担当につけなかったっていう、まず挫折としてあって。だけど、(中略)ドラマ班じゃなくなって、ドキュメンタリー班に行ったらこっちのほうが面白いじゃんって思って、もう戻りたくなくなったことは確か。
◆インタビュアー
 信友監督が扱ってきたテーマが過激。今、聞いても最先端というか。誰も取り上げていない時に。取材相手の方もさまざま。右翼、過激派から、アキバ系、ギャル、草食男子の生態や、貧困問題、部落問題、北朝鮮拉致問題、ひきこもり、若年性認知症とか、今でこそ(ボーガス注:映画『明日の記憶』など)ドラマになったりしてるけど、当時なんていったらね、何それっていうことでしょう。
◆信友
 若年性認知症は、一番最初、『Mr.サンデー』の枠でやったんですけど、その時にスタジオで、「今まではボケと言ってましたけど、認知症と呼ぶことになりました」って、フリップを出したぐらいですから、誰も認知症っていう言葉を知らない時期です。2005年ですね。
◆インタビュアー
 北朝鮮の話はどういうことでそれをやろうとなったんですか。
◆信友
 たぶん、私の友達の友達に在日の子がいて、その子の家族が、いわゆる帰国船で帰って大変な思いをしてるって聞いて、そこから北朝鮮問題とかに。
(中略)
 ディレクターとしての最初は、中核派の要塞に潜入して、「爆弾どこですか」って聞くやつですね(笑)。
◆インタビュアー
 何だかんだでドキュメンタリーを100本ぐらい撮っているとか。
◆信友
 たぶん。私がよくやってたのは『Mr.サンデー』の枠の企画コーナーだったので、そういうのも合わせると、100本ぐらい。
◆インタビュアー
 今さらなんですけど、ドキュメンタリーの何が一番好きなんですか。
◆信友
 ほんと思いがけない展開になる、その快感ですよ。

98歳の父と90歳の母の老老介護。離れて暮らす娘は実家に帰るべきか。話題の映画が示すこと 5/5(佐藤智子) - 個人 - Yahoo!ニュース
 認知症の90歳の母とその介護をする98歳の父の暮らしを自ら撮影したドキュメンタリー映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』が大ヒットしている信友直子監督のロングインタビュー、最終回の第5回目。
 このインパクトのあるタイトルは、笑いながら実際に言った母の一言。
◆インタビュアー
 タイトルになってる「ぼけますから、よろしくお願いします。」っていうのは、お母様がほんとにお話しされたことだからこそ。でも、字面だけだとあれだけど、映像で観ると、かわいいなと思いました。
◆信友
 母らしいんですよね、言ってることがね。ちょっと自虐入ってて、ブラックユーモアで、母らしい言い方だなと思ったから、タイトルにしたんです。
◆インタビュアー
 それを言われたのが2017年のお正月のことですよね。2年前ですね。
◆信友
 そうです。
◆インタビュアー
 お父さんはお母さんが認知症になったから家事を始められたんですよね。
◆信友
 95歳ぐらいから。すごいですよね。縫い物してる時はほんとにえっと思って。ちょっと目を疑ったの。布団の襟にタオルを一回一回縫い付けるんですよ。それで、汚れたら一回一回ほどくんですよ。それでまた洗って縫うんですよ。他のやり方があるんじゃないかと思うんだけど、母がそうやってたから、父もそれやってるんですよ。歳取ってるからそれだけで1日が終わっちゃう。日々の細々したことをやってるだけで1日が終わるんだけど、それも人生だなと思って。
◆インタビュアー
 今回、どうしても聞きたかったのはやっぱり、親が(ボーガス注:認知症という)病気になった時、子供としては、どうすればいいのかということ。キャリアウーマン、東京に住んでる、40年近く一人暮らしをしてる。そこで実家に帰ろうかどうしようか。みんな、それを思うんじゃないですか。
◆信友
 母が(2018年の)9月30日に脳梗塞になって、入院して、父が一人暮らしになってるから、いよいよ帰らなきゃいけないかなとは思ってます。

老老介護の日常つづる 呉出身のテレビディレクター信友さん、「ぼけますから―」書籍出版 | くらし | くらし | 中国新聞デジタル
 呉市出身のテレビディレクター信友直子さん(57)が、認知症の母と老老介護をする父の日常をつづった「ぼけますから、よろしくお願いします。」を出版した。両親にビデオカメラを向けたドキュメンタリー映画と同じタイトル。
 東京でテレビの仕事をしていた信友さんは、呉に戻るたびに母文子さん(90)と父良則さん(99)の暮らしのありのままを撮り続けた。
 新潮社刊。四六判、256ページ。1500円。

【書評】フリーアナウンサー・松本秀夫が読む『ぼけますから、よろしくお願いします。』信友直子著(1/2ページ) - 産経ニュース
 読みながら何度涙を拭っただろうか。私自身、認知症と診断された亡き母を、7年にわたって同居介護した経験があり、嫌でも当時を思い出したのだ。
 一人娘でフリーの映像ディレクターである著者は、広島県呉市の実家に帰省するたびに、ムービーカメラの撮影練習も兼ねて、まだ元気な両親の動画を長年撮り続けていた。だが、母のアルツハイマー認知症の発症で全てが変わっていく。90代の父が、認知症の母を支える超老老介護。母は今までできていたことが少しずつできなくなっていくことにいらだち、父は彼女を懐深く包み込もうとするものの、耳が遠い。
 いつ破綻してもおかしくないような生活を救うため、東京在住の著者は離職して帰郷すべきか悩むが、「あんたはあんたの仕事をしんさい」と父に諭される。やがて両親の動画をドキュメンタリーとして公開することを思い立つ。情けない姿を世間にさらすことになるのではないかという迷いを吹っ切らせたのは、娘を思う両親の計り知れない愛情と、「あんたはわしらを悪いようにはせんじゃろ」という全幅の信頼だった。
 認知症の親を抱えた誰しもが、ここまでプラス思考でいられるとは思えない。ただ、袋小路に陥りがちな介護生活の「考え方を変えてみる」という点において、介護する側、される側、双方にとって示唆に富んだ一冊だと感じた。
 比べて、あの頃の自分は介護に疲れて心を病み、母に手をあげたことすらあった。全く後悔のない介護なんてまずあり得ないのだろうが、もしこんな風に向き合えていればと考えると、また込み上げるものがあった。
 今、施設にいる父にも、もっと会いに行かなきゃと思う。

「ぼけますから―」の信友監督、母の永眠に寄せて(中国新聞デジタル) - Yahoo!ニュース
 映画「ぼけますから、よろしくお願いします。」の監督、信友直子さん(58)の母文子さんが14日、亡くなった。信友さんは、病床に就いた晩年の母から多くの愛情と学びを得たという。最愛の母への思いを寄せてもらった。
(以下略)

*1:これが荒木が動画で話した件でしょう