珍右翼・高世仁に突っ込む(2022年5/25日分)(副題:今日も高世に悪口する)

「将校の会」会長がプーチンに謝罪を求める - 高世仁のジャーナルな日々
 れいわをパターナリズムと呼ぶことに賛同できない&「タイトルと内容に酷いずれがある」駄文に呆れる(副題:今日もkojitaken氏に悪口する(2022年5月23日分) - bogus-simotukareのブログでも触れましたがid:kojitakenに「俺の高世批判」を「不当な攻撃」呼ばわりされましたが、勿論そんなことは思ってないので、今後も高世批判は続けます。

 これまでプーチン大統領を支持してきた「全ロシア将校の会」の会長、レオニード・イワショフ退役大将(78)がロシアの軍事作戦を痛烈に批判して話題になっているという。
 彼はリベラル派では全くない。逆に反米、反NATO大国主義的愛国者だ。そういう立場の有力者の批判だから、リベラルから外れた保守層にも反プーチンが広まる可能性があるかもしれない。

 蓮池透氏が巣くう会批判を始めたときは俺も

 彼は北朝鮮シンパでは全くない。逆に北朝鮮拉致被害者家族の一員だ。そういう立場の有力者の批判だから、家族会内部にも反「巣くう会」が広まる可能性があるかもしれない。

と期待したところ、そううまくはいきませんでした。
 その意味では果たしてロシアにおいてもそううまくいくかどうか。「家族会からの蓮池氏追放」のように「『全ロシア将校の会』からのイワショフ会長追放」で終わるだけかもしれません。
 しかし高世も

珍右翼・高世仁に突っ込む(2022年5/23日分)(副題:今日も高世に悪口する)(追記あり) - bogus-simotukareのブログコメント欄
id:Bill_McCrearyさん
 高世の最後の北朝鮮関係の書籍が、2006年の例の本ですか。もう十何年、彼は家族会のたいこもちみたいなことはしても、まともな北朝鮮報道なんかしていませんよね。2020年暮れに、今後は遠慮せず発言するなんて言っても、まったく口先だけだし(苦笑)。

ですよねえ。最悪「投獄や暗殺の恐れすらある」イワショフ会長に比べたら巣くう会、家族会批判なんかずっと楽でしょうに。

 私の友人でもあるテレ朝の元報道局長、ANN元モスクワ支局長の武隈喜一さん*1が翻訳して紹介している。

 わざわざ私の友人でもあると書く辺りがいじましい(苦笑)
 拙記事珍右翼・高世仁に突っ込む(2022年5/24日分)(副題:今日も高世に悪口する) - bogus-simotukareのブログで紹介したウクライナ最大の課題は経済の維持 - 高世仁のジャーナルな日々でも

 先日、某テレビ局のトップの人事が新聞に載った。
 おお、Sさん*2が社長になっているではないか。
 Sさんとはフィリピン囚人の腎臓移植ビジネスの取材で、刑務所の中に一緒に入って囚人をインタビューした思い出がある。
(中略)
 Sさん、たしかあのときが初めての海外取材で、見るもの聞くもの何でも珍しがる初々しい記者だったが、今や社長か・・。
 私が現場で取材をともにした記者でテレビ局の社長になったのは彼で4人目。私はたまたま出世する人たちとめぐり合わせたのか。

なんて書いていましたが、こうした文章を書く高世は「ジンネットが倒産したこと」に内心ではよほど屈辱を感じてるのでしょう。
 だからこそ「俺も昔(日本電波ニュース時代orジンネット時代)はなあ、今度、テレ朝の新社長となる篠塚常務や、テレ朝でモスクワ支局長、報道局長を歴任した武隈さんとは親しかったんだ」と「過去自慢」をするのではないか(苦笑)。
 ちなみに「高世:1953年生まれ」「武隈氏:1957年生まれ」「篠塚氏:1962年生まれ」です。篠塚氏とは9歳の年齢差がある高世ですが、武隈氏とは「たった4歳の差」です。それで武隈氏は「テレビ朝日アメリカ社長で、比較的最近も『絶望大国アメリカ:コロナ、トランプ、メディア戦争』(2021年、水声社)という著書を出している」。
 高世にとっては「俺も武隈のように活躍したいのに」という屈辱感でいっぱいではないか。
 それにしても拙記事珍右翼・高世仁に突っ込む(2022年5/24日分)(副題:今日も高世に悪口する) - bogus-simotukareのブログでも指摘しましたが「元テレ朝の武隈さん(実名)」と「某テレビ局のSさん(イニシャルトーク)」の違いは何なのか?
 まあ、Sさんが誰かは簡単に分かりましたが、「高世がはっきりと実名を書かない」のは「今はSさん(篠塚氏)と親しくないので実名を出すことに躊躇した(Sさんの反発を恐れた)」のではないか。

