学術会議問題「説明不十分」72% 共同通信世論調査 - 産経ニュース
・日本学術会議が推薦した会員候補6人の任命見送りをめぐり、菅義偉(すが・よしひで)首相による理由の説明について「不十分だ」との回答が72.7%だった。「十分だ」は16.1%。
・学術会議の会員任命見送りをめぐっては、首相は「法に基づいて適切に対応した」と強調。世論調査では首相の対応が「不適切だ」が45.9%、「適切だ」は35.5%だった。
「説明が不十分」ではなく「任命拒否が不当」ですし、「説明が不十分」という回答も「もっと数値が高くあって欲しい」ところですがひとまず、菅の対応が「国民多数に支持されてない」ことは喜びたい。
「説明が不十分」と「任命拒否は不当」が乖離していることは素直に理解すれば「不可思議」ですが、要するに「任命拒否が正当だが、説明が不十分」と言う輩は
1)政府批判派を任命拒否して何が悪いと居直れ
2)自民支持層として「任命は不当」とは言いづらいが、「説明が十分」とも言いづらい
のどちらかなのでしょう。1)は論外ですが、2)であるならば「ある程度」は「任命拒否は不当」に認識が変わる可能性はあるでしょう。
菅内閣の支持率は前回9月の調査と比べ5.9ポイント減の60.5%となった。不支持は5.7ポイント増の21.9%。
俺のような菅批判派にとっては嘆かわしい支持率ですが、下がってること自体は喜びたい。さすがに「首相記者会見もろくに開かず、国会も開かず」では、菅を積極支持する理由に欠けると言うことでしょうか。菅がぶち上げた「不妊治療の保険適用拡大」「携帯電話使用料の引き下げ」「デジタル庁」「はんこ廃止」は具体性に未だ欠けますし、「gotoイート」程度の「ばらまき」では積極支持する気にもならないのでしょう。
何せ「gotoイート」は「昼500円、夜1000円」でばらまきとしては「しょっぱい」ですし、「登録店舗以外では使えない」という不便さがあるし、実行したのは菅政権とは言え、決定したのは安倍政権ですしねえ。
【花田紀凱の週刊誌ウオッチング】〈793〉日本学術会議と中国千人計画の関係は? - 産経ニュース
既にネット上でも指摘があるところですが『学術会議と千人計画』云々は週刊新潮などウヨの言いがかりでしかありません。
学術会議が「中国版・学術会議」と「学術研究に関する協定」を結んだことは事実ですが、それは「千人計画とは関係ない」。そもそもその協定に問題があるなら締結時に政府(当時は安倍政権)が反対すればいいことです。反対せず容認したこと自体が「協定に問題など無く、単に言いがかりであること」を証明している。そもそもそれならばその協定を「今からでも破棄するのか」ということです。さすがの菅政権もそんなことは言ってないし、一部の極右マスコミを除けばウヨマスコミですらそんなことは言ってない。「協定には問題がある」として学術会議を非難しながら、「しかし協定は破棄しない」なんて言いがかり以外の何物でも無い。
千人計画に応募した研究者の中には「学術会議議員」もいますが、それは「彼個人の行為」であって学術会議議員としての行為では無い。
そもそも「学術会議が中国側と結んだ研究協定」や「千人計画に日本人研究者が応募したこと」が仮に問題だとしても、それと任命拒否と何の関係も無い(そもそも菅自身は具体的な任命拒否理由の説明を拒否しており『千人計画』云々を拒否理由だとは言っていません)。もちろん「任命拒否された人間=千人計画に応募した日本人研究者」でもない。
悪質なデマであり、そんな事実はどこにもありません。任命拒否された人間が軒並み「共産党支持者だ」と言う事実も無い(安倍批判派ではありますが)。任命拒否を批判してるのも共産党だけでは無く立憲民主も社民も国民民主も、朝日、毎日などのメディアも批判している。花田や産経は立憲民主や朝日なども「共産党に牛耳られてる」と強弁する気なのか。
