今日の中国ニュース(2020年8月6日分)

論考「現実の人を以て主体となす:中華文明知識体系の本質的特徴」|コラム|21世紀の日本と国際社会 浅井基文のページ
 浅井先生の言ってることは、非常にアバウトに平たく言えば「白猫でも黒猫でもネズミを捕るのが良い猫だ(鄧小平)」という実利主義、経験主義の重視が「中国共産党誕生前」から続く「中国伝統思想の流れ」であり、「文革毛沢東はむしろ異端だという話です。
 そしてこの実利主義、経験主義から中国共産党は「我が国は発展途上国であり当面、国が果たすべき最大の目的は経済の発展と福祉の向上である(欧米が騒ぎ立てる民主主義云々では無い)」と考えてるからこそ欧米の「民主主義云々」の批判にも動揺しないのだというのが浅井先生の見方です。
 詳細はリンク先をお読み頂ければと思います。


「 もっと危機感を、逆ニクソン・ショック 」 | 櫻井よしこ オフィシャルサイト

 それまで全く国交のなかった中国を、ニクソン大統領が翌72年春までに訪問する、とわが国は発表3分前に知らされた。

 よしこのいう「3分前」ですが、

ニクソン大統領の中国訪問 - Wikipedia
 ニクソン大統領はある理由から訪中について日本への事前連絡を直前までしなかった。当時ニクソンは日米繊維問題で「日本繊維業の対米輸出規制」に全く動かない佐藤首相に怒っていたと言われていて、国務省は発表1日前に前駐日大使だったウラル・アレクシス・ジョンソン国務次官を日本に派遣しようとしたがニクソンは反対して、ジョンソン次官は急遽ワシントンに駐在している駐米大使の牛場信彦に声明発表のわずか3分前に電話連絡で伝えた。後にジョンソン次官は日米両国の信頼関係と国益を損なったとニクソンを批判している。

ニクソン・ショック - Wikipedia
 世界を揺るがす経済政策の変更が突然発表された時に、まだこの時点では欧州も市場が開いておらず、為替相場の混乱を回避する方策を検討し閉鎖する余裕があった。しかし日本はすでに為替市場が開いている時間であったので日本市場だけが混乱する1日となった。
 後にニクソン大統領は、1971年の「金とドル交換停止」について日本に直前まで連絡しなかったことについて、1969年の沖縄返還交渉で、佐藤首相が約束した「日米繊維問題での誠意ある行動」、すなわち繊維製品の輸出を自主規制する約束を実行しなかったことで「約束違反をした佐藤首相にわざと恥をかかせた」と発言している。
 この1971年夏頃にニクソン大統領が佐藤首相に対して相当怒っていたことは当時、駐米日本大使館審議官だった岡崎久彦も読売新聞紙上でも述べており、もう一つのニクソンショック(電撃的な中国訪問発表)も同じように直前まで全く日本側に連絡が無かった。

だそうです。


リベラル21 モンゴル語を失うモンゴル人(阿部治平)

 今回のモンゴル語のあしらいかたに対しては、今後もモンゴル人*1からの異議申立てはあるだろうが、それは蹴散らされ、漢語による学校教育によってモンゴル人の漢語使用人口は一層増加を続けるだろう。(ボーガス注:中国においては)ウイグルやカザフ*2チベット同様、モンゴル文字*3もモンゴルの歴史も、ただ研究の対象としてだけ存在することになるだろう。

 「状況を改善しよう」「国際社会や日本政府は中国を批判して欲しい」ではなく「もう、どうにもならない」と阿部とリベラル21が完全に諦めモードであることが興味深いですがそれはさておき。
 この記事が事実としても「日本にもアイヌ同化の歴史がある」「今だに日本会議アイヌ同化を正当化している」「朝鮮学校無償化除外問題」などがあるので、それを棚に上げて中国批判する気には余りなりません。個人的には阿部やリベラル21に「日本での少数民族の言語教育問題」をどう考えるのか聞きたいところです。
 まあ、ゴールデンカムイ - Wikipedia国立アイヌ民族博物館 – 国立アイヌ民族博物館などを考えればアイヌを巡る状況は改善されてるとは思いますが。朝鮮学校については「微妙」ですが裁判闘争を支援する日本人の存在など考えれば安易な楽観論は禁物ですし、「俺の願望込み」ですが「希望が無い」わけでもないでしょう。


