高世仁に突っ込む(2020年9/22日分)

古代天皇と仏教―責めはわれ一人にあり - 高世仁の「諸悪莫作」日記

 そもそもの日本の出発点は、どんな国づくりを目指したのか。それを学びたいと思っている。ダメな伝統なら直さないといけないし、古いものでいいものは復活させたい。
 そんな大雑把な問題意識でいいのかよ、というヤジがとんできそうだが、時代の転換点にはいろんな思考実験があっていいだろう。
 いま、古代の天皇は、かくも立派な政治倫理を持っていたのかと励まされる思いで読んでいる本がある。
 森本公誠『聖武天皇 責めはわれ一人にあり*1』(講談社)。

 あまりにも馬鹿馬鹿しくて吹き出しました。
 「日本の出発点は、どんな国づくりを目指したのか」と言った場合、大抵の人間が想像するのは「近代日本の出発点(明治維新以降の諸改革)」「戦後日本の出発点(終戦以降のいわゆる戦後改革や池田政権での高度経済成長など)」あたりでしょう。
 つまりは

廃藩置県(中央集権化)、地租改正、徴兵令、殖産興業(富岡製糸場などの官営工場など)、明治憲法制定など明治新政府の諸改革をどう評価するのか(たとえば明治維新 - Wikipedia参照)
◆「薩長が進める明治維新」を批判して起こった自由民権運動をどう評価するのか(たとえば自由民権運動 - Wikipedia参照)
治安維持法の廃止(共産党の合法化)、農地改革、財閥解体、新憲法制定(天皇の象徴化、戦争放棄政教分離国家神道の否定)、議院内閣制の導入、違憲立法審査権の導入、地方首長の公選制など)、教育基本法の制定(教育勅語の否定)など、いわゆる戦後改革をどう評価するのか(たとえば日本の戦後改革 - Wikipedia参照)
◆池田政権下の高度経済成長をどう評価するのか(例えば高度経済成長 - Wikipedia参照)

などでしょう。
 ここで「卑弥呼の時代」「聖徳太子の時代」とか想像する奴は普通いない。しかし高世は「聖武天皇ガー」だそうです。
 「民主主義以前の時代の話」なんか今の政治に役立つわけも無いでしょう。
 ましてや高世が紹介する本の著者・森本氏は

森本公誠 - Wikipedia
・2004年から2007年まで、東大寺別当華厳宗*2管長を、2010年から2013年まで、東大寺総合文化センター総長を務めた。現在は東大寺長老。著書『イブン=ハルドゥーン』(2011年、講談社学術文庫)、『東大寺のなりたち』(2018年、岩波新書)など。

という東大寺関係者です。そんな人間が「東大寺創立者聖武天皇を称える本を書いたからと言ってそれにどれほど客観性や説得力があるのか。
 そもそも「今と時代が違う」ので単純比較するわけにも行きませんが、「聖武天皇」に仮に「善意があったところ」で彼の「大仏建立」「国分寺国分尼寺創設」という「仏教政策(?)」は「当時の人々を苦しめた貧困や病気」から民衆を救ったりはしなかったわけです。

《たとえば中学生の修学旅行を引率してきた教師が大仏殿に来て、「先生は入らないが君たちは200万人もの人民を酷使してつくった大仏をよく見て来い」といって、出口で待つ》といった光景もあったという。(森本P22)

