黒坂真に突っ込む(2020年10月7日分)

黒坂真
 吉岡正史さん。日本共産党は、アイヌ民族、という語をどう定義しますか。

 いつもの非常識なアイヌ否定論です(応答しないで無視してるとは言え、吉岡氏も良くブロックしないもんです。俺ならとっくにツイッターブロックしてますね)。
 「アイヌ新法は政府提出法案(当時は安倍政権)で自民、公明、共産、立民、国民民主、社民賛成でほぼ全会一致で成立したこと(維新など一部の極右が反対)」「安倍政権下で国立アイヌ博物館が建設されたこと」でわかるように、安倍政権ですら黒坂のような非常識な「アイヌ否定論」ではないのによくも共産党にくだらない因縁を付けたもんです。
 日本共産党は「学術団体」ではないのでもちろんアイヌ民族に限らず「学問的概念」について定義などしない。
 「日本共産党が通説だと認識してる定義概念」を採用しているだけの話です。
 しかし島田洋一櫻井よしこなどは、さすがにここまで馬鹿なことは言いませんからねえ。黒坂のアホ発言は島田や櫻井と比べても読んでいて「櫻井や島田以上に」精神衛生に悪い。
 黒坂の「アイヌ誹謗」という「常識の逸脱」には心底呆れます。大阪経済大学(黒坂の勤務大学)も「懲戒処分どころか、口頭注意すらせずに」黒坂を野放しにするなど、問題がありすぎです。
 「黒坂のような非常識ウヨの巣窟でレベルが低い大学=大阪経済大学」と見なされても文句は言えないでしょう。

【参考:アイヌ博物館(ウポポイ)】

ウポポイ批判 根拠なきは認められぬ:北海道新聞 どうしん電子版
 胆振管内白老町に7月に開業した国のアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」とそこで働くアイヌ民族の職員に対し、インターネット上で心ない誹謗(ひぼう)中傷が相次いでいる。
 ネットには「偽アイヌ」「捏造(ねつぞう)のアイヌ文化」などの表記や、ウポポイ整備を「アイヌ利権」と批判する投稿もあった。
 根拠が不明で一方的に相手をおとしめる言葉は、いわれなき差別を助長する可能性があり、到底容認できない。
 ウポポイを運営するアイヌ民族文化財団(札幌)は、職員に対する差別的な発言への対応を検討中という。
 批判された職員を守るのは当然で、間違った認識に対しきちんと見解を示すことも必要だろう。
 国も含めて差別を許さない強い姿勢を取り、偏見を解消する対策を講じるべきだ。
 ウポポイの開業を前に、現政権の閣僚の認識も問われた。
 麻生太郎副総理兼財務相は「(日本は)2千年にわたって一つの民族」と発言。萩生田光一文部科学相は、アイヌ民族への差別を「価値観の違い」などと述べた。
 これらの発言は明治以降の同化政策が多くのアイヌ民族を困窮させ、教育格差を生み、差別につながった歴史に目を閉ざしている。
 政府の要職にある政治家によるこうした無理解に基づく言葉は、差別や憎悪をあおりかねない。政府を挙げていま一度、先住民族の歴史と向き合い、必要な政策を積極的に講じる姿勢が求められる。
 これまでアイヌ民族に苦難と痛みを強いてきた負の歴史を、国民が直視する。それこそが「民族共生」に向けた一歩となる。

 こうしたアイヌ誹謗をしている馬鹿者の一人が黒坂の訳です。
 それにしても「以前も別記事で書きましたが」、麻生には「中曽根の単一民族発言が批判されたのも知らないのか」「自称漫画ファンのくせに『ゴールデンカムイ週刊ヤングジャンプで連載中、アニメ化もされMXテレビなどで放送)』も知らないのか」と呆れます。