ワンビン監督の『死霊魂』を観てきた - 高世仁の「諸悪莫作」日記

 王兵(ワンビン)監督の8時間超の大作、『死霊魂』を観てきた。
 《いまだ明らかにされていない中国史の闇、〈反右派闘争〉。》

 とはいえ、この拙記事のコメ欄で

 ただ反右派闘争も大躍進も1950年代の話ですからね。いまとなっては60年以上昔の話で、文革以上に現在の中国共産党の問題とはそぐわないんじゃないんですかね(苦笑)。

と言う指摘があるように

◆日本において南京事件否定論慰安婦否定論、沖縄集団自決・軍強制否定論があるからと言って誰も自衛隊が『現代版南京事件慰安婦、集団自決強制』を今後やらかすとは思わない
◆台湾において国民党が228事件について取り上げることに消極的だからといって誰も今後、国民党が政権を取ったときに台湾で『現代版228事件』をやるとは思わない

のと同様、これは「過去の黒歴史を暴きたがらない」と言う話であって「中国においてああしたことが起こる可能性」はもはやないでしょう。そう言う意味では「反右派闘争の追及」とは「日本における南京事件慰安婦、沖縄集団自決・軍強制の追及」「台湾での228事件追及」などと同じような話でしか無い。また、昔に比べれば「時間の経過」により「天安門事件」「劉暁波問題(政治犯として獄中で病死し、欧米から批判)」等の「比較的最近の事件」に比べれば反右派闘争の追及が「やりやすい」点にも注意すべきでしょう。

《2005年から2017年までに撮影された120人の証言、600時間に及ぶ映像から本作は完成した。》(公式サイトの解説より)

 一般的には「3時間を越えると大作扱い」され、商業展開にも支障が出る(映画館側がいい顔をしない)のに「8時間」ですか。
 ちなみに「反右派闘争」が起こるのは俺の理解では

1)先日の「つくる会教科書検定で「建国時(1949年)の中国は連合政権」という検定意見がついたことで分かるように建国当初の中国は共産党の支配権はまだ弱かった
2)そんな中、フルシチョフスターリン批判(1956年)が中国共産党を直撃。中国国内でもその影響で毛沢東中国共産党への批判が高まり、毛が「百花斉放百家争鳴」によるガス抜きを計画
3)しかし毛が想定した以上に批判が高まったため「体制の危機」と感じた毛が「反右派闘争」と言う形で弾圧に転じた

と言う流れですね。単純に「中国共産党が弾圧した」と認識することは適切では無い。「体制の危機」と認識したから毛沢東は反右派闘争に打って出たわけです。
 「スターリン批判の影響による共産党批判の高まり→反右派闘争」と言う流れ(外国の影響による中国国内での政変)は「東欧の自由化による共産党批判の高まり→天安門事件」という流れに似ている気もします。
 なお、高世の言う「反右派闘争」ですが「大躍進という経済失政による餓死者」と「反右派闘争という言論弾圧による死者」は一応わけて考えるべきでしょう。

 1989年の「天安門」の弾圧のあと、鄧小平は「200人の学生の死は、20年の国家安寧をもたらす」と言ったが、これは今も中国共産党の姿勢に引き継がれている。鄧小平こそ、反右派闘争のときの共産党総書記だったのである。