 「はあ?」ですね。森本本の記載は「という」であって、伝聞です。つまりは森本氏が目撃した事実では無い。
 それは例えばid:Apeman氏が以前
「ごぼうを捕虜に食べさせて有罪になったB級戦犯」は都市伝説? - Apeman’s diary
「ゴボウ」伝説、再び - Apeman’s diary
で批判していた「ゴボウ伝説」のような都市伝説、つまちは嘘八百では無いのか(まあ、例は「ゴボウ伝説」でなくてもいいんですが)。
 いずれにせよ仮に「そんな教師が実際に一部にいたとしても」本当に「ごくごく一部のマイナーな教師」でしょう。
 いくら『東大寺大仏なんて人民を酷使して創ったもんで現代の視点からは『聖武天皇の仏教精神は素晴らしい』などと手放しで美化できるようなもんじゃない』と思ったとしても、普通の人間は大仏見学自体は否定しないし、こういう物の言い方もしない。
 と言うか俺自身は『東大寺大仏なんて人民を酷使して(以下略)』とは思いますが、俺が大仏見学を引率する教師だったとして、大仏見学自体は否定しないし、こういう物の言い方もしない。ただし『現代の視点では大仏は『聖武天皇の仏教精神は素晴らしい』などと手放しで美化できるようなもんじゃない』という事は、口喧嘩などにならないように注意した上で「やんわりとは言う」かと思います。『聖武天皇の仏教精神は素晴らしい』などという認識を生徒がしているのを教師がそのまんま放置するのは教育上、まずすぎるかと思いますので。
 まあ、そんなこと言わなくても生徒の方もそのぐらい分かる気もしますけど。
 いずれにせよ、そんな教師がゴロゴロいたとも思えない。そんなもんをネタに話をするのは、はっきり言って「森本氏も高世も」レベルが低い。
 と言うと例のid:Mukkeなんざ「東大寺幹部まで務めた仏教の高僧・森本氏をバカにできるほど、ボーガス、お前は偉いのか」といいそうですが、そう言う話じゃ無いわけです。仏教の高僧だろうが何だろうが「馬鹿なことをいう奴(今回は森本氏)」は俺にとって「ただのバカ」です。だから俺は「オウム真理教から一億円ももらっておべっかをほざき、オウム犯罪が発覚した後も正式な謝罪を何一つしないダライラマチベット仏教最高指導者)」なんか少しも偉いと思ってない。「見下げ果てた人間のくず=ダライ」と思ってる。まあ、こういう事を書くから、Mukkeのようなチベット愛好家には俺は嫌われるわけですが。

 うちの娘が昔読んだマンガの日本史でも、大仏建立は人民を苦しめる苦役として描かれている(『漫画で学ぶ日本の歴史』(成美堂))。
 私もかつては、こうした硬直した歴史観を持っていたことを白状するが、これでは真にリアルな歴史には迫れないだろう。

 唖然ですね(呆)。「硬直した(左翼的な?、天皇否定の?)歴史観」も何もそれは事実ではないのか(もちろん、だからといって俺もさすがに『仏教美術、あるいは信仰の場としての東大寺大仏』の価値は否定しませんが)。まさか高世は「当時の民衆は喜んで大仏建立に当たりました」とか、そこまで酷くなくても「民衆の意思なんざどうでもいいんだよ、聖武天皇は彼なりの『民衆への愛』で大仏創ったんだから」とかいうのか。
 「時代背景などが違うので単純比較できない」とはいえ、大仏建立を「単に人民を苦しめる苦役として見るべきでは無い」「聖武天皇は仏教の力で苦しむ人々を救いたいという善意から大仏を創った」という男が「北朝鮮金日成金正日巨大銅像」には「人民を苦しめる苦役」として悪口雑言。
 「高世の脳みそは大丈夫なのか?」と聞きたくなります。つうか、相手は「特定失踪者などという与太すら支持した、あの高世」なので本心というよりはジンネットを潰した今、「天皇万歳路線」「東大寺大仏万歳路線」で飯の種を稼ごうという「さもしい試み」なのかもしれません。
 まあ、ウヨ方面ならこの種の天皇万歳には「大いに需要がある」でしょうからね。また「東大寺大仏万歳」で話をするなら「東大寺関係者」「大仏ファン」相手の商売も期待できる。
 高世がそういうウヨ方向に「劣化していく」なら、高世の知人、友人の「少なくない人間(左派やリベラル保守など)」が高世にあきれ果てて高世を見すてるでしょう(今ですら既に「かなりの人間に見すてられてる」のではないかと思いますが)。高世の社会的影響力も「大いに衰退する」でしょうから、アンチ高世の俺にとってそれは「悪いことでは無い」「むしろ大歓迎」ですね(高世への皮肉のつもり)。
 まあ、以前から高世は現上皇夫婦を「(天皇時代に)日本軍が玉砕したパラオ訪問などして好感が持てる」等と持ち上げるなど、天皇万歳の傾向がありましたが、とはいえ「現上皇夫婦」ならまだしも「聖武天皇」ですか(呆)。
 「お前は戦前の天皇万歳教科書かよ(呆)」「育鵬社(産経&日本教育再生機構系列)や自由社つくる会系列)の歴史教科書かよ(呆)」ですね。
 そのうち、「仁徳天皇のかまどの故事」なんかも高世は持ち出すんでしょうか?。でも仁徳の場合は聖武と違って実在性が疑わしいし、故事も明らかに「後世の創作」と見なされてるからさすがにそれはないか。