そもそも仮に「それが事実だとしても」、なんでそんなことが「任命拒否の正当化理由」になるのか。「共産党が牛耳るのは許せないが自民党が牛耳るのなら問題ない」なんてそんな馬鹿な話がどこの世界で通用するのか。
司馬遼太郎や井上靖をはじめ、元新聞記者の肩書を持つ作家は多い。『銭形平次』を生んだ野村胡堂も、創作活動を続けながら60歳まで新聞社に勤めた。
ちなみに司馬が産経新聞、井上が毎日新聞、野村が報知新聞です(ウィキペディア司馬遼太郎 - Wikipedia、井上靖 - Wikipedia、野村胡堂 - Wikipedia参照)。
ググったところ、他にも
【朝日新聞社:あいうえお順】
飯沢匡 - Wikipedia
伴野朗 - Wikipedia*1
【毎日新聞社】
山崎豊子 - Wikipedia*2
【読売新聞:あいうえお順】
菊村到 - Wikipedia
佐野洋 - Wikipedia*3
日野啓三 - Wikipedia*4(ただし「元記者」ではなく死去するまで読売に在席)
真山仁 - Wikipedia
三好徹 - Wikipedia*5
が新聞記者出身の作家*6として存在します(他にもいるでしょうが)。
新聞「記者」に話を限定せずに「新聞社出身」とすれば「松本清張」が朝日新聞出身ですね。
また「新聞社出身の作家」ではなく「人気作家になってからスカウトされて朝日に入社した人間」として夏目漱石がいますね。
「名のある新聞の記者ほど清廉なものはない」と随筆にある。戦前の社会部長時代には盆と暮れに進物が届くのも珍しくなく、一つ一つを送り返したとの挿話も残る。胡堂にかぎらず昔の新聞人は、気骨という太い一本の線を取材対象との間に引いていたのだろう。
そうしたプライドが今の新聞記者(特にいわゆる番記者)に果たしてあるのかどうか。
何せ「菅と一緒にパンケーキ会食(朝日、東京、京都新聞は会食を拒否しているようですが)」だの「黒川と一緒に賭け麻雀」だのですからねえ。
産経も渋々とは言え、また「産経らしい姑息で曖昧なぼかした書き方」とはいえ、
取材相手と記者の距離をめぐり、小紙が批判を受けたことは承知している。
と「黒川賭け麻雀問題」に触れざるを得ません(具体性がまるで無い辺りが産経らしい姑息さですが)。
ちなみに「真偽は不明」ですが産経新聞には「給料がバカ安いので、平気で取材先にたかってる」と言う噂がありますね。
また「実在人物がモデルだが、あくまでもフィクション」なので、本当かどうかは知りませんが、辻調理師学校創設者・辻静雄をモデルにした小説『美味礼賛』(海老沢泰久、文春文庫)では読売新聞記者だった辻が、結婚相手となる恋人の父親(料理学校経営者)に「娘と結婚するなら後継者になってほしい」と懇願されて新聞社を辞めた理由はもちろん『最大の理由』は「恋人を愛していたから(父親の要望を聞かないと恋人との結婚が認められそうに無い)」「父親の話を聞いて料理学校経営者になることにそれなりの魅力を感じたから」ですが、サブの理由としては「取材先にためらいなくたかるなど、当時の新聞業界(読売に限らない)の悪習にうんざりしており、入社当時はともかく、退社時においては新聞業界にそれほどの愛着も感じてなかったからだ」とされています。
参考
サンスポ元記者・本城雅人氏、直木賞なるか!産経新聞社OB・司馬遼太郎氏に続け (3/3ページ) - 芸能社会 - SANSPO.COM(サンスポ)
産経新聞社出身の直木賞作家は、1959年下期に「梟の城」で受賞した故司馬遼太郎氏がおり、スポーツ紙出身は、日刊スポーツに在籍した1954年上期「終身未決囚」の故有馬頼義氏*7以来64年ぶりとなる。作家にとって賞は励みに違いないが、本城氏の目標は書き続けること。「これまで年間3冊ペースで出版できていたんだけど、昨年2冊になって…。どこかで頑張って4冊出して作品数を3の倍数に戻したい。作家は本を出すことが喜びだから」と語る。