 ここ2カ月は映画館に行く機会が多かった。観た映画を挙げると―
『ドライブ・マイ・カー』(原作:村上春樹、監督:濱口竜介
 話題の映画ということで観た。
『馬ありて』
 笹谷遼平*3監督と知り合ったご縁で観ることに。北海道帯広市むかわ町穂別、岩手県遠野市を舞台に、馬と人間の生活を追ったドキュメンタリー。全編モノクロで、北海道の冬に「ばんえい競馬」の馬が吐く白い息が印象に残る。
 『牛久』
 茨城県牛久市の東日本入国管理センターの実態を隠し撮りで暴露したドキュメンタリー。監督はアメリカ人のトーマス・アッシュさん。
『Game Hawker/鷹匠
 ショーン・ヘイズというアメリカの鷹匠を追ったpatagonia製作のドキュメンタリー。いずれ紹介したい。
『カナルタ 螺旋状の夢』
 英国で映像人類学の博士課程に学ぶ太田光海監督が、卒業制作のため、エクアドル南部のアマゾン熱帯雨林に暮らすシュアール族の集落に1年間住んで記録したドキュメンタリー。
『親愛なる同志たちへ』
 ロシアのアンドレイ・コンチャロフスキー*4監督。1962年にソ連の地方都市、ウクライナにほど近い町ノボチェルカッスクで起きた事件―当局への抗議のデモ隊を弾圧し多くの死傷者を出した―を舞台にしたヒューマン・ドラマ。1992年まで隠蔽されてきた事実をドラマで掘り起こした。全体主義の恐ろしさと人々の生活実感が生々しく描かれている。
エドワード・サイード*5OUT OF PLACE』(佐藤真*6監督)
 世界各地で33人をインタビューして、パレスチナ出身の知識人、サイードの和解と共生の思想をたどる。「シネマハウス大塚」のパレスチナ映画特集*7の一環で、上映後のトークでは、プロデュースした山上徹二郎さん*8が語るドキュメンタリーを作るうえでの「覚悟」に感動した。
『明日になれば アフガニスタン女たちの決断』(サハラ・カリミ監督)
 アフガニスタンでの女性の権利が問題になっているが、これはタリバン政権が倒れたあとの多少は自由化された時代の3人の女性をオムニバスで描くドラマ。立場の異なる3人だが、ともに女性の自由な生き方を阻む社会のなかで人間関係に苦しみつつ、決断を迫られる。女優が美しく魅力的。
『オレの記念日』(金聖雄*9監督)
 冤罪*10で殺人犯とされ20歳からの29年間を獄中で過ごした桜井昌司(75)さんの闘いを振り返るドキュメンタリー。

 つまりはジンネット倒産後の高世が暇人だと言うことですね(皮肉のつもり)。今もジンネットが続いていればこんなに映画を見ていられないでしょう。
 それにしても「ジンネット経営」という経歴からすれば自然ではあるでしょうが「劇映画『ドライブ・マイ・カー』」の紹介もある物の、ほとんどがドキュメンタリー映画です。高世も「昔は俺もこうしたドキュメンタリーをつくっていたのに」と屈辱的な思いではなかったか。
 ちなみに「高世:1953年生まれ」「山上徹二郎さん(映画制作・配給会社シグロ代表):1954年生まれ」「佐藤真監督:1957年生まれ(2007年死去)」「金聖雄監督:1963年生まれ」「笹谷遼平監督:1986年生まれ」「太田光海監督:1989年生まれ」です。「既に故人の佐藤氏」「高世と30歳以上の差がある笹谷氏、太田氏」はともかく「ほぼ同い年の山上氏の活躍」には高世も屈辱感がなかったか。
 何せ、「山上氏が代表を務めるシグロ」は