教育の森:「アイヌ」学習、機会に地域差 「道外でも生の声聞き理解深めて」 - 毎日新聞
 2019年に施行されたアイヌ施策推進法で、先住民と明記されたアイヌ民族。2020年7月には北海道白老町アイヌ文化施設「民族共生象徴空間(ウポポイ)」が開業し、改めて注目が集まる。2020年度から全面実施された小学校の学習指導要領にも「アイヌ」が盛り込まれているが、どう教えるかは現場任せ。熱心に取り組む地域がある一方、学ぶ機会の地域差が課題になっている。

NHK札幌放送局 | シラベルカ#24 ポンレに思いを込めて
 みなさんの疑問に答えるNHK北海道の取材チーム「シラベルカ」。今回は、東京から北海道に移住したおかちゃんからの投稿です。
◆おかちゃん
アイヌの人々にはアイヌ語の名前があると聞きましたが、北海道に住み始めてから、アイヌ語の名前の方にお会いしたことはありません。アイヌ語の名前について調べて下さい」
 苫小牧支局・中尾絢一記者の結果報告です。
 まず取材チームが向かったのは、アイヌ文化の伝承が盛んな平取町にある「萱野茂 二風谷アイヌ資料館」です。著名な伝承者として知られる萱野茂さんが48年前に作った資料館には、アイヌの民具や資料など1000点以上が展示されています。
 資料館の入り口に展示されていたのは、萱野茂さんの家系図です。アイヌ語の名前が書かれています。しかし世代が変わるにつれて、アイヌ語の名前から だんだん日本語の名前に変わっていったのがわかります。
 資料館の2代目の館長・萱野志朗さんがアイヌ語の名前の変遷について話してくれました。
萱野茂 二風谷アイヌ資料館 萱野志朗さん
「1871年に戸籍法ができて、それ以来、アイヌ民族日本国籍を持たされています。例えば私の曾祖父・トッカラムは、1847年生まれですが、1871年のときに戸籍が作られたということですね。生まれたときには貝澤という名字はなかったのですが、戸籍法によって貝澤という名字になったんです」
 トッカラムさんの息子の清太郎さんは、アイヌ語で「座って話す男」を意味するアレㇰアイヌというアイヌ語名も持っていました。萱野さんの家系図を見ると、戸籍法の制定以来、日本語の名前が一般的になってきたのがわかります。
◆萱野志朗さん
同化政策の結果だと思いますね。アイヌ民族を日本国民化するという政策で、アイヌの人たちの名前も日本風、言葉も日本語になった。あくまでも国の政策によって、結果としてそうなった。アイヌの人たちが望んだわけではない」
 アイヌ文化を研究する札幌大学本田優子教授は、当時の社会がアイヌ語の名前をつけることを難しくさせていたと指摘します。
札幌大学 本田優子教授
「親はそもそもアイヌ語を教えないようにしましたし、アイヌの文化・価値観を教えないようにした。日本人として生きていくために、日本名を持たないといけないと考えられたことは当然かなと思います。だからアイヌ語が消えていくのと同じように、アイヌ名も消えていった。ある意味、消されていったのだと思います」
 アイヌ語の名前がなくなっていった背景には、明治以降の政府の同化政策がありました。
 一方で、アイヌの人たちは、古来からアイヌ語の名前を神聖で大切なものとしていたため、普段の生活で名乗ることはほとんどなかったそうです。代わりに、あだ名をつけて呼び合っていました。本田教授が最近、名前をめぐって新しい動きもでていると教えてくれました。
 そこで取材チームが訪れたのは、ことし7月に白老町にオープンしたアイヌ文化の発信拠点、ウポポイです。
 迎えてくれたのは、ウポポイの職員の荒田このみさんと山丸賢雄さん。名札にはアイヌ語の名前が!
◆ウポポイの職員 山丸賢雄さん
「ポンレっていうアイヌ語のニックネームになっていまして、私たちウポポイ職員はアイヌ語の名前で呼び合っています」
 ウポポイの職員には、本名や子どものときのエピソードにちなんだ「ポンレ」=アイヌ語のあだ名がついています。荒田さんと山丸さんは、職員からアンケートをとって一人ひとりのポンレをつけています。
◆ウポポイの職員 荒田このみさん
「私の本名は“このみ”ですが、そこから“ニヌㇺ”=木の実という意味のポンレをつけました」
 ウポポイ内を巡ってみるとユニークなポンレを持つ職員にたびたび出会いました。村木美幸さんのポンレは「イタンキトゥイ」。イタンキ=「おわん」、トゥイ=「切る」で、「禁酒する」という意味だそうです。
◆ウポポイ運営本部 村木美幸 副本部長
「とてもお酒が好きなおじいちゃんでしたが、かわいい孫が生まれてお酒ばっかり飲んでいると嫌われちゃうよということを周りに言われて、お酒を一切飲まなくなりました。おじいちゃんに禁酒をさせた孫ということでイタンキトゥイというポンレがついています」
 山丸さんは、アイヌ語の名前を通して、多様な文化を理解する社会になってほしいと考えています。
◆ウポポイの職員 山丸賢雄さん
「ウポポイを通じて、今やっとアイヌアイデンティティーを発信できるという環境に立場が向上してきています。名前を通してルーツをつなげていくきっかけにもなると思います」
取材後記
 ポンレには「名前」という身近なところからアイヌ語に触れてほしいというウポポイの職員の思いも込められていました。取材の中では感じたのは、アイヌにルーツがあることを隠したいと思う人が今でも多くいるという現状です。誇りをもってアイヌ語の名前を名乗れるような社会に少しでも近づいていってほしいと感じました。