 今の天皇制は、(ボーガス注:明治維新以前の神仏混淆という)重要な伝統を捨て去ったうえに成り立っている。明治維新は、神仏分離によって日本の伝統だった神仏儒習合(神道・仏教・儒教をミックスした宗教観)を破壊し、天皇神道とだけくっつけて特異な天皇制を作った。しかし、聖徳太子以降、皇室と仏教のかかわりは非常に深い。
 皇室を制度的にも仏教に「取り込んだ」のは真言宗の祖、空海弘法大師で、平城、嵯峨の二人の上皇に灌頂(かんじょう、密教の入門儀式)を授けている。
 意外に知られていないが、天皇家には泉涌寺 (せんにゅうじ、真言宗)という菩提寺があり、歴代の天皇の御陵が39陵ある。江戸時代までは葬儀も仏教で執り行われてきたのだ。

 高世の「この駄文」の中で数少ない「意味ある文章」です。
 「明治新政府神仏分離」をどう評価するにせよ、確かに高世の言うようにそれは「皇室の伝統(神仏混淆)」を大きく変えました(もちろん神仏分離を強行した側は「仏教によるゆがみを是正し、元の正しい神道に戻しただけ」というのでしょうが)。そう言う意味で「伝統を理由に女性天皇に反対するウヨ」は実にばかばかしい。「皇室の伝統」なんてもんは時代によって明らかに変化しているわけです。
 仏教や儒教儒学)が「中国からやってきた最先端思想だ、これを採り入れなきゃ先進国になれない*3」と思われた古代日本では進んでそれらが取り入れられた。その結果「神仏混淆」という日本独自の仏教形態も誕生した。しかし明治時代になるとナショナリズムの高まりから「神仏混淆などおかしい」「外国思想(仏教)の影響を排除して純粋な日本思想にしたい」となるわけです。
 なお、高世は「天皇家と仏教」としか言いませんが、足利尊氏と近い関係にあった夢窓疎石 - Wikipedia徳川家康と近い関係にあった天海 - Wikipedia以心崇伝 - Wikipediaなどでわかるように仏教が関係のあった権力者は何も皇室限定ではありません。前近代においては「政教分離思想」などないですし、この点(権力と宗教の癒着)は欧米なども「英国国教会がわかりやすい例」ですが、全く変わりませんが。

【参考:仁徳天皇のかまど】

【浪速風】「仁」の歴史こそ世界遺産にふさわしい 「民のかまど」国づくりの歴史、世界へ(8月1日) - 産経WEST
 仁徳天皇でよく知られるのは「民のかまど」の伝承である。高台から見渡すと家々から煙が上っておらず、「炊事もできないほど貧しいのか」と3年間、税を免除した。そのため宮殿は荒れ果て、衣も新調できなかったが、ようやくかまどの煙を見て、「民が富んでいるのは、自分も富んでいるのだ」と喜ばれた。

【語り継ぎたい天皇の和歌】陵墓のみならず心も大きな名君 (1/2ページ) - zakzak
 『日本書紀』に「聖帝」(ひじりのみかど)と称された仁徳天皇天皇が即位をされてから数年後、高台にあがって周囲を見渡した際、家々から炊煙があがらず、国民が苦しい生活をしていることがうかがえました。都市で炊煙が疎(まば)らだということは、地方ではさらに人々が困窮に喘(あえ)いでいるかもしれません。そのため、仁徳天皇は3年間、全ての課税と賦役(ふえき)を免除して、状況の改善を模索しました。倹約のため宮殿修繕はおこなわず、屋根が傷んでも葺き替えをしなかったため、晴れた日には星空が見え、雨漏りもしていたと語り継がれます。
 やがて3年が経った後、家々のかまどからは多くの炊煙が立ちのぼっていることが確認できました。安堵した天皇。掲出歌はこのときに詠まれたものだと語り継がれます。

皇位継承安定への提言全文 自民有志「護る会」(1/6ページ) - 産経ニュース
 日本の天皇陛下は、諸国の皇帝や王と大きく異なった存在である。
 古代における仁徳天皇の「民の竈(かまど)」という故事によれば、天皇陛下は民の台所から夕餉(ゆうげ)を支度する煙が上がらないのをご覧になり、民の暮らしを楽にするために税を取るのをおやめになった。御自らの食事が粗末になり宮殿が傷むことより民を優先なさった。

 皇位継承安定への提言全文 自民有志「護る会」(1/6ページ) - 産経ニュースを読んでも、「仁徳の故事」と「女性天皇反対」とどうつながるのかさっぱり分かりません。

*1:2010年刊行

*2:日本の総本山は東大寺

*3:明治維新において富国強兵、近代化のために近代西洋思想が積極的に取り入れられたのと話は同じです。