【坂田雅子*11監督】
◆『花はどこへいった*12』(2007年)、『沈黙の春*13を生きて』(2011年)
 いずれの映画も「ベトナム戦争の枯れ葉剤問題」がテーマ
◆『わたしの、終わらない旅』(2015年)
 『わたしの、終わらない旅』 公式サイト:作品紹介 | SIGLOによれば核実験被害(マーシャル諸島カザフスタン)がテーマ
ジャン・ユンカーマン監督】
◆『チョムスキー*149.11』(2002年、チョムスキーへのインタビュー)
◆『映画 日本国憲法』(2005年:なお、映画は九条護憲の立場)
◆『沖縄 うりずんの雨』(2015年:沖縄基地問題がテーマ)
【関口祐加*15監督】
◆『毎日がアルツハイマー*16』(2012年)、『毎日がアルツハイマー2 :関口監督、イギリスへ行く編』(2014年)
 いずれの映画も「認知症患者の介護問題」がテーマ
【班忠義*17監督】
◆『チョンおばさんのクニ』(2000年)、『ガイサンシーとその姉妹たち』(2007年)
 いずれの映画も慰安婦問題がテーマ

というドキュメンタリー映画の制作、配給会社で「ジンネット(テレビドキュメンタリー番組制作会社)」に近い性格を持っていますからね。
 内心、「同じドキュメンタリーを経営の柱とする会社なのに、シグロはまだ続いてるのに何でジンネットは倒産したんだ!」「俺と山上の能力の差なのか。俺が無能で山上が有能だと言うことか(ボーガス注:多分そうです)」と思わずにはいられなかったんじゃないか。

*1:1957年、東京都生まれ。1980年、上智大学国語学部ロシア語学科卒業、1982年、東京大学文学部露文科卒業。大学卒業後、出版社、通信社等を経て、1992年からテレビ朝日に勤務。1994年から1999年まで、テレビ朝日モスクワ支局長、2010年から2012年までテレビ朝日報道局長、2016年7月からテレビ朝日アメリカ社長。また、2012年から2013年まで、北海道大学スラブ研究センター客員教授(アマゾンの著者紹介による)。著書『黒いロシア・白いロシア:アヴァンギャルドの記憶』(2015年、水声社)、『マンハッタン極私的案内』(2019年、水声社)、『絶望大国アメリカ:コロナ、トランプ、メディア戦争』(2021年、水声社

*2:テレビ朝日の新社長に内定したという篠塚浩常務のこと

*3:監督作品に『カミカゼという名の塹壕』(2017年)、『馬ありて』、『山歌(サンカ)』(以上、2019年)(笹谷遼平 - Wikipedia参照)

*4:1937年生まれ。1965年、長編処女作『最初の教師』を発表。また、1960年代はアンドレイ・タルコフスキー(1932~1986年)の映画『ローラーとバイオリン』(1960年)、『僕の村は戦場だった』(1962年)、『アンドレイ・ルブリョフ』(1966年)の脚本を共同で執筆した。1971年にチェーホフの同名小説を映画化した『ワーニャ伯父さん』を発表。1980年にはハリウッドでの映画製作のためにアメリカへ移住。ナスターシャ・キンスキーを起用した『マリアの恋人』(1984年)や黒澤明の脚本を元に製作した『暴走機関車』(1985年)といった作品を製作した。2014年、『白夜と配達人』がヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞(アンドレイ・コンチャロフスキー - Wikipedia参照)

*5:1953~2003年。著書『オリエンタリズム』(1993年、平凡社ライブラリー)、『知識人とは何か』(1998年、平凡社ライブラリー)、『パレスチナとは何か』(2005年、岩波現代文庫)、『ペンと剣』(2005年、ちくま学芸文庫)、『文化と抵抗』(2008年、ちくま学芸文庫)、『人文学と批評の使命』(2013年、岩波現代文庫)など(エドワード・サイード - Wikipedia参照)