日本ハム心ひとつに アイヌ文様「ウポポイ」再着用 - プロ野球 : 日刊スポーツ
 今季の「WE LOVE HOKKAIDOシリーズ」で着用した限定ユニホームは日本ハムに勝ち運を運んだ。
 アイヌ文様がデザインされた通称「ウポポイユニ」を着て戦った8月の12試合で8勝3敗1分けの勝率7割2分7厘。一時は上位との差も縮めた縁起も担ぎ、15日からのソフトバンク3連戦と18日からのロッテ3連戦でも再着用する。シーズン終盤へ向けた勢いを取り戻したいところだ。
 今季の限定ユニは、今年7月に白老町のポロト湖畔にアイヌ文化復興・創造の拠点「ウポポイ」が誕生したことを記念したもの。アイヌ文様には災いなどから身を守る「魔よけ」の意味があるという。さらに「ウポポイ」はアイヌ語で「大勢で歌うこと」。コロナ禍でスタンド観戦中も大声を出すことはできないが、チームとファン、北海道が心を1つにして一丸となって上位2チームを打ち破れば、大逆襲の起点となるかもしれない。

ウポポイや平取町周遊のバス運行|NHK 北海道のニュース
 アイヌ文化の発信拠点になっている白老町の「ウポポイ」や平取町を周遊する新たな観光バスの運行が1日から始まりました。
 この観光バスは、胆振・日高地方のアイヌ文化に親しんでもらおうと平取町が国の交付金を活用し、委託を受けた札幌市のバス会社が運行します。

新型コロナ:ウポポイ―二風谷に周遊バス、アイヌ観光オンラインでも :日本経済新聞
 札幌観光バス(札幌市)は10月から、アイヌ文化を学べる「民族共生象徴空間(ウポポイ)」のある北海道白老町平取町を結ぶバスを運行する。旅行代金は往復3千円で、観光ガイドが同乗する。アイヌ民族古来のコタン(村落)とウポポイの周遊を観光ルートとして確立したい狙いがある。