直木賞発表の18日も書く日課は変わらない。
★少ないスポーツ紙出身の受賞者
スポーツ紙出身の直木賞作家について「直木賞物語*8」の著者で同賞研究家の川口則弘氏は「受賞した人はとても少ない」と指摘。日刊スポーツに在籍していた有馬氏が1954年上半期に「終身未決囚」で受賞したぐらいという。ちなみに1957年下期*9の「借金鬼」など候補に上がった報知新聞の故・碧川浩一氏について「戦後、小説を書かなくなった江戸川乱歩に書かせて(ボーガス注:報知)新聞に掲載した人物(ボーガス注:としてミステリファンには有名)」と説明。芥川賞では東京スポーツ出身の高橋三千綱氏(70)が1978年上期に「九月の空」で受賞。
直木賞-受賞作候補作一覧141-160回|直木賞のすべてによれば本城雅人『傍流の記者』が2018年上期直木賞候補に挙がりましたが、島本理生『ファーストラヴ』が受賞して本城氏は受賞を逃しています。
(文芸時評)元記者の力、物語に昇華:朝日新聞デジタル
新聞記者出身の作家は、昔から少なくなかった。思いつくだけでも、井上靖、司馬遼太郎、山崎豊子、佐野洋、三好徹、伴野朗等々、多士済々の顔触れだ。昨今も、警察小説でデビューした横山秀夫*10、真山仁、塩田武士*11、本城雅人*12、堂場瞬一*13など、枚挙にいとまがない。
*1:1976年、『五十万年の死角』で江戸川乱歩賞を、1984年、『傷ついた野獣』で日本推理作家協会賞を受賞
*2:1958年、『花のれん』で直木賞受賞。代表作として映画化、テレビドラマ化された『白い巨塔』(1965~1969年)、『華麗なる一族』(1973年)、『不毛地帯』(1976~1978年)、『沈まぬ太陽』(1999年)など
*3:1964年に『華麗なる醜聞』で日本推理作家協会賞受賞。
*5:読売の先輩である菊村到、同僚である佐野洋の『読売退社による専業作家化』に影響を受けて自らも小説家を目指したと言われる。1967年に『聖少女』で直木賞受賞。
*6:産経抄の「文脈(司馬、井上、野村)」から、上前淳一郎氏(朝日出身)、本田靖春氏(読売出身)のような「ノンフィクション作家」は除いて「小説家」のみを「作家」としています。
*7:伯爵・有馬頼寧の三男。敗戦後、第1次近衛内閣農相だった父が戦犯容疑者として拘禁され、財産差押えを受ける。家は貧窮生活に転落し、古道具屋、ビルのガラス拭きやアコーディオン弾き、友人が編集していたカストリ雑誌『アベック』の常連執筆者、『日刊スポーツ』の記者などで生計を支えたという。1954年、『終身未決囚』が直木賞受賞。1959年、『四万人の目撃者』で日本探偵作家クラブ賞受賞(有馬頼義 - Wikipedia参照)。
*8:文春文庫
*9:直木賞-受賞作候補作一覧21-40回|直木賞のすべてによれば、1957年下期は「受賞作なし」。なお、1957年下期の候補者の内、城山三郎(1958年上期)、池波正太郎(1960年上期)は後に直木賞を受賞している。
*10:横山秀夫 - Wikipediaによれば「上毛新聞」出身。1991年、『ルパンの消息』がサントリーミステリー大賞佳作を受賞したことを契機に上毛新聞を退社。1998年、『陰の季節』で松本清張賞を、2000年、『動機』で日本推理作家協会賞(短編部門)を受賞。
*11:塩田武士 - Wikipediaによれば「神戸新聞」出身
*12:本城雅人 - Wikipediaによれば「サンケイスポーツ」出身。サンスポ出身という経歴から野球をテーマとした小説が多い。
*13:堂場瞬一 - Wikipediaによれば「読売新聞」出身