高世仁に突っ込む(2021年1/3日分)

狩猟採集民が天文学を発達させたわけ - 高世仁の「諸悪莫作」日記(2021年1月2日付記事)
 タイトルから分かるように今日の高世記事も拉致はなぜ見過ごされてきたのか6 - 高世仁の「諸悪莫作」日記(2020年12月7日付記事)の続きではありません。高世もいい加減、(つづく)としている拉致はなぜ見過ごされてきたのか6 - 高世仁の「諸悪莫作」日記(2020年12月7日付記事)をほったらかしにしないでとっと終わらせたらどうなのか。
 それとも「続ける気が無い」のか。ならばはっきり「続けません」と書くべきでしょうにねえ。
 (つづく)としながらいつまでもほったらかしにしている高世の気が知れません。しかも拉致問題は「現在はともかく、少なくとも過去においては高世のライフワークのはずだった」のに。

 「コズミックフロントNEXT」(NHK)で「過酷な大地が生んだアボリジニ天文学」(2017年)の再放送を観た。
 《メソポタミア古代ギリシアなど、主に北半球の国々で誕生し、発展したとされる天文学。驚くことに、南半球オーストラリアの先住民族アボリジニが「人類最古の天文学者」である可能性がでてきた。》(番宣)
 オーストラリア・ビクトリア州で、ある遺跡が発見され、天文学の歴史をくつがえすかもしれないと言われている。
 それは、平原に石を規則的に並べたもので、太陽の沈む位置を観るための天体観測所だったことが判明した。
 メソポタミア文明エジプト文明天文学を発達させたが、それらよりに古い英国のストーンヘンジ(BC3000年)も天体観測の施設だったとされる。
 この遺跡はストーンヘンジよりはるかに古いと見られ、人類が空を詳細に観測していた最も初期の例の一つと見られている。
 また、5000年前のロックアートには新月などの天体が描かれ、当時の人々が月の運行と海の潮の干満、それによる川の水の増減の関係を認識していたことが分かったという。
 アボリジニは、西洋人とは違う感性で空を見上げてきた。
 ナングラク部族の土地にある壁画には、太陽の黒点らしいものが描かれている。黒点が西洋ではじめて詳細に観測されたのは17世紀になってからである。
 天体の動きを観察するようになるのは、その生活上の必要からだとみられている。
 狩猟採集生活では食料を追って移動するため、その移動時期を正確に知らねばならない。果実が鳥に食われないタイミングや魚の産卵の時期などは生存に直結する情報だ。天体は季節の移り変わりを知らせる「カレンダー」だったのである。

 小生は「拉致問題でデタラメほざきまくってた高世」が「反吐が出るほど大嫌い」なので高世の「物言い」にはできる限り「悪口すること」にしていますので今回も悪口することにします。
 とはいえ「それなりに正当性のある悪口」を目指しますが。
 で早速悪口です。
 アボリジニの「天文学」云々は確かに「興味深い事実」ではあるでしょう。
 しかし一方で「過大評価できないこと」も事実でしょう。
 結局、アボリジニ天文学は「西洋の天文学」とは違い、「学問的に体系化され、新しい何かを生み出したり」、あるいは「天文現象の発生原因を突き止めたり」はしなかったわけです。
 それはあくまでも

狩猟採集生活では食料を追って移動するため、その移動時期を正確に知らねばならない。

程度の話に止まった。だからこそ「今まで注目されてこなかった」。
 この点は「アボリジニ天文学」とは色々性格が違うとは言え「江戸時代日本の和算」も似た性格があるかと思います。
 和算も西洋数学のような「体系化」がされていなかったからこそ明治以降衰退したと言えるでしょう。

 いま、地球環境問題の観点からも、狩猟採集民の暮らしが注目されている。
 狩猟採集という生き方をしているかぎりは、地球システム論的には新しいことは何も起きていない。狩猟採集は他の動物もやっていて人間だけが特別な存在ではない。
 しかし、農耕牧畜は、森林を伐採して畑に変える。結果、地球システムにおける物質・エネルギーの流れが変わる。農地と森林では、太陽エネルギーの地表での反射も、雨による大地の浸食も違ってくるからだ。
 ラディカルにみれば、地球環境問題は農耕牧畜から発生することになる。
 狩猟採集についてもっと調べてみようと思う。

 いやいや狩猟採集だって「大規模に行えば」環境破壊にはなるでしょうね。
 「動物を狩猟し尽くしたり、植物を採集し尽くしたりすれば(そのようなことが現実として可能かどうかはひとまずおきます)」その動物や植物は滅びるわけですから。
 一方で「農耕牧畜」だって初期においては「その環境破壊のレベル」は大したものではなかったでしょう。
 やはり「環境破壊のレベル」がすさまじくなるのは「蒸気機関が登場した産業革命以後」じゃないですかね(その後も更に石油や電気を利用した動力機関という蒸気機関以上に強力な物が登場しますが)。
 人力や動物(馬、牛などの家畜)の力を大きく上回る蒸気機関の登場は「環境破壊のレベル」を格段に上げたと言って良いでしょう。
 どっちにしろ

いま、地球環境問題の観点からも、狩猟採集民の暮らしが注目されている

ねえ。
 今更狩猟採集の生活には戻れないし「一体何を注目するんだ?」とは思います。
 そもそも「狩猟採取ではとても生活できる食糧が確保できない」からこそ「農耕牧畜」が始まったわけですし。高世のように「狩猟採集」をいたずらに美化するのもどうかと思いますね。