「ウポポイ」って知っていますか? |サクサク経済Q&A| NHK NEWS WEB
・ウポポイは、アイヌ文化を復興・発展させるための国立施設です。正式には「民族共生象徴空間」といいます。政府が北海道白老町に約200億円をかけて整備しました。森や湖など豊かな自然が広がる約10ヘクタールの広大な敷地の中に、アイヌ民族博物館、古式舞踊が披露される体験交流ホール、伝統家屋「チセ」を再現した集落「コタン」などがあります。愛称のウポポイの意味はアイヌ語で「大勢で歌うこと」。親しみやすく覚えやすいようにと、インターネットなどの投票で選ばれました。
先住民族アイヌの人たちの失われつつある文化の発信拠点になることが最も大切な役割です。アイヌの人たちは「自然界のすべてのものに魂が宿る」という世界観など、固有の文化を発展させてきました。一方で、明治政府の同化政策で日本語での教育を強制され、信仰の自由も奪われました。アイヌの人たちへの差別意識が強まった歴史もあります。いまでは日本語と系統が異なるアイヌ語や、独特の文様が施された工芸品の製作を伝承する人が年々減少し存続の危機にあります。国の施設として整備することで、多くの人たちが協力して、文化の研究や継承の活動に携わることができると期待されているんです。
 国立アイヌ民族博物館は、アイヌの歴史・暮らし・風習などを伝える生活道具や工芸品など約1万点を所蔵しています。アイヌ文化は地域ごとにことばや着物などが異なります。博物館では、白老地方・釧路地方・旭川地方などさまざまな地域から寄せられた資料を通じて、多彩な文化を感じることができます。アイヌ文化になじみがなかった人が関心を持つきっかけになる施設もあります。伝統的な古式舞踊の見学や、工芸・刺しゅうを体験して学ぶこともできます。
・ウポポイの来場者数の目標は年間100万人です。先住民族への関心は海外でも高く、北海道の観光を盛り上げる起爆剤としても期待されています。ウポポイを訪れることで多くの人がアイヌ文化に触れ、理解を深めるきっかけになればと願っています。

ウポポイにアイヌ料理店、伸和HDが新業態開業へ :日本経済新聞
 居酒屋を展開する伸和ホールディングス(札幌市)は6日、アイヌ文化を学べる民族共生象徴空間(ウポポイ、北海道白老町)の施設内フードコートにアイヌ由来の食材を使った飲食店を出店すると発表した。ウポポイが開業する12日に営業を始める。
 アイヌ文化と関わりが強い行者にんにくと、北海道の唐揚げを融合した「行者にんにくザンギ定食」(税別790円)を看板メニューとした。定食には伝統料理の汁物「オハウ」をつける。鹿肉を使ったカレーや、そばも提供する。

「観光資源化」するアイヌ民族の歴史に、なぜ歯がゆさを感じるのか - 田中駿介|論座 - 朝日新聞社の言論サイト
 北海道白老町に国立アイヌ民族博物館と共に「民族共生象徴空間(ウポポイ)」が開館してから、今月(8月)11日で1カ月を迎えた。
 筆者は「ウポポイ」が北海道内で過剰に宣伝されていることに、驚きを禁じ得なかった。北海道へ向かう飛行機の側面に「ウポポイ開業」のシールが貼られていたのだ。それだけではない。通常は、交通情報を案内するはずの国道や高速道路の看板にも「ウポポイ誕生」という文言が踊っていた。しかもウポポイが位置する白老町から遠く離れた道東地区ですら、である。
 7月下旬、実際に筆者も訪問してみた。筆者が訪問した際、PRキャラクター(いわゆる「ゆるキャラ」)の「トゥレッポん」との交流イベントや、アイヌ伝統芸能上演などが行われていた。また、アイヌ式住居の再現施設の見学も行った。また国立アイヌ民族博物館では、アイヌ文化のほか、差別の歴史を含むアイヌの苦難な歴史が展示されていた。
 とはいえ、歯がゆさを禁じ得なかった。なぜなら、(ボーガス注:過去のアイヌ差別(同化政策)を真摯に反省したり、アイヌの文化や歴史を真摯に学んだりするのでは無く)アイヌの歴史を単なる「観光資源」として消費しているように思えてならなかったからである。
(中略)
 私たちが「日本史」を語るとき、「日本」のなかにアイヌは入っているのか。今もなお、私たちは教育の名のもとに、「単一民族神話」を子どもたちに吹聴しているのではないか。改めて問わねばならない。

 まあ「こうしたモノが何もないよりはマシ」とはいえ、「観光が前面に出ていること」については確かに何とも複雑な思いは禁じ得ません。