*6:1957~2007年。2006年から鬱病で入退院を繰り返し2007年9月4日に東京都板橋区高島平団地で飛び降り自殺(享年49歳)。監督作品に『阿賀に生きる』(1992年)、『SELF AND OTHERS』(2000年)、『花子』(2001年)、『阿賀の記憶』(2004年)、『エドワード・サイード OUT OF PLACE』(2005年)。著書『日常という名の鏡:ドキュメンタリー映画の界隈』(1997年、凱風社)、『ドキュメンタリー映画の地平』(2001年、凱風社)、『映画が始まるところ』(2002年、凱風社)、『まどろみのロンドン:映画作家の妄想スケッチ』(2004年、凱風社)、『ドキュメンタリーの修辞学』(2006年、みすず書房)(佐藤真 - Wikipedia参照)

*7:この特集については特別企画『なぜパレスチナなのか』参照

*8:映画プロデューサー。映画制作・配給会社シグロ代表

*9:ググったところ、他には『SAYAMA:みえない手錠をはずすまで』(2013年公開、狭山事件)、『袴田巖:夢の間の世の中』(2016年公開、袴田事件)という作品があります。つまりは冤罪事件がライフワークのようです。

*10:布川事件のこと

*11:著書『花はどこへいった:枯葉剤を浴びたグレッグの生と死』(2008年、トランスビュー)(坂田雅子 - Wikipedia参照)

*12:勿論、元ネタはベトナム反戦ソングとして知られる花はどこへ行った - Wikipediaでしょう。

*13:勿論、レイチェル・カーソンの同名著書(新潮文庫)から取っているのでしょう。

*14:著書『アメリカに報復する資格はない! 9・11』(2002年、文春文庫)、『メディア・コントロール』(2003年、集英社新書)、『覇権か、生存か:アメリカの世界戦略と人類の未来』(2004年、集英社新書)、『レイコ突撃インタビュー:チョムスキー、民意と人権を語る』(2005年、集英社新書)、『お節介なアメリカ』(2007年、ちくま新書)、『生成文法の企て』(2011年、岩波現代文庫)、『アメリカを占拠せよ!』(2012年、ちくま新書)、『統辞構造論』(2014年、岩波文庫)、『統辞理論の様相』(2014年、岩波文庫)、『チョムスキー言語学講義』(2017年、ちくま学芸文庫)など(ノーム・チョムスキー - Wikipedia参照)

*15:著書『ボケたっていいじゃない』(2013年、飛鳥新社)、『私と介護』(共著、2016年、新日本出版社)(関口祐加 - Wikipedia参照)

*16:『話が完全に脱線しますが』1977年に山内明主演、中条静夫共演でNHKドラマ化された『定年退職後のサラリーマン(山内や中条)』を描いた城山三郎『毎日が日曜日』(1979年、新潮文庫)がタイトルの元ネタでしょうか?(ドラマ「毎日が日曜日」については例えば、毎日が日曜日 - ドラマ詳細データ - ◇テレビドラマデータベース◇参照。1977年のドラマにおいて山内と中条は同僚で、定年退職を控えたサラリーマンという設定です。山内が1921年生まれで、当時は55歳定年なので実年齢とほぼあっていますが、中条は1926年生まれで山内より5歳若いので「大きなずれではない」ものの、やや実年齢からずれています)。『さらに話が完全に脱線しますが』ちなみに山内といえば、NHKドラマ『最後の自画像』(1977年、松本清張原作)でも定年退職のサラリーマンを演じています(『最後の自画像』については以前拙記事今日の産経ニュース(2019年5月17日分)(松本清張「駅路」「一年半待て」のネタばらしがあります)(追記あり) - bogus-simotukareのブログ「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2022年1/5日分:荒木和博の巻)(注:NHKドラマ『最後の自画像』のネタばらしがあります) - bogus-simotukareのブログで紹介しました)。高度経済成長も終了した1970年代後半は、「高度経済成長まっただ中の1960年代」と違って「定年退職後の不安」が語られるようになった時代と言うことでしょうか?

*17:著書『ガイサンシー(蓋山西)とその姉妹たち』(2006年、梨の木舎)、『太陽がほしい:「慰安婦」とよばれた中国女性たちの人生の記録』(2016年、合同出版)