という高世ですが「劉少奇国家主席周恩来首相、鄧小平副首相のトリオによる大躍進の修正(毛沢東は党主席には残留するが国家主席は引責退任し、劉少奇国家主席に就任)→文革劉少奇とともに資本主義者として毛沢東によって打倒される(劉少奇医療ネグレクトにより持病の糖尿病が悪化し、文革中に非業の死を遂げる)→文革終了後、復権。経済の改革開放」という鄧小平の人生や、彼の言葉「白猫で黒猫でもネズミを捕るのが良い猫だ」を考えれば、彼は「言論抑圧(反右派闘争など)は国家運営のために仕方が無い」とは考えてはいても「大躍進のような経済失政」を是とする人間では無かったわけです。
 そして今、中国は経済大国です。
 高世が紹介する鄧の言葉

「200人の学生の死は、20年の国家安寧をもたらす」

天安門事件から20年以上経った今「ある意味、正しかった」といえるでしょう。もちろん「経済繁栄のために天安門事件が許されるのか」「経済繁栄ができなくても言論の自由が大事だ」という価値観はあり得ますが。

 私は、このたびの香港の民主運動つぶし、引き続くチベットウイグルでのジェノサイド*4、7000万人とされる法輪功*5の弾圧(「馬三家からの手紙」は恐ろしいドキュメンタリーだった)など、中国共産党の人権弾圧の淵源を大躍進期に見ている。

 つながりがあると言えば、まああるでしょう。ただし当然ながら「ストレートにつながってるわけでは無い」。
 「近代日本最初の対外戦争」台湾出兵(1874年)がその後の「日清戦争」「日露戦争」「シベリア出兵」「日中戦争」「太平洋戦争」と「つながりはあるがストレートにつながってるわけでは無い」のと同じです。
 なお、「人権弾圧」というなら「規模の問題はひとまず置けば」遡ればもっと遡れるとは思いますけどね。
 高崗 - Wikipediaの失脚なども「謎の多い事件」のようですし。なお、「高崗 - Wikipedia復権を企んだ」として「習近平・中国国家主席」の父である「習仲勲副首相(当時)」らが失脚したのが反党小説劉志丹事件 - Wikipediaです(なお、文革終了後、冤罪であるとされ、習仲勲は政治的に復権した)。
 小説『劉志丹』を「反党行為」として処罰したこの事件(1962年9月:時期的には反右派闘争と文革の間)は

文化大革命 - Wikipedia
 1965年11月10日、姚文元(いわゆる四人組の一人)は上海の新聞『文匯報』に「新編歴史劇『海瑞罷官』を評す」を発表し、京劇『海瑞罷官』に描かれた海瑞による冤罪救済は反革命分子らの名誉回復を、悪徳官僚に没収された土地の民衆への返還は農業集団化・人民公社否定を意図するものと批判して、文壇における文革の端緒となった。

という後の『「海瑞罷官」批判による文革開始』に「ヒントを与えたのではないか」ともされます。また、習近平氏が「国家主席、党書記」になった今、「彼の父」が迫害された事件という意味でも注目されるわけです(習仲勲本人も副首相、全人代副委員長などを歴任した重鎮ですが)。

 これから、折にふれ、「中国共産党研究」を書いていきたい。

 コメ欄でも「同感」という趣旨のコメントを頂きましたが、また「研究」とは大きく出たもんです(苦笑)。まあ高世のことだから悪口雑言しかしないのでしょうが(この高世の文も悪口雑言でしか無いですしね)。しかし高世は今後は「反北朝鮮」よりも「反中国」で食っていくことに決めたようですね。

*1:もちろん「内モンゴル人」。

*2:勿論カザフスタンは話が別です

*3:勿論、外モンゴルは話が別です。

*4:さすがに高世の言うジェノサイドとは「物理的ジェノサイド(大量虐殺)」では無くいわゆる「同化政策(民族文化の否定)」ですが。なお、中国政府は同化政策などしていないと反論しています。

*5:以前も澤藤統一郎の「常軌を逸したアンチ中国」を嗤う(2020年7/15日分)(副題:法輪功は間違いなく邪教ですよ!、澤藤さん)(追記あり) - bogus-simotukareのブログで書きましたが「法輪功の反社会性」を無視して「中国政府の弾圧ガー」ばかりいうのは問題がありすぎると思います。